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(回答先: 岡田首相について [論談・目安箱] 投稿者 white 日時 2007 年 8 月 17 日 00:00:45)
第1章 アジア外交の混迷と歴史認識
1)歴史認識の問題
日本の朝鮮半島に対する植民地支配、そして、太平洋戦争、日中戦争、大東亜戦争などの名前で呼ばれる60年前のあの戦争の原因や責任はどこにあるのだろうか。戦後60年を経て、これらの問題が日中関係や日韓関係、その他のアジアの国々との関係、あるいは日米関係が議論されるなかで改めて問い直される場面が増えてきた。
しかし、日本が歩んできた歴史に対する総括は、本来はまず日本自身が行うべきである。日本は、そして我々日本人は、あの戦争をどう考えるべきだろうか。
私は、あの戦争は多くの犠牲者を生んだ悲惨で愚かな戦争だったと思う。中国をはじめとするアジアの国々や米国など、日本が戦った相手国に多くの犠牲者を生んだ。そして日本自身も、軍人・軍属の戦没者230万人、外地での一般人死亡者30万人、一般戦災死没者50万人という、想像を超える多くの人命が失われたのである。その中には、沖縄での戦いや日本各地の空襲、広島・長崎の原爆投下などによって失われた多くの女性や子どもの生命も含まれている。戦地で亡くなった230万人の兵士の中には、無謀な戦闘作戦によって補給を断たれ、病気や飢えによって人間としての最低限の尊厳すら確保できないまま生命を失った人々も多かった。
日本の歴史の中でも他に例のない大きな失敗であったにもかかわらず、あの戦争の原因と責任について、日本自身が明確な総括を行っていないことこそが問題である。
極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判をどう考えるか、そして先の戦争をどう総括するかという問題は、戦後60年ということもあり、かつ小泉総理の靖国神社参拝との関係もあって、何度か国会で議論することになった。いま考えても残念だったのは、靖国問題が前面に出てしまったことで、小泉総理との間で戦争の総括の問題について十分に議論を深めることができなかったことである。
小泉総理の東京裁判観
私は東京裁判について、それが疑問の余地のないものだったとはもちろん思っていない。勝者が敗者を裁いたものであるという側面は否定できない。また、裁判の構成や進行についても、公正なものであったかどうか疑問が残る。「平和に対する罪」という事後的に設定された新たな罪によって裁かれたことにも問題があったと思っている。
しかし、様々な問題があったとしても、日本国政府はサンフランシスコ平和条約第11条によってこの裁判を受諾した。サンフランシスコ平和条約は、日本が独立国家として国際社会に復帰し、戦後日本が再スタートするための基本的枠組みである。国家としてこれを今さら否定できないことは当然である。
そして、東京裁判を否定することの最大の問題は、日本自らが戦争の責任者を裁いていないことである。そのような状況で東京裁判を否定することは、結局のところ戦争の責任を誰も負わないという結果になってしまう。責任の大きな空洞が生まれてしまうのである。
この東京裁判をどう考えるかという問題について、私は平成17年6月の予算委員会で取り上げた。このときの小泉総理の答弁は、実は私自身の予想に反するものだった。東京裁判に対する小泉総理の認識は、私と大きな違いはなかったのである。私は、小泉総理が靖国参拝に固執していることから、東京裁判やA級戦犯についても従来の政府答弁と異なる考えなのかと予想して質問した。しかし、意外と思うほど明快な答弁が返ってきた。
私はまず、東京裁判についての見解を問うた。これに対して小泉総理は「我が国は、我が国を含む46カ国が締約国となっておりますサンフランシスコ平和条約第11条により、極東国際軍事裁判所、この裁判を受諾しておりますし、この裁判について今我々がとやかく言うべきものではないと思っております」と答弁した。
