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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2007102102058024.html
2007年10月21日
イラクから、アフガニスタンから、自爆テロの悲報が絶えません。自死してまで他人を殺(あや)めようとする心は、一体どうして生じてくるのでしょうか。
殺める側の心を詠んだ詩人の言葉があります。
われは知る、テロリストのかなし き心を−
言葉とおこなひとを分ちがたき/ ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに/おこ なひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲(な)げつく る心を−
千二百年に一万冊
石川啄木の「ココアのひと匙(さじ)」の前半節です。啄木には、一読残酷な人間心理を詠(うた)った作品が他にも見られます。詩人の感性がとらえた人間性に潜む狂気なのでしょうか。
一九一一年、大逆事件に際して詠まれたものです。時代も背景も全く違いますが、今の時代に置き換えたとき、「奪はれたる言葉」という状態を想起させる一つのデータがあります。米中枢同時テロを受けて国連がまとめた「アラブ人間開発報告」にある数字です。
「千二百年間に一万冊」
過去、アラブ諸国で出版された翻訳本の累計点数というのです。
ちょっと想像してみてください。西洋で言えば欧州の礎を築いた九世紀のカール大帝から今日の欧州連合(EU)まで、日本で言えば桓武天皇から平成の現在まで、世界の出来事に関する翻訳情報の総量が一万冊にすぎないというのです。
日本の昨年一年間の総出版点数はざっと八万冊です。現在の情報化社会にあって、途方もない言葉の空白が連想されませんか。
このデータの意味合いを、西欧とイスラム研究の第一人者、内藤正典・一橋大学教授に伺いました。
対象化と一体化と
「その統計がどの程度正確かは別として、イスラム文化では書かれた文字よりも音の言葉を重視します。それが関係しているかもしれませんね」
翻訳に限らず一般本も含め、出版数がそのまま情報量の多寡につながるわけではない、というのです。
イスラム教の聖典コーランは、正しくはクルアーンと記され、「誦(じゅ)すもの」という意味だそうです。アラビア語だけが正典とされ、翻訳されたコーランは正典とはみなされないそうです。
イスラム教徒にとっての人生、生活百般のルールを定めたコーランは預言者ムハンマドに語られた神の啓示とされています。
それを規範に営々と築かれてきたアラブ社会の歴史の集積を一片のデータで推し量ることはできないでしょう。
いま試みに、西洋を文字言葉の文化、イスラムを音の言葉の文化に喩(たと)えてみましょう。
文字はものごとを対象化します。中世社会に埋もれていた個人が自立し、宗教改革、市民革命などを経て、近代化を促進する知的な営為を担ってきました。
強烈な自己意識が宗教の規範から自らを解放し、人間中心の近代文明を生み、現代に至っています。
同時に、「現代とは生きる理由を通常は構成すると考えられている一切が消滅し、すべてを問い直す覚悟なくしては混乱もしくは無自覚に陥るしかない、そういう時代である」(シモーヌ・ヴェイユ)という哀(かな)しいまでの人間疎外ももたらしています。
音にはものごとの一体化を促す力があります。イスラムには、西欧近代をもたらした世俗主義という考え方はもともとありません。聖と俗の区別はなく、教会組織もありません。
西洋の個人主義、合理主義の考え方がないのです。生きる理由、意味はコーランの響きの中で担保されています。
アラブ人間開発報告は、9・11以降世界中で噴出したいわゆるイスラム原理主義批判に対応して、アラブ諸国の知識層が結集し、国連開発計画と協力してまとめたもので、アラブ自らが後進性の自覚を促そうという試みです。
アラブ側ではこうした動きが始まっているのです。
言葉の巨大な断層
明治維新以降、翻訳を通して西洋の知識を吸収し近代化を実現した日本。アラブに向ける関心はどうでしょう。「出版年鑑」最新版を探しても、アラブやイスラム書に関しては項目すら見あたりません。
西洋の文字の言葉はアラブで見えず、アラブの音の言葉は西洋では聞こえません。
言葉の巨大な断層が広がり、その軋(きし)みはとうに臨界点を超えてしまっているかのようです。
あすもまた、自爆テロの悲報が伝えられるかもしれません。見えない言葉を見、聞こえない言葉を聞く。そこから始められませんか。「奪はれたる言葉」の殺気に満ちた空白を少しでも埋めるためにも。
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