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安倍晋三の退陣と「麻生クーデター」説の怪(2007/9/19)(NIKKEI NET EYE)
「誰がそんなことを言っているんだ?そんなことはない」。東京・信濃町の慶応大病院。入院中の首相・安倍晋三はベッドの上で少なくとも2回、こうつぶやいている。「そんなこと」とは「麻生クーデター」説である。参院選大敗後も安倍を支え抜くとささやいた自民党幹事長・麻生太郎が実際は内閣改造人事や政権運営で首相の実権を奪い取り、安倍は「だまされた」と叫んで政権を投げ出した――。ポスト安倍政局で一夜にして麻生を劣勢に追いやったこの「物語」を安倍自身がいま、否定する。検証すればするほど、奇怪な裏側が見えてくる。
参院選当日から敷かれていた「麻生包囲網」
「麻生クーデター」説は12日午後、安倍が辞意を表明した直後から流れ出した。「安倍が11日に面会した自民党の有力議員に『麻生にだまされた』と漏らした。突然の辞意は権力を簒奪(さんだつ)した麻生へのせめてもの抵抗であり、憤死なのだ」と言う骨子だった。さらに自称「安倍の最側近」までが同様の「だまされた」説を口にしていると言う。誰もが一目置く「有力議員」や「安倍最側近」が発信した情報と受け止められたからこそ、瞬く間に永田町に広まった。それだけではない。「麻生クーデター」説が浸透しやすい政治的な素地が確かにあった。
まず麻生自身に戦略的な失敗があった。麻生は12日午後の記者会見で、10日夕の党役員会後に安倍から辞意を打ち明けられていたと明かした。自身の出馬について聞かれると「ガハハハ、まだ聞くのは早すぎるし、答えるのも早すぎる」と場違いな笑顔を見せた。ポスト安倍の総裁選の日程を「14日告示−19日投票」と言う超短期決戦でまとめようとしてもいた。ここから2日前に安倍の辞意を知ったうえで「ここは緊急事態なので麻生しかいない」と安倍後継への一気呵成の流れを周到に仕組んだのではないか、と疑心暗鬼が渦巻いた。
大敗した7月29日の参院選当日、真っ先に安倍と協議して続投の流れを決めたのも麻生だった。「福田後継」も考慮していた元首相・森喜朗、前参院議員会長・青木幹雄らは先手を打たれ、不快感を募らせた。麻生は改造人事で幹事長を射止め、安倍の相談相手となって官房長官・与謝野馨、国会対策委員長・大島理森など中枢ポストの人選までも主導した。安倍周辺からパージされた旧「チーム安倍」の面々や、ポストにありつけなかった当選1回の小泉チルドレンに至るまで「やりすぎだ」と党内横断的に麻生批判がくすぶっていた。
8月27日の改造内閣発足後、老練な「麻生−与謝野ライン」が政権運営の実権を掌握し、安倍は「カヤの外」に置かれたとの観測が広がった。麻生が安倍の意向をくむかのように郵政造反組の大物、元経済産業相の平沼赳夫の無条件復党に動き、チルドレンだけでなく、前首相・小泉純一郎とその周辺にも麻生不信が強まった。小泉は「自民党は衆院で圧倒的多数を占めているのに、復党させて何のメリットがあるのか」と怒っていた。麻生が安倍に寄り添い「AA連合」と誇示すればするほど、潜在的な「麻生包囲網」は広がっていったのだ。
「安倍カヤの外」「与謝野官邸」説の虚実
ただ、「包囲網」を招き寄せた麻生の自業自得と、安倍退陣の「麻生クーデター」説はまるで次元の違う問題だ。「麻生−与謝野ライン」が辣腕を見せつけ、安倍を棚上げした好例とされる一つは9月3日の前農相・遠藤武彦の更迭劇である。安倍が「カヤの外」だったわけでは全くない。1日の朝刊報道で補助金の不正受給問題が発覚すると、安倍はすぐ遠藤の更迭と現農相・若林正俊の起用を決め、土曜日だったその日のうちに指示を下している。麻生も更迭論に傾いていたが、与謝野は遠藤の様子も見て慎重な取り運びを思案していた。
ここは安倍の意向を受け、与謝野が官房長官として「受け身の調整役」に徹した場面だった。遠藤更迭が確定したのは翌2日昼の麻生、与謝野、大島の3者協議の場である。安倍には早く遠藤を切り捨て、指導力を発揮した体裁を取りたい気分ものぞいたが、任命責任論で返り血を浴びかねないリスクがあった。そこで、麻生ら3者は与謝野がもう一度、遠藤と面会し、遠藤が自発的に辞任する形式を整えるためにひと呼吸置いた。安倍を矢面に立たせず、早すぎず、遅すぎない対応に腐心したのだ。翌朝、遠藤は安倍に辞任を申し出た。
「麻生クーデター」説の別の有力な論拠は当初の「19日投票」と言う超スピードの総裁選日程案だ。これも麻生が決めたのではない。原案をつくったのは自民党幹事長室だが、最終判断を下したのは安倍本人だ。「19日投票」は20日の首相指名と組閣を経て、24日からニューヨークでの国連気候変動ハイレベル会合(首脳級)や国連総会に新首相が出席するという前提で組み立てた日程だった。気候変動の会合は来年の主要国首脳会議(洞爺湖サミット)に向け、地球環境問題の首脳級討議のキックオフとなる重要な場である。
