★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK42 > 1032.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://mainichi.jp/select/world/news/20071010ddm003030093000c.html
クローズアップ2007:米アフガン攻撃6年 窮地のカルザイ政権
◇タリバンとの和解模索
01年の米軍によるアフガニスタン攻撃開始から、7日(日本時間8日)で6年が経過した。米国の圧倒的な軍事力の前に当時のタリバン政権はほぼ1カ月で崩壊したが、その後タリバンは勢力を盛り返し、いまや首都カブールでも自爆テロが日常的に続いている。米軍など外国の「力」に頼って治安回復をめざしたカルザイ大統領だが、情勢の悪化にタリバンとの和解を模索せざるを得ない状況に追い込まれている。【イスラマバード栗田慎一、外信部・西尾英之】
7月に韓国人拉致、殺害事件が起きたアフガン中部ガズニ州。タリバンと厳しく対立してきたパッタン同州知事が9月17日、カルザイ大統領に解任され、後任にはかつてイスラム原理主義の軍閥へクマティアル派に属し、タリバンにも近いファイザン・ラワン氏が任命された。
米同時多発テロからちょうど6年の9月11日、カルザイ大統領は記者会見で「タリバンとあらゆる話し合いに応じる」と呼びかけたばかりだった。パッタン前知事は韓国人拉致事件で中央政府側の交渉役を務めたが、人質解放後「タリバンが韓国政府から身代金を受け取った」と公言し、タリバンの強い反発を招いた。更迭は、タリバンとの和解を模索するカルザイ大統領の意向だ。
さらに地元警察当局者は毎日新聞に対し、今月6日、同州政府にタリバンのメンバー約45人が加わったことを明らかにした。タリバンは武器を所持したまま州政府に「就職」した。メンバーは現在のところ「無任所」だが、ラワン知事がそれぞれの特性を生かした職務を探しているという。
韓国人拉致事件は、カルザイ政権の統治能力が極めて限られたものであることを改めて証明した。「テロリストとは交渉しない」との米国の方針に縛られ、タリバンとの交渉すらできない政権に代わり、韓国政府が直接交渉に乗り出し、殺害された2人を除く21人の救出に成功した。
「本来ならばわが国の警察や治安部隊が捜査・救出活動に当たるのが主権国家としての姿だ。だが我々にはその力も要員もない」。治安維持を任務とする内務省幹部は悔しげにつぶやく。
タリバンは地元のアフガン東部や南部で事実上の支配地域を広げる一方で、首都カブールでも軍や警察を狙った自爆テロを繰り返している。国連によるとカブールでの自爆テロによる死者は今年、過去最悪だった昨年の123人をすでに上回った。
ガズニ州知事の更迭劇は、カルザイ氏の「タリバンとの和解」の意向が本気であることを証明した。大統領はタリバン最高指導者のオマル師に対しても、政権参加を呼びかける。
大統領の和解の動きに米国政府は直接反応せず、黙認しているようにみえる。
だがタリバン側にカルザイ政権との共存を図る意思があるかは疑わしい。「(和解呼びかけは)カブール政府の弱体化の証拠だ」。大統領の呼びかけにタリバン報道官はそう語り、「駐留外国軍を撤退させるなら話し合いに応じてもよい」と、強気の姿勢を崩さない。
「いまのカルザイ政権は、タリバン政権下の『北部同盟』のようなものだ」。内務省幹部は話す。01年まで、タリバンにカブール北方の狭いパンジシール渓谷に追い詰められ、崩壊寸前だった北部同盟のことだ。
この時は同時多発テロという神風が吹き、北部同盟は米軍とともにタリバンを打ち破ってカルザイ政権の原点となった。だが6年後のいま、政権は再び追い詰められつつある。カルザイ大統領は米国の後ろ盾でかろうじて政権を維持しているにすぎない。
◇武力での掃討、限界
カルザイ大統領が親タリバンのガズニ州知事を任命した9月17日、同州で開かれていたタリバン幹部の集会を米軍が空爆し、AP通信によると韓国人拉致事件の主犯格とされるアブドラ司令官が死亡した。政権がタリバンとの融和を図る一方で、米軍は強硬姿勢を取り続ける。だが、「力」によるタリバン掃討には限界も見えている。
政権を追われたタリバンが生き延びた理由は、タリバンが逃げ込んだアフガン南部や東部の貧困と反米感情にある。戦闘が続いているため、住民の生活改善は手付かずのまま放置されている。また米軍の攻撃で住民にも多くの死傷者が出て反米感情が高まった。犠牲者の家族は復讐(ふくしゅう)を誓って銃を取る。武力攻撃が逆にタリバンの勢力拡大をもたらす側面がある。
米軍は03年のイラク戦争開戦後、比較的、治安情勢が安定しているカブールやアフガン北部、西部に治安維持目的で派遣された北大西洋条約機構(NATO)主導の「国際治安支援部隊」(ISAF、37カ国が参加)に対し、南部などでのタリバンとの戦闘の肩代わりを要請した。仏独などは反対したが、05年にISAFは南部展開を受け入れた。
だが南部に派遣された各国軍の死者が続出。ロイター通信の9月上旬のまとめでは、死者数はISAF所属の米軍440人、英軍78人、カナダ軍70人に上る。一方、北部に展開している独軍でも、自爆テロなどで26人の死者が出ている。
日本は米軍主導の「不朽の自由作戦」(約20カ国が参加)に協力する形で、インド洋での燃料補給などに艦船を派遣している。これに対し、民主党の小沢一郎代表はISAFへの自衛隊派遣構想を打ち出した。だがいまのアフガンに「安全な場所」は存在しない。どこであろうと、部隊を派遣すれば犠牲者が出る可能性は否定できない。
==============
◇01年以降のアフガンをめぐる動き◇
01年 9月 米国で同時多発テロ発生
10月 米軍がアフガン攻撃開始
11月 タリバン政権崩壊
12月 テロ対策特別措置法に基づき、海上自衛隊艦船がインド洋で米艦船への給油を開始
同 国際治安支援部隊(ISAF)創設、カブールなどに展開
同 暫定行政機構が発足し、カルザイ氏が議長に就任
02年 6月 国民大会議でカルザイ議長を大統領に選出
03年 3月 米英軍がイラク攻撃開始
04年11月 初の大統領選挙でカルザイ氏が当選
05年12月 NATOがISAFの南部展開と増派計画を決定
06年 9月 ISAFが南部で掃討作戦を実施し、タリバン武装勢力200人以上死亡
07年 6月 カブールの自爆テロで35人以上が死亡。日本人2人がけが。
7月 タリバン武装勢力が韓国人23人を誘拐し、2人を殺害
==============
■ことば
◇タリバン
イスラム神学校(マドラサ)の学生を中心に、アフガン内戦中の94年、南部カンダハルで結成されたイスラム原理主義組織。パキスタンの支援を受け急速に勢力を伸ばし、98年にはほぼ全土を支配下に置いた。主にアフガンの多数派パシュトゥン人で構成され、アフガン東部から南部のパシュトゥン人が多く住む「パシュトゥン・ベルト」を地盤とする。
毎日新聞 2007年10月10日 東京朝刊
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK42掲示板
フォローアップ: