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戦後の歴史を省みるとき、憲法に対する態度はひとつの大きな分水嶺であった。憲法改正を唱えるグループは保守勢力と呼ばれ、これに反対し憲法を護ると主張する勢力は革新と呼ばれた。「保守」と「革新」という対立軸を誰が付けたのか私は知らないが、きわめて意味のある正しい対立軸だったと思う。昭和憲法を特に強く改正しようとする者は、昔も今も右翼反動であった。右翼反動は保守反動とも呼ばれてきた。
私の考えによれば、昭和憲法が60年以上も存続してきたのだから、正しい意味における保守はこの憲法秩序を前提にしながらものを考えなければならないと思う。私は長い間自民党の国会議員を務めてきたのだから、世間的には間違いなく保守政治家であろう。私自身、保守政治家であることを否定しようとは思わない。そして自民党にいた時から憲法改正に否定的主張をする私は、よく保守リベラルと呼ばれてきた。保守反動に対して、それほど悪い政治家ではないという意味で使われてきたのかもしれないが、私はそう呼ばれることがあまり好きではなかった。リベラルはリベラルなのであって、保守でも革新でもないというのが私の考えだからである。
細かいことはさておき、憲法改正を強く主張する者が昭和憲法的な秩序と価値観に嫌悪感をもっていることだけは確かであった。彼らは明治憲法的な秩序に回帰しようとしていた。少なくとも新しい秩序を構築するために努力するのではなく、明治憲法的な秩序や価値観に頼ろうとした。安倍首相は、私よりも若い政治家である。そして彼は憲法改正を内閣の政治課題とすると明言している。参議院選挙で惨敗した彼には、もう憲法改正を行う政治力はないがこの同調者はまだ蠢いている。彼らは一方では改革を叫んでいる。しかし、その根底に明治憲法的な秩序に頼ろうとしている者がいう“改革”には、政治的魅力も迫力があろう筈がない。
それでは憲法改正を阻止しようとした人たちは、はたして昭和憲法的な価値観に忠実だったのであろうか。昭和憲法の最大の特長は、なによりも自由主義的憲法であるということである。この原則に従って、非合法とされてきた共産党も活動を再開したし、社会党などの革新政党が結成された。しかし、共産主義や社会主義に忠実であろうとすれば、昭和憲法が理想とする自由主義的な秩序と価値観は革新勢力の理想と矛盾するところがあったであろう。
私はそのことの故をもって、護憲勢力を非難しようとしているのではない。労働組合運動や人権を守る戦いを現実に展開したのは、間違いなく社会党や共産党だった。しかし、両党にとってそのような活動をしなければ、政党の基盤である労働組合や活動家を守れないという現実的な必要があったことも否定できないことであった。それも私は非難しようとは思わない。思想・信条の自由は、自由主義の基本の中の基本だからである。
昭和憲法は自由主義をもっとも基本の価値としている。憲法を守る戦いは、すべての国民の自由を戦いでなければ普遍性がなくなる。刑事事件の冤罪裁判などをみれば、社会党や共産党の活動家がこれを支えたことは事実である。また朝日訴訟のように生存権(憲法25条)を具体化する戦いもあった。わが国の基本的人権を具現化する広範な“権利のための闘争”を担ってきたのも革新勢力と呼ばれる人たちであった。
こうした人々は、自由主義的な秩序ということを必ずしも理解していなかった。彼らが共産主義や社会主義を理想とするならば、それはやむを得ないことであった。当時は冷戦の時代であった。西側陣営に属することを運命づけられていたわが国においては、革新勢力の“権利のための闘争”は反体制運動とみられる危険性があった。右翼反動は、このことを巧みに突いていった。政治の世界でこのようなことが行われるのは避けて通れない。このことは憲法を守る戦いの広がりを徐々に妨げることとなっていった。
<明日につづく>
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