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2007年09月27日
「背水の陣内閣」と語った福田首相
本来の政治とは掛け離れて、現実の政治は、政治屋のあくなき権力闘争でしかない。そんな政治屋の権力闘争に、感傷を持ち込むのはお門違いであろう。それを承知でこのブログを書く。
あれほど自民党政治に反発してきたのに、福田首相の記者会見を見て、私は不思議と、福田首相を応援したい気持ちにとらわれた。なぜだろうか?それは小泉、安倍と続いたパフォーマンス首相の「空疎で攻撃的な言葉」に苛立っていた私にとって、久しぶりにその言葉の意味を考えながら「首相の発言」に耳を傾ける事が出来たからだ。
私が福田康夫という政治家にはじめて会ったのは、彼が政務次官をしていた時だ。その時私は豪州の大使館の公使であった。訪豪した福田政務次官と二人だけで、バーレイ・グリフィン湖畔のレストランで食事をしたことがあった。その時の彼の印象はおよそ政治家らしからぬ静かな印象であった。若輩の外務官僚である私にも丁寧に接するところがあった。
その福田氏が、数年後に急浮上する。混迷する政局の中で森、小泉両首相の官房長官として頭角をあらわし、あの皮肉で、冷淡な物言いの政治家に変貌した。自民党政治に批判的であった私は、そのような福田氏に決して良い印象を持たなかった。所詮は自民党の政治家だ。愚かな森、小泉の自民党政権を守る番頭である。国民に事実を隠し、嘘をつき、詭弁を弄して自民党政権を守る政治家の一人でしかない。
その福田が総裁候補に手をあげた。メディアは、「もう歳だから」といって総裁選を辞退した過去をあげつらい、なぜいまさら手を挙げたのかと批判的であった。福田総裁が選ばれた過程が派閥談合だと叩いた。組閣人事も面白みがない。自虐的、皮肉的な福田の性格は、世論を湧き立たせるには不足である。野党は、いつものように、口をそろえて古い自民党への回帰であると、福田内閣をこき下ろす。
それらの批判、評価は当たっているだろう。私もそう思う。しかし私はそのような否定的な評価の陰で、政治家福田の真剣さを感じるのだ。記者会見で見せた福田の表情は過去の福田ではなかった。自らの内閣を「背水の陣内閣」と揶揄したり、総裁選に手を挙げた時に、「貧乏くじかもしれないよ」と皮肉った福田の物言いは、確かに斜に構えたいつものさめた福田の物言いだ。しかしそれでも私は、福田の真剣さを見て取るのだ。人は境遇によって確かに変わる。そこには政権政党最後の首相を覚悟した福田の顔があった。
相次ぐ不祥事でさすがの自民党も国民から見放されつつあった。安倍辞任がそれを決定づけた。本来ならばその時点で自民党は政権を野党に渡さなければならなかった。いくら自民党が解散・総選挙を引き伸ばしたとしても、今度ばかりは勝てないだろう。そのような中で首相になった福田は、もちろん政治家であるから権力欲や野心はあるだろうが、最後の自民党首相を覚悟して総裁に名乗りをあげたに違いない。そして自民党もまた、小泉政治を否定して自民党を再結集できるのは福田しかいないと感じたのだ。
メディアや国民は、これを談合だ、派閥政治だと批判する。しかし福田内閣でも国民の支持を回復で着なければ自民党は下野するのだ。そして今度下野すれば自民党は当分政権を取り戻す事は出来ないのだ。いまさら派閥争いをしたところで何になる。麻生が福田の後を狙って入閣を辞退したとすれば大きな間違いだ。福田はそれを感じたから総裁を引き受けたのだ。もっともこの期に及んでも権力争いを止められない政治家が多くいる。福田の組閣人事も中途半端だ。だから自民党は終っているのだ。
どんなに福田自民党が頑張っても、日本が直面する深刻な諸問題を解決することは出来ない。政権交代は避けられない。それを十分に福田は知っているからこそ、自分が失敗したら政権を失う事になると公言して、正直に国民に訴えているのだ。
野党はそんな福田を甘く見てはいけない。勝ち誇ったようにはしゃいではいけない。民主・社民・国民新党の連立政権が、自公政権より悪かったと言われないように、今のうちに精々自己研鑽にいそしんでおくことだ。連立政権がもろく崩れないように協力体制を固めておくことだ。
なんだって?「政権を取る事が先決で」だって?これで政権が取れないようでは、野党は消え去るしかない。
http://www.amakiblog.com/archives/2007/09/27/#000545
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