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福田・小沢会談は永田町をさまよった幻であったが(三上治)
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投稿者 クマのプーさん 日時 2007 年 11 月 09 日 09:33:32: twUjz/PjYItws
 

2007年11月7日発行 十六号
9条改憲阻止の会
TEL &FAX:03−3356−9932
E−mail:kyujokaikensoshi@utopia.ocn.ne.jp

     福田・小沢会談は永田町をさまよった幻であったが


 なるほど「藪の中」とはよく言ったものだ。永田町に住む「タヌキもびっくりか」などと頭をひねっていた「福田康夫と小沢一郎」の会談であった。この永田町だけでなく、日本を駆けめぐった連立構想という幻は小沢の辞意撤回という結末で一件落着となった。政治家の幻想力(期待されること)は政治力の一つであるが、それを逓減させた小沢一郎はどこでそれを回復するのか。新聞やテレビの空騒ぎとは別に僕らが垣間みたものはある。それは現在の政党や政治家の構想力のなさといってもいいが、想像力が刺激されるところもあったわけでそれを拾ってみよう。

 会談の中身について双方が食い違うのはいたし方ないことで、それが政治家の会談である由縁であろう。その中で小沢一郎は、「会談の中で首相が国連決議に基づく活動以外は自衛隊の海外派遣はしないという重大な政策転換をした」語った。これに対して首相「国連決議が出て、何でもかんでもやるかはよく詰めなければならない」と述べている。小沢が戦後日本の安全保障政策の転換と受け止めたことを、福田は自衛隊の海外派兵の仕方くらいにしか考えていないように見える。どのようなニュアンスで語り合ったのかわからないから、本当のことかわからないが、首相が国連決議に基づく活動以外に自衛隊の海外派遣は行わないと約束したなら、安全保障政策の重大な政策転換を含む。そのように小沢が受け取ったとしても当然と言える、果たして福田がそのような意味で述べたか、どうかには疑問が残るとしても。

日本の自衛は日本への攻撃からの自衛(防衛)である。自衛の概念には他国の自衛まで拡張した集団自衛は含まない。例えば、アメリカの自衛戦争を日本の自衛戦争であるとし、集団自衛として共同行動は取らない。これが小沢の自衛についての考えだ。特異なのは国連の平和活動に限ってのみ自衛隊の海外派遣はOKという考えだ。恒久法を作って、国蓮の決議や要請があった時は自衛隊の海外派遣を認めるということはここに根拠づけられる。小沢のこの見解についての僕の評価はあるが、それを横において言えば、これがそのまま採用されれば、戦後のわが国の安全保障政策の重大転換になる。小沢の考えは、理念上は安保条約の見直し、あるいは不要論を内包しているからだ。アメリカの自衛戦争に集団自衛の概念で加担し、同盟することはないというのは安保の見直しに発展する契機になる。アメリカとの同盟は相互の防衛ということを含むが、憲法9条の存在はそれを集団自衛として展開することを禁じてきた。集団自衛を含んだ安保条約と憲法9条は矛盾ではあるが、その関係を曖昧にしてきたのが戦後の日本の安全保障政策だ。自民党の政策は実質的には安保条約に軸心が置かれ、傾斜する傾向にあった。この安全保障政策を憲法に軸心を移すというのが小沢の見解だ。日米関係の構想はどこにあるか、という問題があるが、さしあたり理念上は従来の日米同盟の見直しを含む。小泉−安倍政権は日米同盟に傾斜を強め、憲法で禁じてきた集団自衛権の行使に踏み込んだ。福田政権は従来の自民党の線に戻すのか、小泉―安倍の線を踏襲するのか
曖昧だが、会談での福田の発言はせいぜいのところ前者であり、戦後の安全保障の転換という意識はなかったと思える。民主党がテロ特法新法の対案を出した。これについては次号で。 (文責 三上治)


関連情報:
2007年11月8日発行 十七号
9条改憲阻止の会
TEL &FAX:03−3356−9932
E−mail:kyujokaikensoshi@utopia.ocn.ne.jp

