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「自民党政治の終わり」というエントリーがYamaguchiJiro.com(http://yamaguchijiro.com/)にある。 ↓
07年9月:自民党政治の終わり = 山口二郎
http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/603.html
投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 9 月 03 日 21:05:07: mY9T/8MdR98ug
このほどこのエントリーに一宮城県民さんが長大なコメントをと付けておられることをPPFV BLOG(http://ppfvblog.seesaa.net/article/55548425.html)で知った。
参考資料として転載しておく。
--------------------ここから転載--------------------
http://www.yamaguchijiro.com/?eid=601#comments
Comment
2007/09/13 2:56 AM posted by: 一宮城県民
まず、安部総理の辞任については、私もひとまずは歓迎したい。
現在の政権交代の期待感の高まりの中で、共産党が民主党を批判することは世論の支持を得られないであろうし、国会内でテロ特措法延長反対で共闘する以上、共闘相手への批判を控えるのは政党のとる態度としては正しい。しかし、私は党員でも何でもないただの一支持者であるから、無責任に言いたいことを言わせていただく。
『敵より恐きものは、味方なり』
「敵より恐きものは、味方なり」。徳川家康の謀臣本多正純の言葉という。関ヶ原の合戦での西軍の敗因を思い起こして納得のいかれる方も多いだろう。
>自民党の敗因を考えると、年金不信や閣僚の失言という急性の要因と、小泉時代以来蓄積してきた慢性の要因とが相乗効果を起こしたように思える。(北海道新聞7月30日夕刊『参議院選挙の結果をどう見るか』)
>「生活第一」という小沢一郎民主党代表の戦略が成功したことは明らかである。(『参院選の意義―――シンボルから生活への回帰』東京新聞7月30日夕刊)
私の認識する安部政権の敗因は山口先生とは少し違う。私は最大の敗因は、北朝鮮を巡る情勢の劇的な変化であったと思っている。「「生活第一」という小沢一郎民主党代表の戦略が成功」したのも、北朝鮮情勢の改善の結果可能になったに過ぎず、二次的な要因でしかない。
もともと安部氏は、拉致問題で劇的に変化した世論によって総理の座まで押し上げられるという、歴代総理と比べてかなり異色の経緯を辿った人物であり、彼の最大の政治的資産は対北朝鮮強硬派としての人気であった。
安部政権の発足は2006年9月だったが、その直後11月のアメリカ中間選挙で共和党が敗北し、ラムズフェルド国防長官が辞任している。アメリカでネオコンの凋落が誰の目にも明らかになった正にその時、日本版のネオコン政権とも言うべき安部政権は発足したのである。周回遅れとしか言いようがない。
安部政権が最初に行ったのは中韓との関係改善である。両国との関係は小泉時代にすでに限界まで悪化していたため、安部総理は靖国参拝を封じるなど自己の信念を曲げてまでして関係改善をおこなわせざるを得なかった。
これは、ナショナリズムを政権浮揚のエネルギーとしたい安部政権にとって少なくないダメージであったろう。こうした周回遅れの悲劇はこの後も安部政権に付きまとい続ける。
>内山融著『安部政権のリーダーシップ』(『世界』2007年8月号)
「今年の春先頃から、安部政権には憲法や教育などイデオロギー的争点への傾斜が目立つようになった。」
「経済政策からイデオロギーへと政権が重視する争点が変わったのであるが、その意味は次のようなものだと考えられる。
安部が本来の思想を前面に出したことを指して「開き直り」と揶揄する向きもあるが、それだけでは皮相的であろう。安部のリーダーシップが発揮できるテーマだからこそ、イデオロギー的争点が選ばれたことに注目すべきである。
まず、政治的動員を成功させるためには、パトス(情念)への訴えかけが有効である。小泉首相のように経済政策で国民のパトスに訴えかけられないのであろば、それを可能とする代替的争点が必要となるが、イデオロギー的争点はナショナリステックな国民感情に訴えかけることができるという点で、そうした目的に最適だったのである。
加えて、イデオロギー的争点は、自民党内の亀裂が小さいという点でもリーダーシップ発揮に好都合である。」
「イデオロギー的争点の重視により、自民党は一枚岩的に行動できるのに対し、民主党の亀裂を誘うことができる。権力資源において(小泉に比べると)制約を受けざるをえない安部にとって、こうした争点の魅力は大きなものであったろう。」
一見、憲法問題の争点化は民主の分裂を誘える妙手に見えなくもない。確かに憲法問題で民主党は分裂を抱えている。しかし、改憲を巡っては世論自体分裂しており、九条に限れば護憲派が多数を占める。
憲法問題を争点にすれば自動的に自民党に有利になるわけではない。憲法問題を選挙の争点にすることが改憲派に有利になるためには、それなりの条件が必要であった。
それは北朝鮮を巡る情勢の悪化である。事態が緊迫化し、日本が攻撃されるかも知れないという恐怖感が蔓延するような情勢では、護憲派の主張は頼りない空論に見えてしまうであろうし、改憲派の主張が現実的な頼るべきものに思えてくるだろう。
アメリカが核施設を爆撃し、北朝鮮が反撃を行い(ちょうどイスラエル対ヒズボラのように)、日本にある程度の被害が出るといった情勢が理想的だったろう。こうした情勢下では安部自民党の地滑り的大勝も有り得たと思う。
(続く)
2007/09/13 3:06 AM posted by: 一宮城県民
しかし、そうはならなかった。北朝鮮を巡る情勢は悪化するどころか劇的に改善してしまった!
もちろん、第一の要因はアメリカのイラクでの挫折である。アメリカはもはや全能ではない。北朝鮮のレジーム・チェンジなどにかまけている余裕はない。しかし、それだけが原因ではない。ブッシュ政権内でネオコンの影響力が低下した後でも、アメリカの対外路線が劇的に変化したのは対北朝鮮だけだといってもいい。
対イランやシリアについては変化は遅々たるもので、対イランについては米軍による攻撃までが真剣に憂慮されていた程だ。(『世界』2006年10月号 シーモア・M・ハーシュ『レバノン戦争からイラン攻撃へ』を参照。内容の要約を岩波書店HPより引用する。)
>「2006年8月上旬、『ニューヨーカー』誌に中東危機に関する衝撃のレポートが登場した。
ハーシュによれば、アメリカのイラク侵略は単なる前哨戦だった。そして、イスラエルによるレバノン攻撃もまた、「予行演習」にすぎなかったのだ……。
今年に入って、同じ『ニューヨーカー』誌でアメリカのイラン核攻撃計画をすっぱぬき、続編として、陸軍と海兵隊の「最後の抵抗」にあったホワイトハウスと空軍がその核攻撃プランを諦めた経緯を緻密な取材で追ったハーシュ。
政府内部に多くの情報源をもつ彼は、その後も取材を重ね、4月にイラン核攻撃を諦めた米政府が、その後どのように戦略をたて、それが今回のイスラエルによるレバノン攻撃に結びついていくかを検証した。
今後の中東の行方を深刻に憂慮するベテラン・ジャーナリストが発表した圧巻のレポート。訳・解説は安濃一樹 (翻訳家=TUP)。
Seymour M.Hersh 1937年生まれ。69年、南ベトナムのソンミ村虐殺事件をスクープしてピューリッツアー賞受賞。調査報道の大ベテランとして、『ニューヨーカー』誌を足場に鋭い論考を発表し続ける。」
核開発疑惑を持たれているに過ぎないイランに対し、核実験まで強行した北朝鮮への融和姿勢は際立っている。ほぼ同時期のイランと北朝鮮に対するアメリカ政府の対照的な対応ぶりを示す記事を二つ並べてみよう。
>ブッシュ米大統領:「イラン、中東の脅威に」 アルカイダと並べ非難
【ワシントン及川正也】「ブッシュ米大統領は28日、ネバダ州での全米退役軍人会年次総会で演説し、中東の不安定化要因として国際テロ組織アルカイダと並んでイランを名指しで非難した。」
「大統領は「アルカイダが束ねるイスラム教スンニ派民兵組織」と「イラン政権が支援するシーア派民兵組織」が中東の緊張激化を招いていると指摘。
「イランの核兵器保有を追求する活動は、忍び寄る核のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の中でこの地域に脅威をもたらしている。我々は手遅れにならないうちにこの危険に立ち向かう」とイランを強くけん制した。
また「イラクの米軍を攻撃するようシーア派民兵組織をイランが支援している」と指摘。「イランが支援をやめるまで、米軍を守るために必要な措置を講じる。駐留米軍の司令官にもイランの活動に対峙(たいじ)する許可を与えている」と警告した。」
(MSNニュース 毎日新聞 2007年8月29日 東京夕刊)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20070829dde007030039000c.html
>(8/30)6カ国協議、「テロ支援国」解除探る・1日米朝部会
【ジュネーブ=山口真典】北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議の下に設けた「米朝国交正常化」に関する作業部会が9月1日、ジュネーブで開幕、米国による北朝鮮へのテロ支援国家指定の解除問題などで事態打開の方策を探る。
米側は解除の条件として日本人拉致事件への取り組みなどを促す。
「指定解除」を動機づけにして、既に停止済みの寧辺(ニョンビョン)の核施設を再稼働できなくする「無能力化」を北朝鮮に求める方針だ。
米朝正常化部会は今年3月、ニューヨークで開いて以来、約半年ぶりの開催となる。ともに6カ国協議本会合の首席代表であるヒル米国務次官補と金桂官(キム・ゲグァン)北朝鮮外務次官が出席する。今回の会期は9月2日までの2日間。
米政府は米朝関係正常化について(1)テロ支援国家指定の解除(2)貿易規制などを内容とする対敵通商法の適用解除(3)朝鮮戦争後から現在まで続く休戦協定の平和協定への転換(4)外交公館の開設――という進め方を想定している。」(NIKKEI NET:08月31日 07:00)
http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt71/20070830AS2M3001A30082007.html
(続く)
2007/09/13 3:08 AM posted by: 一宮城県民
これじゃイランも納得しないだろうと思うほど、アメリカ政府の対応は理不尽なまでに対照的である。
安部政権に必要だったのは情勢の緊迫化であって、実際に戦争が発生する必要があったわけではない。
メディアは対北朝鮮報道に関してはジャーナリズムとしての正常な機能をとっくに喪失しており、対イラン並みにアメリカが強硬姿勢をとっていれば、恐怖心や敵愾心をいくらでも煽ってくれたであろう。
しかし、ブッシュ政権はその程度のサービスもしてはくれなかった。安部総理から見れば散々忠勤を励んだ挙げ句、ブッシュ政権に裏切られたといったところだろう。日本版ネオコンは所詮は虎の威を借る狐でしかない。アメリカでネオコンが失脚すれば自力では緊張状態を作り出せない。
正直、私にはアメリカ政府が両国に対して、ここまで対照的な対応をとる理由が今ひとつ理解できないのだが、中国と韓国(そして存在感がやや薄いロシア)による外交努力の成果という面はやはりかなりあるのだろうと思う。
