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「内閣改造 土俵際の再出発
意中の候補、次々断念(上)
「国民の厳しい声を真摯(しんし)に受け止め、美しい国作りを再スタートさせるため本日改造を行った」
27日午後9時すぎ。首相官邸で記者会見した首相、安倍晋三は格差問題などに応えるために重厚な布陣を敷いたことに理解を求めたが、疲労の色がにじみ、声は張りを失っていた。参院選敗北により参院で少数与党となり、与党にも退陣要求がくすぶる中での内閣改造・党役員人事が、いかに苦悶(くもん)に満ちたものだったか。順風満帆で政権を発足させた11カ月前にこのような事態を誰が想像しただろうか。
内閣支持率を回復させるには新鮮で特色ある顔ぶれ、党をまとめるには重厚でバランスの取れた布陣が必要だ。野党の攻勢を考えると「政治とカネ」疑惑やスキャンダルは禁物となる。
安倍は内閣情報調査室などに閣僚候補者の入念な「身体検査」を指示したが、これが予想外の事態を招いた。政治資金などで「不法とはいえない不適切」という事案が続出、意中の閣僚候補を次々に断念せざるを得なくなった。加えて、防衛相の小池百合子が突如辞任を表明。安倍の「右腕」の総務相、菅義偉も事務所費問題に関する一部の報道で矢面に立たされた。
人事構想の見直しを迫られた安倍はインド・東南アジア外遊中も公式日程を終えると1人ホテルの部屋にこもり、生みの苦しみは改造前夜まで続いた。熟考中の安倍は「野武士」のような形相だったという。
だが、どんなに「配慮」に満ちた人事も全員が納得できるものにはならない。
安倍は、元首相、森喜朗が推した元官房長官の福田康夫、元財務相の谷垣禎一の入閣は見送った。森は27日夜、神戸市内で講演し、「非常に堅実な実務型内閣だ」とほめながらも「やっぱり安倍さんも理想は残したいんだろうな。相変わらず、石原(伸晃政調会長)や渡辺(喜美行革担当相)らを残した。前は年少組だったが、今度は年中組という感じか…」と皮肉った。
内閣改造で安倍がもっとも執着したのは外相、麻生太郎の幹事長起用だった。安倍は参院選後、麻生の外相続投方針を百八十度転換する。
最大の転機は、臨時国会召集日の8月7日に訪れた。国会内で開かれた代議士会で、元文科相の小坂憲次らが相次いで安倍の面前で退陣を要求。党の大勢が「安倍降ろし」で雪崩を打ちかねない空気が広がった。
衆院本会議終了後、参院での開会式に天皇陛下をお迎えするため、モーニング姿に着替えた麻生は、国会内の一室で安倍と向き合った。
「事態は深刻だ。内閣改造は早めた方がいい。国会最終日の10日に電撃改造をやるべきじゃないですかね…」
麻生は、祖父である元首相の吉田茂が昭和29年に欧米7カ国を外遊中に反吉田連合が結成され、帰国後内閣総辞職に追い込まれた事例を挙げて、このまま月末まで内閣改造を先延ばしして、19〜25日にインド・東南アジアに歴訪すれば、その間に安倍包囲網が構築される恐れがあることをとうとうと説き、最後にこう念を押した。
「今は保守勢力の最大の危機であり、国家の危機でもある。でも筋を通せば必ず道は開けるものですよ」
・消えた「電撃改造」
麻生の言葉は安倍に重く響いた。麻生の指摘通り、党内の不満をそのまま放置していれば、反安倍の火は一気に燃え広がりかねない。だが、閣僚候補者の身辺調査は間に合わない上、だまし討ちに近い改造を失敗すれば不満は増幅しかねない。麻生のアイデアはリスクが大きかった。
ただ、幸運にも7日を境に安倍降ろしの動きは一気に鎮火に向かった。党内で「これ以上の混乱は見苦しいし、民主党に利するだけ」(中堅)との雰囲気が広がったからだ。国対委員長の二階俊博や元防衛庁長官の額賀福志郎ら派閥領袖級らも相次いで「続投支持」を打ち出した。
思いを巡らせた末、安倍は最終的に「電撃改造」を断念したが、安倍はこの時点で「安倍−麻生」体制を政権の軸とすることを決断した。
安倍の祖父は元首相の岸信介、父は元外相の安倍晋太郎。一方の麻生は、祖父が吉田茂、先祖は明治の元勲、大久保利通にさかのぼる。共通する「毛並みの良さ」もあり、安倍政権発足以来ぴったりと息を合わせてきたが、元々は疎遠だった。両者が親しくなったのは安倍が官房長官、麻生が外相に就任した2年前からだ。
