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私の昭和史8 8・15の周辺(日々通信 いまを生きる 第265号 2007年8月31日)
http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/478.html
投稿者 gataro 日時 2007 年 8 月 31 日 19:36:55: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2007/08/2658_815_64b4.html から転載。

08/31/2007
第265号 私の昭和史8 8・15の周辺
>日々通信 いまを生きる 第265号 2007年8月31日<

私の昭和史8 8・15の周辺

 1945年8月15日、私は朝鮮の王族、李健公の邸の庭で天皇の放送を聞いた。雑音が多く、あまりよく聞き取れなかった。兵隊の中にはいよいよアメリカが本土上陸し、重大決戦だというものもいた。私はその最初のところを聞いただけで、戦争はおわったのだと思った。

 空は晴れて暑い日だった。たぶん13日の夜だったと思うが、特別任務の分遣隊が編成され、李健公の邸に派遣されたのだった。そのとき、いまは記憶がはっきりしないが、たぶん銃をもたされたのだったろう。何一つ訓練を受けていない初年兵に警護の任務がはたせたかどうか心もとない。私が覚えているのは庭の葡萄がおいしかったことだけだ。

 正午から重大放送があるというので整列させられ、放送を聞いた。中隊長がなにを訓示したかも覚えはない。たぶん淡々と上からの命令にしたがって行動するというようなことを言ったのであろう。中隊長はかなり年輩の予備中尉で、ものわかりのいい冷静な人物だったと思う。召集されていやいや中隊長をつとめていたのではなかったか。

 待ちに待っていたその日だったが、これからどうなるという考えもなかった。ただいよいよおわったというほっとした気持だったのはたしかだと思う。当日のことは、台湾から座間の工廠に動員されて、そこから入隊してきた林という二等兵と話し合ったことのほかなにも覚えていない。

 林はしっかりした青年だった。私がまともに人間として話し合ったただ一人の兵隊だと思う。日本人の初年兵には誰一人戦友と呼ぶべきものはなかった。私は特別の事情で一人おくれて時期外れに入隊したのだったから、兵営生活についてはなにも知らなかった。風呂にはいることも知らず、汚れ放題に汚れて過ごした。手紙の出しかたも知らず、そのため私を送り出した母にもはがき一つだっさなかった。そのため、母は私が入隊せずに自殺したのではないかと心配していたという。こんな私に彼らは何一つ教えてくれなかった。なにを聞いても知らんぞという。いま思えばそれが彼らのイジメだったのだろう。このとき、なにかと親切にしてくれたのが林だった。そのほか朝鮮人が二人いて、彼らがいくらか親切にしてくれた。私は日本兵を憎み、彼ら3人が自分の戦友なのだと思った。私の中国人、朝鮮人に対する親愛感はこの兵隊時代の経験から始まっている。

 その夜、林は畠からキュウリを盗んできて私にくれ、自分たちはこれからどうなるのかと不安な思いを語った。私は君らは解放されて独立するのだろう。心配なのは敗戦国の僕ら日本人だと言った。これから日本がどうなるか、なにもわからなかった。しかし、私はほとんどなにも考えていなかった。なるようになる、ただ時間に流されてその時々を生きていた。

 その夜は月が美しかった。私は晴れ上がった星空を仰ぎ、なにか大きな歴史の真中にいる気分になった。大きな歴史の中を漂う舵をうしなった小舟という思いがあった。

 私たちが分遣隊として編成されたとき、二人の朝鮮人は除外されて残された。二人はそれを自分たちが朝鮮人だからかとはげしく抗議した。8月14日、李健公邸の警備ということで門前に立っていると、たくさんの朝鮮人の子供たちが集まってきてどうしたのかなどと聞いた。たぶん、朝鮮人仲間は日本の降伏を知っていて子供たちに様子を探らせていたのだろう。歴史は大きく動いていた。しかし、私はただ疲れを感ずるばかりで、何一つ、まともなことを考えずに、ぼんやりと時を過ごしたのだった。

 林はその後どうなったか。金や李はどうなったか。林は台湾に帰ったと思うが、しっかりした青年だったから、本土から逃げてきた国民党政府に対する叛乱にまきこまれたのではないかという気がしてならない。

 翌日からは部隊は上からの命令にしたがって敗戦処理の業務をおこなった。まず、厖大な書類の焼却がおこなわれ、物資の移動、整理がおこなわれた。甲府の連隊は前線へ出る部隊を編成する留守部隊だったので、武器のほか兵士たちの衣類や食糧など大量の物資が屯積されていた。戦後、各地で隠匿物資が摘発されたが、このような屯積された軍用物資だったのだろう。

 8・15以後は部隊の様子は一変した。連日のように宴会がおこなわれた。中隊の衣類や靴などを公用の腕章をつけた地元出身の兵隊たちが葡萄酒や桃・葡萄などの食品と交換してくるのだ。末端の二等兵は御汁用の食器一杯くらいが配給されるが将校下士官、古年兵などはもっと多量に飲んだのだろう。

