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民主党群馬県連の現在 1 角田氏の失敗
〈H19/8/18UP!〉 「なぜ群馬では民主党公認候補を立てられなかったのか」。
参議院選挙後多くの人に聞かれた。その原因を一言で言えば「角田さんの失敗」と言う他ない。
一昨年の総選挙後、県連は不正経理問題の処理で揺れていた。平成十五年の参議院議員選挙に絡んで、富岡参議院議員の元秘書が一人の総支部長に告発したことで、 500万円余の不正経理が発覚し、その後この問題で県連事務局長が自殺した。
当初、会計責任者である黒沢県連幹事長は、故事務局長と女性事務局員のミスであると主張していた。しかし、県連財政等検討委員会の調査やマスコミの取材が進むにつれて、一連の不正経理は、事務方のミスによるものではなく、黒沢幹事長による意図的な不正行為であったことが日に日に明らかとなった。
「不正経理問題イコール黒沢幹事長の犯罪」であることが明白になる中で、柿沼3区総支部長らを先頭に、県連として徹底した調査を行い、不正経理の当事者を厳しく処分すべきだという意見が急速に党内に広がっていった。他方富岡県連会長らは、あくまでも黒沢氏や旧社会党系の役員を守りたいという身内びいきの姿勢で事態に対処しようとした。
昨年7月の県連大会は、そうした不正経理問題の処理をめぐる認識の相違の中で行われようとしていた。私は決定的な分裂は避けたいと思い、双方の意向を出来るだけ入れる形で事態を収拾したいと考えた。
そのため、不正経理の最終決着は、専門調査委員会を設けて引き続き調査することとして先送りし、人事については、不正の直接の責任者である黒沢幹事長の引責辞任、監督責任者である富岡会長の降格で乗り切ろうと考えた。私は県連大会を前に何度も、旧社会党系の総帥角田参議院議員と相談したが、彼も大体同じ考えだった。とくに彼は黒沢氏の対応を厳しく批判していた。
角田氏はこのとき長沼広氏を自分の後任の参議院群馬選挙区公認候補にすることに執心していた。しかし党本部は長沼氏の公認候補には反対で、清新な公募候補の擁立を模索していた。このため角田氏は、長沼氏擁立の布石として同氏を県連幹事長にするよう強く要求した。角田氏の意向を入れなければ何も纏まらないし、また長沼氏と私は民主党群馬立ち上げ以来の友人でもあったので、これに同調することとした。
各小選挙区総支部長(県連役員選考委員を兼任)は、不正経理問題の調査委員会設置と合わせて、石関県連会長、富岡会長代行、長沼幹事長の人事案で合意した。衆議院議員が誕生した以上、県連の代表者に衆議院議員がなるのは世間の常識に適ったことだし、旧社会党系の長沼氏を幹事長にするなら、会長は保守系の石関氏にしなければバランスが取れない。また富岡氏が不正経理の監督責任をとって一歩退き会長代行となるのもまた当然の措置だろう。これは角田氏も事前に了解していたはずだった。
ところが、どうしたわけか角田氏が豹変した。一旦役員選考委員会で決定した「石関会長」に反対し、突然常任幹事会を招集して「県連大会延期(つまり石関会長阻止)」と「不正経理問題は倫理委員会で調査」を強行採決したのである。そのために県連は、五人の衆議院小選挙区総支部長側と二人の参議院総支部長側に分裂した。たまたま五人が保守系、二人が旧社会党系だったので、民主党県連内の保守系と旧社会党系の路線闘争であるかのように報じられた。しかし実際は、不正経理問題を適正に処理する中で県連改革を進めていこうという改革勢力と、そうでない勢力の対立が本質だった。
だから、私も他の総支部長も、長沼氏が旧社会党直系だからといって隔意を抱いてはいなかった。むしろ、本部の意向が別なところにあると知りつつも、角田氏の意向を尊重して、「参議院選擁立含みの長沼幹事長案」に賛成したのである。この人事案どおり決まっていれば、あるいは長沼氏は参議院群馬選挙区候補になれたかもしれないし、少なくとも比例区公認候補としての立候補(角田氏はこの可能性も考えていた)は可能であったろう。民主党にとっても、長沼氏にとっても、誠に残念な結果だった。
角田氏がなぜ石関会長反対に回ったのか、私には未だに理解できない。党内の旧社会党系の反対が思いのほか強かったということは想像に難くないが、本当に彼が長沼氏擁立を第一に考えていたとすれば、むしろ石関会長を実現して保守系党員の協力を求めるのが普通だろう。
忖度するに、引退する角田氏は石関会長を認めると「院政」に支障をきたすと杞憂したものと思われる。以前の角田氏なら、いくらなんでも旧社会党系で県連会長と幹事長を独占してしまおうなどという無茶なことは考えなかったろう。ではなぜ彼はそんなに「完璧な院政」に固執したのか。
それは角田氏が、不正経理問題を自分の主導権のもとで調査し、自分に都合のいいように決着させたいと考えたからだとしか解釈しようがない。富岡、長沼という子飼いの旧社会党系コンビを県連会長、幹事長にできれば、参院選候補選びも不正経理のもみ消しも、二つながら思いのままと判断したのだろう。
実際、倫理委員会では、田辺氏(委員長)角田氏(委員)の社会党二長老が実権を握り、まともな調査は行わず、黒沢幹事長と5区総支部柴山前代表らには事実上「お構いなし」のお墨付きを渡し、他方、小選挙区総支部長五人には「解任」を申し渡したのである。
これほど、杜撰で、不公平な調査結果を出されては、党内も世論も納得するはずがない。その後、不正経理追及が一段と厳しくなり、党内の徹底究明派とマスコミが競合するような形で、さらに進展していったのは自然の成り行きだった。やがてそれは、角田氏や田辺氏が絡む北朝鮮系団体からの不正献金問題にまで行き着いた。
角田氏は、完璧な院政に固執したために、逆に長沼氏を参議院候補に出来なかったばかりか、不正経理問題の更なる拡大を招いて失脚した。二兎を追うものは一兎をも得ずの喩えどおりに終わったのである。
なぜ群馬では民主党公認候補を立てられなかったのか――この問いへの回答は以上だ。角田さんが長沼氏擁立に固執せず、党本部に一任していれば、去年の7月以前に候補が決まっていた。また彼が長沼氏に固執したとしても、不毛な「院政願望」を捨て、不正経理問題に厳正に対応する態度で臨んでいれば、県連分裂はありえず、独自候補が立てられたはずだ。
角田氏の失敗、それは彼個人の失敗にとどまらず、民主党群馬県連に大きな惨禍をもたらした。その責任は重大といわなければならない。
(平成19年8月15日 記)
以上 中島政稀氏HPより引用させて頂きました。以下のURLです。
http://homepage2.nifty.com/seiyu/framepage3.html
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