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(回答先: 原田武夫 「米国にハシゴを外される日本のイラク支援」 投稿者 新世紀人 日時 2007 年 9 月 12 日 18:51:42)
パキスタン情勢は不安定化を増しつつある。
先の大戦において二発の原爆投下は戦争の終結の理由として説得力を持つものであった。
今回のテロ戦争の終結においても同様の形が採用される可能性が考えられる。
これは、印パ戦争の再燃を目的とするものではなく、
中東問題即ちパレスチナ問題[裏返しとしてのイスラエル国家問題]の解決・解消を目的とするものである筈だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0%E3%83%91%E6%88%A6%E4%BA%89
印パ戦争
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印パ戦争(いんぱせんそう)とは、インドとパキスタンの間で行なわれた戦争のこと。インド・パキスタン戦争の略。
目次 [非表示]
1 カシミール紛争
1.1 第1次印パ戦争
1.2 第2次印パ戦争
2 第3次印パ戦争
3 核保有
4 関連項目
[編集] カシミール紛争
[編集] 第1次印パ戦争
第1次印パ戦争 1947年にイギリスから分離独立した両国は当初から対立を続けていたが、1948年に北西部のカシミール地方領有をめぐって戦争を起こした。しかし国際連合の仲介によって停戦し、そのときの停戦ラインによってカシミールは分割された。
[編集] 第2次印パ戦争
1965年に再びカシミール地方の領有をめぐって、二度目の戦争が勃発した。以降、カシミールでは定期的に小規模な抗争が起こり、1990年に両軍が衝突、1995年と1999年のカシミール紛争では対立が極限に高まり、全面核戦争(核保有の詳細は下記)の危機が語られたが、99年のパキスタン軍事クーデターによって就任したムシャラフ大統領は、段階的にインドとの協調路線をとっており、現在は過激派のテロ攻撃があるものの、政治的には非常に安定している。
[編集] 第3次印パ戦争
イスラム教徒によって構成された東パキスタンは、政治実権を全て西パキスタン(現在のパキスタン)に握られており、植民地の様相を呈していた。また1970年の集中豪雨によって東パキスタン国土のほとんどが水没、17万人に上る死者を出し、本国政府の怠慢に市民は憤った。そこで西パキスタンからの独立運動が広がったが、その独立を阻止するべく、パキスタン軍が制圧を開始した。すると多くの東パキスタン難民が発生し、難民はインドに流れ込んだ。しかし貧しいインドに大量の難民を抱えるだけの力はなく、インドは東パキスタン独立のため介入し、1971年に3度目の全面戦争となった。インドは圧倒的な人員で戦争を有利に進め、主戦線から遠いパキスタンは敗北し、東パキスタンは1971年12月、バングラデシュとして独立した。
[編集] 核保有
インドはパキスタンの他に中華人民共和国とも対立しており、中国が核保有したことによってインドは窮地に立たされた。中国はソビエト連邦と対立したために核を続々と配備したが、インド国境付近への配備も疑うには十分であった。このため、インドは1974年5月に地下核実験を行って核保有を宣言、世界で6カ国目の核保有国となった。
インドの核保有によって印パの均衡は破れ、パキスタンがインドに対して一方的に不利な状況に置かれてしまった。これは4度目の全面戦争を食い止める面で大きく貢献したが、パキスタンを核開発へと走らせてしまい、1990年代にはパキスタンの核保有がささやかれた。
そのころ、国際連合は包括的核実験禁止条約(CTBT)締結に向けて動き出していた。これに対し、1995年に中国とフランスが相次いで核実験を行い、「駆け込み実験」だと非難された。1996年にCTBTは国連総会で採択された。しかし、1998年5月にインドが地下核実験を強行、対抗したパキスタンは数日後に核実験を実施し、世界で7番目の核保有国となった。
http://www.gensuikin.org/57/1-8.htm
「核兵器によるインドとパキスタンそれぞれ5都市の想定死傷者」
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