    補給支援措置法をめぐる民主党の対案と国会審議


 連立という幻が駆け抜けた「福田首相と小沢民主党党首」の会談はアフガンでの米軍支援の給油活動の継続問題が根にあった。それに端を発していた。11月1日まで国会前に座り込みを展開していた僕らもそれを対象にしていたのだが、政府与党の「補給支援特措法案」に続いて民主党はその対案をまとめた。この法案はアフガンへの復興支援として自衛隊を含めた派遣を行うが、自衛隊は民生支援に限定した派遣で小沢一郎が意欲を見せていた国連治安支援部隊(ISAF)には参加を見送るとなっている。焦点になっていたインド洋沖での給油活動であるが、「国連決議に基づく国連活動になった場合は参加を検討」というようになっている。

 政府与党の案は給油活動の再開(継続)であるから本質的な隔たりがある。怪談いや会談で小沢は首相が、連立が優先でこの法案の成立にはこだわらないと述べたといい、福田首相は「いや、法案の成立をお願いした」と話は食い違っていたが、ここで見ておくべきことは政府与党と民主党の考えの違いである。政府与党はこれまで通りにアメリカの要請に従ってということであり、民主党は国連の決議に基づく国連活動になったら、ということでありたいした違いのようには見えないかもしれない。だが、政府与党と民主党案は本質的の違いがある。アメリカ主導の多国籍軍の支援はアメリカの自衛戦争の支援であり、集団自衛権の行使である。わが国では憲法9条が他国の自衛戦争に集団自衛として関わることを禁じているからこれは憲法の違反である。小泉―安倍政権はここを曖昧にし、非戦闘地域での支援であると詭弁をろうしていたがそこに意識的に踏み込んでいた。だから、安倍は集団自衛権行使と法的整備の研究に着手していた。従来の自民党の枠組みを破った小泉−安倍政権の路線を踏襲するのが福田政権の給油活動の継続であり、民主党案はその拒否である。アフガンでの反テロ戦争は指揮系統も性質も違う二つの戦争があり、複雑である。しかし、アメリカのアフガン−イラク戦争はアメリカの自衛戦争であり、それを支援することは集団自衛権の行使であり、憲法の違反である。まず、インド洋沖での給油活動は拒否されるのは当然である。自民党案に比すれば民主党案はその点で明瞭である。アフガン支援も民生支援に限定し、ISAFへの参加を見送ったのも賢明である。

 アメリカの展開してきた反テロ戦争はアメリカの自衛戦争である。アメリカ主導の多国籍軍は集団自衛の立場でそこに参加しているが、アメリカ内部をはじめとする世界的な批判はそれぞれの国での批判の高まりとなって撤退を加速させている。アメリカはイランに戦争を仕掛ける準備をしていると憶測される動きをしているが、アメリカの反テロ自衛戦争がアメリカの軍需産業の自衛戦争という様相を呈していることに注視しなければならない。アメリカの戦争の動きを批判し、抗う動きをとらなければならない。給油活動の継続に反対することは世界に通じている。僕らは11月1日の国会前から引き上げ「テロ特新法」の審議状態を見守っている。呼びかけがあれば再び国会前に馳せ参じて欲しい。11月9日(金)6時30分から拡大の事務局会議がある。今後の行動方針が検討される。参加を。    (文責 三上治)


関連論文:

 安全保障の原則に関する小沢一郎の見解
                     三上  治
                             11月 1日
 (1)
 小沢一郎は雑誌『世界』(11月号)に「今こそ国際安全保障の原則確立」を題する文章を寄稿している。これは『世界』(10月号)に掲載された「テロ特措法と安保理決議」と題する川端清高(国連本部政務官)の論文に応えた公開書簡となっている。この短い、しかも公開書簡の形を取った論稿は今政治的な焦点になっている「テロ特措法法案(補給支援特措法案)」が対象にされているが、同時に憲法問題にも言及されていて興味深いところがある。ここでは、簡単ではあるが、論評を加えて置きたい。

