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戦没者への感謝や戦死者家族への共感が衰え、感情の共有が弱体化した巨大な帝国の多くが消滅していきました。
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投稿者 TORA 日時 2007 年 8 月 15 日 15:54:40: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu149.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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戦没者への感謝や戦死者家族への共感が衰え、共同体の歴史を背負
った感情の共有が弱体化した巨大な帝国の多くが消滅していきました。

2007年8月15日 水曜日

◆国家の栄光・挫折の歴史の情動的継 2006年7月9日 カウセリングルーム
http://charm.at.webry.info/200607/article_5.html

国民国家の秩序と精神を維持して覇権を志向する(他国に影響力を振るう)国力を増強するためには、『平和(停滞)の倦怠』よりも『戦争(競争)の緊張』のほうが望ましいというのは一つの歴史的事実である部分があります。
ここでいう戦争というのは、実際の国家間戦争や武力衝突を意味しているわけではなく、精神的次元で恒常的な平和や競争的な緊張へと向かうベクトルを含むものです。

語弊を恐れずに言えば、反復的な平和の倦怠というのは『集団の歴史・戦争の記憶を忘却する民族(社会道徳・コミュニティの規律が弱く価値観が分散する集団)』に生まれやすいものであり、集団的な闘争の緊張というのは『集団の歴史・戦争の記憶を伝達する民族(社会道徳・コミュニティの規律が強く価値観が凝集する集団)』に生まれやすいものです。

故に、国家の伝統や歴史に深い造詣を持ち、先祖の生き様と業績に強い共感と敬意を抱いて、その『栄光と屈辱の情動的記憶』を国民へ自己保存的に伝達しようとする政治的エリート層を抜きにして、集団規模の戦争の緊張(対外的な攻撃衝動・憎悪怨恨に基づく連帯感)は生まれ難いと言える部分があります。

とはいえ、国家の自国称揚の歴史・文化を記憶して子孫に伝達することが戦争の原因となるから、歴史を世代世代で忘却していったほうが良いと短絡的に結論することはできないし、またそういった歴史性の断絶を意図的に行うことは通常できません。
そういった過去の歴史の情動的記憶(敗戦への怒り・栄光の歓喜)との切断があってなお独立国として存続している国家は、長い歴史を顧みても、侵略戦争が法的に否定され人権思想が普及した近代後半以降の時代にしか存在していないからです。

過去に蓄積された民族・国家の歴史を完全に喪失してしまえば、ローマ帝国やペルシア帝国、バビロニア王国、ムガール帝国のために命を捨てて戦おうという国民が現代に最早存在しないように、その共同体を防衛しようとする主体になる構成員(国民・市民)が不在となります。

何故なら、『国家の栄光・名誉・屈辱・敗北』の歴史を情動的に記憶し伝達することが、国民アイデンティティ(民族アイデンティティ)の基盤にあり、国家共同体の団結心や一体感の源泉となるからです。
特に、中国や北朝鮮のように軍事的な強盛国を目指す国家にとって、『国家の栄光・名誉・屈辱・敗北』の歴史を情動的に記憶し伝達することは必要不可欠なので、今でも日中戦争や日韓併合といった歴史の情動体験を出来るだけリアルな感覚と共に子孫に継承しようとしているのです。
排他的な価値判断を一般化したバイアスの強い歴史教育は、平和教育と逆行するベクトルにあるのは確かであり、中立的な歴史教育とはかなりの懸隔が生じてくるとは思いますが…。

翻って日本の場合には、保守的な反動や軍事力増強の主張が一部に見られるものの、戦中戦前の『国家の栄光・名誉・屈辱・敗北』の歴史をそのまま情動的に継承しようという思想の影響力は強くありません。
国民の多くは、第二次世界大戦期の情動的記憶を現在の自分とは切り離して考えている為に、例えば、原爆を投下したアメリカに対する憎悪や復讐の感情を抱いている人は殆どいないし、かつて日本が領有していたアジア全域にわたる軍事的覇権を回復しようとする人もまずいないでしょう。

