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2007年08月15日
政治よりもはるかに重要な事
前から書こうと思っていた新聞記事があったが書く機会がないまま今に至った。盆休みで政治ニュースも枯渇しているこの機会に、やっと書く気になった。
私は政治的なるものが好きだからこのブログを書いているわけではない。それどころか政治や政治家は不要であると思っている。それが言い過ぎならば、極力縮小さるべきものであると思っている。自己犠牲を覚悟の少数の立派な人間だけが政治に携わればいいのだ。われわれ凡人は、というのが自虐的であるなら、我々一般の市民は、政治の事などにかかわる暇があれば、それぞれの人生を誠実に、そして一生懸命生きればいいのだ。そのような我々国民の生活が、公正、公平であるように、能力のある一握りの自己献身的な人間が政治を司ればいいのだ。
ところが残念ながら現実はそうではない。なんと多くの権力や名誉欲に取り付かれた連中が政治家となり、官僚と結託して国民の税金を使い、国家権力をほしいままにしていることか。現実の政治に嘘や隠蔽、不正義が存する限り、政治を彼らの独占物にしてはならない。情報公開を求め耐えざる監視を怠ってはならない。私が政治的なブログを書き続ける唯一の理由がここにある。
しかし、私の政治への関心は所詮それまでだ。人生にはもっと重要な事がある。というよりも、この世に生を受けた一人一人にとっては、生きていく上での矛盾や運命とどう折り合いをつけて生きてかということこそ最も重要なことなのだ。
憲法9条を守ろうと叫び続ける事は大切な事かもしれない。平和の重要さを訴える事もいい。しかし問題は、憲法9条が守られた後に、平和な状態が確保された後に、それでも立ち向かわなければならない無数の、退屈な問題が、我々の人生には山積し続けるということである。
前置きがながくなった。私が紹介したい新聞記事について書くことにする。それは7月8日付の中日新聞文化面にあった中村薫という仏教学者の、「月日流れても心癒えず」という記事の事だ。
「人間にとっての一番の悲しみは、愛しい人との別れであろう。その人との愛が強ければ強いほど、また別れは悲しいものである・・・」という書き出しで始まるその文章は、29歳の若さで鬱病の末に自死した娘への悲しみを書き綴ったものである。その悲しみを表す次の文章を目にした時、私は人間の非力さと弱さをしみじみと感じた。これは批判的に言っているのではない。限りない共感を覚えながら読んだのだ。我々人間はあまりにも悲しい存在なのだ。
「・・・その真意が分からないまま三年の月日が流れてしまった。その間私は、一日たりとも娘の事を思い出さない日はない。今でも、朝目が覚めると娘の名前を呼んでいる。一人で車を運転していると、娘の思い出が走馬灯のように巡ってくる。優しかった娘との思い出である。時には一人でいると、突然胸が締め付けられるようないたたまれない思いが襲ってくる。一人涙する事もある・・・愛別離苦の教えは、頭では理解しているつもりであるが、娘との別れに対しては五臓六腑が承知しない。聞いてきたはずの仏法も、思い通りにならない現実に立たされた時、みんな吹っ飛んでしまった。著名な人の本を読んでも一つも響いてこなかった・・・」
私がこの記事を目にした時は、参院選挙に臨もうとしていた時であった。私が中村教授の立場であったなら、選挙や政治よりも、愛娘との不条理な別離の理由探しのほうがはるかに重要であるに違いないと思いながらこの記事を読んだ。
そうなのだ。我々の人生には、政治の事なんかよりもはるかに重要な個人的問題が無数に存在する。その問題に遭遇した時にどう折り合いをつけていくか。あまりにも小さくて非力な人間が、それでもこの世に生を受けた以上巨大な不条理と立ち向かっていかなければならない。それが人生なのである。
そう考えた時、政治的な話題がすべてであると錯覚している政治家や政治的な話題が、とたんにつまらなく見えてくるのだ。この世の中には政治よりもはるかに重要な個人的問題が存する。そこにドラマや文学があり、芸術の世界があるに違いない。
http://www.amakiblog.com/archives/2007/08/15/
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