「とやかく言うべきものではない」とは小泉総理の答弁は相変わらず粗い。私は、従来の政府答弁が「異議を唱えるものではない」ということだったので、そのことを指摘し、再度確認した。これに対し、総理は「受諾しているものであり、異議を唱える立場にはございません」と、今度は明快に答弁した。
次に私は、東京裁判で有罪判決を受けた25名、いわゆるA級戦犯に対して総理はどう考えているかを質問した。この種のやり取りをすると、激しいヤジで議場が騒然となることが多い。このときもすぐ目の前で話している小泉総理の答弁が聞き取れないほど、自民党議員からの激しいヤジが飛んだ。なぜ異常に興奮するのか理解に苦しむ光景だった。
甘利明委員長が何度も「静粛にお願いします」と発言したが、総理の答弁もそのヤジで中断されるほどだった。しかし、小泉総理の答弁はヤジっている人たちが顔色をなくすほどはっきりと明確だった。
総理はまず、「私は、受諾しているわけですから、それについて異議を唱える立場にはございません」と答弁。さらに私が、有罪判決を受けた25名の人たちについて、重大な戦争犯罪を行った人たちであるとの認識はあるかと質問したのに対し、「東京裁判において戦争犯罪人と指定されたわけであり、その点は、日本としては受諾しているわけであります」と答弁した。
内心やや驚きながら、A級戦犯は重大な罪を犯した人たちであるという認識はあるということですね、とさらに詰めたところ、「裁判を受諾している。二度と我々は戦争を犯してはならない、戦争犯罪人であるという認識をしているわけであります」と答弁。これはA級戦犯が戦争犯罪人であることを明確に認めたものであり、率直に言って、私にとっても意外な答弁であった。
委員会室の中は騒然となった。最も驚いたのは、先ほどまで私の質問を大声でヤジっていた自民党の議員たちだったのではないだろうか。
小泉総理の戦争観
平成17年は戦後60年にあたる記念すべき年であり、実はこの日の質疑では、60年前の戦争についての小泉総理の基本認識を是非問いたいと考えていた。結局、その日は時間足らずになり、また、その後党首討論の機会は与えられないまま、衆議院解散となってしまった。とても残念だったと思う。
しかし、衆議院解散中に8月15日を迎え、戦後60年にあたっての内閣総理大臣談話が発表された。戦争に対する考え方については「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する」と、10年前のいわゆる村山談話を基本的に踏襲していた。
社会党出身であった村山富市総理が戦後50年にあたって出した村山談話については、与党自民党を中心に国会議員の中から強い異論が出た。その後も社会党の総理大臣の談話であるとして、自民党や政府としては扱いに困っていたというのが現実ではなかったかと思う。小泉総理がその村山談話を踏襲したことに驚いた人も多かったのではないだろうか。衆議院解散中でなければ、自民党内からも相当強い異論が出ただろう。
小泉総理の戦争に対する認識は本当のところどうなのか。総選挙終盤の日曜日のテレビ番組「サンデープロジェクト」で、小泉総理は「あの戦争は避けなければならなかった戦争だと思っている」「絶対してはいけなかった戦争だ」と発言した。本音なのか、それとも投票日を目前にした一種のリップサービスだったのか。
後で小泉総理の周辺に確認をすると、60年前の戦争に対する総理の考え方は、一部保守層にあるような、自存自衛のための戦争であってやむを得なかったとか、欧米の植民地支配からアジアを解放するための戦争だったといった見方とは明らかに異なるもののようである。国会やテレビでの発言は、かつての戦争に対する小泉総理の反省の思いをそのまま述べたものと受け取ってよいのかもしれない。そして、そういう意味では、二度と戦争をしないという不戦の誓いをするために靖国に行くという総理の言葉も、単に靖国参拝を正当化するために言っているということだけではなさそうである。
仮にそのことが事実であるとすると、靖国参拝という象徴的な出来事によって、小泉総理の思いは中国や韓国の人々に正しく伝わっていないことになる。小泉総理もきちんと説明責任を果たしたとは言えない。誤解に基づいて今日の日中・日韓関係の大きな混迷があるとすれば本当に惜しいことだし、それだけ小泉総理の責任も重いと思う。
