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[5979] 二人の「日本官僚(役人)論」 - 投稿者:バード 投稿日:2007/09/08(Sat) 20:35:21
植草一秀氏と小室直樹氏の官僚論を挙げる。
(引用はじめ:植草一秀『知られざる真実』イプシロン出版企画:2007年8月より)
「権力欲、物質欲ばかり旺盛で弱者を思いやる心や奉仕の精神を欠く人が高級官僚に登用されてきた。彼らの多くは「天下り」の経済的、社会的処遇を重要な志願動機とした。(p.93)
大蔵省に勤務した時、上司が大蔵省を「我が社」と表現した。大蔵省の利害損失が判断基準だと公言した。大蔵省を営利企業と捉えた。公言する人は少なかったが、これが常識だった。大蔵省の利益とは権限と利権の拡大だ。最も高く評価される業績は「増税」と「天下り先獲得」だった。官僚の行動原理の中心に「営利」がある。」(p.93)
大卒時に将来の幹部登用を補償する現行制度を廃止すべきだ。ずば抜けて成績優秀な人が公務員になる必要はない。勤勉で奉仕の精神を備えた人が公務員になるべきだ。入社時に役員就任を保証する会社はない。特権的な「第一種国家公務員」を廃止すべきだ。(p.97)
「憂国の士」は政治家を目指すべきだ。ビジネス能力をもつものは民間企業で力を発揮すべきだ。公務員は国民への奉仕者であって国民の統治者でない。「優秀な人材が官僚を目指さなくなる」との反論があるが、公務員は政権の指揮に基づいて行政を円滑に実施する存在だ。(p.97)
(引用おわり:植草一秀『知られざる真実』イプシロン出版企画:2007年8月より)
(引用はじめ:小室直樹『日本の敗因』講談社+α文庫:2001年より)
「(大蔵省は)国という大きな組織を忘れ、自分たちの組織を維持することしか頭が回らなくなる。日本の経済、そして日本のためという目的を忘れ、統制、規制そのものが目的化してしまう。大蔵省という組織の維持のために、権限を手放すことをしない。他の省もしかり。(p.369)
政治家や軍人は不確実な未来に向かって歩を進め、自分で判断し、決断して、自分で責任を負わねばならない。
ところが、役人は政治家に忠実であればいい。偏差値教育で事足りる。過去の慣例や前例を滅法よく知っていて、その通りにやっていれば責任を負わなくていい。(p.394)
政治家こそが、国を、望ましい方向へと導くものではないのか。国民の意思は、選挙で選ばれた政治家を通して政策に生かされ、また、国民の感情を越えた正しい選択を、政治家が自らの責務から実行していく。それがデモクラシーである。…
(ところが)日本の政治家は、役人の操り人形で、役人に対して何もできない。だから、大事な国策も役人が勝手に決めてしまう。(p.371)
(引用おわり:小室直樹『日本の敗因』講談社+α文庫:2001年より)
両者の官僚論は同じである。
官僚が目的を逸脱し、それを忘れている。そのことを問題として指摘し公言する政治家と学者はわずかである。
そのようなマスコミは皆無である。だから、国民の耳に届いていない。
ところで、「勤勉で奉仕の精神を備えた人」は得てして自己防衛意思が希薄である。そのような人たちが公務員として力を発揮して仕事ができるのは、本物の政治家が首相の座にいてそのバックアップがなければ不可能であろう。
今のように官僚を頼りにし高級官僚の逸脱行為を不問とするような政治家では、本物の公務員は育つはずがないということだ。
本物の政治家の登場が待たれる。(了)
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