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http://www.amakiblog.com/archives/2007/11/10/#000583
ティベッツ機長の言葉
私もふくめて多くの者は戦争の当事者ではない。そのような者がいくら平和論を唱えても所詮は評論である、少なくとも私はそう思って自分を戒めている。
かつて私が現役の外交官であった時、黒人差別と戦っていた南アフリカのネルソン・マンデラや、今や米国にとってオサマ・ビン・ラデンについで危険人物とされているレバノンの反米武装抵抗組織のナスラッラーと面談したことがある。その時に私は日本政府の建前論である「暴力は絶対に認められない」という言葉を投げかけたものだ。その時、マンデラは微笑んでうなずき、ナスラッラーはやはり笑いながら「われわれは日本の神風から学んだのさ」と答えた。
当事者でない我々が、自らを安全なところに身を置いて、いかに偉そうに平和論をぶったところで、多くの人間の命を巻き込んだ政治闘争を重ねる歴史的責任者の前では所詮は机上の空論であり奇麗事に過ぎないのであろう。私は立場上そのような公式見解を当事者を前に口走りながら、内心は自らを恥じていたものだ。
11月10日の朝日新聞に1日に92歳で死去したポール・ティベッツ氏の記事を見つけた。広島に原爆投下したB29[エノラ・ゲイ]の機長であった人物だ。医師になる事を望んだ厳格な父に背いて陸軍航空隊に入った時、母親だけが「大丈夫よ」と励ましてくれた。その思い出から原爆投下機に母親の名前をつけたという事を、私はこの記事ではじめて知った。
そのティベッツ機長は、自分は決して原爆投下を後悔していないと言い続けて死んだ人物だ。とんでもない人物だと日本人なら思うかもしれない。確かに彼の発言を一つ一つ調べてみると驚くものが多い。
しかし私は03年に米紙との会見で語ったという彼の次の言葉を見つけたとき、彼こそが本当の戦争の犠牲者ではなかったのか、少なくとも我々当事者ではない凡庸の平和論者などよりも、はるかに戦争の苦しさと平和の大切さを知っていたのではないのか、そう確信した。当事者の言葉は、それだけで極めて重いものがある。
「・・・戦争に道徳なんてない。国家紛争の解決の手段としての戦争はなくす道を探すべきだ・・・」
2007年11月10日
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