少なくとも彼らの努力無しに、ここまでの劇的な情勢の改善が有り得たとは思えない。それに対して日本人は何もしていなかった(むしろ足を引っ張ってばかりいた)。
今回の選挙において日本の民主主義を守った人が誰か居たとするのなら、それは日本人ではない。中国人と韓国人(とロシア人)である。特に、北の脅威を煽っても世論が動員できない社会を作り上げた韓国の民主化と脱冷戦思考の定着は決定的であったと思う。
日本のやらかしてきたことを思うなら、仇を恩で返してもらったといってもいいくらいだと私は思っている。
(続く)
2007/09/13 3:11 AM posted by: 一宮城県民
「選挙互助会から政権互助会へ」
今回の選挙の結果起こった変化を端的に言い表すとするなら、民主党の「選挙互助会から政権互助会へ」の進化であろう。
元々民主党は理念や政策の違いを棚上げにして、右からも(たくさん)左からも(若干)集まってできた党で、時には選挙互助会と揶揄されたりもした。
今回の勝利で、民主党には更に人が集まるだろう。政権を手に入れたい人や政権を手放したくない人たちが、右からも(たくさん)左からも(若干)集まって来そうだ。
>「民主党の小沢一郎代表が国民新党幹部に対し、参院会派「民主党・新緑風会」との統一会派結成を打診していることが2日分かった。」(MSNニュース 毎日新聞 2007年8月3日 3時00分)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070803k0000m010154000c.html?in=rssw
国民新党は、国会議員総数8名中に「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」加盟者4名を抱え、教育基本法の改正に対して「そもそもわが党は、同法の改正そのものには一貫して賛成の立場をとってきました」と述べ、政府与党案に反対した理由として、「与党内の特別な事情により、「愛国心の涵養」といった基本的な文言・考えが欠落していること(国民新党HP 政策・主張「「教育基本法改正案の衆議院通過」についてのコメント 」)」を挙げるというバリバリの右派政党である。
>必ずしもすぐに憲法改正に踏み切る必要はないものの、これまで国民投票法が制定されてこなかったことは、
立法の不作為だったといってもよい。(国民新党HP コラム「誰のための国民投票法なのか」)
http://125.206.121.105/column/20070418.shtml
というのであるから、改憲政党であることも明白である。同党の亀井郁夫参議院議員に至ってはここにまで名を連ねているが、それも差し支えないらしい。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-20/2007052004_01_0.html
その一方で、護憲のはずの新党日本(といっても議員は一人だけだが)とも統一会派を組むというのであるから、小沢民主党の態度は、よく言えば柔軟、悪くいえば極めて無節操と言える。
私は以前、「自民を離党してくる議員を憲法に対する態度によって篩いにかけるような余裕も、意志も、小沢民主党にはないであろう。バリバリの改憲派であっても、政権獲得のためならば躊躇うことなく受け容れるだろう」と述べたが、どうやらその通りになりそうである。
二大政党が政策の違いを鮮明にし有権者の賛否を問う、などというのは政治学者の頭の中だけにある妄想に過ぎない。
どちらの党も選挙に勝ち続け政権を永続的に保持したいに決まって居るのだから、起こるのは対決ではなく、選挙の勝敗を握る層を奪い合うための競争である。
米英などの二大政党制の国では、両党が互いに相手の支持基盤を奪おうとする結果、政策が類似してくる収斂化が進むのがむしろ一般的。参院選は地方の一人区が勝敗を分けるため、自民党も小泉政権時代に比べると地方重視の姿勢を取ってはいた。ただ、小泉改革の慣性があまりにも強すぎた。
民主党の小沢党首は、自民との対決姿勢を示すことが必要ならば与党として振る舞っていた石原都知事に対抗馬を立てることも厭わなかったように、政権獲得に必要ならば安部政権とも自民党とも対決姿勢を維持するだけの老獪さを持っている。
民主党は当分の間は、かなり真っ当な姿勢を維持するだろう。ただ、それを真に受けるのは危険であろう。
さして時間が経ったわけでも、大幅に人が入れ替わったわけでもないのに、組織の本質がそう易々と変わるはずがない。
自民党も野党時代はけっこう謙虚に振る舞ったものだ。
選挙目当ての取り繕いと、本当の変化の違いを見極めるだけの分別は、どんな時でも失いたくないものである。
(続く)
2007/09/13 3:14 AM posted by: 一宮城県民
>『自民党政治の終わり』(週刊金曜日8月31日号)
ここは、国民参加で次のマニフェストを作る作業をしてはどうだろう。民主党は政権交代への道半ばまで進み、正攻法で政権を勝ち取るという展望を描いている。安倍が執着している憲法改正に手を貸したり、一部で言われている大連立に荷担したりすれば、今までの歩みが水泡に帰する。小沢一郎代表はそんな愚かなまねはしないはずである。
だとすれば、日常の政策について国民の期待を喚起するような構想を作ることが民主党の課題である。そして、そのような政策を作る作業に、政治の現状を憂える市民の参加を呼びかけることこそ、政治の可能性を開くための突破口になりうる。
具体的な内容は政党の責任で決めるにしても、国民生活に喫緊の課題は何か、国民自身に語らせる必要がある。
たとえば非正規雇用に対する差別の撤廃、障害者自立支援法の改正など、人間の尊厳を大事にする政策を唱える政党が次の総選挙で政権を取れるという期待感を市民が持てれば、政治の変化はさらに加速するであろう。国会内だけではなく、市民社会に対する民主党の感度が問われている。(週刊金曜日8月31日号)
「どんなに遅くても、来年のサミット直後までには衆議院の解散、総選挙が行われるであろう(『参議院選挙の教訓』山陽新聞8月5日)」。山口先生の目論見通りにことが進めば、民主党に対する見極めが充分済む前に総選挙が行われることになる。衆議院の任期は、改憲発議が可能になるよりも早く切れる。「憲法改正に手を貸したり」するかどうかも、確かめられるのは総選挙の後のこと。
さて、今回の参院選で民主党は自民支持層からかなりの得票を得た。議席を直接に争う相手から票を奪うことは選挙に勝利するためには特に有効である。当然、民主党は衆議院総選挙でも、その再現を狙うであろう。
常識的に考えて民主党が狙うのはこうした自民支持層などであって、「政治の現状を憂える市民」などではないだろう。
二つの政党が政権を巡って争うとき、通常最も優遇されるのは二つの政党のどちらにも投票しうる層であって、特定の党に忠誠を誓う層ではない。
山口先生の言う「政治の現状を憂える市民」たちは間違っても自民党には投票しないであろうから、民主党から見れば一番邪険に扱ってもかまわない層ということになる。
政権についた政党が、最も忠実な支持基盤を裏切るというのは二大政党制のもとではありふれた光景である。
何しろ、自民党に投票するわけにはいかないし、第三党への投票は死に票になるのだから。
(続く)
2007/09/13 3:17 AM posted by: 一宮城県民
「改革狂時代の終焉?」
今回の選挙で私が個人的に注目していた点は二つあった。一つは民主党がキャッチフレーズに「改革」という言葉を使わなかったことだ(もう一つについては最後にふれる)。「生活改革」ではなく「生活維新」。改革でも維新でも、内容が曖昧模糊としている点は同じだが、とにかく「改革」という言葉は避けられている。
もしかすると政治改革騒動以来の、内容を問うこともないまま「改革の旗をふる者が正義で、反対する者が悪」と見なすという改革狂時代がそろそろ終焉の時を迎えているのかも知れない。
もちろん、それは「改革」という言葉の賞味期限が切れたというだけのことであり、政党の組織力が低下しているなかメディアによる扇動政治が今後も今まで以上に猛威を振るであろうことに変わりはないだろう。
そして今回の選挙では、そうした扇動政治の新しいテクニックが見られたように思う。
アメリカ・ブッシュ大統領を支えた希代の策士、カール・ローブ氏が用いた第三者を使った(もしくは偽装した)ネガティブキャンペーンである。
2004年の大統領選挙では、ベトナム戦争の英雄を売りにする民主党のジョン・ケリー候補の軍人時代の功績に疑問を呈するネガティブ・キャンペーンが、共和党でもブッシュ陣営でもない、スイフト・ボート・ベテラン・フォー・ツルースなる団体によって行われ、かなりの効果があったらしい。
活動資金をローブ氏と親しいテキサス州の富豪から得ていたというこの団体との関係を、
ローブ氏自身は否定しているというが信じるのは中々に難しいことだ。
ローブ氏のネガティブキャンペーンの特徴として、政敵の短所ではなく長所を攻撃し、本来評価されてしかるべきものを否定的なイメージに変えてしまうテクニックがある。
これと似たようなことを私たちも今年になってから何度か経験したような気もするが(例えば「確かな野党」をセクト主義にすり替えるデマとか)、動かぬ証拠があるわけでもないのだから実名を挙げるのは避けた方が賢明なのだろう。ねえ、山口先生。
(カール・ローブ氏についてはこちらを参照されたい。)
http://www.redcruise.com/nakaoka/?p=91
さて、山口先生は今回の参議院選挙の意義について次のように述べている。
>今回の参院選は、民主政治を守るという観点から見れば、60年安保に匹敵する重大な意義を持っている。(『週刊金曜日』6月29日号『岸信介のDNAと対決する時』)
>今月の参議院選挙は、まさに戦後政治の分水嶺となる重大な選挙となるに違いない。(『世界』8月号『戦後レジーム――脱却か発展か』)
正直、私の認識とはかなりのギャップがある。私の認識では、戦後政治の分水嶺は山口先生の活躍された「政治改革」であって、その後は底の見えない谷底に向かって転がり落ち続けているだけでしかない。時々ブレーキが効くこともあるが基本的には転落の一途である。
安部政権は、その転落の「結果」として存在していたのであって、「原因」ではない。従って、安部政権が倒れても「原因(国会の九割が自民・公明・民主の改憲派政党が占めるという状況)」がそのまま残っている限り明文改憲の危機は続いており、安心など出来る状況ではまったくない。従って、下の山口先生の認識に私は同意しない。
>参議院選挙の結果について、憲法改正や戦後レジームからの脱却という安倍晋三首相の目論見が完全に否定されたという点で、大きな意義があった。もちろん、自民党を拒否し、民主党を選択した民意の中身については吟味する必要があり、手放しで楽観できない。また、明文改憲の可能性は当分遠のいたが、米軍再編との関連で憲法や戦後体制を実質的に掘り崩す動きが続いている。
その意味では、戦後レジームに対する挑戦は続いている。これをどのような意味で継承し、どの点を変革するか、我々は考えなければならない。(2007年8月15日 フォーラムin札幌時計台 第2回セミナー:山口二郎「岐路に立つ戦後日本」)
(続く)
2007/09/13 3:20 AM posted by: 一宮城県民
テロ特措法延長問題での民主党小沢党首の発言を見てみよう。
>テロ特措法「衆院再議決は現実的には難しいと思う」 会見で代表
