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2007年09月03日
書評を書評する
私は新聞の書評欄を好んで読む。その楽しみは二つある。一つは勿論どのような本が出ているかを知る事である。そして興味ある本を見つけたら入手して読もうと考えるが、それを本屋で買ったり、注文をしたりするのが面倒なので、たいていはそのままにして忘れてしまう。もっともそのすべてを購入しては経済的に大変だし、購入しても積読に終わってしまうだろう。だから書評を読んで、読んだ事にしたりする。
もう一つは書評を批判的に読むことである。もちろんこれは自分が読んだ本に限られる。他人の書評を書評するつもりで読む。誰がどのような書評をしているかに思いをはせる。私も頼まれて書評を書いた事があるが、一冊の本を短い言葉で要約することは容易ではない。自分はどこに感銘を受けたか、筆者の思いはどこにあるのか、一人でも多くの読者に読んでもらうためにはどこをアピールすればいいのか、など色々な事を考えて書いた。これは告白になるが、時間に追われて書いた時などは、一部分しか読まずに、強引に書評した事もある。評者の考えを書評を通じて知る事もできる。
さて、前置きはこのくらいにして、今日のブログは先週末の日経新聞の書評欄に出ていた本について書きたい。芝浦工業大学の藤田和男という教授が絶賛している、「石油 もう一つの危機」(石井彰著 日経BP社)という本である。この本は未だ読んだことがない。だから書評を読んで概要を知る。書評を読む際の一番目の楽しみのケースである。
評者の藤田によれば、この本は、この4年間の原油価格の高騰がなぜ起きたのかについて、時系列にそのメカニズムを見事に論証している本であるという。
その最大のポイントは、石油を巡る国際経済の枠組みは21世紀に入って三つの点で大きく変化したということだ。すなわち、石油は戦略商品から市況商品へ変容した、その背景として石油輸出国機構(OPEC)などの市場寡占度の大幅な低下がある、そして国際経済が産業資本主義から金融資本主義へ移行した、この三点である。もちろんこの三つは密接に関連している。
ズバリ言えば、世界の原油価格決定権が、実際の需給バランスではなく、ニューヨークのWTI先物商品市場に移ったのだ。とくにここ二年間でヘッジファンドや年金基金などから600億ドル(約7兆円)以上が投入され、石油市場がカジノ化し、現実の需給とは無関係に、地政学的リスクや天災の思惑などで乱高下するようになったのだ。
儲けているのは誰か。もちろん産油国であるが、中東の産油国を食い物にしている米国メジャーと、その企業と癒着している米国指導者たちである。たまたま石油資源に恵まれたというだけで、苦労せずに莫大な資金を手にする中東産油国の王族たち。私は1982年から4年のオイルマネーが世界を席巻していた時、最大の産油国サウディアラビアに勤務してこれを目撃してきた。彼らは米国にもうけさせて、自分たちもその利権を手にするのだ。そして米国の軍隊に自分たちの王族の地位を守ってもらう。その一方で多くのアラブの民が貧困と戦乱に苦しんでいる。テロの原点がここにある。
何故いつまでも石油資源がエネルギー源であり続けるのか。1973年に起こった石油危機が私の最初の仕事だった。一バレルあたり34ドルまで値上がりした時、先進消費国が急遽集まって、節約、融通、代替エネルギー開発の三分野で結束した。この集まりが後のサミットにつながった。
その時、太陽エネルギーとかオイルタール、オイルサンドなど、石油に代わる新エネルギーの開発が進められたがいずれも開発経費が高くてペイしない、一バーレル60ドルくらいにならないと開発のインセンテブがない、と言われて頓挫した。
ところが今は70ドルを超えた。100ドルまでも上昇するといわれている。それでも一向に代替エネルギーの開発が進まない。なぜか。それは米国が石油から利益を得ているからだ。当分石油で世界経済を支配しようとするからだ。しかしそのうち石油はなくなる。おそらく米国は今必死になって代替エネルギーを開発しているに違いない。そしてその新しいエネルギーを支配できるようになった時点で、一気に世界のエネルギー源の転換を図るであろう。エネルギー源を支配する事は世界を支配することである。米国はそれを知っている。
日本のエネルギー戦略も米国追従だ。高い石油価格のつけは、いつものように一般庶民に転嫁すればいいと政府は考えている。
http://www.amakiblog.com/archives/2007/09/03/
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