12日午後、辞意表明の記者会見を終えた安倍に、ある官邸スタッフが注意を促した。「総裁選の段取りですが、麻生幹事長も候補者の1人になる可能性があるので、お手盛りで決めたという印象を持たれるのは避けないと……」。遠まわしに「14日告示−19日投票」案の危うさを指摘したのだ。安倍は語気を強めて反論した。「麻生さんは『候補者』でしょう」。そして断を下した。「この日程(19日投票)でいい」。麻生は「後継候補の1人」ではなくまぎれもない「後継候補」なのだ。こう言い切った安倍の姿と、「だまされた」発言説は両立しにくい。
「中川秀直前幹事長が11日に安倍首相に会っている。中川氏から森氏に(辞意について)電話が行ってという段取りになっているはずだ。その段階で(森氏も)知っていたはずだ」。麻生は16日、民放テレビに出演して森や中川秀直も安倍の辞意を表明前日までに察知していたはずだ、と反撃に出た。首相官邸の留守居役として総裁選では局外中立に徹している与謝野も18日の会見で、麻生とひとくくりに「クーデター」関係者扱いを受けたことに「首相を支える任務に違反した行動を取ったことは一度もない」と全面否定した。
中川・武部が福田に「小泉チルドレン」誘導
安倍の「だまされた」発言説と、全く相反する「そんなことは言っていない」という病室でのつぶやき。安倍親衛隊も福田と麻生に割れている。中川秀直は「反麻生」の立場で小泉チルドレンに結束した行動を促しておいて、いち早く福田擁立へと急旋回した。福田が出馬宣言した14日の町村派の臨時総会にも姿を見せ、同派に復帰した。安倍側近を自任した前首相補佐官・世耕弘成(広報担当)も同じ町村派のよしみとは言え、安倍の対極にいた福田の陣営に走り、また広報担当として汗をかく。「派閥の論理」でしか理解しづらい行動だ。
一方、安倍の「影の官房長官」とも呼ばれた前総務相・菅義偉や、最も親しい「お友達」の一角、前政調会長・中川昭一は麻生の推薦人に名を連ね、波紋を広げた。この中の一人は「安倍首相の気持ちをくんで、麻生氏に一票を投じたい。首相本人から麻生批判を聞いたことは一度もない」と断言する。中川秀直に近いと見られてきた経産相・甘利明も「首相と同じ思いでやってきた麻生氏を支持する」と表明した。「お友達」では政調会長・石原伸晃も「安倍・麻生が不仲になると利益を得る人たちがクーデター説を流した」と解説している。
「麻生クーデターかと思っていたら、実は福田クーデターだった」。13日付で小泉に退職届を提出した腹心の前首相秘書官・飯島勲はこう言い残して永田町を立ち去った。小泉が最終的に福田支持に動き、飯島が突然退職した経緯は不透明だ。ただ、当初は平沼復党に傾く麻生を嫌って「これはクーデターだ。首相を後ろから刺した人がいる」(党広報局長・片山さつき)と徹底攻撃し、飯島の後見のもと小泉再登板で36人まで署名集めを進めていたチルドレンを中川秀直や元幹事長・武部勤が福田支持へとしっかり誘導したのは確かだ。
16日、武部が率いる小泉チルドレンの集まり「新しい風」の会合。「福田支持」で武部が意見集約しようとした時、突然、立ち上がった男がいた。「もうついて行けません!」。あの「ニート議員」杉村太蔵である。武部は怒鳴り返した。「出て行け!」。麻生派を除く8派閥がこぞって福田を推す流れに、小泉チルドレンまでがまるで派閥のように乗っかろうとしている。部屋を飛び出した杉村は吐き捨てた。「こんなやり方で総裁が決まるなら、自民党はもう終わりだ!」。結束を誇ってきた「小泉ファミリー」も今や四分五裂の様相を呈している。
18日にも退院の予定だった安倍は今週いっぱい、入院を続ける見通しとなった。病状がそれほど深刻だとなれば、一人歩きした「麻生クーデター」説どころではなく、紛れもないドクターストップによる退陣だったという観測が再浮上する。病名は「機能性胃腸障害」だと言う病院側の素っ気ない発表も念入りに検証し直す必要がある。安倍は果たして正常な判断能力を保持しているのか。首相の健康状態と退陣を巡ってこれほど謀略めいた情報が飛び交い、真相が謎に包まれているのは国家的スキャンダルと言われても仕方がない。(文中敬称略)
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/shimizu2/20070918nea9i000_18.html
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