総理候補の戦争観
戦争観については、次の総理候補とされる麻生太郎外務大臣と安倍晋三官房長官にも質問した。民主党代表を辞めたあとの平成18年2月の予算委員会での質疑である。
まず、麻生大臣に対して、60年前の戦争は自存自衛のための戦争であってやむを得なかったとの見方をどう思うかと直球で聞いた。実はこのとき、私には珍しく麻生大臣に同じ趣旨の質問を繰り返し6回した。麻生大臣がまともに答えようとしなかったためである。私は、「自存自衛のための戦争であったという見方に対し否定されないんですね」と繰り返し質問した。
これに対し麻生大臣は、「負けた戦争でもありますし、果たしてそれが自衛のための戦争であったかということに関しましては、後からこの戦争は自衛のためだったとかいろいろなことを我々が言っても、私どもとしてはなかなか証明もしにくいところでもありますし、私どもとしては、侵略戦争の部分があったということは否めない事実だと申し上げております」と答弁。この焦点の定まらないあやふやな、何とも言えない答弁が麻生大臣の得意とするところである。総理候補になって少しは変わるのだろうか。
要するに麻生大臣は、侵略戦争の部分はあったと認める。しかし、全体については、自衛のためだったとは証明しにくいとは答えたものの、自衛のための戦争でなかったとは言っていないのである。
私がさらに、自存自衛のための戦争であってやむを得なかったということに対して、明確には否定されないということですねと問うたのに対し、「この戦争に関しましては歴史の判断するところだとは基本的にそう思っております。ただ、私どもとして、先ほどから何回も申し上げておりますように、この戦争はやむを得ないための自衛の戦争だったと申し上げたことはないと思いますが」と答弁。最後まで、やむを得ない自衛の戦争だったと言ったことはないという答弁にとどまり、自衛の戦争ではなかったと明言することは避けた。
同じ質問、すなわち、60年前の戦争は自存自衛のための戦争であってやむを得なかったという考え方に対してどう思うかと、安倍長官にもぶつけた。
安倍長官は「歴史というものはある種の連続の中に存在するわけであって、では、先の大戦の中にあってどこをどう取り上げていくかということもあるわけでありまして、そこは、我々は、本来は政府の立場でそれをまさに歴史の裁判官としてこうだと言うべきではないんだろう、こう思います。あくまでもそれは歴史家に任せるべきではないだろうか、このように思うわけでありまして……」と答弁。
確かに、歴史は時間の連続の中にある。しかし、安倍長官の答弁は、先の戦争も時間軸の取り上げ方によっては自存自衛のための戦争であったと言えると述べているとも受け取れるものである。
結局、麻生大臣、安倍長官いずれも自存自衛の戦争であったとの見方を明確に否定することは拒否した。これは侵略を歴史の事実と認めた8月15日の小泉総理談話と明らかに矛盾するものである。この2人のいずれかが総理大臣になったときは、小泉談話を修正することになるのだろうか。
そして、安倍長官と麻生大臣はそれぞれ、「歴史家に任せる」、「歴史の判断するところ」と答弁した。これは、昭和54年に大平正芳総理が「A級戦犯あるいは大東亜戦争というものに対する審判は歴史がいたすであろうというように私は考えております」と答弁した、その趣旨を踏襲したものと思われる。
私は大平正芳という政治家を哲学のある立派な指導者だったと思っている。しかし、この答弁は理解できない。過去に行った戦争についてどう考えるかということを、自分の言葉で述べることから逃げるのは、政治指導者のあるべき姿とはとても思えない。
確かに、欧米列強のアジア植民地化と日本のやったことのどこが違うのかという見方もある。日米戦争については、自衛権の発動とはとても言えないものの、植民地獲得競争の結果の戦争という側面があることは否定できない。しかし、アジアの国々から見れば、欧米であろうと日本であろうと侵略され、多くの被害を受けたことに違いはない。欧米列強も多かれ少なかれ同じことをやっていたではないかというのは、アジアの国々に対して何の説得力を持たないし、日本のやったことを正当化することにはならない。
