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野坂昭如の連載「七転び八起き」(天木直人のブログ 10/8)
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投稿者 天木ファン 日時 2007 年 10 月 08 日 11:39:41: 2nLReFHhGZ7P6
 

2007年10月08日

野坂昭如の連載「七転び八起き」ほか

  野坂昭如の連載「七転び八起き」

  毎日せっせと新聞や雑誌を読んでいると、色々な出会いがある。その中の一つが毎日新聞に連載されている野坂昭如の「七転び八起き」である。
  野坂昭如といっても若い世代は知らない人が多いと思うが、昭和の高度成長期に活躍した作家であり、今でいうマルチタレントである。タレント参議院議員でもあったが、直木賞作品「火垂の墓」で戦争の悲惨さを訴えたりする全共闘、左派の硬骨漢でもある。
  その野坂は今では77歳のれっきとした老人となった。数年前に脳梗塞で倒れ現在リハビリ中という。その野坂が毎日新聞に4年ほど前から断続的に書いているのがこの「七転び八起き」である。 自らの過ぎし人生を思い起こしながら書いている、とりとめのない随想である。しかしその文章の中に、私は惹きつけられる言葉を時折見つける。勝手に決めつけて申し訳ないが、彼はこの先そう長くない自分の人生を自覚しながら、これがみずからの最後の作品であると思って書いているのではないか。不自由な自分の体と折り合いをつけながら、必死で、それでいて、ある種のゆとりを持って、生きている、その証としてこれを書いているのだと思う。
10月8日の文章には、次のような言葉があった。
・・・日本は小さな島国である。四面海に囲まれている。自給自足を捨てた資源のない日本は、諸外国と仲良くすることでしか生きのびられない。東洋のスイスである。国民がまずその事を知らなければならない。今、日本は前進するしかない。だが、時には立ち止まって考える事も必要である。日本はこれを忘れている・・・
 人間は遮二無二生きている時、絶頂にある時には見えない物がある。不遇の時、人生を降りた時にはじめて見える物がある。野坂の文章を読みながら、私はいつもそう思うのだ。


  それでもメディアに頑張ってもらいたい

 月刊「紙の爆弾」という雑誌がある。かつて「噂の真相」というスキャンダル雑誌があった。権力の悪を徹底的に告発・糾弾し続けた雑誌だ。それが廃刊になった後、今となっては唯一と言っていいほどのラジカル・スキャンダル雑誌である。
 その11月号に週刊金曜日の編集長北村肇のインタビュー記事があった。これが実に面白いのだ。
 北村は毎日新聞記者出身である。後に「サンデー毎日」の編集長も担当したが、そこで大手芸能プロダクション、バーニーズの内幕を追及した気骨あるジャーナリストである。それゆえに御用新聞記者から背を向けて、今では週刊金曜日の編集長となっている。
  その北村が、「雑誌の収入の半分以上は広告収入だから、広告主を全否定した商業誌は成り立たない、自分はそれでも圧力に屈することなく悪を追及したけれど、雑誌は倒産したら元も子もないわけだから、広告主に配慮して筆を曲げる事を一方的に批判する気にはなれない」と言っているのだ。いたずらにメディアの堕落を批判するのではない、この余裕がいい。
  テレビなどはもっと広告収入に依存しているのだろう。だから広告を取り仕切る電通などが幅を利かせるのだ。その現実を知らなければならない。メディアのジレンマに少しは同情しなくてはならないのかもしれない。
  メディアの商業主義の弊害はもう一つある。それは特ダネ合戦である。自社の特ダネは大きく報じるが、他社に特ダネされると後追い記事は小さくなる。沖縄返還のあらたな密約が発見された記事もその典型例である。
  10月7日の読売新聞は一面で、「核抜き本土並み」という沖縄返還の裏で、日米間に核持込の密約があった事をスクープした。この密約はこれまでにも様々な資料によって明らかにされてきた。しかし10月7日の読売新聞は、日大の信夫隆司という教授が米公文書の中からキッシンジャー元大統領補佐官のあらたなメモを見つけた事を報じた大スクープであった。だから翌日の各紙も一斉にこれを書かざるを得ない。しかしいずれも二番煎じだ。遠慮がちの小さな記事にとどまっている。
  しかしその中にも見落とせない記述がある。高村外務大臣が毎日新聞の問いに、「密約はなかった」と話しているのだ(10月8日)。
  この期に及んでもまだ外務官僚は嘘を言い続ける。その外務官僚の上に乗っかった政治家が、嘘を上塗りする。
  これはテロ特措法をめぐる虚偽答弁とまったく同じ構造だ。日米軍事同盟にかかわるおびただしい嘘の一部である。それは氷山の一角ではあるが、この国の外交の極めて深刻な病巣である。
  事実報道の特ダネ争いをするよりも、政府・官僚の嘘を追及する、その鋭さにおいてメディアには競い合って欲しいと思う。

  一般国民は政治論争に明け暮れる暇は無い(その2)

   10月6日のブログで私は書いた。「政治は政治家にまかせろ。それが政治家の最低限の仕事である。政治家は我々の税金で高額の給料を受け取っているのだ。我々がその政治家の行うべき仕事についてあれこれ議論に巻き込まれるのはおかしい。まともな仕事をしない政治家を監視し、批判するだけでよい」と。
   この私の考えを批判するかのような記事を10月8日の読売新聞の投稿欄で見つけた。
   法政大学教授・メディア文化論専攻の稲増龍夫氏が次のように書いていた。
   すなわち稲増教授は、小泉、安倍首相のパフォーマンス政治に疲れた自民党が福田非パフォーマンス政治に転じた事、そしてそれに皆が安心するという流れが出来つつある、この事に懸念しながら次のように言う。
    ・・・「落ち着いた政治」が、「政治に素人の有権者は、プロの政治家に任せておけばいい」という旧来型の密室政治への回帰を想定しているなら、それは絶対間違いである。
    パフォーマンスであろうがなかろうが、有権者の関心を積極的に喚起し、説明責任を果たしていくことはもはや不可逆的な流れである。「昔はのどかでよかった」と嘆く前に、役者=政治家、観客=有権者ともに、劇場の品格を上げることに力を注いでほしいものである。
  
   この意見はもっともだ。有権者が政治に関心を持つことはいい。政治家は常に国民によって監視されなければならない。それに私も異論は無い。しかし私が言いたい事は次の事である。すなわち現実はそう簡単に我々一般国民が政治論議に参加できない。ましてや政治に影響力を与える事はできない。それどころか有権者である観客は、メディアによって流される政治家と政治評論家、有識者の芝居を一方的に見させられるだけなのだ。彼らに影響を与えられる術をもぎ取られている。
   金を払って見に行く芝居は、つまらない出し物であればボイコットできる。お客様は神様なのだ。
ところが今の政治劇に対して一般国民はなす術が無い。政治議論の影響を与える事も出来なければ、議論に参加することさえ出来ない。一般国民が唯一政治に参加できるのは選挙の時だけであるが、その選挙さえも、国民の圧倒的な多数が解散・総選挙を望んでいるのに、政治家たちが自分たちの都合のいい時を選んで行う。
   国民が政治を監視できるシステムを作らない限り、メディアのおける政治番組の花盛りは、いたずらに政治家や政治評論家、御用有識者の売名行為や出演料稼ぎに加担するだけなのである。そんな事にかかわるよりは、もっと有益な事が我々の毎日にはあるということなのである。


http://www.amakiblog.com/archives/2007/10/08/#000562



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