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[Apes! Not Monkeys! はてな別館]に次のようなコメントをつけて、野中広務元自民党幹事長が南京虐殺集会で語ったという毎日新聞記事を紹介していた(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070816/p3)。
野中氏は地盤が京都だから、第16師団に所属していた将兵と面識があってもなるほど不思議ではない。捕虜の殺害、非戦闘員でも男性の殺害に比べると女性や子どもの殺害体験はなかなか語られない傾向があるだけに、貴重な証言だ。殺害それ自体については「伝聞」とはいえ、フラッシュバックを起こした場面には野中氏自身が立ち会っているわけで、単なる伝聞にはとどまらない意味をもつ。
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以下は http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/news/20070815ddf041040005000c.html からの転載。
(ウェブ魚拓:http://megalodon.jp/?url=http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/news/20070815ddf041040005000c.html&date=20070816183252)
終戦記念日:62回目 終わらせない戦後
太平洋戦争の多くの犠牲者を追悼する終戦記念日が巡ってきた。憲法改正への動きなどが加速し、平和を重んじてきた戦後が揺らぐ中、東京都千代田区の日本武道館で15日開かれた全国戦没者追悼式。年々進む世代交代の中、101歳の母から10歳のひ孫まで、世代を超えて平和への願いを込めて祈りをささげた。
◇息子に不戦誓う101歳 曽祖父へ思いはせる10歳
参列者の最高齢となった東京都杉並区の松岡コトさん(101)。戦没者の親としてただ一人参加した。「息子のことを忘れたことはない。今年が最後になるかもしれないから」。二十数年ぶりに訪れた武道館で思いを語った。
長男欣平さんは1943年に富山の歩兵連隊に入隊、21歳で学徒出陣した45年5月27日、ビルマ(現ミャンマー)のモールメーンで空襲を受け、防空ごうの中で戦死した。戦友が終戦直前、遺髪を持って戦死を伝えた。疎開先の富山で欣平さんの戦死を聞かされて泣き崩れた両親の姿は、今も三女則子さん(72)の目に焼きついている。コトさんはその後しばらく、復員兵の中に欣平さんの姿を捜し続けた。
欣平さんは6人きょうだいの最年長。東京帝国大(現東京大)経済学部に入学して約2カ月後、召集令状が来た。「帰ってくる」と喜びの表情で出征したが、戦場からの手紙には勉強への未練や最期への覚悟が書かれていた。「世はまさに闇だ。戦争に何の倫理があるのだ」。戦没学生による手記「きけ わだつみのこえ」に記された欣平さんの入隊前日記には心の葛藤(かっとう)が描かれていた。
「本心は寂しかったんでしょう。二度と戦争なんかあってはならない。子供を出した親はみんな同じ思いで生きてきた」。コトさんは、欣平さんに平和のありがたさを改めて語りかけるつもりだ。
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中屋穂香さん(10)は今回の参列者の中で最年少の小学校4年生。この日、父母と兄、伯父と一緒に参列した。曽祖父豊信さんは2人の息子が徴兵された後、41年に志願して海軍の工員として採用され44年10月18日、中国・海南島からの帰還途中に乗船していた日瑞丸が爆撃を受け沈没、戦死した。
穂香さんの父和尊さん(42)は、豊信さんの妻で自身の祖母駒代さんが生前「家族ができたら一度、追悼式に参列しなさい」と言っていたこともあり今回、初めて参列することを決めた。
「(戦争について)まだ、よく分からない」と話す穂香さんと「戦争しないよう自分なりにできることをしたい」と考えるようになった兄有登君(13)。穂香さんは「思いを込めて戦争で亡くなったひいおじいちゃんの名前を呼びたい」と語り、会場へ向かった。
◇「傷跡修復が責務」野中元幹事長、南京虐殺集会で語る 「第21回アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」(同集会実行委員会主催)が15日、大阪市中央区のドーンセンターであり、約350人が参加した。南京虐殺の遺族らが体験を語り、現地を3回訪れた元自民党幹事長の野中広務さん(81)が「戦後62年たっても、愚かな戦争の傷跡が残っている。その修復をしなくては時代を生きた人間として責任を果たせない」と語った。 野中さんが、南京虐殺の被害者と一緒に集会で話すのは初めてという。冒頭、南京虐殺にかかわった旧日本兵の男性と現地を訪れた際、男性が「上官の命令で、女性や子どもたちを目をつぶって殺した」と話し、震えて動けなくなったなどと話した。また、一部の日本の歴史家らの「南京虐殺はなかった」との主張に対し、「私は現地に行き、虐殺にかかわった人の経験を聞いている」として批判した。【久木田照子】
◇名張で撃墜B29、11人の名刻み悼む
三重県名張市では、同市の山中に墜落した米B29爆撃機に搭乗し、捕らえられて処刑されるなどした兵士11人の氏名を刻んだ石標が完成。15日午後、墜落現場で除幕式が行われた。これに先立ち、地元住民らが「平和の集い」を開き、米兵や戦没者の冥福を祈った。
B29は1945年6月5日、神戸などを空襲後に撃墜された。資料などによると、搭乗員11人中2人はその際に死亡、パラシュートで脱出した9人は処刑されたという。
「戦争犠牲者に敵味方はない」。近くの地蔵院青蓮寺の耕野一仁住職(58)が、戦後60年の一昨年から、地元住民と米兵の慰霊祭を開催。昨年5月には追悼碑を建立した。その後、米兵11人の氏名や階級が判明し、新たに石標を建立した。耕野住職は「平和を守り次の世代に引き継ぐことが、今に生きる私たちに与えられた使命」と話した。【金森崇之】
◇小泉前首相参拝、境内でも賛否−−靖国神社
明治維新以降の戦死者約246万柱を神として祭る靖国神社(東京都千代田区)には15日朝、真夏のせみ時雨の中、人波が続いた。神社側が「静かに慰霊する一日に」としながらも、境内にはたびたび大声が。午前8時20分ごろには小泉純一郎前首相が参拝。「バンザイ」の声に交じり、一部から「恥を知れ」の声も。
また、日の丸をあしらった制服を着込んだ右翼関係者が団体ごとに続々と参拝し、「ノボリは下ろして」と注意する警察官や警備員に「ばか者、ケチ付けるな」「お前は参拝したのかよ」とすごんだ。【鶴谷真、生野由佳】
◇第2試合中断し選手らが黙とう
第89回全国高校野球選手権大会が開かれている阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)では15日正午、約1分間の黙とうをささげた。第2試合の仙台育英(宮城)−智弁学園(奈良)戦が一時中断され、サイレンが鳴り響く中、選手や観客らは戦没者の冥福と、平和に野球ができる時代が続くよう祈った。
大阪府高槻市の会社員、森脇潔さん(35)は「戦争を知らない世代なので普段は考えることがないが、今日は考え直すいい機会。二度と戦争を繰り返さないようにと願います」と話していた。【田中博子】
毎日新聞 2007年8月15日 大阪夕刊
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