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東京新聞 こちら特報部
暴走する「反テロ戦争」 一人歩きする敵規定 「テロとの戦い」再考
2007年9月23日
テロリストの側か、われわれの側か−。二〇〇一年の「9・11(米中枢同時テロ)」事件直後、ブッシュ米大統領は世界に踏み絵を迫り「反テロ戦争」は地球規模で拡大した。しかし、そのテロリストとは誰なのか。米国の矛先は揺れ、アジア諸国は政敵にこの冠を被(かぶ)せ、弾圧を正当化した。日本では当然のように語られる「テロとの戦い」。だが、世界では次第に死語になりつつある。 (田原牧)
(前段略)
イスラム圏の民衆は「9.11」事件で密かに溜飲を下げた。イスラエルとその後見人、米国の長年の「暴虐」に対する正当防衛と感じたからだ。でも、為政者は違う。サウジアラビアなどの親米政権は当初「テロとの戦い」」を歓迎した。
「彼らはイスラーム反政府主義者とこれまでずっと戦ってきた。自らを先駆者とすら感じた」(中田教授)(ヤマボウシ注:同志社大の中田考教授(現代イスラム運動))ところが、米国の矛先はそんな為政者にも向けられた。「驚いた彼らは米国の意図を宗教戦争や人種差別と理解している」(同)
この受け止め方を被害妄想とは片付けられない。例えば、昨年六月の英国警察発表の航空機テロ未遂事件直後、ブッシュ大統領は「イスラムのファシストとの戦争」を訴えた。
これには在米の穏健団体「米国イスラム関係評議会」も「テロとの戦いは対イスラム戦争なのか」と反発した・こうした摩擦が、夏の滞在先の変更に表れている。
テロとは何か。米国の連邦法では、非戦闘員を対象に政治的動機に基づき、彼らの影響を意図した計画的な暴力と規定する。ただし、「テロとの戦い」では具体的な敵を定めねばならない。それは誰なのか。
東京外語大の松永泰行講師(国際関係論)は、ブッシュ政権では、その点がご都合主義に陥っている」とみる。実際、米国の「テロとの戦い」の軌跡は迷走してきた。当初、アルカイダとタリバンを敵としたが、その後、アルカイダとイラクのフセイン元大統領を根拠もなく結びつけた。
イラクの大量破壊兵器を新たな理由にしたが、それも虚構と暴かれると、突然「中東民主化」の看板を掲げた。だが、パレスチナ総選挙でイスラム急進派ハマスが勝利すると、その旗も降ろし「イスラムのファシズム」を宣伝し始めた。
このジグザグは、昨秋の中間選挙まで政権中枢を支配した新保守主義(ネオコン)やキリスト教原理主義者たちの意図と絡む。
(略)
アジア諸国でも「テロとの戦い」は独り歩きしている。「各国はそれぞれ勝手な文脈で、都合よく使っている」と政策研究大学院の河野准教授(比較政治学)は指摘する。
好例が世界最大のイスラム人口を抱えるインドネシアだ。
(ヤマボウシ注: ここから先、各国の具体例)
◆マレーシアの例
◆フィリピンの例(政府のみならず米軍も弾圧に利用)
◆タイの例
◆「テロ」という言葉は英国もオーストラリアも封印しているという事実
河野准教授は「共通しているのは、国家に対する脅威はすべて『テロリスト』とする点。テロとは何か、という本質議論は捨てられた」と話す。
(略)
(ヤマボウシ注: 松永講師談話)「ある政治団体はその指導者を倒されれば、弱体化する。これをテロと呼ぶ必要はないし、現に米中央情報局(CIA)は南米などで繰り返してきた。テロの概念規定への慎重さがなくなり、反米勢力をけなす手段として『テロ』という単語が乱発されている」
現実問題としても、相手が不明確では戦いに勝利はない。政権のタカ派すら最近は「敵をアルカイダに絞るなり、明確化すべき]という声を挙げている。
「テロとの戦い」の意味が混迷する中、米国の盟友だった英国も昨年暮れからこの言葉を封印した。当のブッシュ大統領ですら今月三日、イラクを電撃訪問した際「テロとの戦い」を口にしなかった。
河野准教授はこう語る。「オーストラリアの首相も使わなくなった。無自覚に『テロとの戦い』をとなえ続けているのはもう日本だけかもしれない」
----------------------------[引用終了]
そういえば、自民党は共謀罪も「テロ等謀議罪」と名を変えて新設しようとしているらしいですが、「テロ対策」を掲げれば錦の御旗として何でも通るかのようです。「テロリスト」という言葉が、昔の「非国民」や「アカ」と同じくらい権力にとって便利な言葉になっているのでしょう。この国の人々はレッテル張りに弱いというか、レッテル張りで思考を停止してしまうのが好きなのかもしれません。
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