 さらに連日物資の分配があった。兵隊服や靴などのほか毛布やお茶なども分配され、復員するときは大変な大荷物になった。さらに復員時には若干の退職金ももらった。古年兵はすべて平等に分配されることに不満で、俺等は南方で苦労してきたのに、入隊後間もないおまえらと同じでは割りがあわないなどと、憎々しげに嫌がらせを言った。すべて平等に分配されたのは、付け焼き刃の民主主義の思想に従ったのかも知れない。

 こうして、9月20日頃、もちきれぬ荷物を持って営門をでた。7月20日ごろにこの門をはいって以後、新聞もラジオも無縁な生活を送り、世の中がどうなっているか、前途になにがあるかもわからぬままにうつろな心でこの門を出たのだった。入るときも出るときも甲府の町は同じに見えたが、そのあいだには8月30日にマッカーサーが厚木に到着し、9月2日に東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で降伏文書の調印式を行ない、アメリカを中心とする連合軍の占領下に入った。私はそれらについてなにも知らず、敗戦日本に生きる日本人がどんな生活をし、どんな思いでいるかも知らずに甲府の街を駅まで歩き、中央本線で塩尻の叔母の家にたどりついた。


 宮本百合子は「播州平野」に、8月15日の夜、久しぶりにあかるくともされた電燈のあかるさは、あらためてこの戦争で死んで行った人々のこと、この戦争の苦難の日々を思い出させたと書いている。

>久しぶりの明るさは、わが家の在り古した隅々を目新しく生き返らせたが、同時に、その明るさは、幾百万の家々で、もう決して還って来ることのない一員が在ることを、どんなにくっきりと、炉ばたの座に照らし出したことだろう。強い光がパッと板の間を走ったとき、ひろ子はよろこびとともにそのことを思いやって鋭い悲哀を感じた。
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs37@yuriko.htm

 しかし、戦争がおわっても焼け跡のバラックや壕舎に暮らす被災者は食糧も電燈もない暮らしをしていた。郷静子の「レクイエム」は戦争中は工場に動員されて国のために必死にはたらき、空襲で父母をうしない、兄も愛する人も次々にうしなって、自身も喀血して、ただ一人壕舎で死を待っている少女を描いている。

> 八月十五日、玉音放送があり、十六日、学徒隊は解散した。肺結核が悪化しているのをかくして工場に通っていた節子は喀血して身動きできなくなり、電燈もない真っ暗な壕のなかで、血にまみれながら、朦朧とした意識で、とりとめもなくさまざまに思いつづけた。

>八月の末、壕の外には虫が鳴き、子どもたちの声が聞こえた。戦争に敗けても国はなくならず、人々は生きて、あたらしい動きをはじめていた。節子は子どもたちが死なずに生きていることだけでもよかったのだと思うが、彼女の心に聞こえるのは死者たちの声ばかりであった。無数の野ざらしが見える。そして、彼女もまたひとつの野ざらしだった。ひたすら死者たちを思う彼女は、ついに戦後を生きることができなかった。
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@53.htm

 8月もおわりだ。
 安倍首相は内閣を改造して生き残りに必死だが、なにかわけのわからない内閣だ。
 9月になれば6カ国協議も新しい進展を見せるだろう。
日本が過去の清算を議題にすることで、核問題と同時に拉致問題の進展に道を開くことができるかが問題だ。拉致問題の解決なしにはいっさいの協議に応じないとばかり言っていては何一つ解決しないのではないか。

 今年の夏は大変な猛暑だった。世界的に異常な気候だという。人類の生き残りのために、全力をあげて地球温暖化をふせぐ努力をすべきときではないか。核兵器にその他の軍備にべらぼうな金を使う余裕などないはずだ。もし、人類が戦争などやめて、自己の力のすべてをあげれば、まだ、なんとかなるかもしれないが、結局、おろかにもひたすら破滅の道をあるくのだろうか。

「悲劇は遂に来た。来るべき悲劇はとうから予想していた。」と「虞美人草」に書いた漱石も人類の破滅を予想していたのだろうか。

> (悲劇は)忽然として生を変じて死となすが故に偉大なのである。忘れたる死を不用意の際に点出するから偉大なのである。巫山戯フザケ たるものが急に襟を正すから偉大なのである。襟を正して道義の必要を今更の如く感ずるから偉大なのである。人生の第一義は道義にありとの命題を脳裏に樹立するが故に偉大なのである。

>死を忘るるものは贅沢になる。 一浮も生中である。 一沈も生中である。 一挙手も一投足も悉く生中にあるが故に、 如何に踴るも、 如何に狂うも、 如何に巫山戯るも、 大丈夫生中を出ずる気遣いなしと思 う。 贅沢は高じて大胆になる。 大胆は道義を蹂躙して大自在に跳梁する。

 今年の夏は戦争関係のテレビ番組が例年以上に多かったと思う。異常気象とともに戦争による人類の破滅を思う心が強まったのかもしれない。思うに、あの自虐史観批判などということが言われだして、日本は奇妙な破滅への道を歩きだしたようにみえる。安倍首相以下は靖国史観の持主だ。彼らの敗北から新しい政治が芽生えるのかも知れない。

 新しい9月、ようやく涼しくなった。夏バテから回復し、心を新たにして日々、自分ができる小さなことをして行きたい。
 みなさんもお元気で。

 発行者 伊豆利彦
 ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu

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