 小沢一郎がアメリカのアフガニスタン侵攻(戦争)とイラク侵攻(戦争)が国連決議に基づかない行動であるから、テロ特措法による米軍支援の自衛隊派遣は憲法違反であり、即刻、撤退すべきであるという提起したのに対して川端から寄せられた危惧について答えるという形でこの稿は展開されている。『世界』の10月号に寄せられた川端論文はテロ特措法と安保理決議及びアフガニスタンでの戦争などに言及し、最後に小沢発言の問題点の指摘という構成を取っている。これはイラク戦争とは違って込み入った展開をしているアフガニスタンでの戦争の大筋を示している。ここは僕らの考えを整理する上でも役立ちそうであるから少し立ち入ってみる。前段では川端の展開している論稿の整理という形になるが、後段で小沢一郎の見解に言及してみる。そして、最後に僕自身の論評を加える。
 
小沢一郎が8月の駐日アメリカ大使との会談で述べたテロ特措法延長による自衛隊の給油活動の継続に反対について述べた発言を最初に川端は取り上げている。そのなかでテロ特措置法の根拠となって国連安保理決議の解釈について
述べる。その上で川端は日本の国連外交と対米協調路線の「ねじれ」を検証している。政治的にみれば、ここでいう「ねじれ」の問題が重要であることは了解できる。川端は9月11日事件を契機とするアメリカのテロ戦争は国連の決議に反するものではないし、テロ戦争は国連加盟国の連帯を得ているとしている。反テロ決議案の存在。しかし、アメリカ主導の対テロ戦争は、「安保理」が必要な措置をとるまで間の緊急避難的行為として認められたものであって、国連活動とはいえないとも述べている。そこで安保理は国連治安支援部隊(ISAF)の創設を決定した。だからアメリカの展開する対テロ戦争と国連和平活動を支援する国連治安支援部隊の活動は峻別されるべきであるとしている。アメリカの対テロ戦争はアルカイダやタリバンの掃討を目的にしているが、カイザル政権の治安回復を支援する国連支援部隊の活動は区別されるべきものとしている。一般にはアフガンでのアメリカの対テロ戦争とNATO軍などが展開するISAFの軍事行動は同じものとみなされているのだろうが異なるものであるという指摘はうなずける。

 アフガンで展開される戦争といっても指揮系統も性質も異なる二つの戦争があるのだ。それが国連和平活動を支援するISAFの行動と米軍主導の対テロ戦争というわけである。この二つの戦争の性格の違い、両者の拮抗関係などは川端の指摘する通りであり、注目すべきは川端が「米軍中心の活動を直接的に規定する安保理決議はない」という小沢の見解に誤りはないと指摘している点である。平たく言えば、アメリカのアフガンでの対テロ戦争はアメリカの自己防衛(自衛)戦争であって、国連の和平活動とは関係がないということである。


(2)
 次に川端が指摘しているのは小沢の発言が対米協調と国連外交の「ねじれ」を映す、日本の安全保障のあり方への挑戦であるとするものだ。小泉―安倍の
対米協調路線はブッシュの反テロ戦争に協調するものであり、実態はアメリカの対テロ戦争に集団的自衛権の行使として参加してきたものであった。しかし、集団自衛権の行使を禁ずる憲法の制約のために、自衛隊の派遣を日米同盟に基づく集団自衛権の行使とは明言できなかった。非戦闘地域への参加という詭弁を呈したり、国連のテロを非難する決議(反テロ戦争の決議)を根拠にするような形をとってきた。
そこで川端氏は米軍主導の有志連合への協力がぼやけ、国連活動との関係も曖昧にしてしまったという。これは、国連中心主義と対米協調の関係が「ねじれて」いるのであり、日本の戦後の安全保障政策の実態が「対米協力」にあり、「国連中心主義」が題目のような理念にとどまっていることにあるとしている。だから、日本は安保理が認可しているISAFには一人の要員も送らなかったが、国連活動と無関係の対テロ戦争には特措法を設定してまでも自衛艦をインド洋に派遣した。イラクには自衛隊を派遣した。ここで川端氏はドイツを対照としてあげ、ドイツはアメリカ主導の有志連合には参加を拒否したが、ISAFには積極的に参加していることをあげる。対米協力(この場合は反テロ戦争に同調)をしつつ、国連を舞台にした外交を展開しており、アメリカ追随ではない活動を行っているという。

