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「No.791 原発が必要の悪循環
From : ビル・トッテン
Subject : 原発が必要の悪循環
Number : OW791
Date : 2007年09月18日
先月、新潟の柏崎刈羽原子力発電所を大きな直下型地震が襲った。複数のプレートが押し合い、多くの断層帯の上にある日本列島は、いつ大地震が起きてもおかしくないといわれ続けてきた。そしてその地震の脅威を地質学者たちが主張してきたにもかかわらず、北海道から九州まで、日本には原子力発電所がたくさん作られた。
(ビル・トッテン)
原発が必要の悪循環
戦後50年間、日本は欧米から原子力の技術を積極的に導入した。私が日本に来た昭和の時代から、関東や東海に大地震が来る、という話は定期的に話題になってきた。もっともショックだったのは、大地震は起きないとされていた関西が1995年、直下型地震にみまわれた時だ。この阪神淡路大地震では6千人を超す人の命が失われた。
結局、地震予知はあてにならないし、日本という国全体が地震からは逃れられないといっても過言ではない。そんな日本の原発は、耐震対策の費用がかさむため1基の建設費用は世界最高水準で3000億円とも言われている。だからこそ、原子力発電所を建設する民間企業はなく、税金を使って政府が行っているのだ。
いま、中国やインドなどアジアが原子力開発の中心地域となりつつあり、原子力開発をリードしてきたヨーロッパでは原発を見直す国が増えている。さらに、地球温暖化防止の面から原発が推進されているが、原発の温排水も海や川の水温を上昇させる。ここ数年フランスなどで猛暑となっているが、フランスといえば原子力大国で、発電量の8割が原発からきている。原子力発電はエネルギー効率が悪く、エネルギーの半分以上が廃熱で捨てられる。フランス猛暑の一因がこの廃熱でないと誰が言い切れるだろう。
新潟地震が原発にもたらした影響を、私たちは深刻に受け止める時にきている。原子炉は停止されたが、「絶対」安全ということはない。また安全の確保と環境保全だけでなく、原発に欠かせないウランも、石油と同じく有限資源である。これらをすべてふまえて、改めてエネルギー政策を考え直さなければいけない。
エネルギー政策を再考するには、政策立案者、すなわち政治家や経済学者が、この地球が有限であり、その中で人間だけが無限の成長を求めることはできないことを認識する必要がある。14世紀にレオナルド・ダ・ヴィンチは、人体と地球をミクロコスモスとマクロコスモスに照応した。血管は川で心臓は海、呼吸は風という具合であり、それはともに驚くべき秩序において対応しているからだ。古代ギリシア哲学の影響を受けたこうした考え方に、私は敬服する。地球そのものが生きもので自己調整を行っており、そこで生きる人間は特別扱いを期待するのではなく、共存していくしか道はないのだ。
しかし、過去200年にそのバランスは大きく崩れ始めた。一つは、人間の数が突出して増加したことだ。マルサスの時代には10億人だった人口は1930年には20億人となり、今や60億人を超えた。そして地球から大量の資源を吸い取り、CO2や放射性廃棄物を含む大量の廃棄物を吐き出している。もう一つは、その人間があらゆることに金銭的価値をあてはめるようになったことだ。それによって自然界のバランスを無視して、金銭的価値だけを高めようという人々が優勢になった。その一方で、大気や海洋の汚染、種の絶滅といった長期的な負のコストについては、代価を認識することができない上に、誰も責任を負わないのが現実である。原発や高層ビルの立ち並ぶ大都市を直下型地震が襲ったらどうなるのか。耐震強度偽装問題もあったが、人命にかかわることにもすべて拝金主義がはびこる国で、心配は原発だけではない。
まずは、電力不足だから原発をと、国民から集めた税金を投入して原発関連企業の利益を保証するような政策をとるのではなく、それなら電力を使わないようにしよう、という選択肢もあるはずだ。石油をめぐって中東で戦争が起き、環境破壊が繰り返され、CO2削減に原発が必要だという悪循環において、誰が利益を手にしているのか。資本主義、拝金主義の悪循環をたち切るためにも、ガソリンや電気の使用量を減らし、選挙の時だけでなく政治に注目して、税金が環境破壊に使われていないかを見続けていきたい。」
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1184511_629.html
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