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http://saru.txt-nifty.com/blog/2007/10/20_3475.html から転載。
2007年10月20日 (土)
「真実」への特殊「イデオロギー」の政治介入を粉砕してきた20余年の歴史―沖縄戦「集団自決」教科書検定問題
今問題になっている沖縄戦における日本軍の強制による「集団自決」が「真実」として広く認識され、教科書にも書かれてきたことには、20余年の歴史がありました。
1981年の教科書検定で、「日本軍による住民殺害」の記述が削除されたことが、翌82年に明らかになり、これをきっかけに「日本軍による住民殺害」が「真実」であることが確定、83年からはこの「真実」がはっきりと教科書に書かれるようになりました。
さらに、1997年には最高裁判所の判決でもこの「真実」が確認されました。
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家永第3次訴訟
最高裁判決の沖縄戦部分(1997年8月29日)
「沖縄戦において死亡した沖縄県民の中には、日本軍によりスパイの嫌疑をかけられて処刑された者、日本軍あるいは日本軍将兵によって避難壕(ごう)から追い出され攻撃軍の砲撃にさらされて死亡した者、日本軍の命令によりあるいは追い詰められた戦況の中で集団自決に追いやられた者がそれぞれ多数に上ることについてはおおむね異論がな(い)」
「多数の県民が戦闘に巻き込まれて死亡したほか、県民を守るべき立場にあった日本軍によって多数の県民が死に追いやられたこと、多数の県民が集団による自決によって死亡したことが沖縄戦の特徴的な事象として指摘できるとするのが一般的な見解であ(る)」
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「地上戦に巻き込まれた沖縄県民の悲惨な犠牲の実態を教えるためには、軍による住民殺害とともに集団自決と呼ばれる事象を教科書に記載することは必要と考えられ、また、集団自決を記載する場合には、それを美化することのないよう適切な表現を加えることによって他の要因とは関係なしに県民が自発的に自殺したものとの誤解を避けることも可能であ(る)」
このような歴史にもかかわらず、今回また、安倍政権と文科省が教科書検定に政治介入し、福田政権になってもその特殊「イデオロギー」の立場に固執しているのです。
国家的、組織的な大量殺人という日本軍の犯罪行為を、またそれを隠蔽・擁護・免責する現在の日本政府の権力的犯罪行為を、ミャンマーの軍事政権やパキスタン・アフガニスタンなどのテロリストによる殺人等の犯罪行為と同様、絶対に許す訳にはいきません。
この点をまとめる今朝のしんぶん赤旗の記事を引用しておきます。
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2007年10月20日(土)「しんぶん赤旗」
沖縄戦と教科書検定
県民と国せめぎ合い20年余
「日本軍の命令」削除は最高裁判決にも逆行
沖縄戦の「集団自決」をめぐる教科書検定のからくりを明らかにした十一日の衆院予算委員会での赤嶺政賢衆院議員の質問は、関係者に衝撃を与えています。なかでも、専門家による専門的な検討もなく、文科省の一調査官の意見をもとに文科省ぐるみで強行したという事実です。二十年来の経緯を無視し、最高裁でさえ認定した記述を乱暴に書き換えた点からも、その特異な政治的意図をうかがわせています。
沖縄戦の実相を教科書でどう教えるか。実体験にもとづく沖縄県民や歴史学者と、国・文科省とのきびしいせめぎ合いを通じて、日本軍によって多数の住民が死に追いやられたという認識が定まっていました。「集団自決」についても、教科書検定で問題になるようなことはありませんでした。
■国民的議論に
沖縄戦をめぐって国民的な議論に発展する出発点となったのは、一九八一年度の教科書検定でした。
八三年春から使用される高校日本史教科書の検定で、愛知大学教授の江口圭一氏が執筆した、沖縄戦での日本軍による住民殺害の記述が削除されたのがきっかけです。
問題となった記述はこうです。
