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ダールジャマイルの中東速報(2007年10月24日) http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2007_Dahr_Jamail_20071024.html
【装備不足の兵士は「捜査」を装って任務忌避】
ウォータータウン(ニューヨーク)10月24日発
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ニューヨークの基地に配置されたイラク戦争からの帰還兵は、イラクに駐留する米軍兵
士の士気の低さといったら、パトロールに出ているふりをしてハンビーを空き地に駐車
させ、勝手に「捜査と任務回避」作戦に切り替えるんだ、と話した。
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フィル・アリフはニューヨークのフォート・ドラムに司令部を置く第10山岳師団の現役兵である。2005年8月から2006年7月まで、ほぼ1年近くイラクで任務に就いた。アブグレイブ地区とファルージャ地域で、どちらもバグダッドの西にある。
「信じられないほど士気が低下していた」とアリフは話し、彼が軍に入隊したのは、シングル・マザーの貧しい家庭に育ち、他に見込みも無かったからだと補足した。「イラクで所属していた小隊では、ほとんどの兵士がアフガニスタンからの転戦組だった」。
アリフの話では、小隊の任務は、バグダッド西方のアブグレイブ地域でイラク軍の「立ちあげ」を支援することだったが、実際には、戦闘になると彼らの小隊がすべて請けおい、治安を担う準備をしているはずのイラク軍から援護はなかったという。
「独自に作戦を展開できるイラク人部隊なんて、話にも聞いたことがない」とアリフは言った。彼は今、戦争に反対するイラク帰還兵(IVAW)のメンバーである。われわれ(米軍部隊)にイラク軍が取って代わるというのは、宣伝のためさ」。
アリフによると、彼はほぼ300回ほどのパトロールに出たが、「道路脇爆弾による攻撃があまりに多くて、吹き飛ばされない唯一の道は動き回らないことだと決めたんだ」という。
「だから、空き地を見つけると車を停め、1時間ごとの基地への報告では、野原で武器庫を捜査中、すべて順調、と告げる。入隊してきた者は皆、命令系統にひじょうに幻滅していたしね」。
PTSDを患ったアリフは、イラクの原隊に復帰するのを断った。部隊は二週間前、キルクークに配置された。「彼らは戦友をを失って、一方ではシーア派を政治的に援助しつつ、他方ではスンニ派を武装させて宗派主義の暴力を促している・・・典型的な分断と支配さ」。
アリフはインター・プレス・サービス(IPS)に、彼のPTSDは軍の医者では治療できないという理由で、来月には軍から除隊されることになっている、と語った。
復員軍人省(VA)によると、PTSD治療を求めているイラクおよびアフガニスタン帰還兵の数は、この6月30日までの1年間に70%増加した。
復員軍人省が診断したPTSD患者がほぼ5万人というのは、イラクとアフガニスタンの占領で負傷したとペンタゴンが認定した軍人の数3万人をはるかに上まわる。
復員軍人省の記録によると、両帰還兵が復員軍人省の病院と診療所で治療を求めている病気としては、精神疾患は2番目に多い病気(症状)である。帰還兵のなかで精神疾患を患っている者の数は、2006年6月30日に6万3767人だったのが、2007年6月30日には10万580人へと58%も増えた。
イラクから帰還した他の現役兵士も、あまりに多く攻撃を受けるので、攻撃を回避するために命令に従わない、という似たような話をした。
第10山岳師団だった別の現役兵エリ・ライトは、「パトロールを切り上げるには、橋の頂上にさしかかると、そこを監視所にするのさ」とIPSに話した。「双眼鏡を手にして座りこみ、巡回するのではなく、監視するんだ、1時間ごとの無線連絡では巡回中と告げてね」。
ライトはさらに、「常套手段になっていて、多くの者がそうしている。身を乗り出して、音楽を聴き、煙草を吸う。そうしてパトロール中のふりをしたものさ」と語った。
26歳の衛生兵は、イラクに駐留していたあいだ、彼の部隊には装甲付きのハンビーが1台もなかったと不満をこぼした。イラクでは不穏なアンバル州の州都ラマディに駐留していた。
ライトは2003年9月から2004年9月までイラクに派遣されたが、「車両の床に砂袋を積んでいた。布地のドアだったからな」と語った。「派遣期間が終わるまで、目についた金属板ならなんでもハンビーに打ち付けていた。誰もがそうしていたな。帰還するまで、装甲付きのハンビーには乗れなかった」。
25歳のネイサン・リービスのような他の帰還兵は、移動するにも装甲付のハンビーが使えなかったことに加えて、命令されることへの訓練不足についても不満を述べた。彼は2003年のイラク侵攻中から同年6月までイラクにいた。
「一度も訓練を受けてない軍務が多かった」と彼は話した。「トラックの荷台で意見を出しあいながら白リン弾を処理したこともある。他にも弾薬を積んでいたし、正しい処理方法なんて訓練されてなかった」という。<捜査中を装って任務を忌避する>のは、イラクではここ何年間もありふれた光景になっているのだ。
ジョフ・ミラードはニューヨークの陸軍州兵になって9年だが、2004年10月から2005年10月までイラクにいて、戦術作戦センターの司令官付だった。
戦争に反対するイラク帰還兵(IVAW)のメンバーであるミラードは、彼の任務には「緊急事態」を報告することも含まれていた、と語った。緊急事態(significant actions)はSIGACTSと略すが、部隊が襲撃されることを米軍はこう呼んでいた。
バクーバ、ティクリート、サマッラといった攻撃の頻発する地域を監視していたミラードは、「そういえばSIGACTSを一度も通報しない部隊が幾つかあった」とIPSに話した。「私がいたのは2年前だが、緊急事態に遭遇しない中隊が少なくとも5個はあった。<捜査中を装った任務忌避>は、そこでは長期にやられていたんだと思う」。
ミラードは<捜査中を装った任務忌避>が今日ではイラク全土で続いているとIPSに語った。
「相棒の1人がちょうど今バグダッドにいて、しょっちゅう電子メールでやりとりしている」と彼は説明した。「彼らはほぼ毎日のように、駐車場に入ってソーダ水を飲み、空き缶を撃つ。彼らはイラク人の子どもに金を渡してものを持ってこさせたり、何ごともないから関わらないでほしいという話を言いふらしているそうだ」。
[Takeruのコメント]
ドイツ、イタリア、スペインなどが激戦地東部・南部への部隊派遣を拒否したり消極態度を取るアフガンの現実をみても、反米抵抗勢力の際限のないゲリラ攻撃に晒される前線の士気低下は記事のイラク米軍と大同小異ではないか。前線の士気低下ときてはまともな軍事行動は出来ない。それなのに米国の子分たちは、現場に目を背け安全な地に身を置き反米抵抗勢力特措法「命」と現実と乖離した論争に明け暮れている。
政争や奴隷根性で現実を見失なってはいけない。前線の現実を冷静に受け止めて行動すべきだ。米侵略戦争に盲目的に追随する者たちは、「放漫さ」と「希望と現実の混同」で大敗戦したミッドウェーの教訓から何も学んでいない。
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