『軍事的外交の放棄』や『民族的情動の歴史的切断』という意味では、日本(大日本帝国と現在の日本との歴史的連続性・精神的継承性に関して内部対立のある日本)とドイツ(ナチス政権を特異的な逸脱としてドイツ民族の歴史から捨象しようとするドイツ)はある程度近似した政治状況に置かれていると言えます。

かつて、日本に植民地化された歴史を持つ朝鮮半島や中国が靖国神社参拝に強く抵抗する心理的背景には、『日本が戦後封印してきた民族的情動(歴史性への敬意)の回復』を抑止したいという思いがあるのではないでしょうか。

中国や朝鮮は、『国家(民族)の栄光や屈辱の歴史』を情動的に継承する歴史教育が国民の基本的価値観(愛国心・郷土愛・祖先崇拝)に与える大きな影響を経験的に知り尽くしています。
その為、祖先の功績や犠牲に対して敬虔な哀悼や感謝の念を捧げる靖国神社参拝の持つ『象徴的な意味=自己犠牲の精神の肯定』を恐れていると解釈することが出来ます。
国(共同体)の繁栄や興隆よりも個人(自己や家族)の利益や安全を優先する国民が大部分である国家は、軍事的に強大化したり覇権主義に転換したりする可能性が乏しいですから、日本の現在の風潮(民族性や歴史性への共感・敬意・回帰が弱い傾向)は、日本を軍事的な仮想的国とする側(現在の日本に切迫した軍事的脅威があるとする見方は、かなり強引な想像力の飛躍が必要ですが)から見れば安心できる状況ではあるのでしょう。

戦死者に哀悼や敬意を捧げることが即軍国主義化や排他的ナショナリズムに接続するわけではありませんが、過去の軍事覇権国や政治強国を振り返ると『戦没者の顕彰と戦死者家族への恩賞=公共の追悼施設の整備』に非常に力を入れていたことに気づきます。
反対に、戦没者への感謝や戦死者家族への共感が衰え、共同体の歴史を背負った感情の共有が弱体化した巨大な帝国の多くが、自国防衛の気概や共同体への帰属感を失って歴史の舞台から消滅していきました。

つまり、共同体の為の死を『崇高なる犠牲』として顕彰(英霊化・神格化)し、公的な名誉や特別な保障を付加しなければ、個人的利害(生存欲求)を越えた強力な軍隊を組織することは極めて困難なのです。

強力な団結心・連帯感で支えられる国家共同体が持つ特徴として、『国家の物語の共有・民族の歴史の継承・過去の栄光と屈辱の情動的記憶の保持』があります。
その意味では、首相の靖国神社参拝は、日本人の歴史的な一体感や連帯感を呼び覚ます『日本民族のアイデンティティの再統合』や『歴史的連続性(祖先との連続性)の回復』を象徴しているといえるでしょう。


◆『日本人はアメリカを許していない』 西尾幹二
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4898315674.html

アメリカは二十世紀の歴史にとってつねに問題でありつづけた。この国は力であり、富であり、希望であり、悪魔でもあった。アメリカを理解し、抑止することに各国は政治力を振りしぼり、アメリカの方針を誤算したばかりに手ひどい傷を負う国も稀ではなかった。それでもアメリカを愛する人は少なくない。寛大で包容力のあるときのアメリカは魅力的だからだ。しかし利已的で判断ミスを重ねるときのアメリカはいくら警戒してもしすぎることのないほどに、恐ろしい。

日本は隣国であり、アメリカとほぼ同じ一九二〇年代に一等国として世界に名乗りをあげた競争国でもあることを忘れないでおきたい。史上において対等であったというこの観点をわれわれは見失ってはならない。アメリカがもて余すほどの力をもって安定しているときには、わが国は弱小国の振りをしていてもいいかもしれない。依存心理に甘えて居眠りをしていても許されるかもしれない。

しかし国際社会におけるアメリカの政治力が麻痺しかけ、経済力にも繋りがみえ始めている昨今、アメリカは手負いの獅子になって何をするか分らない可能性があり、そういう情勢に対して、わが国は十全の気力と対抗心をもって警戒に当たらなければならない。