私には、過去の誤りを誤りとして率直に認められないのは、自らに自信がないことの表れではないかと思えてならない。
総理候補の戦争責任論
東京裁判についても、両大臣にどのように考えているのか聞いてみた。麻生大臣の答弁は非常に混乱したもので、何を言っているのか全く分からなかった。
「少なくともこの極東軍事裁判所におきましては、被告人が平和に対する罪によって犯罪を犯したとして有罪判決を受けたということが事実なんだと思っておりますが、(中略)この戦争、意味、あれにつきましては、そういう意味です」。言いたいことはあるが、一生懸命本音を言うのを我慢しているのかなという印象だった。
安倍長官は「この裁判について異議を述べる立場にはない。異議を述べる立場にはないということでございますが、それ以上のものでもそれ以下のものでもない、こういうことではないか、こういうふうに思います」。これも、官房長官である以上、不満はあるがあえて口にはしないということか。
従来安倍さんが述べていた「戦勝国によって裁かれたという大きな問題がある」という趣旨の発言は、官房長官になって以降、封印されている。仮に安倍さんを自論を述べざるを得ないような状況に追い込めば、総理候補としての安倍さん自身が傷付くだけでなく、日本のアジア外交はさらに混乱し、修復不可能になってしまうかもしれない。私はあえて、この時点ではこれ以上追及しないことにした。
もちろん、安倍さんには総理候補として、いつの時点かで本当はどう考えているのかについて、従来の発言との整合性も含めて、きちんと説明する責任があることは言うまでもない。
A級戦犯についても、小泉総理はA級戦犯について戦争犯罪人であると言われたが同じ認識であるかと質問した。麻生大臣は「重光葵A級戦犯は後に勲一等を賜っておられますので、少なくとも日本の国内法に基づいて犯罪人扱いの対象にはなっていない」と答弁。
私は、東京裁判は当時、国内法を超越する上位のものとして存在したのであり、そこで有罪判決を受けた以上、国内法に基づく犯罪人ではないというのは単なる形式論であって意味がなく、犯罪人とした判断に日本政府は拘束されるということが重要であると述べた。また、死刑を執行された人々以外のA級戦犯が後に赦免されたことも、そのことが東京裁判の効果を過去にさかのぼって無効にするものではないと指摘した。これに対し、安倍長官が反論した。
安倍長官の主張は「日本において彼らが犯罪人であるかといえば、それはそうではないということなんだろう、こう思います」というものであった。日本の国内法で戦争犯罪人となったわけでないことは事実だが、日本において犯罪人でないというのは誤りである。犯罪人とした東京裁判を、日本政府は受け入れたのである。そして、この答弁は、A級戦犯は戦争犯罪人であるとした小泉総理の見解とも明らかに異なるものである。
さらに気になったのは、私が日本の国内法上有罪判決を受けていないというのは事実だが、日本国として受諾している以上、そこに法律があるかないかということではなく、日本国としてそのことに拘束されるのは当然ではないかと述べたときの安倍長官の答弁である。
安倍長官は「岡田委員は、何かまるでGHQ側に立っておっしゃっているように聞こえるんですが、あの11条を(中略)受け入れなければ独立を回復することはできなかったんですね。(中略)そういう苦渋の判断の上に私たちのこの現在があるということも忘れてはならない」と答弁した。独立を果たすために、やむを得ず理不尽なサンフランシスコ平和条約第11条、すなわち東京裁判を受け入れたと言わんばかりの答弁である。
安倍長官は私に対し、GHQ側に立った発言だと言ったが、安倍長官の発言こそ戦争の指導者たちの立場に立った発言ではないか。戦場に送られ、生命や財産を奪われるなど戦争で苦しんだ国民の立場からは理解できない論理ではないかと思う。
次に私は、60年前の戦争の責任は誰が負うべきなのか、そして、どこで間違えたのかを日本自身が総括すべきではないかと質問した。