「自衛隊の活動を給油・給水に絞るとともに、現行法にある国会の事後承認規定は削除した新法をまとめる方針を政府・与党が固めたとされる点については、「これも報道で聞いただけ、伝聞で論評はできない」と前置き。そのうえで、「それとは別にして、我々が主張しているのはまさに日本国憲法のもとでどういう活動が許され、あるいは許されないのかということを言っている」と述べ、米軍の活動に対して、日本の自衛隊が支援するということは明白な集団的自衛権の行使にあたると指摘し、「政府の連中がいかに詭弁を弄してもおかしい話だ」と語った。同時に、「自衛権の行使は我々が直接攻撃を受けたとき、あるいはその恐れがある周辺事態についてのみ」だとして、専守防衛の原則に基づき、わが国の平和と安全を直接的に脅かす急迫不正の侵害を受けた場合に限って、憲法第9条に則り、行使するものだと説明。「それが民主党のマニフェストに示された主張でもある」と語った。」
(民主党HP 2007/09/11 テロ特措法「衆院再議決は現実的には難しいと思う」 会見で代表)
http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=11776
「米軍の活動に対して、日本の自衛隊が支援するということは明白な集団的自衛権の行使にあたる」とは、何と明快なテロ特措法批判だろう。思わずファンになってしまいそうだ。
>自衛隊、「国連決議あれば派遣」 小沢氏、独首相に語る 2007年08月30日13時48分
民主党の小沢代表は30日午前、都内のホテルでドイツのメルケル首相と会談し、次の臨時国会で焦点となるテロ対策特別措置法と関係するアフガニスタン情勢について議論した。
小沢氏はドイツが参加している北大西洋条約機構(NATO)主導の国際治安支援部隊(ISAF)に言及し、「ISAFのようなものには、政権を取っていれば積極的に参加すべきだと思う」と述べた。
小沢氏は、テロ特措法に基づく海上自衛隊のインド洋での給油活動の延長には反対する一方、明確な国連決議に基づく活動に対しては、自衛隊を派遣する余地があるとの原則論を改めて示したものだ。民主党はテロ特措法について、米国などがアフガンで進める反政府勢力タリバーンの掃討作戦を後方支援する役割を持つ給油活動の代わりに民生支援を進める独自の対案をまとめる方針だ。
会談では、メルケル首相が「できるだけ多くの国が国際テロの問題に関与すべきである。ドイツでもいろいろ議論があったので、
日本にも議論が必要なことはよく理解しているが、国際社会で活動をするうえで、より重い責任を負わなければならない」と語った。
これに対し、小沢氏は「全面的に賛成だ。軍隊の派遣については、原則がはっきりしていなければならない。
国連がオーソライズ(承認)したものについては積極的に関与すべきだと思うが、日本の最大の問題点は、軍事力を海外に派遣する原則がないことだ」と語った。
(自衛隊、「国連決議あれば派遣」 小沢氏、独首相に語る asahi.com 2007年08月30日13時48分)
http://www.asahi.com/politics/update/0830/TKY200708300199.html
ところが一転、こちらでは集団的的自衛権の行使をあっさり容認している。
憲法は国連の決議があろうが、国際社会の合意があろうが、集団的自衛権の行使を禁じているのだが。これでは、安部総理の解釈改憲(山口先生のいう「解釈壊憲」)と何も違わない。
(続く)
2007/09/13 3:28 AM posted by: 一宮城県民
国際治安支援部隊(ISAF)が、アフガニスタンでどんな活動をしているのか幾つかご紹介しよう。
>「NATO軍がアフガニスタン南部を空爆、住民25人が死亡」(AFP BBNews 2007年06月23日 01:45 発信地:カンダハル/アフガニスタン)
【6月23日 AFP】北大西洋条約機構(NATO)主導の国際治安支援部隊(ISAF)が22日未明、南部へルマンド(Helmand)州を空爆し、女性9人と幼児3人を含む住民25人が死亡した。現地の警察当局が発表した。
ISAFは、同州で攻撃を受けたISAFの部隊による空からの援護要請を確認。一方で、「少数」の民間人が犠牲になったとの報告については調査中だとした。
同州の警察当局はAFPに対し、イスラム原理主義勢力タリバン(Taliban)によるISAFの車列への攻撃後、空爆が実施されたと語った。また車列への攻撃は村の居住地区から行われたという。空爆は深夜0時過ぎに始まり、タリバンの武装勢力約20人が死亡している。
同警察当局によると、NATOの空爆で住宅2、3棟が爆破され女性9人と生後6か月から2歳の子ども3人を含む25人が死亡しており、また村のモスクの指導者も犠牲になったという。
空爆が行われた村は、ラシュカルガー(Lashkar Gah)の北約30キロのGereshk地区に位置しており、警察当局によると遺体は未回収で放置されたままだという。死亡した武装勢力の人数は現地の警察と住民からの情報で、その遺体は仲間が持ち去ったと見られている。
ISAFは空爆の標的を武装勢力30人あまりが占拠するタリバンの施設とし、そのほとんどが死亡したと発表している。(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2243135/1714663
>「NATOの国際治安支援部隊が、12歳の少年を射殺 - アフガニスタン」(AFP BBNews 2007年03月24日 15:07 発信地:アフガニスタン )
【カブール/アフガニスタン 24日 AFP】北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization、NATO)主体の国際治安支援部隊(International Security Assistance Force、ISAF)が22日夜、民間人の少年1人を射殺したことを認めた。
死亡したのはZaryalaiさん(12)。国内では国際部隊が関連する民間人の死亡が相次いでおり、新たな事例が付け加えられる形となった。
翌23日には息子を亡くして取り乱す父親が、死亡した少年の埋葬を行った。
(続く)
2007/09/13 3:30 AM posted by: 一宮城県民
■食い違う証言
ISAFは射殺の理由について「自己防衛のため」と説明している。民間人のトラックが口頭による警告を無視して、故障した装甲車の周囲に巡らされた警戒線に近づいたため発砲したという。
内務省はISAFによる少年の殺害を確認し、次のように語っている。「少年を乗せた車は明らかに部隊を追い越そうとしていたか、おそらく部隊に近づき過ぎたのだろう」
だが、死亡した少年の父親、Zemaraiさんは追い越しについて否定する。銃撃を受けた際、Zemaraiさんは家族を訪問した帰りで、
親族7人を乗せた車を運転していた。Zemaraiさんによれば、一族を乗せた車は部隊から数百メートル離れた場所を走行しており、照準を合わせる前に行われるはずの威嚇射撃にも気がつかなかったという。
「突然われわれの車をめがけて発砲してきた」とZemaraiさんは怒りをあらわにする。最初の3発は車体に当たり、4発目が12歳の息子の側頭部に命中した」若くして命を落としたZaryalaiさんの葬儀に訪れた参列者の泣き声が響く中、Zemaraiさんは声をつまらせて銃撃時の様子を語った。
撃たれた少年がまったく声を上げなかったため、父親は車を止めるまで息子が死亡していることに気がつかなかったという。
事件が発生したのは首都カブール(Kabul)から伸びる東側の道路で、外国部隊が頻繁に使用するために市内で最も多くの自爆テロが発生している地域だ。
同様の事件によって多数の民間人が犠牲になった後、自爆テロを警戒する部隊はメディアや自動車に貼付けた警告を使用して、一般の自動車向けに「軍の車に近づかないように」との呼びかけを行っていた。
■相次ぐ民間人の死亡
一方で、ISAFは22日夜、同部隊の車列が東部コースト(Khost)で子どもをはね、死亡させたとの声明を発表した。
ISAFによれば事故にあった子どもは道の脇から飛び出してきたという。
カブールで発生した銃撃の後ISAFは「民間人が死傷していることについて深く遺憾の意を表する。
明確な警告にもかかわらず被害者を乗せた車が停止しなかった理由は不明で、現在詳細な調査を実施している」との声明を発表した。
2007年に入り、国際部隊によって民間人が殺害される悲惨な事件が続いているが、3月4日には東部の都市ジャララバード(Jalalabad)付近で米軍部隊が自爆テロ発生後に8人の民間人を射殺する事件が発生している。
米軍部隊は「民間人は自爆テロと、その後の銃撃によって死亡した」と主張するが、目撃者は「全員が米軍部隊によって殺害された」と証言している。同事件に関する調査結果はまだ公表されていない。
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2200389/1448274
(続く)
2007/09/13 3:34 AM posted by: 一宮城県民
>「アフガニスタン駐留兵の「問題行為」に、衝撃を受ける政府 - ドイツ」(AFP BBNews 2006年10月26日 15:18 発信地:ドイツ)
【ベルリン/ドイツ 25日 AFP】アフガニスタンに駐留中の独軍兵士が、頭蓋骨を手にふざけている写真が、25日付の独大衆紙「ビルト(Bild)」に掲載された問題で、アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相は同日、厳しい処置をとると約束した。Thomas Steg政府報道官は、「首相は、写真を見て衝撃を受け、気分が悪くなったと語った」と述べ、同首相は軍首脳部に対し厳罰をもって処するよう要請したと付け加えた。
■「頭蓋骨」をもてあそぶ独軍兵士
問題の写真は、NATO主導の国際治安支援部隊(ISAF)に参加している独軍兵士4人が、戦利品よろしく頭蓋骨を掲げているもの。
「ビルト」によれば、写真は2003年3月に撮影されたものだという。写真の中には、「独国旗とISAFの文字が記された警備車両の前部に、兵士が頭蓋骨を引っかけているもの」や、「迷彩服と防弾チョッキを着用した兵士が、頭蓋骨を露出した性器に近づけているもの」などがあった。
ビルトによると、この頭蓋骨はカブール(Kabul)郊外の砂利採掘場で、巡回中に兵士らが見つけたものだという。しかし、国防省は声明で、カブール南部の墓地から、風雨で露出したものを持ち出した可能性もあるとしている。
国防省はすでに内部調査を開始し、兵士2人を事情聴取したと発表。Wolfgang Schneiderhan連邦軍参謀長は、記者会見で、
「事情聴取を受けたのは予備役兵1人と下級士官1人で、2人とも南部バイエルン州のミッテンワルト(Mittenwald)基地に所属していた。
1人は今も現役の兵士で、もう1人はすでに退役している」と語った。また、同参謀長は、2人の内の1人は掲載された写真を見て、自ら名乗り出てきたとも述べた。
■国内や軍内部からも、批判が続出
フランツ・ヨゼフ・ユング(Franz Josef Jung)防衛相は報道陣に対し、「写真を見て不快感と当惑を感じた」と発言。「独軍兵士によるこのような振る舞いは、許されない。我々が連邦軍兵士に求めている価値観や行動規範に反する行為だ。このような人物が独連邦軍に在籍する余地はない」として、この件に関係した兵士を軍から追放する可能性もあると警告した。
ポツダム(Potsdam)州検察当局は、「死者の平穏を乱した罪」で、この問題を刑事事件として捜査を開始したと発表した。
また、独の有力な兵士組合のBernhard Gertz組合長は、これらの写真を米軍によるイラク・アブグレイブ(Abu Ghraib)刑務所の収容者虐待と比較し、「どちらの事件も、人間の尊厳に対する配慮が欠けていることを意味している。独軍にとって大きな痛手だ」と語った。
■今後のアフガニスタン駐留軍への影響は?
