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http://www.sponichi.co.jp/society/news/2007/10/14/07.html
ミャンマー紙「誤った時期、誤った場所」
13日付のミャンマー国営紙ミラーは、最大都市ヤンゴンで反政府デモ取材中に射殺された映像ジャーナリスト長井健司さん(50)に関する記事を掲載した。「観光査証(ビザ)で入国したために悲劇を招いた。ジャーナリストとして働きたければ、当局に申請すべきだった」と長井さんを批判している。
共同電によると、記事は約1ページ半に及び、長井さんの入国時期や宿泊場所も明記。「誤った時期に、誤った場所にいた」として、射殺について、単なる事故だったと強調。日本側が返却を求めている、射殺時に持っていたビデオカメラについては、警察に押収されたとの見方を否定し「混乱した状況下で、どのようにして紛失したのか知るのは困難だ」としている。
また「長井さんの事件を利用してミャンマーと日本の関係を悪化させようとしている」として、在外の反政府系ラジオ局も非難した。
[ 2007年10月14日付 紙面記事 ]
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071013/crm0710132025026-n1.htm
ミャンマーで射殺の長井さん 地元・愛媛で告別式
2007.10.13 20:25
ミャンマーで取材中に射殺された映像ジャーナリスト、長井健司さん(50)の告別式が13日、実家のある愛媛県今治市の高野山今治別院で営まれ、親族や学生時代の同級生ら約70人が参列し別れを惜しんだ。
読経のなか、父親の秀夫さん(83)と母親の道子さん(75)はやつれた表情で、終始うつむいたまま。APF通信社の山路徹代表が弔辞で、「久しぶりの故郷はどうですか」と遺影に語りかけるとむせび泣く声が会場を包んだ。また、山路代表は「長井さんが言っていた『誰かが行かなければならない』という使命感にあふれる言葉を忘れません」と声を震わせていた。
中学、高校時代の同級生で薬剤師の野間篤さん(49)は長井さんと約30年ぶりの“再会”。「陰で人を支えるようなしんの強い人でした。葬儀に参列して彼の勇気をいただきました」と言葉を詰まらせた。
長井さんの着衣の「硝煙反応の有無」について一週間も経つのに何故報道されないのか?
http://www.asyura2.com/07/senkyo42/msg/1138.html
投稿者 新世紀人 日時 2007 年 10 月 12 日 11:41:02: uj2zhYZWUUp16
[新世紀人コメント]
ミャンマー政府は、
「『誤った時期に、誤った場所にいた』として、射殺について、単なる事故だったと強調。」
との事だが、
私は、ミャンマー治安部隊による至近距離からの射殺ではなく、路地に移動させられた長井さんの遺体を調べて所持品を回収している有様をビデオ撮影した場所辺りの近辺から「狙撃銃」を使って狙撃した可能性が高いと考えている。この位置からは長井さんが撃たれた瞬間も撮影されているのだ。まるで待ち構えて撮影したように”構図が決まっている”のだ。
ミャンマー政府は撃ったと疑われている兵士を探し出して事情を聴取してその結果を世界に報ずればはっきりするではないか。
探す事が出来なかったのか、または、既に聴取済みなのであろうか?
「撃った覚えは無い」と言うなり、「撃ってしまった」と言うなりのハッキリとしたコメントが欲しいものだ。
しかしである。
ケネディー大統領の暗殺犯とされてしまったオズワルドは刑事の前でジャック・ルビーなる人物に拳銃で撃ち殺されてしまった。
「死人に口なし」で終わってしまって、真犯人は判らなくなってしまった。尤も公式にはオズワルドが犯人という事にされてしまっている。
と言う訳であるから、
ミャンマー政府を擁護する必要が全く無い私ではあるが、
ミャンマー政府の考えるところを推測すると、
当該兵士のコメントを出した結果を考えた上での事ではないだろうか?
兵士が撃っていれば、世界的な非難の嵐に兵士と政府は晒される。
また、
兵士に覚えが無ければ、それでも世界中からの「嘘をつくな」との非難に晒される。
この場合は謀略に嵌められたと言う事になるのだ。
要するに、どちらであるにせよ、
オズワルドに似た立場に兵士とミャンマー政府は晒されることになるだろう。
それで、
長井さん自身の責任を語るだけに終わって、無難に「不幸な事故」との扱いに終わらせようとしているのではないのか。
事件は藪の中である。外務省から派遣されたのが「藪中さん」であったのは何となく皮肉である。
謀略に嵌められてしまった時には、その時には嵌めた側は証拠を残していないのだから、
「嵌められた」と声を大にして言う事は無駄である。
さりげなくやり過ごすのが洗練された行いなのだ。騒いではみっともない。
反対に相手側は騒いで本性を世界に晒している。
しかし、この事件は意図を持って、2007年9月27日を選んで実行された筈である。
これについては改めて触れる。
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