「六月までつづいた戦闘で、戦闘員約十万人、民間人約二十万人が死んだ。鉄血勤皇隊・ひめゆり部隊などに編成された少年少女も犠牲となった。また、戦闘のじゃまになるなどの理由で約八百人の沖縄県民が日本軍の手で殺された」
これに調査官は、数字に根拠がないなどと徹底して意見をつけ、江口氏に三回にわたって「書き直し」させた揚げ句に、「日本軍による住民殺害」の記述を削除させたのです。
そのやりとりのなかで調査官は、江口氏が根拠としてあげた沖縄県立平和祈念資料館の展示や資料、住民の証言を集めた『沖縄県史』について「一級の資料ではない」と却下しました。
江口氏は当時、「赤旗」紙上でこうした経緯を生々しく語り、こう告発しています。「日本軍の住民殺害の事実を書くなということです。中国への『侵略』を書くなというのとまったく同じです」(八二年七月三十日付)
■体験こそ事実
この検定実態が発覚した八二年七月以来、沖縄県では県議会をはじめ、検定に抗議し記述の復活を求める声がいっせいにあがりました。「県民の体験こそ動かせない歴史的事実であり、第一級の資料である」との訴えは、悲惨な沖縄戦を体験した県民の深い共感を呼び、反撃が広がりました。
当時、教科書をめぐって中国や韓国、アジア諸国との間で旧日本軍の「侵略」記述問題を抱えていた政府は、沖縄戦間題でも窮地に立たされ、ついに「次の検定の機会に県民の方々のお気持ちに十分配慮して検定をおこなうつもりです」(小川平二文相、同年九月十六日、参院決算委員会)と表明するに至りました。
これにより、八三年以降、日本軍による住民殺害を沖縄戦の特徴として描く教科書が登場するようになりました。
教科書での沖縄戦の記述を補強する力となったのが、教科書検定をめぐる家永三郎氏の教科書裁判第三次訴訟でした。
■美化論に打撃
八四年の提訴から十三年に及んだこの訴訟で、沖縄戦の実相、とりわけ「集団自決」とは何だったのか、が重要な争点となりました。原告側の証人として「集団自決」の体験者や沖縄戦研究者らが立ち、沖縄戦の実態を明らかにしました。
九七年八月の最高裁判決は、検定意見を擁護し原告側の主張を却下したものの、沖縄戦の実相や「集団自決」をめぐる真実については原告側の主張をとりいれた内容となりました。
「沖縄戦の大きな特徴」として、日本軍により多数の県民が死に追いやられたこと、「集団自決」が日本軍の命令によって引き起こされたものであることを認定しました。これは、教科書検定の名のもとに、「集団自決」を国のためにみずから殉じた崇高な死である"殉国美談"として描かせようとした国・文部省の意図をくじくものとなりました。
「日本軍の命令」の記述削除を強行した今回の検定は、こうした経緯をくつがえし、かつて頓挫させられた「集団自決」美化論を、安倍「靖国派」政権の下、一気に復権させようとしたものといえます。文科省による"自作自演"の仕掛けも、こうした特異な政治的意図にもとづいたものであり、その責任は重大です。(近藤正男)
家永第3次訴訟
最高裁判決
沖縄戦部分
家永第三次訴訟の最高裁判決(九七年八月二十九日)での沖縄戦に関する部分(抜粋)は次のとおりです。
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「沖縄戦において死亡した沖縄県民の中には、日本軍によりスパイの嫌疑をかけられて処刑された者、日本軍あるいは日本軍将兵によって避難壕(ごう)から追い出され攻撃軍の砲撃にさらされて死亡した者、日本軍の命令によりあるいは追い詰められた戦況の中で集団自決に追いやられた者がそれぞれ多数に上ることについてはおおむね異論がな(い)」
「多数の県民が戦闘に巻き込まれて死亡したほか、県民を守るべき立場にあった日本軍によって多数の県民が死に追いやられたこと、多数の県民が集団による自決によって死亡したことが沖縄戦の特徴的な事象として指摘できるとするのが一般的な見解であ(る)」
「地上戦に巻き込まれた沖縄県民の悲惨な犠牲の実態を教えるためには、軍による住民殺害とともに集団自決と呼ばれる事象を教科書に記載することは必要と考えられ、また、集団自決を記載する場合には、それを美化することのないよう適切な表現を加えることによって他の要因とは関係なしに県民が自発的に自殺したものとの誤解を避けることも可能であ(る)」
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