そのためには自国の歴史が劣弱だという意識を抱いていては到底やっていけない。本書はそのことを知っていただくために書かれた本である。

昭和二十年(一九四五)からベルリンの壁の崩壊(一九八九年)まで、米ソ対立の厳しい時代、いわゆる冷戦構造下の時代にあっては、わが国は外交権をアメリカに委ねていたに等しかった。核パワーのバランスの谷間にあって、偶然の幸運で、何をしないでも安全だったし、何かしないでいるほうがかえって良かった。それにすっかり慣れっこになって、惰眠をむさぼりっづけてきた。

「ベルリンの壁の崩壊」が象徴する冷戦の終焉から、今年でかれこれ十八年が経過している。十八年間の前半は湾岸戦争とバルカン半島(旧ユーゴスラヴィア)の内戦で特徴づけられる。共産主義体制の解消は幸福や安定ではなく、新しい混乱と悲劇をもたらしたわけだ。それはまず地球の西側で起こった。そして中国大陸などの東側は、いぜんとして「冷戦」がつづいている。壊れかけた時計の針が止まったままで、平和ではあるが、腐敗した信じがたい人間性破壊の出来事が織り重ねられている。

この期間を通じて、中国と韓国はわが国の「歴史」に対する攻撃を繰り返した。北朝鮮が「拉致」という犯罪を蔽い隠しつづけた。「歴史」への攻撃は首相の靖国参拝の停止要求と検定教科書の内容への介入という形をとって、具体的に、きわめて執勧に実行された。

十八年間の最後の三分の一は、二〇〇一年ニューヨーク同時多発テロで始まる。あれから今日までの六年間、テロを恐れるアメリカのなりふりかまわぬ軍事行動が地球を震憾させつづけた。反テロ戦争と称するアフガニスタンとイラクヘの介入はいまなおつづいている。せっかくバルカン半島の戦乱はおさまったというのに、地球の西側はまた火を噴いた。そして、北朝鮮や台湾をかかえる東側をも不安定にし、飛び火しかねない情勢である。

アメリカは十八年前に旧ソ連に対する核開発競争に勝って、「冷戦」に終止符を打ったはずなのに、このところロシアが力を盛り返し、中国とともに、アメリカに拮抗する覇権をあらためて求める再挑戦を企てはじめている。アメリカはいったん手に入れた一極集中権力の座を、急に失いはしないものの、自分で自分を不安定にし、危うくし始めているのだ。

本書に収められた八編の論文は、平成七年(一九九五年)九月から平成九年(一九九七年)十二月までの二年四ヶ月ほどの期間に集中的に書かれている。この二年四ヶ月は先述の十八年間の歴史のほぼ真中、前半のいちばん最後の時期に属している。ニューヨーク同時多発テロの起こる四、五年前で、冷戦に勝ったアメリカが一極集中権力を掌握したいわば頂点にあった時代といっていい。

従ってアメリカに対する日本の当時の論調は一般に対米追随的であった。他方において、中国・韓国からの日本の「歴史」への攻撃は盛んで、それにどう対応するかで言論界は沸騰してもいた。いわゆる「歴史認識問題」である。中国・韓国の攻勢に対し迎合し、屈服する日本人も少なくない中で、これに反論し、対決する保守系の言論姿勢に私は同調していたことはいうまでもないが、「歴史認識問題」とは要するに大東亜戦争の再評価の問題であるから、アメリカとの戦争の再検討、戦時中の日本の立場の正当さの再認識の問題でもあることは避けて通ることができないであろう。私はそう考え、そのような主張を展開していた。

本書に収められた八論文はいずれも旧敵国全体に対する日本の「不服従」の感情と道理を明らかにしようとした内容を示していて、中国や韓国の「歴史」攻勢にだけ対応したものではない所以は、そのような論拠に基くのである。

本書の初版本のタイトルは『沈黙する歴史』であった。という意味は、こうだ。敗戦国はいまは仕方なく「沈黙」しているが、戦争の帰結として強いられた立場に「不服従」の意志をじっと裏に秘めて生きつづけているのだ、ということをこの本の標題で表わそうとしていた。