 これらの現状を踏まえた上で川端は小沢一郎の発言の問題点を指摘する。これは三点に渡っている。一点はテロ特措法での協力を拒否した場合は、日本は国連活動への支援を含めて、不参加を補うだけの実績がない、とすることだ。対テロ戦争への国際協力から日本は孤立するのではという危惧である。アメリカの反テロ戦争を批判するドイツはISAFに参加することで国連活動を展開している。このような実績もないのだから、孤立する危険があると指摘するのだ。
第二点はアメリカ主導の対テロ戦争は確かに国連活動ではないが、アルカイダやタリバンが国際平和と安全への脅威という点で国連加盟国は一致している、アメリカの戦争というだけでは不参加の理由にならない、と指摘する。彼はイラクでの米軍の行動とアフガンでの行動は峻別すべきとする。イラクでのアメリカの行動はテロ増殖になっているが、アフガンでの反テロ戦争は根拠があるというわけである。
第三点は小沢発言が国際社会の同意に基づく国連活動に参加することの危惧である。それはこのような発言に要約できる。「もし安保理決議が日本の参加の条件であるとすると、表面上は安保理決議によって認可された多国籍軍であるイラク占領部隊へのイラク特措法による参加は問題がないことになる」というのだ。結論として民主党葉特措法に代わる対抗案を用意できるかと締めくくっている。


(3)
 小沢一郎の見解はこの川端氏の疑問に答える形を取っている。共通の前提として、アメリカのアフガン戦争やイラク戦争はブッシュの公言していたように、アメリカの自衛のための戦争(テロからの自衛の戦争)であって、国連のいう平和活動ではないという点である。もう一つ対米協力と国連中心主義とのねじれの問題の自覚である。この点は川端がアフガンでのアメリカ主導の反テロ戦争に特措法まで作って協力しているのに、国連の活動(ISAF)には一人の要員も送らなかったのは、対米協調と国連中心主義に「ねじれ」があるからと指摘しているところである。小沢は特措法に基づくイラクやアフガンへの自衛隊の海外派兵を中止し、引き揚げるべきであるとする。これは現在、民主党のテロ特新法の反対として展開されている。小沢にはアメリカの反テロ戦争として展開するイラクやアフガンでの軍事行動が国際的に非難され、孤立している状況にあることへの認識が前提としてある。アメリカが自負してきた世界の護衛官どころか、世界の危険な危惧さるべき存在に転じていると述べる。それを指摘した上で小沢は、対米協調と国連中心主義のねじれについて答えている。
 「ところが、米国は自分自身の孤立主義と過度の自負心が常に。国連はじめ国際社会の調和を乱していることに気がついてはいません。本当に日本が米国の同盟国であるなら、米国にきちんと国際社会の重要な一員として振舞うよう忠告すべきです。そのためには、日本自身が世界の平和を守るために率先してあらゆる努力をし、平和維持の責任をシェアする覚悟が不可欠です」。これが小沢の見解であり、覚悟次第でこのねじれは解消できるが、その場合に日本が国際社会の平和維持のために活動することが大事だと述べている。
川端が対米協調こそが現実的であるということを暗に匂わせているのに反駁している。アメリカ側からのやんわりした形であれ脅迫にも回答している。特措法による協力を拒否すれば、日米関係にひびがはいるという危惧は一般的に流布されているもので、自民党や保守筋、あるいはもう少し広範な人々を巻き込んでいる。給油活動の継続を支持する世論として出てきているものの根底にある。アメリカとの同盟関係があれば安全であるという戦後的神話に小沢は挑んでいるといえる。これは同時にテロ特措法による協力をやめれば、国際的に孤立すると危惧する点への批判にもなっている。小沢はこの「テロとの戦い」における国際的孤立を避けるためにアフガンで展開する戦いに参加の意を表明する。「今日のアフガンについては、私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したいと思っています」と述べている。

 アメリカ主導のアフガニスタンーイラク戦争からは憲法に違反するのだから、テロ特措法による支援からは撤退するという論趣とISAFには参加するという考えには飛躍があるようにうけとられて、論議を呼んでいるのだと推察される。
アフガニスタンでの米軍の行動とNATO中心のISAFの行動は同じものと一般にはみなされているから、おやという印象を与えるのだろうと、思えるのだろうか。