アフガニスタンに詳しい、ボンの開発研究センター(Centre for Development Research in Bonn)のConrad Schetter氏は、「イスラム教徒にとって、遺骨を冒とくする行為以上に、許し難い行為は、まずないだろう」と述べ、今回の事件により、イスラム諸国に展開する独軍への攻撃が激化する危険を指摘する。
独内閣は、事件が発覚する数時間前に、米軍主導のテロ掃討作戦「不朽の自由作戦」(Operation Enduring Freedom)へ、兵士の派遣を12か月延長すると決定したばかり。活動を激化させているタリバン(Taliban)に対抗するため、アフガニスタンへの特殊部隊(KSK)展開も検討されていた。国防省では、1994年以来となる「国防白書」を発表し、国際平和維持活動へのより積極的な参加をめざしていた矢先だった。
ドイツは現在、アフガニスタンに展開する多国籍軍中、2番目に多い2750人を派遣し、北部でのISAF指揮権を預かっている。
連邦議会下院は9月に、アフガニスタンへの派兵を2007年10月まで延長すると議決を採択した。
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2131115/1019269
(続く)
2007/09/13 3:37 AM posted by: 一宮城県民
こんなものに参加するなら、テロ特措法を延長してインド洋で給油を続ける方が余程マシなのではとすら思える。
もちろん、理由や思惑が何であれ民主党がテロ特措法延長に反対する事自体は歓迎すべき事であり、評価もできる。
ただ、度を超した小沢氏賛美にまで行き着くと後々痛い目に遭う危険性が高いので注意が必要だ。
現在護憲派が陥っているのは、正に前門の虎後門の狼状態である。
小沢民主党と協力するということは、虎の口の中に頭を突っこむようなもの、瞬時も気を抜かない警戒心が必要だ。
>1994年の自民、社会、さきがけの三党連立による村山政権の誕生は、本来の意味の解釈改憲を担った自民党ハト派と旧来の護憲派たる社会党の提携の所産であった。あの時は、当時の新生党・新進党を率いた小沢一郎氏が日米の防衛協力に積極的であったことに危機感を持ったハト派が、専守防衛や解釈改憲の枠組みを守るために、自社連立という大技に出た。(『安倍流憲法論議の危うさ』週刊東洋経済5月19日号)
この自社連立への評価は私にはあまり納得できないが、今はそのことは棚上げにして話を進めよう。
山口先生の理解によれば、社会党が政権から離脱するほどの危機感を抱いたというタカ派の小沢一郎氏が、「小沢が失脚すれば民主党は右よりの路線を取るに違いない。そうすれば、憲法改正に向けて翼賛体制ができるというシナリオも決して誇張ではなくなる(『安倍流憲法論議の危うさ』)」と、まるで憲法の守護者の如き評価に変わり(しかも同じコラムの中で!)、更には「むしろ、小沢は今こそ権力への意志を明確に示し、自らが政権の最高指導者としてどのような日本を作っていくのか、はっきりと言葉を出すべきである
(『参院選と政局の行方』週刊東洋経済7月28日号)」と言われるまでに山口先生から期待されるに至っている。
何を根拠にそこまで評価が一変したのか是非とも訊いてみたいものだ。
護憲派が与党との対決姿勢や政権交代という夢に幻惑され、平和憲法を空洞化しようとする動きに対して批判的姿勢を失ってしまうならば、憲法の未来は危ういものになるだろう。
次いで、憲法審査会について。
>憲法審査会:衆参両院で開けず 改憲論議凍結の様相
「参院選の自民党惨敗のあおりで憲法改正の前提となる衆参両院の憲法審査会が開けない状態となり、安倍晋三首相が目指す改憲論議に「しばり」がかかっている。安倍政権の弱体化を見越し野党が「首相が代わらない限り、審査会には参加しない」(民主党幹部)との姿勢を維持しているためだ。
与党は秋の臨時国会で審査会開催に協力を呼び掛けるが、野党は応じない方針。国会での憲法論議は当面、凍結状態が続きそうだ。」
「野党は「国民投票法は与党の強行採決で成立した。審査会の運営を議論する環境にない」(高木義明・民主党国対委員長)と主張しており、先の臨時国会は委員も決めないまま閉会した。」
「与党だけで国民投票法の成立を急いだことが、逆に改憲論議の足かせになるという皮肉な構図となっている。【須藤孝】」
(MSNニュース 毎日新聞 2007年8月22日 21時08分)
民主党の不参加の理由が改憲そのものに反対なわけではなく、国民投票法案の強行採決への反発でしかないことに注意したい。そして、「首相が代わらない限り、審査会には参加しない」ということは、「首相が代わりさえすれば参加できる」という事である。
(続く)
2007/09/13 3:39 AM posted by: 一宮城県民
「与党だけで国民投票法の成立を急いだことが、逆に改憲論議の足かせになるという皮肉な構図」を生み出したとされる安部政権による国民投票法案の強行採決であったが、その主な目的は憲法問題を参院選の争点に押し出すことにあったのだろう。
今回実際にある程度そうなったように、憲法問題を選挙の争点にすることには、民主党の反発を受け実際の改憲手続きに支障をきたす危険が付きまとう。
本当に安部総理が自分の任期中に改憲を果たそうと思うなら、憲法問題の争点化は無闇に乱発できないカードなのである。
改憲発議には国会で三分の二以上の賛成が必要である。現在、与党は衆議院で三分の二を超える議席を得ているが、これは郵政選挙の例外的な大勝の結果であり、改憲発議が可能になるより前に任期が切れる。次回の総選挙ではまず間違いなく議席を減らし三分の二を下回るだろう。
更に今回の参議院選挙は、小泉ブームでの大勝で実力以上に膨らんだ議員達の改選、しかも自民党が伝統的に苦手としている統一地方選挙後の参院選であり、予め議席減が予想されていた。
与党単独で国会の三分の二以上の議席を獲得するなど到底不可能であることは、安部総理も間違いなく認識していたはずであり、改憲のためには民主党との協調が不可欠であることも十分承知していたはずである。
それにも関わらず、今回の参院選で憲法問題を争点化したのは、三年後の改憲発議までに充分な冷却期間が確保でき、その間に民主党との協調態勢をととのえることが可能であると判断したからであろう。
改憲発議までの時間を考えると、今回の選挙が自民党が憲法問題を争点化しうる最後のチャンスであったのかも知れない。
自民と民主が改憲発議のために共闘するのに、別に大連立をする必要はない。単に、選挙の争点にすることを両党が避け、棚上げにしてしまうだけで充分である。
ほとんどの小選挙区において当選を狙えるのは自民と民主の候補者のみであることを考えれば、両党が連めば、国民が改憲の是非について国政選挙で賛否を明らかにする機会は事実上永久に失われることになる。
今回の民主党による憲法審査会への不参加は、自民に向けた「憲法問題を争点にするな」という合図であり、自民側もその合図を過たずに受け止めるだろうと私は思っている。
民主党は今回の参院選で憲法問題を争点化することを避け続けたし、今後も避け続けるだろうと思う。
そして、そうなれば民主系列のメディアも学者も避けるだろう。それに自民党と系列メディアも加わって、世論の注目を集めることもなく水面下で淡々と改憲への準備が進む。そういう事態を私は危惧している。
三年というのは物事を忘れるのに充分な時間である。三年前、民主党は自民党と新自由主義の旗をどちらが奪い取るのかを争っていた。その民主党が格差を批判し、生活重視を叫ぶことがさしたる違和感もなく受け容れられている。
メディア、特にテレビの新しい情報を上書きすることによって古い記憶を抹消してゆく能力には著しいものがある。三年どころか、一年あれば記憶の上書きには充分な時間であろう。
(続く)
2007/09/13 3:42 AM posted by: 一宮城県民
「ますます進むメディアの系列化」
現在、日本のメジャーメディア(テレビ、全国紙)には自民、民主と系列関係のない独立系メディアがもうほとんど存在していない。
例として、安部改造内閣に対する各メディアの世論調査を見てみよう。
「改造内閣支持33%」「不支持は53%」(朝日新聞社)
「内閣支持33%、不支持52%」(毎日新聞世論調査)
「内閣支持率38%に回復」「不支持は42.9%」(産経・FNN世論調査)
「改造内閣支持率40・5%」「不支持率45・5%」(共同通信世論調査)
「安倍内閣支持率41%」「不支持率は23ポイント低下の40%」(日経世論調査)
「改造内閣支持率44・2%」「不支持率は36・1%」(読売新聞)
支持率では最低の朝日・毎日と最高の読売との差が11.2ポイント、不支持率では最高の朝日と最低の読売との差は16.9ポイントにもなる。
朝日・毎日では不支持率が支持率を20ポイント前後も上回り過半数を超えているのに対し、日経・読売では支持率が不支持率を上回っている。
とても同じ内閣に対する調査とは思えないくらいで、しかも、一般的に自民党と近いといわれているメディアの数字は支持率が高く、遠いとされるメディアは著しく低い。
これらの数字を見て知ることが出来るのは、世論の実態ではなく各メディアの自己の属する党派への忠誠心でしかない。
日本のメディアは党派心に毒されて死んだのか、とすら感じる程だ。(個人的には、「回復」と言いつつ数字は控えめな産経・FNNあたりに信憑性を感じるが)
これからは、投票日直前に発表される支持率調査などは眉にツバをつけながら読む必要がでてきそうだ。
元々、世論調査は設問の仕方でかなりの程度結論を誘導することも可能で、調査する側の中立性が必須なのだが、ここまでメディアの中立性が怪しくなると信用のしようがない。
今後もこの調子だと、山口先生推奨の世論調査の支持率に基づく戦略的投票もずいぶんと難しいものになりそうだ。
私の認識では、現状日本のメジャーメディアには、読売・産経という自他共に認める改憲派はいても、それに相当するような護憲派は存在していない。朝日も毎日も、せいぜい護憲派寄りという程度であろう。
そして、この護憲派寄りのメジャーメディアは民主の系列メディアとほぼ重なっている。
これらのメディアが護憲と政権交代の二者択一を迫られた場合に、護憲を選ぶ可能性はかなり低いと私は思っている。
今回の選挙の結果現れるであろう憂慮すべき現象は憲法問題のマイナー化である。今後、メディアで論ぜられるのは専ら「政権交代」となるだろう。
そして、民主党の系列メディアでは、民主党に不利な議論を封殺しようとする動きが強まるだろう。
憲法問題で民主党の批判などしようものなら自民を利する利敵行為として叩かれるだろう。
前述したように護憲派寄りメディアと民主党系列メディアはほぼ重なる。今後は、護憲派寄りメディアが憲法問題を論ずることを自ら封じ、専ら民主党の広報活動を務めるという状態が一般化する危険性がある。
(続く)
2007/09/13 3:44 AM posted by: 一宮城県民
かつての政治改革騒動で私は、時として学者やジャーナリストは政治家よりも当てにならない胡散臭い存在になるということを学んだ。
政治改革を扇動しておいて、それが無惨な破綻に終わるやいなや態度を豹変させる。かつて新自由主義を礼賛したおきながら、今では格差を声高に批判する。こうした輩が何処よりも多いのがメディアの世界である。
護憲寄りメディアやその周辺の人物の中には、これまでの成り行きで護憲派に属してはいるが、本音ではもう憲法などどうでもいいと思っている人物も少なからずいるだろうし、そうした人物にとって政権交代は、転向を隠匿し正当化する便利な隠れ蓑になるだろうと私は思っている。
メジャーメディアと異なり、少部数の雑誌メディアの中には明確な護憲派が存在している。代表格は『週刊金曜日』と『世界』であろう。メジャーメディアが揺らぐ中、両誌に期待される役割はますます重い。
そして、この二誌において、山口先生ほどに頻繁に発言している政治学者は他にいない。
はたから見れば日本を代表する護憲派の論客と見られても不思議ではないくらいだ。
その山口先生の憲法を巡る発言に何か問題があったとしたなら、それは護憲派にとって見逃すことができない問題であろう。
今回、私は『緊急提言』(『マガジン9条』3月21日UP)以降の山口先生の発表した
ここで閲覧可能な参院選に関わる全ての文書を読み返してみた。
正直、大変な作業で心身共に随分と消耗したが(お陰で投稿がこんなにも遅れた)、その結果一つの発見をした。
実は今回、私は山口先生に謝らなければならないことがある。
「知性を信じると意図が疑わしく、意図を信じると知性が疑わしくなる」。これが山口発言の特徴なのであるが、これまで私は知性の方を疑いがちであった。しかし、今回、その認識を改めた。山口先生は私が思っていたよりもずっと政治に長けているようだ。
