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山口二郎「岐路に立つ戦後日本」 = DemosNorte
http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/779.html
投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 8 月 17 日 19:38:51: mY9T/8MdR98ug
 

http://demosnorte.kitaguni.tv/e411378.html

 8月14日に引き続き、15日に第2回セミナーを開催した。当日券を求めて来場した方が予想以上に多く、記録的な猛暑の中で熱心に聴講してくれた皆様に、まずはお礼申し上げたい。8月15日に私が講義をしたのは、会場の都合によるもので、特別な意図はなかったが、ちょうど終戦記念日に話をするのだから、戦争の意味づけや戦後史を振り返ることを通して、現代政治の課題について考えるという話をした。以下は、私の講演の要約である。

 まず、参議院選挙の結果について、憲法改正や戦後レジームからの脱却という安倍晋三首相の目論見が完全に否定されたという点で、大きな意義があった。もちろん、自民党を拒否し、民主党を選択した民意の中身については吟味する必要があり、手放しで楽観できない。また、明文改憲の可能性は当分遠のいたが、米軍再編との関連で憲法や戦後体制を実質的に掘り崩す動きが続いている。その意味では、戦後レジームに対する挑戦は続いている。これをどのような意味で継承し、どの点を変革するか、我々は考えなければならない。

 戦後レジームをどう構築するかは、戦争をどう意味づけるかと密接不可分の問題である。戦争の意味づけや歴史観を日本人が共有できていないところに、政治の混迷の原因があるということもできる。歴史認識とは、歴史的事実をつなぎ合わせて作り出されるものであり、そこ個人の主観がどうしても反映される。どのような歴史認識を持つかは自由だとは言うものの、より他者にとって説得的で共感できる認識を持つべきだと私は考える。

 私たちのように戦後を生きる人間が戦争の意味づけを考える時、その時代を生きた人々、特に知識人の書き残したものを手がかりにするしかない。私は、永井荷風、石橋湛山などの自由主義者の論説に共感する。やはり満州事変以後の戦争は、誤った戦争であると判断しなければならない。戦争が誤ったものであるならば、当然、敗戦は解放として祝福されることになる。実際、湛山も荷風も論理は違っても、敗戦を祝っている。戦後の憲法が占領軍によって「押しつけ」られたものであることは明らかであるが、しかし同時に、当時の日本のエリートが用意した憲法案よりもはるかにすばらしい憲法を獲得したことも、国民の常識であった。この間の事情は、引用した資料を参照していただきたい。

 しかし、戦後レジームを作る上で、非業の死を遂げた人々をどう弔うか、悼むかという問題も避けて通れない。吉田満が『戦艦大和ノ最期』で書いたように、精神主義や自己満足で戦争の泥沼にはまった日本に対して、多くの戦死者は疑問を持ち、日本人を目覚めさせるために死ぬという意味づけをしていった。戦後の解放を祝福するものは、そのための犠牲についても思いをいたす必要がある。また、敗戦直後に中野重治が書いたような、戦争の犠牲者に対する共感を保ちつつ、戦争責任を追及するという論理を、その後の進歩派が十分確立できなかったことは痛恨事であった。

 戦後史を振り返れば、敗戦から1960年までの約15年間は、戦後レジームの形成過程であった。そこでは、敗戦を解放と受け止め、戦後憲法の理想に純粋に忠実であろうとした革新勢力と、敗戦を屈辱と受け止め、戦前への回帰を追求した保守派が対決していた。両者の対決は、60年安保で頂点に達した。その結果は痛み分けであった。憲法改正を断念し、岸信介首相が失意のうちに退陣したという点では、革新側が勝利した。しかし、自衛隊と安保条約が定着したという意味では、保守派が勝利した。

 60年代以降、両者の主張を折衷する形で戦後レジームが確立した。その柱は、外に対するそれなりの平和国家路線と内における繁栄と平等であった。池田勇人以降の自民党の指導者は憲法9条をそれなりに尊重し、自衛隊と安保条約を9条の枠組みの中に収めてきた。自衛のための実力組織は9条に反しないという論理は、純粋護憲派から見れば詭弁かも知れないが、専守防衛の理念の下で日本は攻撃的兵器を持たず、海外派兵もしないという平和国家路線を守ってきた。必要最小限の自衛力では対処できない事態には日米安保で対処するという論理で、安保条約を9条と整合させた。また、経済成長を政策の最優先課題に据え、豊かさを追求し、成長の果実をそれなりに均等に分配していたことも、戦後レジームの特徴であった。

 このような意味で、戦後日本の歩みは平和と豊かさを実現した成功物語として描くことが可能である。もちろん、そこにはいくつかの大きな欠落があった。1つは、昨日の辛さんの話にあったように、そもそも戦後レジームから排除されたマイノリティの存在である。豊かさや平和と無縁であった人々の存在をどうとらえるかは、我々にとって避けて通れない課題である。