安倍が親友の塩崎恭久(前官房長官)を外務副大臣に押し込んだことに麻生が激怒。その「手打ち式」として銀座のラウンジに繰り出したことがきっかけだった。ここで14歳の年の差を超えて意気投合し、昨年秋の総裁選では2人は対抗馬となるが、友情は続いた。
安倍は1年前、首相就任にあたり、麻生を幹事長に起用しようと考えた。しかし、このときは森らの説得で断念。だが、外相に迎え入れ、二人三脚で「主張する外交」路線を進めてきた。
「ライバル同士なのになぜ馬が合うのか」と周囲がいぶかしむと、麻生はこう説明した。
「おれと安倍の政治信条や国家観はほとんど一緒だ。ついでに敵も一緒だ。ケンカしようがないじゃないか」
麻生のいう「敵」が、元幹事長の加藤紘一や元副総裁の山崎拓らを指すことは明白だ。つまり、安倍が「安倍−麻生」体制を選んだということは、政権の求心力が低下しているこの時期に、あえて「敵に対して妥協しない」という意思を示したともいえる。
(2007/08/28 08:05)」
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070828/shs070828002.htm
「本気だった「倒閣」(下)
27日に発足した安倍改造内閣は派閥領袖がずらりと並ぶ「挙党態勢」となった。安倍にとって必ずしも満足なものではなかったが、自民党内にはそれ以上に不満がくすぶる。
・反安倍、参院選惨敗後に密談
前参院国対委員長、矢野哲朗の入閣を見送られたため、参院議員会長の尾辻秀久は28日、首相官邸に乗り込み、不満をぶちまけた。閣僚から漏れた議員は、「泥船に乗らずにすんだ」と強弁するが、不信は広がる。安倍応援団といわれる若手・中堅にも改造は決して評判はよくない。
そんな中、28日夕、都内のホテルに元官房副長官の園田博之、後藤田正純ら衆院議員6人が結集した。いずれも反安倍の急先鋒(せんぽう)だが、「カラオケ仲間」の与謝野馨が官房長官になったことを歓迎。退陣要求は当面控え、与謝野を通じて安倍に政策変更を求めていく戦術に切り替えることを決めた。
親安倍も、反安倍勢力も足並みに乱れが出ている。自民党の歯車はどこから狂ったのか−。
参院選前夜の7月28日午後、外相、麻生太郎の携帯電話が鳴った。安倍からだった。
「ゆっくり話をしたいんですけど、今夜空いていますか」
だが麻生は地元・福岡に戻ったばかり。「申し訳ないが、今夜は帰京できない。明日必ずうかがいます」
安倍はこの時点で、参院選でどんな結果が出ようとも退陣しない腹を固めていた。もし自分が政権をほうり出すと、次期首相選出で党内が簡単に一本化するとは思えない。麻生、元官房長官の福田康夫、元財務相の谷垣禎一らで激しいバトルとなるだろう。そうなれば得をするのは誰か。安倍の脳裏に民主党代表の小沢一郎の顔が浮かんだ。
安倍は平成5年の政治制度改革をめぐる自民党分裂こそが、日本経済をどん底に落とした「失われた10年」の原因だと考えている。その引き金を引いた小沢がどんな動きをするかは容易に想像がついた。
「どんなに苦しくても踏ん張るしかない」。そう考えた安倍は、盟友であり、ライバルである麻生の意向だけは聞いておきたいと考えたのだ。
翌29日午後4時、ワンボックスカーでひそかに公邸に乗り付けた。安倍が自らの意向を伝えると麻生の返事は明解だった。
「衆参逆転など大したことない。安倍政権が打ち出した教育、安保などの大方針はちっとも間違っていないんだから胸を張って続投すべきだ。しっかり支えますよ」
2人が会談中、公邸の電話が鳴った。幹事長の中川秀直だった。
中川は国会近くのホテルで、元首相の森喜朗、参院議員会長の青木幹雄とともに今後の対応を協議していた。自民党の獲得議席を「40台後半」「40台前半」「30台」の3パターンに分類し、今後の政治情勢をシミュレートしていた。
敗戦の色はすでに濃厚。報道各社からひそかにかき集めた出口調査の結果は最悪の「30台」を示していた。青木は「安倍君はまだ若い。今辞めれば次のチャンスが生まれる」。森もうなずいた。
森に安倍の意向を確かめるように促された中川は、公邸に電話し、麻生がいることを知る。「なぜ麻生が…」。3人は首をかしげた。
