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昨日は少し急いで歩くと汗ばむような気候であった。“晩秋”からようやく本来の秋になってきた。ところで、まだ“初秋”なのであろうか。時期的には初秋を過ぎたような気がする。夏らしい夏なら、時期にあまり関係なく“盛夏”という。しかし、盛秋という言葉は聞いたことがない。このように日本語の季節の呼び方は、難しい。外国語ではどうなのだろうか……。
10月3日〜5日まで、福田首相の所信表明演説に対する代表質問が行われた。ちなみに毎年1月に召集される通常国会の冒頭で予算案とともに行われる総理大臣の演説は、施政方針演説と呼ばれる。このときは外務大臣が外交演説、財務大臣が財政演説、経済財政政策担当大臣が経済演説を行い、これを政府4演説と呼ぶ。詳しくは Wikipediaの施政方針演説と所信表明演説をご覧あれ。
福田首相はいったい“いかなる所信”があって総理大臣に就任したのだろうか。政治家は誰でも総理大臣になりたいと思っているといわれているが、それは嘘だと私は思う。総理大臣というのは、わが国の政治を己の政治信念と理念で行うことである。己の政治信念や理念にそれなりの確信がなければ「やれ」といっても「はい。やります」というほど簡単なものではない。そういう意味における“確信”を私は1度ももったことがなかった。だから、総理大臣を何ら理由で「やれ」といわれても「はい。わかりました」とは決していわなかったであろう(笑)。少なくともそれが総理大臣になるクラスの“政治家の見識”というものである。
いつころからこういう見識のない者が総理大臣になるようになったのだろうか。私が国会に席をおくようになってから、そういう疑問をもたれたのが鈴木善幸首相であった。大平正芳首相の急死を受けての就任であった。しかし、鈴木善幸氏には自分が総理大臣をやらなければならないという政治家としての確信があった。欲得ではなく、自分が総理大臣を引き受けなければ角福戦争でズタズタになった日本の政治を収拾できないという信念があったことを身近で感じた。
鈴木善幸氏は確かに政策的にいろいろなことに精通していた政治家ではなかった。総理大臣として鈴木氏は「和の政治」を理念とし、政策的には「増税なき財政再建」というスローガンを掲げ、それを頑強に貫いた。第二次臨時行政調査会長に土光敏夫氏を据えて、国鉄と電電公社の民営化を断固として行った。このころからアメリカの軍事費増大の要求が強くなったが、初当選が社会党代議士だったということを忘れず、必死になって抵抗していた。日米首脳会談の後に発表された共同声明に“同盟”という言葉があったが、この同盟には軍事的意味は一切ないといった。このことで伊東正義外務大臣は辞任したが、鈴木氏は動揺しなかった。私が日米同盟と軽々しくいう政治家にこだわる原体験である。
私にいわせれば「お前、やれよ」といわれて「はい。やります」という軽いノリで首相になったのは、海部俊樹氏だったような気がする。海部氏も文部大臣しかやったことがなかった。しかし、早稲田大学雄弁会の出身だけあって、弁舌だけは爽やかだった。リクルート事件で竹下首相が退陣し、その後に選出された宇野首相が参議院選挙で大敗して辞任した。弁舌だけで自民党を救った首相であった。こう振り返ると、宇野宗佑氏が「はい。やります」といった最初の首相だった。ちなみに海部首相は、宇野内閣(存続は69日間)の閣僚を全部取り替えている。福田首相のように居抜きでは引き継ぐようなことはしなかった。海部氏でもそのくらいの見識はもっていた(笑)。
福田康夫氏がなぜ今回総裁選に立候補することになったのか。これはいまなお政界のひとつのミステリー(笑)だが、私は意外に単純な理由なのではないかと思っている。福田氏が清話会のオナー気分の派閥政治家だということは前に述べた。自分の派閥の森喜郎・小泉純一郎・安倍晋三が務まったくらいだから、自分にできない筈はないだろうという軽いノリで決意したのだと思う。清話会というのはこの程度の派閥なのだ。こんな派閥に振り回されているのだから自民党も落ちたものである。なんだか馬鹿らしくなってくる。まぁ、今日はこのくらいにしておこう。
それでは、また明日。
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