 第2は、抱え込み社会の歪みである。日本の場合、弱者保護や平等化を公平なルールを通して行うのではなく、パターナリズムの秩序を通して行ってきた。官尊民卑、中央集権、日本的経営における労働者の人格的服従、女性差別など、社会の様々な側面で上下関係を設定するのが日本の特徴であった。そうした上下関係に従順に服従すると、ある程度の平等な分配に与れたが、そうした関係を拒否すると厳しい抑圧に会うという逆の側面も存在した。多様な人間をそれぞれ自立した主体として尊重するという社会の気風を造り出すことはできなかった。だから、戦後レジームを手放しで賞賛することはできない。

 こうした戦後レジームが動揺し始めたのは、バブルの崩壊とグローバリゼーションという大きな変化に襲われた1990年代からであった。

 冷戦の終わり、テロの衝撃などによって、アメリカは軍事力を前面に出して自国の権益を追求するようになった。もはや、自衛隊は専守防衛という理念を失い、日米安保は日本の安全を確保するための枠組みではなくなった。アメリカによる一国主義的な軍事行動にどう対応するか、厳しく問われているのが現状である。

 また、経済面でも戦後レジームは破綻しつつある。雇用の安定、地域経済の維持など、戦後レジームがもたらした恩恵は、次第に一部の世代、一部の階層の人々だけが持つ既得権と化しつつある。バブル崩壊後に社会に出たいわゆるロストジェネレーションにとっては、戦後レジームの安定は無縁のものである。こうした不満感は、比較的若い世代が小泉改革を支持した背景要因である。小泉改革は、パターナリズムの秩序を打破し、既得権を奪うというメッセージを持ったからであった。

 ではここから何処へ向かうのか。我々が、ポスト戦後の日本にどのような社会を造り出したいと考えるのか、その点が問われている。

  これからどこへ行くかという議論の中身については、第2部の中島岳志氏との対話の紹介と絡めて、記すことにしたい。中島氏は、気鋭のインド政治研究者で、1年ほど前から北大の准教授を務めている。つい最近は、平凡社から『パール判事』という本を上梓した。この本は、東京裁判の判事を務め、判事の中で唯一A級戦犯の被告の無罪を主張したパールの評伝である。

 中島氏は、戦争の意味づけや戦争責任について論じる前に、参院選に現れた民意の動向についての問題提起をした。その要点は次の通りである。
昨年の8月15日、当時の小泉首相が靖国神社に参拝した時、世論調査によれば参拝に賛成した国民が、参拝前から参拝後にかけて4割も増えた。それだけ多くの日本人が自分でものを考えることをせずに、政治家の行動に付和雷同していることの表れだ。また、テレビ番組の捏造をめぐる世論の動向を見ても、自分のおっちょこちょいを棚に上げて他者を罰するという動きが目立つ。このように、付和雷同する人や、何か誰かが悪いことがはっきりと示された途端にそれに対するバッシングに参加する人こそ、ファシズムの担い手になるのだろう。その意味で、日本の世論状況は楽観できない。参議院選挙で自民党を任せた国民の世論なるものも、それほど確かなものではないだろう。

続けて、彼はパール判事の評伝を書いた意図について説明してくれた。
パールはA級戦犯の無罪を唯1人主張したことで、日本の右派はこれを自分たちの同類のように高く評価している。しかし、パールは日本の植民地支配や侵略を厳しく批判しており、事後法によって遡及的にA級戦犯を裁こうとした東京裁判を認めなかっただけである。いわば、法的には無罪であっても、道義的には罪が大きいと主張していた。今月、安倍首相がインドを訪問する際に、パールの遺族に面会すると報じられている。安倍は、8月15日に靖国神社への参拝を見送った代わりに、右派のご機嫌を取るためにパールの遺族に会おうとしているが、不勉強も甚だしい。パールはガンディーの絶対平和主義を受け継ぎ、日本の平和憲法を強く擁護していた。また、外交路線としてもアメリカに追従するのではなく、独自の平和路線を歩むべきだと主張していたのである。

戦後レジームの継承、発展を考える時、特に対外政策に関しては、憲法9条を戦略的に使うという知恵が必要になるという点では、私も中島氏も同じである。現在の9条改正論は、単なるアメリカの圧力の反映にすぎない。集団的自衛権の解禁論議も同じである。このままの状態で9条を改正すれば、日本はますます国家としての主体性を失うに違いない。それは、ナショナリズムを標榜する右派のすべき事であろうか。アメリカと距離を置くことは簡単ではないが、イラク戦争の検証、アジアとの対話などを通して、日本の生き方に関する別の選択肢を少しずつふくらませることが必要となるであろう。
国内政策に関して言えば、先の参院選に現れた民意のエネルギーを戦後レジームの再建に向け、建設的に導くことが必要となる。年金に対する不信が政治への関心を呼び覚ましたことには大きな意味があるが、単に既得権としての年金を守るというレベルに議論が終始していては、政治の変革にはつながらない。昨日の辛さんの話にあったように、多様な個人をありのままに尊重しつつ、そのような個人が相互に連帯するような社会を造り出すことこそ、戦後レジームの再建の道である。

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