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安倍首相がインドネシアやインドなどを訪問している。この外遊には250人もの経済人が同行している。少なくともかつての首相の外国訪問に経済人が多数同行することなどなかった。これはアメリカのスタイルを真似したものであろう。日米同盟を当然のこととしている彼らにとってはこれは当たり前のことなのかもしれないが、それが良いかどうかとなると話は別問題である。私は首相と経済界が一緒に外国訪問をすることには賛成できない。
インドを訪問中の安倍首相は22日午前(日本時間同日午後)、インド国会で演説した。日印関係について「自由と民主主義といった基本的価値と戦略的利益とを共有する」と指摘し、米国や豪州を巻き込んだ「拡大アジア」の成長という概念を提示。急速に発展する中国を意識し、民主主義国家である日本とインドの役割を強調した。<中略>
また首相は、温室効果ガスの主要排出国を巻き込んだ日本の温暖化対策「美しい星50」を紹介し「インドと共に取り組みたい」と言及。「自然との共生を哲学の根幹に据えてきた」インド国民が「気候変動との戦いで先頭に立つのにふさわしい」と述べ、温室効果ガス削減に積極的に参加するよう訴えた。
一方、首相は23日にパル判事の遺族に会う予定にもふれて「極東国際軍事裁判で気高い勇気を示されたパル判事は、たくさんの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めている」とも述べた。
日本も暑いがインドの暑さはこの比ではない。私も8月にインドに行ったことがあるが、酷暑日が毎日続いているのである。引用した記事は朝日新聞からであるが、安倍首相のこのトンチンカンな発言は暑さのせいではないであろう。安倍首相は日印関係について「自由と民主主義といった基本的価値と戦略的利益とを共有する」と指摘しているが、自由と民主主義をいちばん解していないのが発言しているその人である。先の参議院選挙で国民からノーを突きつけられたのに、涼しい顔をしてこういうことを平気でいえる神経はもう病気である。恥ずかしい!
「自然との共生を哲学の根幹に据えてきた」インド国民が「気候変動との戦いで先頭に立つのにふさわしい」と述べ、温室効果ガス削減に積極的に参加するよう訴えたという。インド哲学が自然との共生を根幹に据えてきたことに異論はないが、それを日本の温暖化対策「美しい星50」に結びつけ、協力を取り付けようとする態度はさもしいという他ない。「美しい星50」は、安倍首相が主張する“美しい国、日本”のアナロジーなのであろうが、自らの浅薄な考えを国際政治の場にもち込むことはお目出度いを通りこして尊大でさえある。こういう尊大さが日本を侵略戦争へ突入させたのである。
首相は23日にパル判事の遺族に会う予定にもふれて「極東国際軍事裁判で気高い勇気を示されたパル判事は、たくさんの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めている」とも述べている。パル判事が事後法を理由に戦犯を裁くことに反対をしたことは事実であるが、パル判事は戦争を誰よりも憎んだ人である。日本の右翼反動は、このことには触れないでパル判事が戦犯処罰に反対したことだけを強調する。安倍首相は総理大臣になっても右翼反動の政治的行動をやっているのである。
極東国際軍事裁判(俗に東京裁判と呼ばれる)についてひとこと付言する。ポツダム宣言第10項には「吾等は日本人を民族として奴隷化せんとしまた国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも、吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えらるべし」とある。戦争犯罪人の処罰をわが国は受け容れたのである。どのような根拠と形式でその処罰を行うかということは明記されていないが、戦争犯罪人を処罰することをわが国は受け容れたのである。
わが国がそのようなことを受け容れた以上、国民がそのことを受忍しなければならなくなるのは仕方ないと私は考える。A級戦犯は、平和に対する罪である。B級戦犯は通例の戦争犯罪、C級戦犯は人道に対する罪である。いずれもわが国の国民にとっては事後法であった。しかし、右翼反動はB級戦犯で死刑判決を受けた約1000名のことはあまり問題にしていない。B級戦犯のことを世の中に強く訴えたのがフランキー堺主演の『私は貝になりたい』であった。私は当時中学生であったが、戦争の非情さと残酷さに震えた。
安倍首相は“主張する外交”を方針としている。そもそも国益を主張しない外交などあるのか。外交とは国益と国益がぶつかり合う武力を用いない戦いである。安倍首相の外交は“価値観外交”と呼ばれているが、安倍首相に代表される右翼反動の価値観は次のようなものである。「私(白川)が改憲派の人々を右翼反動と呼ぶのは、この人たちが現実に起こる問題を解決する方法として、明治憲法的な秩序に回帰しようとするからである。語弊があるとするならば、明治憲法的な秩序に頼ろうとするからである」 要するに右翼反動の価値観は、t“明治憲法的価値観”なのである。
先の参議院選挙で安倍首相や自公“合体”政権のこのような体質を国民は肌感覚で見抜いた。その一例が自治労攻撃だった。私は久しぶりに“赤攻撃”と同じようなものをみた。しかし、国民はまったくこれに影響されなかった。昭和憲法的価値観は、いまや否定できない国民の共通な価値観なのである。このことに気が付いていないまやかしの政治評論家やコメンテーターがマスコミで跋扈している。これも何とかしなければならないが、自国民から拒否されている“価値観”を外国に行ってまで口にする安倍首相を何とかしなければわが国の国益が損なわれてしまう。
それでは、また明日。
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