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(回答先: 渡辺恒雄氏「今の日本人はあの戦争の侵略性、残忍性の側面に対してあまり知らない。」 投稿者 松浦 日時 2007 年 8 月 27 日 09:12:39)
Re: ナベツネの同期生で漱石研究家の伊豆利彦さんが<初心忘れずか 渡辺恒雄のことなど>を書いておられます。
http://www.asyura2.com/0510/hihyo2/msg/564.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 1 月 23 日 07:57:33: KbIx4LOvH6Ccw
この投稿は漱石研究家の伊豆利彦さんのブログを引用したものです。
「日々通信 いまを生きる」 第191号 2006年1月22日
http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2006/01/191_200622___31ad.html
ここにはこんなことが書かれています。何かの参考になれば幸いです。
>年の初めから、渡辺恒雄が話題になっている。
>『読売新聞の渡辺恒雄主筆と朝日新聞の若宮啓文論説主幹が対談し、渡辺が小泉の靖国参拝を「軍国主義をあおり、礼賛する展示品を並べた博物館(遊就館)を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい」と批判した。
>渡辺といえばナショナリズムの立場から自民党を支持してきたと思っていたので、ちょっと驚いた。
>しかし、彼は陸軍二等兵として、敗戦の年に軍隊でひどい目にあったことを語っていると聞いて、渡辺の中学時代を思い出し、なるほどという思いがあった。
>私は渡辺と開成中学で同級になったことはないが、同学年だった。インチョウというあだ名で呼ばれ、目立つ存在だった。
>渡辺といえば、必ず思い出す一つのことがある。中学3年か4年、1941年か42年の冬だったと思う。当時開成中学は荒川の河川敷で野外教練をやっていた。1941年12月8日の開戦の日も、全校生徒がそこに集まって査閲(当時は年に一度、学校教練の成果を連隊区長官が査閲する行事があった)のための予行訓練をしていたから、この荒川堤のことはよく覚えている。この前後に、渡辺は、荒川の橋の上から、河川敷に集まっている配属将校をはじめ、教師や生徒に向って「ノレンは開成のガンだ」と叫んだのである。
>ノレンというのは当時、開成中学の配属将校だった陸軍中尉のあだ名である。○野廉という名前だったので、そういうあだ名がついていた。
>この叫びは配属将校の耳に入らなかったのか、このことが問題になったという記憶はない。しかし、渡辺はそういう男だった。権力に対する反抗心が当時から強く、軍隊は真から嫌いだったのだと思う。
>渡辺は敗戦のとき陸軍二等兵だったというが、私も同様だった。そして、オヤと思う。渡辺も特甲幹にならなかったのかと思うのである。
>特甲幹というのは、特別幹部候補生を略した呼称である。従来は幹部候補生というのがあって、陸軍2等兵の6カ月の訓練をへて予備士官学校に進んだのを、戦争の末期に、下級士官速成のために、その6カ月の初年兵教育を省略して、いきなり予備士官学校に入隊させたのである。海軍の予備学生を真似て始められた制度で、私も受験させられたが、不合格だったらしい。
>私が不合格だったのは、高校(旧制)1年の終り頃から病気を理由に勤労動員も教練もいっさい参加しなかったから当然だが、渡辺の場合も、受験しなかったか、それとも教練の成績がひどく悪かったかだったのだと思う。
>当時の私は渡辺が陸軍二等兵でひどい目にあったということは知らなかった。私が知っているのは、渡辺が戦後東大の共産党細胞で活躍し、新人会をつくり、党を除名されたということを新聞等で知ったのである。
>その後、読売に入り反共の立場にたった。一時、共産党に対して好意的な記事を書いたこともあるが、その後は読売の社長になり、改憲論の先頭に立ったことや、読売巨人軍のオーナーとしていろいろ報道されるのを見聞きしたことがあるくらいである。
>しかし、今度の靖国発言に関連して、軍隊の経験を語っていることなどを知り、あらためて彼の少年時代を思い出し、感慨を新たにしたのである。
>渡辺と私は気質的には正反対のようでもあるが、共通の過去をもち、同じ時代を生きて重なり合うことも多いのだと思う。
>渡辺は戦争で日本人がひどい目に合わされたのであり、中国人がどうこういうからというのでなくて、日本人として、戦争犯罪を問題にすべきなのだと述べていた。
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