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警醒の名著「知られざる真実 ━勾留地にて━」(神州の泉)
http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/967.html
投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 21 日 17:59:40: 2nLReFHhGZ7P6
 

http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2007/08/post_84c9.html

 植草一秀氏の「知られざる真実 ━ 勾留地にて━」をじっくり通読した。一言で言うなら、これは植草氏ご自身が自己の立場の弁明に終始した本ではない。全体を通じて、彼の魂から発した一貫したまなざしに基づいてことの真実が描かれている。彼が突然に巻き込まれた耐え難い不条理の嵐、個人を恣意的に狙い撃ちするマス・メディアの暴走に熾烈な怒りを発するとともに、このようなできごとを許容し、誘発する今の日本の巨大な歪曲に対して鋭い考察を加えている。

 今の日本が、政治的に文化的に何かおかしいぞと感じている人間ならば、植草氏の非凡な知性と天賦の洞察力が、自身の事件を通じて読み取った日本の救いがたいゆがみを冷静な視点で見ることができるだろう。この本は、身に覚えのない事件に巻き込まれた者が行なう単なる弁明の書ではない。日本人としての美徳と良心を決して捨てなかった植草一秀という人物が著した渾身からの警世の書である。弱い個人が理不尽な暴虐に巻き込まれ、一旦は絶望しながらも、不撓不屈の精神で巨大な不条理に立ち向かった勇気を見てもらいたい。この本を読んで心底感じたことだが、私自身の小泉構造改革批判が間違っていなかったことを確信した。と同時に、この書物は非凡な才能を持ち、いわゆるエリートコースを歩んでいた植草氏が、己の良心と節を曲げずに人間として貫き通した勇気ある魂の格闘録でもある。どん底の命運の中で植草氏が勝ち取った日本人としての魂の苦闘、そして矜持、不退転の勇気がこの本にはあますところなく示されている。

 今の日本にそれなりの危機感を感じる人ならば、この書物を読んで得られるものはあまりにも大きい。日本という国の巨大なゆがみは、対米隷属構造という歴史的に根深い背景を持っているが、為政者も官吏もその隷属構造に絡め取られていて、自国の主体性を省みないところに問題の核心があることをこの本によって痛感することだろう。植草氏の問題を深く掘り下げて見ると、今の日本が置かれている米国傀儡国家としての哀れな姿と、それに滅私奉公をやって恥じない醜悪な日本人の姿が浮かび上がってくる。「神州の泉」管理人の私が断言するが、この本は単なる個人の冤罪弁明の本ではない。今の日本を覆いつくす暗雲の正体を鋭く描き、何が問題の根幹なのかを鋭く暴いている。同時に植草氏の人間としての正直な思いが随所に表されていて、文学的にも偉大な書物であると思う。

 御用学者とは人間として脆弱というか勇気がないのである。しかし、植草氏のように自分の良心をけっして捨てない有識者は、国民を犠牲にして自己利益をむさぼる亡国の輩に憎まれてしまうのである。この本を通読して感じることは、内容には醜悪な自己弁明は微塵もなく、そこにあるのは、間違いを間違いだと言い貫いた者の魂のすがすがしい世界が広がっているだけである。私のような半端な者が言うのもおこがましいが、この本には偉大な文学書に通じる魂のカタルシスが確かにある。私は読者にそれを感じてもらいたい。魂の苦闘を経た者だけが書けることが書かれてある。この本を手にする者は得がたい僥倖に恵まれる。自分の運命を呪う者は多くいるが、植草氏の場合は耐え難い運命を呪うことなく、その天賦の才能でそれを昇華し、この理不尽な社会の姿を完全に書物に描ききったのだ。これは凡人に敵う芸当ではない。私はしばし、自分が彼の支援者であるという立場を忘れてこの本に読みふけった。不適当な言い方かもしれないが、それほどこの本は面白いのである。面白いと感じることは、内容に対する深い共感とともに、作者の言語表現につむぎ出された世界観を私もかなり共有しているからだろう。

 植草氏の事件は実は三度に渡っている。一回目は、1998年の東海道線でのできごと、二回目は2,004年の品川駅構内での手鏡事件、そして三回目は2006年の京急電車内のできごとである。断言するが植草氏は性犯罪としての視点から見た場合、この三度とも事実無根である。ではなぜそう言い切れるのか。一度目の事件は相手女性の錯誤的心理(誤解)から生じた不幸なできごとが、警察の密室で強要されて作られたいわゆる「人質司法」がもたらした「冤罪」だからである。二度目と三度目は、この一度目の不本意なできごとが徹底的に悪用された「国策捜査」だった。これは本ブログや「植草事件の真実」、「紙の爆弾」の記事でも展開した。私は植草氏の新刊を読んでみて、自分が展開した国策捜査論がけっして間違っていなかったことをあらためて確信している。三度の事件を客観的に検証できるように植草氏はこの本で内容を詳述している。読む人はマスコミに毒された先入観念を取り払って、その記述を虚心坦懐に読んでみて自分の目で咀嚼してもらいたい。

 私が確実に言えることは、第一章の「偽装」に書かれた内容と、巻末資料の「真実」を読めば、彼が国策捜査という政治的な策略に陥れられたことがよく見えてくるということだ。第二章には彼の経歴や趣味、惹かれた事柄などが出ているが、これにも彼の良心や人間性の基層が素直に出ていて、その性質が第一章「偽装」に書かれているように、植草氏が巨大な悪を許せないという熾烈な社会糾弾を行い、筋を曲げないで向かっていく人間であることが良く見えている。汚れた権力を持つ謀略側から見れば、植草氏ほど籠絡しがたい有識者はいないだろう。欲得に溺れず、脅しに屈せず、名利を求めない有識者。このような人物は汚れた実力者から見れば、度し難い邪魔者なのである。この本全体を通して植草一秀という人物像が非常によく出ている。

 私個人は植草氏の歴史観や官僚の捉え方に、必ずしも全的に同意するわけではないが、それでも基本の世界観には共有するものが多くある。それは社会的な弱者を救済する方便が存在しない社会は社会全体が脆弱性を持つという視点と、経済や政治は遍(あまね)く人々すべての幸福原理を実現することにあるという基本理念である。皆さんに問いかけるが、この日本に経世済民(けいせいさいみん)を本気で問いかけている経済学者や為政者が一体何人いると思われるだろうか。植草氏は紛れもなくその中の稀有な存在である。だからこそ、売国的な実力者が、植草氏の世論喚起を何よりも恐れて彼を不名誉のどん底に突き落としたのである。この本を読めば、目のあるお人なら、彼が国策捜査に嵌められたことが当然のように見えてくるだろう。

 この本は一人でも多くの人に読んでもらいたい。繰り返すがこれは単なる冤罪弁明の本ではない。この本を読むことによって、今の崩れた日本を建てなおすヒントが随所に見つかることを私は請合う。各章についての詳述は近々に本ブログで公開する予定だ。今は、この稀有な本を皆さんに強くお勧めする。

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