例えば、昭和6年に満州事変が発生したとき、政府として局地解決という方針決定をしたにもかかわらず、勅命もないまま朝鮮軍が出兵し、紛争は拡大した。昭和12年の盧溝橋事件でも、不拡大方針の閣議決定にもかかわらず全面的な日中戦争に拡大した。しかも、一部軍部の独走について、結局誰も罰せられることがなかった。こういった曖昧な対応を繰り返してきたことが、戦争への道につながったのではないかとの指摘である。
もちろん、戦争に至った原因は複雑で、かつ当時の指導者たちも決して愚かな判断しかできなかったわけではない。しかし、結果を見れば、時代に流され愚かで悲惨な戦争をしてしまった。そのことの原因と責任を取るべき者について日本自らがきちんと総括すべきではないかということである。
もし、このような自らの総括をきちんと行ったのであれば、東京裁判のここが誤っていたと言うこともできる。しかし、このような総括を行わないまま、東京裁判は問題があり、やむを得ず受け入れたものと言ってしまったら全くの無責任、誰もあの悲惨で愚かな戦争について責任を負わないことになってしまう。
麻生大臣は、軍国主義が悪かったとか1億総さんげみたいな話があったと言ったあと、「特定のこの人だけが悪かったというような話があるかと言われると、(中略)なかなかこの人という、特定の人は、非常にやりにくいというのが現実だったろうと思いますので、そこで軍国主義というような話になっていったんだというのが経緯だろうなと思っております」と答弁。私は経緯を聞いたのではない。これが日本国外務大臣の答弁だと思うとがっかりする。
安倍長官は、「連合国との関係においては、極東国際軍事法廷によってそれぞれA級、B級、C級の方々が裁かれた、その方々が責任をとられたということではないかというふうに思います」と答弁。私は連合国との関係で誰が責任を取ったのかを聞いたのではない。日本の指導者であった人々のうち、誰が国民に対し責任があるのかと聞いたのである。典型的な言語明瞭意味不明の答弁であった。総理になろうとする2人には、正面から答えてもらいたかった。
私はさらに、国民全体に責任があったことは事実であるとしても、とりわけ当時のリーダーたちの責任は厳しく問われるべきであり、日本国として、どこでどう間違えて、あの悲惨で愚劣な戦争をしてしまったのか、そして、その結果として誰に責任があるのか、同じような誤りを繰り返さないためにもしっかりと見直すべきではないかと谷垣大臣を含めた3人の総理候補に質問した。
ここの部分はあらかじめ質問通告をしてあったので、3大臣はともに「政府としては歴史の検証は考えていません。識者が議論すべきこと」とほぼ同じ答弁。谷垣大臣には、他の2人とは異なる視点からの見解を期待して、担当外ではあったもののあえて質問したが、「私は当委員会で責任を持って論理的に詰めてお答えする部署にいるわけではございません」と型どおりの官僚的答弁だった。私としては、他の2人とは異なる見解を述べるチャンスをつくったつもりだったので、ややがっかりした。リベラルな発想を持つ総理候補らしく、踏み込んで自らの考えを国民に対してアピールしてもよかったのではと思う。
安倍さん、麻生さんに質問してみてよく分かったことは、東京裁判に対する根本的な不信感やA級戦犯に対する同情である。それぞれ閣僚としてかなり自制してはいるものの、2人の思いは答弁の中から伝わってきた。平成17年6月に小泉総理に質問したときの答弁とは明らかに異なるところがあった。
2人のいずれかが総理になった場合に、どのような答弁がなされるのだろうか。日本の歴史上最大の失敗と言っても過言でない61年前の戦争について、それを部分的であれ正当化するような人物が日本のリーダーになるのだろうか。質問を終えて、私は重い気分になった。
歴史認識の共有を
戦後、日本の60年前の戦争に対する認識は簡単に言ってしまえば、「日本にとってやむを得ない戦争だった。東京裁判は一方的であり認められない」との立場と「明確な侵略戦争であり、当時の軍国主義者に全面的な責任がある」との立場が両端にある。