>『もはや「右」にスライスしすぎてOBだ』
安倍首相はわが国の核武装を提唱した閣僚や党幹部たちを、そのまま見逃している。歴史問題などをめぐっても、まさに「右」のスタンスだ。安倍首相が憲法を改正したい目的が、第9条そのものにあることも明らかだ。
このような右傾化の言動が顕著になれば、かつてならば国会審議は間違いなく紛糾していた。それどころか、自民党の中からでさえ、
異議や批判が噴出した。だが、安倍首相が舵を思いっきり「右」に切りつつあるのに、自民党も国会も実に静かだ。国民がよくよく考え、納得しているのであれば、まだいい。だが、単に勢いに任せ、ドンドン「右」に進むことは危険すぎないか。ゴルフでいえば、安倍首相の放ったボールはすでに大きく右に逸れ、隣のフェアウェイに向かっている。
これは国民新党のHPのコラムから引用したものだが、政治家の書く文章としてまことに良くできている。
一見、安部政権の右傾化を厳しく批判しているような印象を与えるが、それに対して自分たちがどのような立場をとっているのかは、
上手くはぐらかしている。
「安倍首相が憲法を改正したい目的が、第9条そのものにある」。といいながら、それに反対とも賛成ともいってはいない。
安部政権に批判的な読者に対して好印象を与えながら、何の言質も与えない。さすがである。
私は山口先生も、こうした文章を書く能力があり、それを存分に発揮していたことを知った。
今回は、量的にあまりに膨大になるため、全ての文書について言及することは残念ながら諦めざるを得なかった。やむを得ず、いくつかのポイントになるものについてのみ記すことにする。
(続く)
2007/09/13 3:47 AM posted by: 一宮城県民
「安部流解釈改憲について」
まず最初に、憲法問題について整理しておいた方がいいだろう。
安部政権は明文改憲と同時に、現行憲法のままで集団的自衛権の行使を可能にするという解釈改憲を追求している。
もちろん、そうした解釈改憲は言語道断のことである。
しかし、国民投票法案を強行採決し、自民党のマニュフェストのトップに改憲を掲げていることからも明らかなように、今回の参院選において争点としていたのは、国会での改憲発議と国民投票を経て初めて実現する明文改憲であって解釈改憲ではない。
解釈改憲も危険だが、明文改憲はそれ以上に危険で許してはならないのは言うまでもないことである。
例え安部流解釈改憲を阻止しても、明文改憲が成されてしまえば何の意味もない。
山口先生は、この安部流解釈改憲について警鐘を鳴らすことに特に熱心なようで(それは大変良いことだ)、明文改憲について語るよりもずっと頻繁なくらいである。しかも一見明文改憲について論じているように見える文章でさえ、実際には安部流解釈改憲について論じている場合すらある。
安部総理の今年1月の通常国会での所信表明演説によれば、「いかなる場合が憲法で禁止されている集団的自衛権の行使に該当するのか、個別具体的な類型に即し、研究を進め」るということであり、憲法が集団的自衛権の行使を禁じていることは一応認めた上で、どのような例外があり得るのか研究するということらしい。集団的自衛権の行使を完全に解禁するわけではなく、明文改憲に比べれば制約されたもので、具体的には以下の四類型を可能とすることを目指しているとされる。
(1)米国など日本以外の国に向かう可能性のあるミサイルの迎撃
(2)国連平和維持活動(PKO)で自衛隊と共に行動する外国部隊が攻撃された際の応戦
(3)公海上の米軍などの艦船が攻撃された場合の海上自衛隊による反撃
(4)有事の際の米軍への武器輸送などの後方支援
(2007年4月26日(木)「しんぶん赤旗」より)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-26/2007042601_01_0.html
この安部流解釈改憲について山口先生は、『安倍流憲法論議の危うさ』(週刊東洋経済5月19日号)において大変語気強く批判している。
>今回安倍政権が目指しているのは、この枠組みを壊すことであり、九条の解釈ではなく、九条からの飛躍である。
解釈改憲ではなく、解釈壊憲である。有識者懇談会の検討事項の中には、国際的な治安維持活動の際の武器使用など、従来の日本の方針を再検討すべき項目も含まれている。
しかし、それはあくまで飾りである。本当のねらいは、安倍首相の訪米中の言動に表れたように、日米同盟を強化するために米軍と一体となって武力行使をするための集団的自衛権の正当化である。
それは解釈の変更ではなく、戦後日本の安全保障の枠組みを変更する憲法改正そのものである。
>そもそも憲法とは、権力者がしたくてもしてはならないことを明示するためにある規範である。
首相が気に入った取り巻きをあつめて私的な諮問会議を作り、そこで議論したという程度の権威付けによって実質的な憲法改正ができるというなら、日本の立憲主義は終わりである。
(続く)
2007/09/13 3:49 AM posted by: 一宮城県民
この山口先生の批判はあまり的を射ていないように私には思える。
「米軍と一体となって武力行使をするための集団的自衛権の正当化」というが、今回の四類型が認められたとしても、自衛隊がイラクで英軍のように米軍と共に戦闘を行うといったことを可能にするとは思えない。
むしろ、この四類型は現状の追認という性格の強いものだ。一類型ごとに具体的に検討してみよう。
(1)米国など日本以外の国に向かう可能性のあるミサイルの迎撃
現在でもテロ特措法に基づいてインド洋に派遣されている自衛艦のレーダーが得た情報が米軍に提供されている(というより、データリンク・システムがあるのだからリアルタイムで共有されているはず)。
弾道ミサイルの発見をアメリカの早期警戒衛星に依存していることや、弾道ミサイルの迎撃に使える時間が極めて短いことを考えれば、技術的理由だけからしても両国のシステムの一体化と情報の共有はまず不可避で、自衛隊のレーダーで得た情報を元に米軍が迎撃するといったことはごく普通に行われるはず。
また、この種の迎撃システムに誤射は付き物であり(米軍のイージス艦がイランの旅客機を撃墜したこともある)、日本上空を通過してアメリカに向かうミサイルを自衛隊が誤って迎撃するといったことも極めてありそうなことである。
(2)国連平和維持活動(PKO)で自衛隊と共に行動する外国部隊が攻撃された際の応戦
元陸上自衛隊イラク先遣隊長の佐藤正久議員が、TBS系報道番組で次のように発言したという。
>佐藤議員は自衛隊とオランダ軍が近くで活動中に、「オランダ軍が攻撃された場合、何らかの対応をやらなかったら、自衛隊への批判はものすごいと思う」とした上で、「駆けつけ警護」についてこう語りました。
「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。
(略)日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれる」(2007年8月17日(金)「しんぶん赤旗」)
友軍が攻撃を受けた場合に応戦しようとするのは自衛官としてはともかく、軍人としては一般的な反応だろう。
佐藤議員の場合は言語道断の確信犯だが、そうでなくても本当に偶発的に巻き込まれることも当然あり得るはずで、戦地に自衛隊が送り込まれる限り、こうしたことを避け続けるのは難しい。
巻き込まれたのが意図的なのか偶然なのかを判断することは難しく、現場指揮官が口を噤めば真相究明は極めて困難であろう。
自衛隊の海外派遣自体を禁止する以外に抜本的な対策はない。
(続く)
2007/09/13 3:51 AM posted by: 一宮城県民
(3)公海上の米軍などの艦船が攻撃された場合の海上自衛隊による反撃
イスラエルによるレバノン攻撃の際ヒズボラが放ったという二発の対艦ミサイルは、一発はイスラエル軍艦船に、もう一発は付近を航海していたカンボジア船籍の貨物船に命中した。
現代の対艦ミサイルは一種のロボットであり、何らかの妨害手段などで目標をいったん見失っても飛行を続けながら索敵し、敵と思しき目標を見つければそれを攻撃する。航続距離が100キロを超えるものも珍しくない。
要するに、水平線に隠れて見えないくらい離れている米艦に対する攻撃のとばっちりを自衛艦が受けることもあり得ないわけではない。
飛行してくる航空機やミサイルが自衛艦でなく、米艦に向かっていると確認することも簡単なことではない(ミサイルは索敵時には目標を探すために進行方向を変えながら飛行する)。
米艦に対する攻撃を自衛艦に対する攻撃と誤認して自衛のための反撃をすることはあり得る。また、レーダーやソナーで得た情報はデータリンクでリアルタイムで共有されているはずで、自衛艦からの情報に基づいて米軍が反撃することは普通にあるだろう。
(4)有事の際の米軍への武器輸送などの後方支援
テロ特措法に基づくインド洋派遣では有事の米軍に燃料を補給し、イラクでは武装米兵を空輸している。
何を今更である。
要するに、この四項目は集団的自衛権の行使を違憲とする従来の解釈改憲の範囲内で積み上げられてきた既成事実を追認するものでしかない。
小泉政権時の自衛隊海外派兵は、論理は滅茶苦茶だが、集団的自衛権の行使は違憲とする従来の解釈改憲の枠内で行われている。
山口先生は下のように従来の解釈改憲を評価しているが、私には従いがたい。
>解釈改憲とは、憲法9条と自衛隊・日米安保体制を整合的に位置づけるための論理である。
自衛隊は専守防衛のための実力組織であり、憲法九条の理念にもとづいて「必要最小限度」という縛りをかけられる。そのような自衛隊の手に余る事態については日米安保によって対処する。こうした論理は、九条を字義通り忠実に読む人にとってはまやかしであるが、九条の理念と安全保障の現実を両立させるために構築された、それなりに整合的な論理体系である。
解釈はあくまで憲法九条の枠内にとどまっていたため、この論理は戦後長い間日本の安全保障の基本原理となってきた。
その意味では、解釈改憲の論理は憲法を具体化する慣習でもあった。(『安倍流憲法論議の危うさ』週刊東洋経済5月19日号)
(続く)
2007/09/13 3:55 AM posted by: 一宮城県民
安部政権による解釈改憲を「戦後日本の安全保障の枠組みを変更する憲法改正そのもの」と言うが、「戦後日本の安全保障の枠組み」は、PKO派遣の辺りから崩れだしており(海外に派遣されるPKOが専守防衛なわけがない)、弾道ミサイル防衛とインド洋とイラクへの派兵によって既にガタガタになっている。
従来の解釈改憲の枠内で世界有数の実力部隊に成長した自衛隊は、PKO活動によって専守防衛の枠から解き放たれ始め、小泉時代の海外派兵によって集団的自衛権行使の既成事実を積み上げ、米軍との一体化を進めてきた。
山口先生も『戦後レジーム――脱却か発展か』(『世界』8月号)においては、「明文の憲法改正にはいたらないまでも、自衛隊の変質は小泉政権の下で着々と進んだ」と認めているように、解釈改憲においても、安部政権は「原因」ではなく「結果」なのだ。
「原因」である集団的自衛権行使の既成事実を取り除けない限り、「結果(安部流解釈改憲)」を阻止してもそれは一時凌ぎにしかならない。
そうこうしている内に、解釈ではなく明文改憲のための改憲発議が可能になる時が迫ってくる。国民投票法が5月18日に公布され、三年後には改憲発議が可能になる。
今回選ばれた参議院議員たちがそれへの賛否を明らかにすることが迫られるであろう状況で、明文改憲の是非を争点として押し出さない護憲派がいるだろうか。
ところが、山口先生はどうもそうでは無いらしいのである。
明文改憲よりも安部流解釈改憲に対する批判に注力するかに見える山口先生の姿勢は私には不可解である。
民主党小沢党首の「ISAFのようなものには、政権を取っていれば積極的に参加すべき」との発言を思い出して欲しい。
アフガニスタンのためには戦える自衛隊が、同盟国アメリカに向かう弾道ミサイルを迎撃できない、などと言う理屈が通用するはずがない。弾道ミサイルは国連決議が成立するまで空中で止まっていてくれるわけではない。
決議など無くても迎撃するに決まっている。いったん集団的自衛権行使の禁止という枠が外れたら、もう歯止めはない。
小沢氏の持論は、「明確な国連決議に基づく」こと以外に歯止めがない。一応四類型に限定している安部流解釈改憲より、むしろ危険性は強い。
小沢氏の、明確な国連決議に基づく活動に対しては自衛隊が参加できる、という主張もまた、集団的自衛権の行使を禁じた「九条からの飛躍であ」り、「解釈改憲ではなく、解釈壊憲である」。
もし、小沢氏が政権獲得後、こうした持論を実行に移すとすれば、「それは解釈の変更ではなく、戦後日本の安全保障の枠組みを変更する憲法改正そのもの」ということになる。