当面の政策や政治方針の背後には安全保障の原則についての小沢の考え(理念)がある。それを把握しないと何が論議されているのか見えてこないところがある。それがこの小沢の主張の特徴でもある。この原則は憲法との関連を含めた理念的なものであるが、それを踏まえて取りあげる。小沢は憲法9条がわが国の安全保障の原則を決める上で最大の問題であることを認める。そして彼は憲法9条の改定の必要を認めないという立場にある。「言うまでもなく、日本国憲法9条は国権の発動たる武力の行使を禁じています。国際紛争を解決する手段として、自衛隊の発動、つまり武力の行使は許されないということです。従って、我々は自衛権の行使(武力の行使)はわが国が直接攻撃を受けた場合、あるいはわが国の周辺の事態を放置すれば日本が攻撃を受ける恐れがあるという場合に限定されると、と解釈しています」とのべている。これは例の専守防衛の立場である。アメリカの自衛戦争に同盟して自衛隊が海外で武力行使を含む行動をすることは憲法違反であるとしている。憲法9条は集団的自衛権による自衛隊の海外派兵を禁じており、それを原則にしている。各国の自衛戦争に集団的自衛権の行使として参加することはないと明言している。自衛の概念の中に、集団的自衛の概念を含むことを認めないということである。
「私は日本国憲法の考え方からいって、米国であれどの国であれ、その国の自衛権の行使に日本が軍を派遣し協力をすることは許されないと解釈しています。同時に国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、なんら憲法に抵触しない、むしろ憲法の理念に合致するという考えに立っています」。これは小沢の安全保障の原則である。この後段のところが特異な考えであり、議論を呼んでいるものといえる。

 海外での地域紛争などにどう対応するかということだが、想起して欲しいのは小沢一郎が湾岸戦争時に自民党の幹事長として自衛隊の海外派兵を主張したということである。彼はこの主張を変えたわけではない。そこで彼はもう一つ国連を中心にした平和活動と安全保障という考えを提起する。これを憲法の前文の「日本国憲法は、世界の平和を希求し国際社会で名誉ある地位を占めたいという平和原則謳っている」というところに根拠付けようとする。国連の平和活動を維持し、それを推進することでわが国の安全保障も確保されるという考えで、その結果として武力行為を含むことがあってもいたし方ないとい考えである。この国連を中心にした平和活動は戦後の冷静構造下の時代とその後、とりわけ湾岸戦争以降では大きく変化しているのであるが、小沢一郎はそこに注目しているのだと思える。「繰り返しますが、日本の国際社会への貢献、特に侵略あるいはテロに対する強制力の行使について、日本はこれまで憲法を楯にして消極姿勢をとってきました。私はそれは大きな過ちだと考えています。しかし、同時に、日本国憲法の理念と9条の考え方は変える必要がない、むしろ忠実に実現すべきでだと思っています。したがって、憲法の理念に従って、あらゆる分野で国際貢献を積極的にしていかなければならない、というのが私の結論である」。


(4) 
ここで僕の論評を加えておきたい。小沢一郎が展開している特措法によるアフガニスタンやイラクでの米軍の行動を支援することへの反対については異論がないという点が一つである。それを小沢は集団自衛権の行使を禁じている憲法違反であるからであるとするが、それについてもそういえる。僕らは憲法9条の改定の実質的行為(改定なき改定=憲法違反)であると認識するが違いはない。戦後の対米協調路線と国連中心主義との「ねじれ」の解消についても格別の異論はない。アメリカとの同盟、価値観の共有ということでアメリカ追随を一層深め、従来の堰であった集団自衛権の行使まで壊した小泉―安倍の行動を引き戻すことはさしあたっての行為として重要である。今は対米協調という名の追随を見直す絶好のチヤンスであり、そのことを怖れる世論と拮抗していいのだ。対テロについて武力による解決に疑念を呈し、従って武力行使の参加だけが国際的連帯であるとする考えに対して批判していることもよいと思う。
やはり、問題は彼がアフガニスタンで展開するISAFの活動に参加してもよいと表明していることである。これは理念的な構想だけであるから、具体的な論評は加えにくいのであるが、ここではアフガニスタンで展開されている「反テロ戦争」の評価と言う問題になる。これは小沢の現実認識と安全保障の構想とが象徴されているところがあるので少し細かくみてみよう。