今度再刊に当り、『日本人はアメリカを許していない』という思い切った題に改めたのには次の理由がある。二〇〇六年ころから東アジアの政治情勢はにわかに不安定になり、アメリカの政治力に撃りがみえ始めると共に、アメリカが日本に対し突き放した冷たさ、ときに害意を示す徴侯があらわになりだしたからである。日本は対米依存心理から一日も早く脱却しなければ早晩危うくなる時期を迎えている。

なによりもわが国に求められているのは独立国家の国民が当然もっていなければならない自尊心である。(P3〜P7)


(私のコメント)
安倍総理は8月15日の参拝はしないようですが、どのような意図でしないのだろうか? あるいは外国からの政治的圧力でしないのだろうか? 外国からの圧力でしないというのならば靖国神社に祀られた英霊はどのように思うのであろうか? こうなる事は村山談話の継承や河野談話の継承などで想像はついたのですが、総理大臣をはじめとして天皇陛下も靖国神社を参拝されないと言うのは、一種の国家危機でもある。

外国からの圧力で靖国神社に祀られた戦没者に感謝の気持ちと、共同体としての歴史観の共有がなされなくなると言うのは、まさに国家が滅びる前兆でもある。もちろん日本武道館などでは天皇皇后両陛下ならびに総理も参列して毎年慰霊祭が行なわれていますが、外国からの圧力でそのような形式を取っているのであり、本当の慰霊ではない。

私が問題にしたいのは靖国神社に参拝するしないの問題ではなく、外国からの圧力で国家の代表者がしたくても出来ないと言う現象に危機感を持つのだ。外国からの圧力とは中国や韓国のことを指しますが、最近ではアメリカからの圧力も含まれているのではないかと想像する。従軍慰安婦問題などでアメリカの国務省は河野談話の継承を要求した。安倍総理の戦後レジュームの脱却というスローガンに警戒感を持ったから、靖国参拝でも反対の圧力をかけるようになったのかもしれない。

考えてみれば62年前は日米両国は戦争をしていたのであり、その戦争に対する歴史的見方も対立するのは当然だ。しかしながら東京裁判において日本は侵略戦争を仕掛けた犯罪国家という歴史的見方が強要され、学校教育でもそのように書かれた教科書で教育されてきた。しかし歴史的事実を分析すればするほど、当時の状況が分かればわかるほど、事実はそんなに単純ではない事が分かる。

62年経った今においても明らかにされない事がかなりあり、公開されてない資料などもまだかなりある。東京裁判も戦後の混乱した状況のままで十分な審理が尽くされたとはとても言えないし、BC級裁判などでは単なる報復による処刑もかなりあったようだ。これらも十分な検証がなされるべきなのですが、出来るのならば東京裁判の再審請求でもして検証がなされるべきなのだ。

毎年8月になるとテレビなどでも終戦の日特集などが放送されますが、NHKの番組なども東京裁判史観をそのまま踏襲したものであり、歴史に関心のないほとんどの国民は放送されたことが正しい事だと信じてしまう。せめて両論併記みたいな形で様々な見方があることを示して考えてもらうべきですが、日本がナチスドイツのようにホロコーストを行なったという事件は未だに曖昧だ。

東京裁判当時は、事件の当事者が沢山いたのだから物的な証拠なども揃えて十分な審議が出来たと思うのに僅かな目撃証言だけで責任者は処刑された。ニュルンベルク裁判では大虐殺の実行犯が出てきて証言していたのに、南京大虐殺で30万人を殺害した日本兵も少人数ではないはずだから、見つけ出して証言させることも出来たはずなのに、実行犯が見つからないのはなぜなのか?