>そもそも憲法とは、権力者がしたくてもしてはならないことを明示するためにある規範である。
首相が気に入った取り巻きをあつめて私的な諮問会議を作り、そこで議論したという程度の権威付けによって実質的な憲法改正ができるというなら、日本の立憲主義は終わりである。
また、小沢氏が立憲主義を守りつつ、持論を実現しようとすれば、明文改憲をするしかない。もしかすると、政局だけでなく、改憲でも主導権は自民党から小沢民主党に移ったのかも知れない。
この小沢発言は8月30日のもので、当然の事ながら選挙前には山口先生も知らなかった。今後、山口先生がこの小沢氏の持論に対してどのような態度をとるのか、注目される。
(続く)
2007/09/13 3:58 AM posted by: 一宮城県民
『緊急提言』(『マガジン9条』3月21日UP)
http://www.magazine9.jp/saito/index2.html
まず、再読してみて内容以前に論旨の整理されていない酷い文章であることに改めて驚く。前半部分は、九条擁護を主旨とするはずの『マガジン9条』において、どういうわけか憲法が争点になってもいない都知事選について緊急提言がなされる、という極めて奇っ怪な文章であり、一方、後半部分は専ら来るべき国政選挙での民主党の売り込みに費やされている。
>私はみんなから民主党に甘いと言われますが、今の安倍政権を変えるには、現実的には民主党が権力を取るしかないのです。
これは『マガジン9条』での発言としてはかなり妙である。『マガジン9条』は九条の擁護を目的とするサイトであって、政権交代を目指しているわけではないはず。改憲発議阻止に必要なのは国会の三分の一以上であって過半数ではない。
必ずしも安部政権を変えなくても、九条を守ることは出来るし、民主党が政権を取っても九条が守られる保証があるわけでもない。
>参院選で自公過半数割れしたら、政党再編はありうることです。自民党はどうしても過半数を取るために、同じような考えをする民主党議員に手を突っ込んでくるでしょう。それはそれでいい。自民党の中からも、飛び出してくる議員がいると思います。こんな右よりの自民党はもう耐えられないと言って。その時は「憲法改正を軸とした政党再編」はありうると思う。そうなったらちゃんと、総選挙で国民に問えばいいんだと思う。
選挙後の議員の他党への移籍を「それはそれでいい」とは、私はまったく思わないし、大多数の国民も思わないだろうと思う。
有権者にしてみれば、議員の移籍に伴って支持してもいない党に自分の投票が流れていってしまうのだ。こんなことが横行するなら深刻な政治不信を招くだろう。
もちろん、そんなことは山口先生も百も承知のはずである。それを敢えて「それでいい」と主張するのは、この移籍によって民主党が護憲政党に純化し得るという印象を護憲派に与えたいからだろう。
しかし、実際にはそんなことは有り得ないのだ。民主党の改憲派と自民党の護憲派の交換は、民主党の議員数を壊滅的なまでに激減させることが確実だからだ。
>朝日新聞と東大蒲島研究室による2005年衆議院議員候補者アンケートによると、「憲法を改正すべきか」の問いに対し、自民党では「改正すべき」と答えた候補者が87.2%。「どちらかといえば改正すべき」を含めると97%にもなる。
一方、民主党はというと、「改正すべき」が46.3%。「どちらかといえば改正すべき」を含めて71.3%。
そして、「改正すべきでない」「どちらかといえば改正すべきでない」は、合わせても僅か17.3%。
上の文は以前私が7月18日の投稿で記したものだ。このアンケートは、2005年8月31日付けの朝日新聞に掲載されており、いくらなんでも山口先生が読んでいないとは考えられない。自民党の護憲派がほとんど存在しないのに対し、民主党の改憲派は少なく見積もっても約半数、多く見積もれば七割超。もしも、これを交換すれば民主党は良くて半減、悪くすれば二割以下まで激減する。まさに壊滅である。
山口先生は民主党のこうした実態を知った上で、改憲派の移籍によって護憲政党に純化することが可能ででもあるかのように書いている。
かなりの質の悪さである。
上のアンケートを見れば、民主党を護憲政党に純化することなど不可能だし、民主党による政権獲得が憲法を守ることを少しも保証しないことは誰にでも理解できるはずである。
このように、山口先生は改憲政党としての民主党の実態を充分に知った上で、護憲派に売り込んでいる。
(続く)
2007/09/13 4:01 AM posted by: 一宮城県民
また、この提言を掲載した『マガジン9条』の態度も不可解である。
この提言が山口先生が連載を持っている『週刊金曜日』でのものならば、山口先生が勝手に自説を述べただけと見なせなくもないだろうが『マガジン9条』には、山口先生の提言を掲載するいかなる義務もないはずである。
>「マガジン9条」は、これまで特定の政党とは距離を置くけれど、憲法9条を大事にしよう、という人や組織とは常に等距離で協力関係を保っていく、というスタンスでさまざまな意見を発信してきました。
(「今週のマガジン9条」7月11日)
http://www.magazine9.jp/kako_news/index3.php
『マガジン9条』は、少なくとも建前としては護憲の各政党や組織に対しては中立のはずであり、憲法が争点になっていない都知事選についての提言を掲載して、自らの中立性を損なうようなことは拒絶するのが普通のはず。
それにも関わらず緊急提言が掲載されたということは、都知事選に敢えて介入することについても、『緊急提言』の内容についても、
『マガジン9条』側の意向に沿っているか、少なくとも反してはいなかったが故に掲載されたと考えるのが自然であろう。
『緊急提言』の後半部分は専ら護憲派への民主党の売り込みであるから、『マガジン9条』側も護憲票を共産・社民などの護憲政党から、民主党へ移し替えることを「良し」としていたということになるだろう。
『マガジン9条』は、参議院選挙においては特定の候補者2名を推薦し、中立性をほぼ完全に放棄することになるのだが、もうこの段階でかなりそうした傾向が表れていたことに注意して欲しい。
>自分たちこそが「一番正しい護憲派だ」「あれはインチキな護憲だ」などという議論を絶対にしちゃいけない。それはあまりにもリアリズムの欠如です。いろんな護憲があっていいんです。
一見まっとうな主張に聞こえるが、実際には山口先生は「いろんな護憲」の存在を許さない。
>まず、基本は石原知事を辞めさせる、という大原則をみんなで確認をすることです。
山口先生は護憲派は、みな反石原だと決めつけてしまっている。しかし、石原氏の得票数、そして世論調査では九条を変えるべきではないと考える人が過半数を超えていることを考え合わせると、石原氏に投票している人の中には護憲派(九条を変えるべきではないとする人)がかなり含まれている可能性が高い。
>今の安倍政権を変えるには、現実的には民主党が権力を取るしかないのです。
同様に自民・公明の与党支持者の中にも護憲派はかなり存在しているはず。ことによると、護憲政党の支持者よりも何倍も多いかも知れない。「いろんな護憲があっていい」と言いながら、山口先生はこうした保守系・与党系の護憲派を丸ごと切り捨ててしまっている。
私は、国民投票で憲法を守れるかどうかは、この保守系・与党系護憲派をどれだけ取り込めるかにかかっていると思っている。九条の会が問題を九条擁護の一点に絞ることで、保守系・与党系の護憲派まで支持を広げようとしているのに対し、『マガジン9条』は保守系・与党系をバッサリと切り捨ててしまっている。これは大きな間違いだと私は思う。
憲法が争点となる国政選挙では、改憲を進める与党を批判しないわけにはいかない。しかし、憲法が争点となっていない自治体首長選挙で、『マガジン9条』が闇雲に特定候補や与党を攻撃するべきではない(そうしたことがしたいのなら別のメディアですればいい)。
ましてや、都知事選挙に際しての提言で「民主党が権力を取るしかない」などと主張するなど論外である。
この『緊急提言』は、保守系・与党系の護憲派を排除し、さらに、護憲政党の支持者の中にまで分裂を持ち込むもので、極めつけに有害なものだ。
このように、山口先生はもちろん、掲載した『マガジン9条』も、護憲運動をしたいのか、それとも選挙運動をしたいのかが問われる『緊急提言』の掲載であったが、後に参院選で『マガジン9条』が、複数の護憲派候補の中から特定候補だけを選んで推薦したことを考えれば、残念ながらやりたかったのは選挙運動の方だったのだろうと考えざるを得ない。
(続く)
2007/09/13 4:02 AM posted by: 一宮城県民
『試される憲法』(東京新聞 2007年4月30日)
http://yamaguchijiro.com/?page=1&month=200705
>湾岸戦争後の一九九一年に初めて「創憲」を提唱しました。国連平和維持活動(PKO)への参加や非核三原則、武器禁輸などの原則を新たな条文として追加し、専守防衛に徹してきた平和的な国家像を守るのが狙い。
「非武装中立」など非現実路線を続けても政権交代は起こせないし、自衛隊の意義と限界を憲法に明記して初めて、PKOなど国際舞台での軍事面を含む貢献ができると考えたからです。
しかし、九〇年代後半以降、日米安保条約が変質を続け、9・11テロ後の米国が身勝手な軍事行動を繰り返す中で、九条を変え、
自衛隊を本当の軍隊にして集団的自衛権を認めるのは得策ではない、と考えを改めました。
かつて「創憲」を提唱した動機が、「「非武装中立」など非現実路線を続けても政権交代は起こせない」から、というのはさすが山口先生としか言いようがない。
まるで、「健康のためなら死んでもいい」とでもいうような突飛な発想には改めて驚かされる。
以前述べたように、公正な選挙が行われ国民が望めば政権交代は行われるのであって、政権交代のために憲法を弄ろうとする発想が異常である。
「非武装中立」の主張が非現実的というなら、社会党が改めればいいのであって、どうしてそこから憲法を変えるという発想になるのか理解できない。
本来手段であるはずの政権交代が、憲法を変えてまで行うべき究極の目的となってしまう山口先生の考え方が現在も続いているとすると、山口先生は政権交代のためならどんなことでもやりかねないと戦慄をおぼえる。
後半部分はまともな内容なだけに、前半の異様さが際立つ。まるでサイコスリラーのようである。
(続く)
2007/09/13 4:06 AM posted by: 一宮城県民
『安倍流憲法論議の危うさ』(週刊東洋経済5月19日号)
http://www.yamaguchijiro.com/?eid=572#comments
>政局を展望する前に、現在の憲法論議についての疑問を述べておきたい。安倍政権は国民投票法を制定し、正面から憲法改正の体制を整備しようとしている。
同時に、首相に近い学者、官僚OBなどを集めて、集団的自衛権を考える有識者懇談会を発足させ、従来の政府解釈を変更するという裏口からの改憲を図っている。正面から改憲を提起するのは政治家の自由であるが、裏口からの改憲は憲政を破壊し、ひいては憲法に対する国民の信頼感を揺るがせる結果につながる。
ここで解釈改憲という言葉について振り返っておきたい。解釈改憲とは、憲法9条と自衛隊・日米安保体制を整合的に位置づけるための論理である。自衛隊は専守防衛のための実力組織であり、憲法九条の理念にもとづいて「必要最小限度」という縛りをかけられる。
そのような自衛隊の手に余る事態については日米安保によって対処する。
こうした論理は、九条を字義通り忠実に読む人にとってはまやかしであるが、九条の理念と安全保障の現実を両立させるために構築された、それなりに整合的な論理体系である。
解釈はあくまで憲法九条の枠内にとどまっていたため、この論理は戦後長い間日本の安全保障の基本原理となってきた。その意味では、解釈改憲の論理は憲法を具体化する慣習でもあった。
今回安倍政権が目指しているのは、この枠組みを壊すことであり、九条の解釈ではなく、九条からの飛躍である。解釈改憲ではなく、解釈壊憲である。有識者懇談会の検討事項の中には、国際的な治安維持活動の際の武器使用など、従来の日本の方針を再検討すべき項目も含まれている。
しかし、それはあくまで飾りである。本当のねらいは、安倍首相の訪米中の言動に表れたように、日米同盟を強化するために米軍と一体となって武力行使をするための集団的自衛権の正当化である。
それは解釈の変更ではなく、戦後日本の安全保障の枠組みを変更する憲法改正そのものである。
そもそも憲法とは、権力者がしたくてもしてはならないことを明示するためにある規範である。
首相が気に入った取り巻きをあつめて私的な諮問会議を作り、そこで議論したという程度の権威付けによって実質的な憲法改正ができるというなら、日本の立憲主義は終わりである。