麻生と入れ違いに公邸入りした中川は「続けるのも地獄、退くのも地獄。イバラの道だ」と語り、「辞任もやむなし」と諭したが、安倍はきっぱりと言った。
「解散のない参院の選挙で政権選択が行われることは基本的にはあるべきではない。大勢が判明した10時すぎにテレビで続投を表明する」
2日後の7月31日。東京・汐留の高層ビルの一室で、参院選で瀕死(ひんし)の痛手を受けた安倍政権を揺るがす密談が繰り広げられていた。
「メディア界のドン」といわれる人物が主催する秘密会合に顔をそろえたのは派閥領袖級の4人。元副総裁の山崎拓、元幹事長の加藤紘一、元幹事長の古賀誠の「新YKK」、そして元厚相、津島雄二だった。
誰とはなく「安倍はもうダメだ。世論が分かっていない。一気に福田擁立でまとめよう」と声を上げると、新YKKとは一線を画していた津島も「あの人(安倍)には人の暖かみを分かる心がない。『正しいことさえ言っていれば人は分かってくれる』と思いこんでいる」と応じた。
くしくも同じ夜、森は別の会合で「次の内閣改造のキーワードは『安心』と『安全』だ。失敗すると安倍は厳しい」と語り、福田、谷垣の入閣が政局のカギを握るとの見通しを示し、こう言った。
「どんなに追い込まれても、安倍に解散はさせない」
森のこの言葉は一気に広まった。加藤らは「福田擁立で各派がまとまれば森は乗ってくる」と手応えを感じた。この後新YKKが不気味なほどに沈黙したのは、それだけ「倒閣」が本気だったことを示していた。
汐留での会合で慎重姿勢を崩さなかった古賀も3日朝、都内のホテルで開かれた財界とのセミナーでは多弁だった。
「参院選は歴史的な大敗だが、首相の続投も歴史的な決断だ。内閣改造の結果をみて私たちもどう行動するか考えなければならない」。古賀は最後にこう結んだ。
「衆院解散はびっくりするほど早くなる」
・「福田擁立なら即座に総裁選」
参院選後初の日曜日となった8月5日夕。森は東京・神山町の麻生邸を訪ねた。すでに麻生の幹事長就任のうわさが流れていた。
森「君は安倍さんに人事を何か吹き込まれているのか」
麻生「いいえ、まったくありません」
森「君は今後も安倍さんを支えてくれるか」
麻生「安倍政権は国家的に正しいことをやっていると思うから、私はそれに乗っているんです。参院選で負けたのは小泉改革のツケが最大の原因で、安倍さんのせいとはいえないでしょう」
森に派閥領袖級の人物評などを次々に問われ、「おれの意向を探りに来たのか」と感じた麻生は、こう切り出した。
「なんだかちまたには福田擁立なんて動きがあるらしいが、こんなものは絶対にのめない。安倍さんと総裁を争った私が支えるといい、『安倍だ』『安倍だ』とはしゃいだ連中がハシゴを外すなんてまったくおかしな話ですよ。そもそも福田さんは総裁選に出てもいないじゃないですか」
森は「福田さんには安定感があるから…」と言ったが、麻生は頑として譲らなかった。
「もし福田擁立という動きが本格化したら、即座に手を挙げて総裁選を要求します」
森は幹事長時代から、加藤と敵対して「冷や飯生活」を送ってきた麻生に「目をかけてやった」との思いがある。麻生もその恩義を強く感じているが、この会談は2人にシコリを残した。
一連の目まぐるしい動きは、「人を疑うことを知らない」といわれてきた安倍にも深い不信の念を芽生えさせた。
「逆風の時でないと他人の本心はなかなか見えないものだね…」
安倍は周囲にこう漏らしたという。
参院選での大敗は、自民党内の人間関係をより複雑にさせた。これまで親しかった者がお互いに疑心を抱き、敵さえも手を組む状況が生まれつつある。党派を超えた動きは今後ますます活発化するとみられている。政界が新たなうねりにのみ込まれていくことは間違いなさそうだ。(敬称略)
(この企画は石橋文登、大谷次郎が担当しました。)
(2007/08/29 07:36)」
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070829/shs070829001.htm
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