 まず、ここにはアフガニスタンにおける「対テロ戦争」なるものの複雑な構造がある。一つはこれが大枠としては9月11日のテロの衝動を受けて、このテロを国際社会の安全と平和を脅かすものとした国連の「反テロ決議」を持っていることがある。他方でアメリカの自衛戦争としてのアフガニスタン戦争は「国連活動」とは別のものであるということだ。この構造については前のところで述べたから繰り返さないが、ISAFの活動は国連の活動ではあるにしてもその評価の問題がある。小沢はこれを肯定している。その意味ではドイツの立場に近いのであろう。この問題は突き詰めていくと9月11日の事件を受けて国連も承認した「反テロ」ということの内容になる。僕は「反テロ」の立場にあり、テロには批判的である。だが、アメリカの「反テロ戦争」はいうまでもないことだが、国連の活動としてISAFの活動にも批判的である。何故であるか。
テロを批判し、テロと戦うという場合のあり方が違うこと。また、アフガンでのISAFの活動は名目はともあれ「反テロ」行為でとしてはいえないとみているからである。僕の考えは「テロ」を解決する道は経済的には貧困の解消であり、政治的には統治権力を開く(民主化する)ことであるというものだが、それは他国の武力によって可能になるとは思わないからだ。アフガンでのISAFの活動は治安支援であって、戦争ではないという論理もあるのだろうが、タリバンやアルカイダとの戦争であり、結局のところ力の抑圧ということになるし、それは成功しないと判断する。

 この問題は地域紛争の解決の問題ということになる。小沢は湾岸戦争のときに、日本の軍事的参加(後方支援や補給活動)を提起していた。湾岸戦争は冷戦構造の崩壊後に出てきた地域紛争が歴史的の段階を期するものであることを示していた。というのは現在の地域紛争は米ソの枠組みの中での代理戦争的存在ではないし、代理戦争的解決は不可能であった。9月11日の事件を契機にアメリカはテロからの自衛という観点で独自の解決に乗り出した。国連という枠組みでの解決の一つがISAFの活動である。反テロという観念がかぶさってしまったから問題を複雑にみせているが、根底にあるのは地域の民族的・宗教的紛争であり、それはどのように解決されるかということである。これはテロの解決と同じで貧困の解消と統治権力を開くことであるが、それがどのように可能かは誰も提示してはいない。ただ、戦争、他国の武力行使では解決はしないということである。僕らは基本的には地域紛争と呼ばれる国際紛争を非戦という考えで解決をめざす。小沢は国連の強制力の行使という微妙ないいかたをするが、警察的な力の行使と軍隊的な力の行使なのか判断がつかないが、ここは微妙なところといえる。

 小沢のこの論稿で注目されるのは憲法9条を認めた上で、もっとも自衛権は認めているが、国連の平和活動には結果として武力行使になることがあるとしても参加すると述べているところである。これはアフガンで展開するISAFの活動に参加するということに連なるが、その原則の表明といえる。憲法9条を改定しないというという点では僕ら(9条改定阻止の会)とは共通するといえる。9条の改定に反対するというのが僕らの枠組みであるからだ。当然のことながら、僕の9条擁護とは解釈が違う。9条改定阻止の会はその点ではいろいろの見解を持つものの集まりだから異論はないと思う。問題は国連の平和活動への参加という点である。国連の平和活動一般に参加することには異論は何しても、地域紛争解決に武力行使を予測して臨むという点が問題である。小沢は上記のように強制力の行使という微妙な言い方をしているのだから、論評はしにくい。
さしあたりそこは微妙であるが違うのかもしれないといっておこう。一つのメルクマールは警察としての強制力と軍隊としての強制力の差異というところか。

 小沢のこの見解には現段階の歴史認識の問題が含まれていて、そこまで踏み込むとおもしろいのだがこれについては稿を改める。


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