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参議院選挙の結果は重い。自民党は改選議席六一から三七へと転落した。橋本内閣時の四四議席、宇野内閣時の三六議席に比肩すべき大敗で、政権党としては最悪の結末となった。宇野内閣時の議席数よりはましに見えるが、実は深刻度は深い。宇野内閣の結果は非改選議席と合わせると自民党の保有議席は一〇九で、第一党の地位を確保していたし、第二党の社会党の六七議席を圧倒し、保守系無所属や中道政党(公明党二一議席、民社党八議席)への働きかけで当時の過半数一二七を確保し、政権運営は維持できた。しかし、今回の場合、自民(三七議席)と公明(九議席)を合わせた獲得議席は四六で、非改選の与党議席五七(自民四六議席、公明一一議席)と合わせても一〇三議席と過半数たる一二一を確保するための目標を一八議席も下回った。したがって、国民新党(四議席)や保守系無所属を取り込んでも、過半数確保は難しく、政権与党の議会運営は困難を極めると予想される。
しかも、三年後の参議院選挙まで自公連立政権の枠組みが維持されていたとして、仮に与党大勝となっても過半数を上回る議席を得ることは容易ではない。つまり、三年後改選の五七議席を七五議席にもっていく必要があり、現実的可能性は低い。参議院での野党優位構造が少なくとも六年は続くと認識せざるをえない。衆議院での数を頼みとする政権与党の強引な手法は機能しなくなった。
都市サラリーマンの「脱九・一一」
〇五年九月一一日、郵政民営化を巡る衆議院の総選挙が行われた。参議院で否決された一法案を巡って衆議院が解散され、「郵政民営化に賛成か否か」を国民に問うと小泉首相が叫ぶ中で、民営化に反対した自民党議員に離党を迫り「刺客」まで送り込むという異様な選挙が強行された。結果は小泉自民の大勝となり、与党は衆議院の三分の二を占めることとなった。国民の意思はどこにあったのか。その構造を私なりに解析したのが「都市サラリーマンがコイズミ自民党を選んだ理由」(脳力のレッスン43、『世界』〇五年一一月号)であった。その論稿の中で、〇五年の総選挙を決定づけたのは「大都市部のサラリーマン」(都市中間層)であることを指摘した。実際、この時の選挙において、東京、神奈川、千葉、埼玉、愛知、大阪、兵庫という七つの「大都市部」での自民党の獲得議席は民主党を八九議席も上回ったのである。
この選挙における都市サラリーマンの小泉支持の深層心理とは何だったか。それは小泉構造改革支持という単純なものではなかった。かれらは「構造改革の本丸は郵政民営化」という小泉首相の決めつけには疑問を感じつつも、「抵抗勢力」とされた亀井、綿貫といった人たちの表情に「旧来型分配」を代弁する存在としての拒否感を覚え、「改革をとめるな」という小泉首相のメッセージに呼応していったのである。この十年、年功序列型の右肩上がり分配の時代が終り、「個人所得増なき景気回復」などといわれる状況が続く中で、分配に対して神経質になり始めた都市サラリーマンが旧来型の分配を主導してきた既得権益を拒絶する心理に基づく選択がなされたのが、 二〇〇五年「九・一一」の総選挙結果であった。
ところが、今回の参議院選挙での先述の七つの「大都市部」における結果をみると、選挙区での獲得議席は、民主一二、自民七、公明二である。また比例区での得票は、大阪を除く六つの大都市部すべてで、民主党の獲得した票が自民党と公明党を加えた与党票を上回っており、都市サラリーマンの与党離れが進行したことが窺える。ただし、七大都市部における与党獲得票と民主党獲得票の差はすべて数%以内の微差であり、所謂「スウィング・ボーダー」といわれる、中間のところで揺れ動く層のごく一部がどちらに動くかで、地滑り的に勝敗が決まるという過敏な状況になっているのである。
