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http://www.asahi.com/national/update/0830/TKY200708290327.html
米、執拗に5億ドル要求 67年の佐藤・ジョンソン会談
2007年08月30日10時00分
沖縄返還交渉の本格化を前にした67年11月の日米首脳会談で、米国が国際収支改善を目的に日本に対し5億ドルの資金協力を執拗(しつよう)に要求していた様子が、30日付で公開された外交文書で明らかになった。米国の資金協力要請については、米国側公文書や関係者の証言などで明らかになっていたが、日本側の外交文書でも裏付けられた形だ。
公開されたのは、当時の佐藤首相が訪米した際に行われたジョンソン米大統領との会談録抜粋。2日間で計3時間に及んだ会談で、沖縄・小笠原返還問題を前進させたい佐藤首相に対し、ジョンソン大統領が「われわれを助けるために5億ドル出してほしい」と繰り返し求める様が生々しく記されている。日本側は翌年約3億5000万ドルの資金協力に応じた。
72年の沖縄返還に際して日本は、米軍資産の買い取り名目など3億2000万ドルを支払った。さらに日本の裏負担により米側は約2億ドル分の利益を得たことが米公文書で明らかになっている。同会談での資金協力要求は、こうした利益供与につながっていく「出発点」だとの指摘もある。
会談でジョンソン大統領は「国際収支問題で援助できるはず。何故(なぜ)5億ドル出せないのか」などと国際収支改善のための資金協力を求めた。背景にはベトナム戦争で膨らんだ戦費などがある。北爆前の64年には21億ドルだった米国の海外軍事援助などは、会談のあった67年には31億ドルにまで増加。国際収支(貿易収支や資本収支などの総合収支)の赤字幅は、35億ドルと膨大なものになっていた。固定相場制では国際収支の悪化はその国の通貨の不信認に直接つながる。
それに追い打ちをかけたのが、主要通貨だった英ポンドの対米ドルレートの切り下げ問題だ。ポンド切り下げは、基軸通貨であるドルの不信認に拍車をかける。
会談の1日目では「一層切迫した問題がある。ポンドの問題である」と、沖縄に関する佐藤首相の発言を制するようにジョンソン大統領が切り下げ問題を持ち出していた。会談の3日後、ポンドは切り下げられた。金井雄一・名大大学院教授(イギリス金融史)は「ポンド切り下げが、ドル危機誘発につながることへの強い危機感がにじみ出ている」と見る。
会談終盤でジョンソン大統領は「自分も日本を助けるためできるだけのことをするから、総理も私を助けるためできるだけのことをしてほしい」と発言する。伊藤隆敏・東大大学院教授(国際金融)は「日本を助けるとは沖縄返還のことを指しており、取引を迫っている。沖縄返還を巡る交渉は会談以降に先鋭化するが、その走りがここに表れている」とみる。
米国側の危機感に対して日本側の反応は鈍かった。佐藤首相は「5億ドルでは困る。3億ドルが支出しうる最大の額」と反論した。当時の外貨準備は20億ドル程度しかなく、日本には重い負担だった。
結局議論は平行線で、日米貿易経済合同委員会の下に小委員会を設置することで合意。68年1月にハワイで開かれた小委員会で、兵器の購入や直接投資として1億ドル支出するなど計3億5000万ドルの資金協力が決まった。
浅井良夫・成城大教授(政治経済学)の話 ポンド切り下げ問題で、米国が国際収支をいかに心配していたのかが浮き彫りになっている。5億ドルの要請は、イラク戦争まで続く防衛上、金銭上の協力を日本に求める姿勢の始まりという印象だ。
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