安部流解釈改憲に対する批判の初登場である。山口先生の安部流解釈改憲に対する理解についての批判は、「安部流解釈改憲について」で既にしているのでそちらを参照されたい。
>事の当否はともかく、安倍首相が憲法問題を参院選の争点にすると公言している以上、
選挙に向けて憲法論議は熱を帯びることであろう。仮に、参院選で与党が過半数を確保すれば、安倍首相は憲法改正路線が国民に支持されたと主張し、改憲の動きはさらに加速するであろう。
また、民主党が参院選で与党過半数割れを実現できなければ、たちまち小沢代表の権威は失墜し、またしても人事抗争と路線論争が起こって、民主党は内部分裂を始めるであろう。
小沢代表の下で、改憲よりも生活という左派よりの路線をとっていただけに、小沢が失脚すれば民主党は右よりの路線を取るに違いない。そうすれば、憲法改正に向けて翼賛体制ができるというシナリオも決して誇張ではなくなる。中曽根元首相の言う大連立も、こうした構想であろう。
自民が勝とうが民主が勝とうが、国会の圧倒的多数が改憲派であることは何も変わらないし、「改憲への動きを加速する」といっても改憲発議が可能になるまでの期間が短縮されるわけでもない。
「右派が策動を始める」というが、民主の七割以上が改憲派なのだから改憲に向けて活動するのは当たり前。
民主が負けると改憲されかのような恐怖心を煽るが、民主が勝つと改憲されないという保証が何かあるわけでもない。
専ら理性ではなく感情への働きかけを狙う、説得というより扇動と呼ぶべき山口流「民主が負けると改憲論」の登場である。
自民党が敗れるために民主党が勝つ必要はなく、他の野党、護憲政党が勝ってもいいはず。憲法を守るためならその方が望ましいに決まっている。それにも関わらず、比例では護憲政党にといった発言は無い。
(続く)
2007/09/13 4:08 AM posted by: 一宮城県民
>他方、与党が過半数割れに追い込まれたときにも、再編は起こりうる。自民党は政局の安定のために、民主党内の不満分子を連立のパートナーとなすべく工作を繰り広げるに違いない。新たな連立を作る際の大義名分は、憲法改正や集団的自衛権の解禁が使われるであろう。いずれにしても、憲法争点はこれからの政界再編と結びつくに違いない。
集団的自衛権の解禁こそ明文改憲のキモである。であるから、当然憲法改正が行われればまず間違いなく集団的自衛権は解禁される。
それにも関わらずわざわざ「憲法改正や集団的自衛権の解禁」と併記してあるのだから、
ここでいう「集団的自衛権の解禁」は明文改憲ではなく安部流解釈改憲のことである。
要するに明文改憲のみならず、安部流解釈改憲への是非もまた政界再編の軸となると山口先生は見ているらしい。
そして、安部流解釈改憲に反対の勢力による政権が出来上がった場合、その政権に対する山口先生の評価は自社連立政権と同様なものになるだろう。
>左右両極の改憲派、護憲派の主張はそれなりに明確であるのに対して、気になるのは保守内穏健派の存在感の欠如である。1994年の自民、社会、さきがけの三党連立による村山政権の誕生は、本来の意味の解釈改憲を担った自民党ハト派と旧来の護憲派たる社会党の提携の所産であった。あの時は、当時の新生党・新進党を率いた小沢一郎氏が日米の防衛協力に積極的であったことに危機感を持ったハト派が、専守防衛や解釈改憲の枠組みを守るために、自社連立という大技に出た。
山口先生が自社連立を「専守防衛や解釈改憲の枠組み(要するに集団的自衛権行使の禁止)を守るため」という理由で正当化していることに注意されたい。
どうやら、安部流解釈改憲(要するに集団的自衛権行使の解禁)に対する反対も、同様にその政権を正当化すると山口先生は主張したいらしい。
要するに、『緊急提言(『マガジン9条』3月21日UP)』の段階では、憲法そのものだった政党再編の軸が、ここでは安部流解釈改憲への是非を軸とするものでも可とされているのだ。
>あれから13年たち、ハト派連立の立役者は、見る影もなく逼塞している。また、左派の護憲勢力も衰弱している。しかし、このまま軍事的膨張や国家権力強化の方向で憲法改正が何の抵抗もなく進んでよいはずはない。
戦後の保守本流政治を引き継ぐ者は戦後レジームの継承と発展を訴えて、国民に選択肢を示すべきではないか。
自民党も民主党もこの点では雑居状態であり、ねじれは深刻である。中曽根元首相とは反対の意味での政党再編が必要とされている。
『週刊東洋経済』のコラムだからというわけではないが、非自民勢力を結集する理念の柱は、石橋湛山の小日本主義である。良質の保守政治家の決起が求められている。
繰り返すが、明文改憲の是非による政党再編は有り得ない。それは、山口先生もわかっているはずである。
しかし、安部流解釈改憲への是非であればどうだろう。
民主内の安部流解釈改憲の支持者はそもそも存在自体不明であるし、自民内にも同調しない議員が居ても不思議ではない。
なぜなら、安部流解釈改憲に反対ということは、明文改憲に反対ということとはまったく違うからだ。
山口先生が述べているように安部流解釈改憲は立憲主義を揺るがせる。そのことを憂慮し、改憲をするなら正々堂々とするべきだと考えている改憲派議員がいても不思議ではない。
実際、国民新党HPのコラムには安部流解釈改憲への批判が次のように述べられている。
>安倍首相は集団的自衛権についての懇談会を発足させた。安倍首相の冒頭挨拶、さらには委員の面々を見れば、「結論ありき」であることは間違いない。日米関係を強化するため、いやブッシュ大統領から褒めてもらいたいため、何としてでも、わが国を米国と「運命共同体」にしたいようだ。懇談会の報告が出されれば、安倍内閣はたちまちこれまでの憲法解釈を変更するだろう。しかし、憲法を変えずに集団的自衛権の行使を可能にするとは、およそ法治国家ではない。これまでの憲法解釈は、いったい何だったのか(国民新党HP コラム「もはや「右」にスライスしすぎてOBだ」)
このように改憲政党である国民新党であっても安部流解釈改憲には反対なのだ。政党再編の軸が安部流解釈改憲であるなら、どんなバリバリの右派政党・改憲政党とでも民主党は合流できることになる。
どうやら、民主党の国民新党への統一会派結成の打診などは、山口先生にとってはとっくに織り込み済みだったようである。
(続く)
2007/09/13 4:11 AM posted by: 一宮城県民
『憲法の争点化は望むところ』(週刊金曜日6月1日号)
http://www.yamaguchijiro.com/?eid=578#comments
『憲法の争点化は望むところ』という言葉や、改憲についてのアンケートの引用のせいで、明文改憲について語っているような印象を受けてしまうが、文脈に沿って良く読むと、ここで山口先生が論じているのは、実は主として安部流解釈改憲であることがわかる。
>ただし、漠然とした改憲気分だからこそ、安倍のお粗末な改憲論に流される危険性があることにも、注意する必要がある。この危険を防ぐためには、集団的自衛権解禁に向けた有識者懇談会の動きとあわせて、安倍の憲法論の虚妄を徹底的に批判することが必要である。安倍は、現在の憲法について占領軍の素人が急ごしらえで作ったことを改憲の理由に挙げている。そういう安倍自身は、国家の憲法と小学校の「生活の目当て」の区別もつかないド素人である。
お気に入りの連中を集めた懇談会で、急ごしらえで9条の解釈を変更し集団的自衛権を認めるというのは、まさに立憲主義を理解しない素人の仕業である。
「懇談会で、急ごしらえで9条の解釈を変更し集団的自衛権を認める」というのは、正に安部流解釈改憲のこと。ここで批判されているのは安部流解釈改憲であって明文改憲ではない。
>民主党に安倍と同じような改憲派がいることは事実だが、多数は立憲主義や民主主義の原則を守るという立場であろう。仮に将来憲法を手直しするとしても、戦後レジームの精神や価値観を継承、発展させるという態度を明確にできないならば、冒頭に紹介した憲法を支持する多数の国民にとっては行き場がなくなる。また、そのときには民主党は日本政治における存在理由を失うに違いない。党内右派の跳ね上がりを恐れている場合ではない。安倍政権と同じような改憲派には出て行ってもらうくらいの気迫が必要である。これから2か月足らずの間、まさに正面からの論争が期待されている。
「民主党に安倍と同じような改憲派がいることは事実だが、多数は立憲主義や民主主義の原則を守るという立場であろう」とあるのに注意。
適正な手続きを経て行われる明文改憲は、「立憲主義や民主主義の原則」と矛盾しない。
9条が担保しているのは平和主義であって、立憲主義でも民主主義でもない。世界には集団的自衛権の行使を認める立憲主義の民主主義国家はいくらでもある。
したがって、ここで「安倍と同じような」とされている改憲派は明文改憲を進める人々ではなく、安部流解釈改憲の同調者ということになる。
「安倍政権と同じような改憲派には出て行ってもらう」というのも、安部流解釈改憲の同調者には出て行ってもらうということであって、明文改憲派は出て行けという事ではない。
一方で、「戦後レジームの精神や価値観を継承、発展させるという態度を明確に」するのであれば、「将来憲法を手直しする」ことも容認している。
これは自ら撤回したはずの「創憲」ではないのか。「戦後レジームの精神や価値観を継承、発展させる」改憲というのは、原理的に有り得ない。改憲派の立場からすれば、現状で既に専守防衛の枠が外れかけているのに、わざわざ改めてはめ直す理由がない。改憲派が賛成しない改憲が成立するはずがない。
要するに安部流解釈改憲の同調者は民主党から追い出すが、明文改憲派は居てもいい、ということらしい。
それどころか、「戦後レジームの精神や価値観を継承、発展させる」のであれば改憲もOKだ。
ここで山口先生が争点として押し出しているのは、安部流解釈改憲であって明文改憲ではない。
山口先生にとっての政党再編の軸は、どうやら憲法から安部流解釈改憲に移ったようだ。
(続く)
2007/09/13 4:15 AM posted by: 一宮城県民
『参院選と政局の行方』(週刊東洋経済7月28日号)
http://www.yamaguchijiro.com/?eid=590#comments
>選挙直後に、単なる員数合わせのために野党側から自民党へ鞍替えするというのは実にみっともない話である。
そんな恥知らずなことをするのは、よほど愚かな政治家であろう。今回新党日本を離党した議員など、物笑いの種でしかない。
『緊急提言(『マガジン9条』3月21日UP)』では、「それはそれでいい」と言っていた改憲派議員の選挙後の移籍がここでは全面的に否定されている。当然、「憲法改正を軸とした政党再編」も完全放棄。
非現実的な民主党の護憲政党化をとうとう諦めた、というより、護憲派に民主党を売り込むために不可能を承知で主張していたに過ぎなかったように見える。
>与党側から野党に対する揺さぶりも激しくなるに違いない。その時には、国民生活のために法案成立に協力するという大義名分が、
与党への寝返りを正当化してくれる。そのような状況で小沢民主党は野党陣営の結束を持続できるであろうか。
政党再編についても、憲法問題への言及はもはや一言もない。『安倍流憲法論議の危うさ(週刊東洋経済5月19日号)』では、「新たな連立を作る際の大義名分は、憲法改正や集団的自衛権の解禁が使われるであろう」と言ってたのだが。
『やはり政党再編が必要だ』(週刊金曜日7月27日号)(投票日前最後の発言)
http://www.yamaguchijiro.com/?eid=592#comments
>たとえば、集団的自衛権という重要問題がある。この秋には安倍首相の設けた有識者会議が結論を出し、集団的自衛権の行使を認めるよう政府見解を変更するという動きが始まりそうである。
既に本欄でも述べたように、安倍政権のこうしたやり口は、憲法の破壊に他ならない。党内にいる集団的自衛権賛成派が飛び出すことも辞さないくらいの決意で、民主党はこの点で安倍と対決すべきである。そうすることによって、民主党には政策的軸が立ち、政策本位の再編成へ道も開けてくるであろう。
こちらでもやはり、『緊急提言(『マガジン9条』3月21日UP)』においては、政党再編の軸だったはずの憲法問題が完全に姿を消している。代わりに登場しているのが「集団的自衛権」である。
改憲派が多数を占める民主党が憲法問題を軸にした政党再編を行うならば(改憲派は自民へ、護憲派は民主へ)、民主党の議員数は激減し壊滅状態に陥ってしまう。当然憲法問題を軸とする政党再編など有り得ない。
このままでは、護憲派を納得させるような形での政党再編は難しそうだ。そんなものは民主党にはたいして必要ではないかも知れないが、護憲派メディア以外での発言機会が余り得られない山口先生にとってはどうしても必要だったに違いない。