この二年間で都市サラリーマンの心理にいかなる変化が起こったのだろうか。もちろん、年金問題や「政治と金」の問題を巡る安倍内閣への失望という要素が働いたことも確かであるが、より本質的にはこの二年間の政治状況に対して「違和感と逡巡」が生じ始めたことを注視すべきであろう。「拉致」をテコに成立した安倍内閣は、国民意識の中に存在する「近隣の国には侮られたくない」という心理を背景に「戦後レジームからの脱却」を掲げて「ナショナリズム」を駆り立てる方向に走り出した。教育基本法改正、防衛省への格上げ、さらに憲法改正から集団的自衛権の見直しなど、国権主義的方向への舵取りを鮮明にし始めた。衆議院における与党の圧倒的優位を背景に次々と繰り返される強行採決を目撃しつつ、国民意識に不安が芽生えた。「郵政民営化」だけを単一争点とした総選挙だったにもかかわらず、結果としての議席数を頼りに国民が預託していない方向への迷走が顕在化して「違和感と逡巡」を覚え始めたのである。今回の衆議院選挙における都市サラリーマンの意思を一言でいえば、「脱九・一一」、二年前の九月一一日で行った選択が意図せざる方向に進むことにブレーキをかけようとするバランス感覚とでもいえよう。
地方の反乱と自らの足元を撃った自民
今回の参議院選挙の帰趨を制したもう一つの要素は「一人区」であった。与党六議席に対して野党二三議席と、ここでの与党敗北は決定的だった。前回(〇四年)は与党の一四議席対野党一三議席であり、前々回(〇一年)は与党二五対野党二であった。つまり、与党自民党の票田ともいわれた地方の一人区で、自民党の決定的な退潮がみられたのである。
しかし、地方区と比例区との得票を比較して興味深いことに気付く。野党が勝利した二三の一人区のうち、比例区選挙において自民党と公明党が獲得した得票の総数を民主党が上回ったのは岩手、山梨、三重の三県だけであり、潜在的な得票力だけでいえば野党・民主党が勝てるはずのない県で勝利したことになる。これらの一人区では、比例区では与党に投票した人の四分の一が地方区では野党に投票したことになる。
「野党候補者のほうが個人として魅力的だった」などの事情もあるが、やはり地方に蓄積された小泉改革以降の自公連立による政治への反発が噴出したと見るべきであろう。この間に自公連立政権がやってきたのは、改革という名の下に従来の自民党支持基盤を弱体化させる政策であった。都市サラリーマン層の支持を得るために、長い間自民党を支えた地方後援会組織の中核というべき層、例えば郵便局長、建設土木業者、そして農林水産業者を離反させるような政策を積み上げてきた。郵政民営化、公共投資の削減、農業政策の軽視などが重なり、実は自らの足元をピストルで撃つという事態が進行した。移ろい易い一見客(浮動票)を得るために長い間の得意先を失ったようなものである。自民党という存在は多様性をもって成立していた。しかし小泉政権以降、いかに多くの党の個性を象徴する人が去ったことか。田中眞紀子、鈴木宗男、亀井静香、平沼赳夫、さらには自民党に復党したものの加藤絋一、野田聖子などが存在感を低め、自民党が放つ光は急速に弱くなった。金平糖のごとく尖った角が張り出して大きくみえたものが、角がもぎとられて小さな砂糖の塊と化した。「小泉劇場」で幻覚を与えられているうちは持ちこたえたが、気がつけば小さな基盤の党になっていたのである。かつて、自民党が行き詰ると「保守バネ」という形で、新鮮なイメージをもった別働隊を立ち上げることで保守の再生を図る手法が展開された。河野洋平の「新自由クラブ」、細川護熙の「日本新党」がそれであった。しかし、現下の自民党にはそうした潜在的パワーも残っていない。「安倍続投しか選択肢はない」という状況に、今日の自民党の悲しみが凝縮されている。
ともあれ、日本の政治状況は「二院制の意味」と「二大政党制の意味」が問われる局面に入った。数の理論だけが議論を封殺して押し切るのではなく、政策論の妥当性が吟味される時代なのである。代議制民主主義にとって試練の時である。
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