私は、あの戦争を始めたことについて日本に多くの責任があることは当然であり、その事実から決して目を背けてはいけないと思う。同時に、歴史はより複雑であり、一部の軍国主義者だけのせいにしてしまうわけもいかないことも事実である。当時の指導者たちが、いろいろ悩んだり考えたりしながら、しかし結果を見ると明らかに誤った。どこでどう誤ったのか、なぜ誤ったのかという共通認識が、国民の間にも政府にも全くないまま今日に至っている。
当時の国際政治情勢、そして国内経済の混乱や国民生活の困窮、テロの横行や政府と軍部との対立など、日本は本当に大きな困難に直面していた。仮に同じ状況がいまの日本にあるとすれば、私がリーダーの立場にあったとして、間違いなく戦争を回避できると言い切る自信はない。同じ誤りを繰り返すことは当然あり得ると思う。
だからこそ、なぜ誤ったのか検証が必要なのである。戦後、農地改革が行われ地主は土地を失い、農村の構造は大きく改革された。財閥解体や旧経営者の追放がなされ、経済界も一新された。しかし、政治の分野においては、一時期の公職追放はあったものの、東西冷戦の深まりとともに、一部の日本の旧指導者たちはそのまま戦後政治の中で重要な役割を果たすことになった。
彼らに、場合によっては自らの責任を問われることになるかもしれない戦争の総括ができなかったことは、ある意味当然である。戦争の指導者たちの系譜を、一部とはいえ引き継ぐ自民党政権には戦争の総括は不可能だったのである。仮に、戦後どこかで政権交代がきちんとなされれば、状況は違っていたと思う。戦後 50年の村山談話も、社会党出身の村山総理だからこそ可能だった。
実は、終戦直後の昭和20年10月に「敗戦ノ原因及実相調査ノ件」という閣議決定がなされている。その内容は、「犯したる大なる過誤を将来に繰り返さないため戦争の原因及び実相に従事すべき部局を設置し政治、軍事、経済、思想、文化等あらゆる部門にわたり徹底的調査に着手する」というものである。また同年12月には、衆議院本会議で「戦争責任に関する決議案」が議決された。その中でも「敗戦の原因を明らかにし、その責任の所在を糾し、将来における不祥事の再発を杜記する」としていた。しかし、これらの閣議決定、本会議決議が実行に移されることはなかった。
「歴史家の判断を待つべき」との主張は、自ら総括できないことの言い訳にすぎない。政権交代することにより、本格的な総括が初めて可能になる。先の総選挙の際に、私は民主党代表として、民主党政権の下で、かつての戦争についての検証を行うための有識者会議を設け、戦争の機密文書の全面開示を行ったうえで、徹底的に専門家が調査・検証し、政府としての見解をまとめることを公約した。
もちろん、今さら当時の指導者を罰することはできない。しかし、誰がどこでどう誤ったのかという検証は徹底的に行うべきである。その過程で戦犯として裁かれた人々の一部について、裁判に問題があったとして名誉回復を行うこともあっていい。最終的には、国民的議論を実現するなかで、国民の先の戦争に関する認識の共有が可能になると思う。そして、自らの誤りを自らの手で総括できたとき、日本は国としての誇りを持つことができるのではないだろうか。
岡田かつやホームページ 小泉政治との5年 〜改革と外交を検証する〜
http://www.katsuya.net/koizumiseiji00.html
第1章 アジア外交の混迷と歴史認識
年 表
1)歴史認識の問題
2)靖国神社参拝問題
3)過熱する日中・日韓関係
4)日本にとってアジアとは
第2章 テロとの闘いからイラク戦争へ
1)9.11テロ発生と自衛隊アフガン派遣
年 表
2)イラク戦争に対する日本の支持表明
3)イラクへの自衛隊派遣是非論争
年 表
4)日米同盟の未来
年 表
第3章 先送りされ続けた社会保障制度改革
1)負担増論議先行の医療制度改革
年 表
2)抜本改革なき年金制度改革
年 表
第4章 自己目的化した民営化論議
1)迷走した道路公団民営化論議
年 表
2)最後まで噛み合わなかった郵政民営化論議
年 表
第5章 小泉政治とは何だったのか
1)小泉経済改革の明と暗
2)いずれも進展のなかった分権、財政、政治改革
3)大きな改革を実現し、日本の再生を
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