そこで山口先生は、民主党が損をしない、むしろ議席数を増やせるような、そして少なくとも護憲派に受けそうに見える対決軸を探し、そしてとうとう発見したらしい。それが、「集団的自衛権」である。
対決軸を憲法ではなく、安部流解釈改憲による集団的自衛権の行使の是非に置くなら、民主党はもとより自民党の改憲派議員達の取り込みも可能になる。
それに、集団的自衛権行使の禁止は平和憲法のキモであり、護憲派へのウケも良いだろう。
しかし、安部流解釈改憲に反対ということは、改憲に反対ということとはまったく違う。
安部流解釈改憲に反対の民主・自民の議員の大半は明文改憲を指向しているだけであって、護憲派では全くない。
このコラムは投票日前最後の山口発言だったが、明文改憲については「与党過半数割れは憲法改正などの悪政を食い止めるための最低限の必要条件である(改憲発議阻止に必要なのは過半数ではなく、三分の一以上)」という意味不明の発言があるだけ。
山口先生は、今回の参院選の争点から明文改憲の是非を完全に外し、政党再編の軸も憲法改正の是非から、安部流解釈改憲の是非へと変えてしまった。これは、事実上、反安部でありさえすれば、改憲派であろうがなかろうが、右でも左でも誰でもOKということだ。
選挙後の民主党は、まさにそのように動いているわけだから、山口先生の政治的センスも中々のものと言えそうだ。
また、山口先生の読者を煙に巻く文章力も、国民新党のコラムに負けないだけのものがある。
『憲法の争点化は望むところ』と題したコラムで明文改憲を争点に押し出さないとは、まず誰も思わないだろう。
(続く)
2007/09/13 4:18 AM posted by: 一宮城県民
「山口先生は「左翼の公明党」」
山口先生の活動は、主観的意図はともかく、客観的には護憲票を護憲政党から民主党に移し替える、ということに尽きる。
まあ、簡単に言ってしまえば政権交代のために活動したいのだが、護憲派メディア以外での発言機会が得られないので、かなり無理をして護憲にかこつけながら政権交代のための活動をしていた、といったところだろうか。
護憲のために民主党の力を使おうというのではなく、民主党のため護憲派の力を使おうとする。
民主党よりの護憲派ではなく、護憲的発言もする民主党支持派。
護憲派メディアに登場していなければ、まあ、そんな考えの人もいるだろうで済むのだが、護憲派メディアで憲法そっちのけで民主党の選挙運動をされてしまうと、批判しないわけにもいかない。
私とあなたの不幸は、山口先生がメジャーメディアでの発言機会を大幅に失ってしまったことにあるのだろう。
共産党に対して「「左翼の公明党」になるべき(毎日新聞7月16日)」という、山口先生こそ「左翼(?)の公明党」だと言えそうだ。
公明党は改憲派といっても積極的に改憲を望んでいるわけではない。むしろ、支持者の手前を考えると改憲などしないでくれた方が助かるくらいだろう。だからといって、改憲阻止のため連立を解消するといった事をするわけでもない。要するに、権力を握れればそれでいいのであって、憲法などはどうでもいいのだ。
公明党が自分たちが政権を維持できれば憲法などどうでもいいように、山口先生は政権交代が出来れば憲法などどうでもいいらしい。
かつて自ら撤回したはずの「創憲」にしても、実はまだ死んでいないようだ。民主が改憲発議に賛成するようなことになれば、改憲反対ではなく、国際社会に貢献する「よりマシな」改憲などと言い出しても私は驚かない。
(続く)
2007/09/13 4:26 AM posted by: 一宮城県民
「社民党をぶっ壊す」
実は、今回の参議院選挙で挫折を味わったのは安部総理だけでは無かったようだ。私が今回の選挙で注目していたもう一つの事とは、社民党の上原ひろ子候補のことである。
>とうとう参議院選挙の公示日が、明日(7月12日)ということになりました。私たちの「マガジン9条」は、これまで特定の政党とは距離を置くけれど、憲法9条を大事にしよう、という人や組織とは常に等距離で協力関係を保っていく、というスタンスでさまざまな意見を発信してきました。
ときには、その意見が批判や反発を招いたこともありました。
しかし、どんな意見であれ、基本に「9条を大切にする」という一点さえあれば、私たちは腕を組めるのだ、と今でも考えています。
そんな私たちですが、今回は、「マガジン9条」の発起人のひとりであり、私たちと一緒にボランティアとしてこの「マガジン9条」を支えて来てくれた、前国立市長の上原ひろ子さんを応援します。ぜひ頑張って、勝ち抜いてほしいと思っています。
同じ憲法9条を高く掲げる人として、川田龍平さんの頑張りにも、大きな期待を寄せています。
お二人が、新しい場で活躍できることを、心から願っています。
(『今週のマガジン9条』VOL.117「選挙が近づきました」'07.07.11)
http://www.magazine9.jp/kako_news/index3.php
『マガジン9条』は、今回の参院選挙において、東京選挙区の川田龍平氏と社民党比例区の上原ひろ子氏の二人を推薦している。
東京選挙区、比例区、どちらにも他にも護憲派候補がいたにも関わらず、どうしてこの二人だけが推薦されたのかについては何の説明もない。
上原氏は『マガジン9条』の発起人の一人であるが、まさか身内だから応援するということはないだろうと思いたい。
また、上原氏は社民党比例区の候補者であるから、「特定の政党とは距離を置く」というスタンスとは明らかに矛盾する。
このように疑問だらけの推薦ではある。
『マガジン9条』が中立性を放棄した事の評価はともかくとして、護憲サイトである『マガジン9条』が推薦する上原氏の当選を期待していた方は少なくなかったであろうと思う。
ただ、上原候補には護憲の為に働いて欲しいといったこととは別の理由で当選を期待していた人たちもいたらしいのである。
上原氏のHPには次のような驚くべき提案が記されている。
>もし私が当選できたら、党名変更もふくめて「魅力的なリベラルの党」への、思い切ったイメチェンを提案していきたい。
数年後の国民投票で、民主党は九条改憲へ向かうかもしれません。そのときには、民主党内の護憲派の人たちにも参加していただけるような党に、いまからイメージを変えておくことが必要だと思います。
http://www.ueharahiroko.net/u/challenge/index.html
党名を変え、リベラルの党になる。リベラルの党になるということは社会民主主義は捨てるということだろう。
まさに、「社民党をぶっ壊す」とでもいうべき大胆な提案である。
上原氏は今回の参院選に際して外部から招聘された人物であるから、その主張は党内の異論といったものでは有り得ない。上原氏の提案を社民党執行部が支持、少なくとも容認していたと考えるべきだろう。
(続く)
2007/09/13 4:30 AM posted by: 一宮城県民
上原氏の提案は具体的に見ていくと極めて不可解な点が多い。
民主党を離党してくる護憲派の受け皿になるというが、民主内護憲派は数にすれば30名前後は居るはず。
全員といわないまでも大半が離党すれば、社民よりも大所帯であって受け皿など不要。
5名以上居れば政党助成金が受け取れて当面の活動に支障はない。
要するに受け皿がどうしても必要になるのは離党者が4名以下だった場合に限られるはず。
しかし、「社会民主主義を捨てる」とまで主張する候補者を擁立した社民党が、少々路線が違うからといって護憲の大義のために民主を離党した議員を拒むはずがない。
要するに、今から準備しておく必要など全くないのだ。
一方で、民主党離党者が違和感なく入党できるリベラルの党になるということは、民主党に違和感なく合流することが可能になるということでもある。
今の選挙制度のもとで民主を離党し社民に入るということは、政治的自殺行為に近い。
そんなことを敢えてする議員がはたしてどれだけ居るだろうか。
現実的に考えれば、民主からの離党者が社民に入党するよりも、社民党が民主に合流する方がはるかに可能性が高いだろう。
そして、このことに社民党、上原氏、『マガジン9条』の三者がまったく気づいていなかったとは私には思えない。充分に分かった上でやっていたことだと私は思っている。
要するに、民主に合流しようという動きが社民党内にあり、上原氏と『マガジン9条』はそれを促そうとしていたのだと思う。
推測するに主観的意図としては、このまま社民党がジリ貧になっていくのを座して待つよりも、民主の一派閥としてでも存続させたいといったものだろうと思う。
しかしながら、民主内でどんな活動ができ、どれだけの影響力を持てるのかは、現在の民主党内の護憲派を見ればだいたい想像がつく。
数でいえば、共産・社民を合わせたのと同程度か、それ以上居るはずの民主党護憲派の存在感は、社民党一党にも及ばない。
もし社民党が民主に合流するようなことがあれば護憲派にとっては、それは明らかにマイナスである。
民主党が改憲発議に同意した場合、国会内では改憲派は圧倒的な優位にあるから、改憲発議に際して多少の造反を容認するくらいの余裕はあるだろう。
しかし、国民投票となるとそんな余裕はない。党の決定に反して護憲の活動をする者に対しては厳しい処罰が待っているだろう。
民主党のマニュフェストは、改憲を約束したものと読むことが充分可能であるから、護憲の活動をするものを党が有権者と交わした契約に背くものとして処罰することには正当性がある。国民投票に向けて民主党内で活動することは困難であろう。
私は、こんなことを考えながら参議院選挙の行方を見守っていたのだ。
(続く)
2007/09/13 4:33 AM posted by: 一宮城県民
「ちょっとした波乱」
参院比例区は名簿に当選順位が付けられていない「非拘束名簿式」で、政党内では個人の得票順に当選者が決まる。
名簿上位だからといって必ずしも当選するわけではないため、自民、民主のようにアイウエオ順に並べている党もあるが、共産、社民などでは前職など当選して欲しい順に並んでいることが多いし、実際名簿上位者が当選することが多い。
今回、共産党の場合は当選した1位〜3位は名簿順、4位と5位が入れ替わっている程度で上位の得票はほぼ名簿順のまま。
それに対して社民党ではちょっとした波乱があった。1位が名簿順2位で前職・党幹事長の又市氏なのは順当として、2位には名簿順では6位の山内徳信氏がジャンプアップして当選している。名簿順1位の山口氏は3位、
名簿順では3位と当選も狙える位置だった上原氏は後退して4位となっている。(社民党の改選議席は3)
http://www2.asahi.com/senkyo2007/kouho/C05.html
http://www2.asahi.com/senkyo2007/kaihyo/C05.html
元国立市長で、又市氏を除けば党外での知名度では一番かと思っていた上原氏が、順位を下げたことは私には結構な驚きだった。
当選できなかったことは致し方ないとしても順位まで下げてしまっては、提案が支持されたとはさすがに主張できないだろう。
提案路線はとりあえずは挫折したといってもいいかも知れない。
これが「左翼バネが働いた」というような事なのか、たまたま起こったことに過ぎないのかは私には分からない。
ただ、二人のHP、特に上原氏の提案が掲載されている「私が国政に挑戦する理由」と、
山内氏のHP(古い社民党の、というより社会党の懐かしい匂いがする)を比べると単なる偶然ではないような気にさせられる。
そして、山内氏のHPの冒頭に掲げられている「ゆるぎない決意」という言葉も、まるで提案路線への当て付けのようにさえ感じられてしまう。
(因みに、山内氏は上原氏同様『マガジン9条』の「この人に聞きたい」(5月16日UP)に登場しているのだが、『マガジン9条』の推薦からは漏れている。理由を聞いてみたいものだ。)
上原氏HP
http://www.ueharahiroko.net/
山内氏HP
http://yamauchi-tokushin.jp/top_con/index.html
今回の参院選比例区で共産・社民の護憲政党は残念ながら一議席ずつ後退したが、得票数では共産党が微増、社民党も政党名での得票はほとんど減っていない。社民の減少分約35万票のほとんどは候補者名得票の減少で、
前回約64万票もの大量得票をした福島党首と、今回約21万8千票に止まった又市氏の個人人気の差が原因のほとんど全てと言ってもいいだろう。
要するに護憲政党への支持は、今回の選挙が民主以外の全ての党に逆風であったにも関わらず維持されたといっていい。
この結果を受けて社民党が今後どのような路線を辿るのか注目したい。
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