侵略行為として明らかなのは柳条湖事件ですが、首謀者である石原莞爾が満州事変の中心人物がどうして起訴されなかったのだろう。本人も戦争犯罪人であると認めていたのだからおかしな事だ。当時の日本軍も独断で暴走した石原を処分する事はせず、かえって昇進させているのだから軍規もかなり乱れていたのであり、おかしな事なのだ。

このような事が起きた原因としてはマスコミの戦争扇動報道があり、政府や軍部も事件を起こした石原莞爾等を処分せずに英雄に祭り上げたのだ。当時のマスコミの戦争報道は異常なものであり、マスコミが煽れば国民がそれに流されるという風潮は現在でも変わってはいない。しかしマスコミも好きでそうしたわけではなく、そうしないと新聞も売れないから扇動的な記事を書き続けて日本を戦争気分を盛り立てた。


◆『朝日』が中国侵略で果たした役割 2006年7月12日
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/asahisinnbunngatyuugokusinnryakusennsoudehatasitayakuwari.htm

また「邦人大量虐殺の陰謀」という記事では「3千人の支那兵が、天津租界内の邦人1万5000人を虐殺し略奪をほしいままにしたうえ、日本租界を占拠しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する意図を有していた」などという「恐るべき計画」について、扇動している。戦後、これらはデッチあげであることが明らかになっている。
 さらに特派員電「恐怖の都・漢口を逃る――避難船に同乗して」では、「乗ってくるものの中には漢口生活40年という長老氏など1人でせっせと働いて、こしらへた財産を残して来たといふ気の毒な人やその他30年以上働いたものも4、50人もいて船中で集まると“膺懲支那”の1語に尽き徹底的抗日弾圧の気勢はむしろ避難民とは思はれぬ程の元気に満ち満ちている」と書いている。
 こうして7月29日付1面で「皇軍遂に膺懲の兵を進む」が載り、その後は連日「皇軍の向ふ所敵なし 暴支膺懲第1日戦績」などが、写真入りで掲載されている。8月11日付3面では、「支那が停戦協定(昭和7年)に違反して軍備を増強した」と非難しているが、その同じ紙面が、中国大陸で大増強される日本軍の戦車や大砲の写真特集となっている。
 そればかりではない。日本軍が上海攻撃を終えた同年10月28日付『大阪朝日新聞』は社説で、「この快勝の報に接し我が陸、海、空将兵の勇戦奮闘に対して謹んで満腔の敬意と謝意を捧げたい。同時に銃後の国民として戦勝気分に酔うが如きは尚早であって、支那抗日戦にとどめを刺すために、いっそう銃後の覚悟を緊張させなければならぬのである」と主張。コラム「天声人語」は、これだけの犠牲を払ったのだから占領地に傀儡(かいらい)機関をつくるなどのなすべきことを遠慮なくやれといい、そうしなければ、「たぎりたった国民の愛国熱が承知しないだらう」と政府の尻をたたいている。


(私のコメント)
東京裁判で裁かれるべきは日本を戦争気運を盛り立てて行ったマスコミであり、マスコミの扇動に乗った国民自身にある。いわゆるA級戦犯は強硬な国民世論に流された被害者なのかもしれない。マスコミというのは商売だから新聞や雑誌が売れなければ倒産してしまう。だから国民が喜びそうな事を大げさに書き立てては売上げを伸ばそうとする。

本来の言論機関ならば様々な意見があり、その中から真相を探りだして正解を見つけて行くべきなのですが、商業マスコミは売上げを競うあまりにより過激な事を書いては世論を間違った方向に導いてしまう。戦前においても戦争に反対か賛成か二つの意見が競い合うべきだったのでしょうが、当時は戦争に反対と言えば「非国民」と呼ばれた。

しかし戦後はそれとは全く逆になり、自主防衛や核武装を主張すれば「非国民」」と呼ばれて大臣の首が飛んだ。つまり構造的に180度ひっくり返っただけであり、靖国参拝が国民の圧倒的多数が支持するようになれば、マスコミも争って賛成するようになるだけだ。

だから戦前においても現在においてもマスコミを批判する言論が常にあるべきであり、それがマスコミによる世論のミスリードを防ぐ事になるだろう。


◆今こそ安倍総理は靖国神社に参拝すべき時なのだ。

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        戦没者の方々に敬礼!


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