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[暴政]『確信の誘惑』に飲み込まれ厄病神と化した美しい国の青ざめた宰相
<注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070811
【資料画像1】ヒエロニムス・ボッス『荊(いばら)を冠ったキリスト』
[f:id:toxandoria:20070811074844j:image]
Hieronymus Bosch(ca1460-1516)「Christ Crowned with Thorns」 1500s. Oil on panel 73ラ59cm National Gallery 、London
【資料画像2】荊で美しく髷を結った『疫病神』のイメージ
[f:id:toxandoria:20070811074949j:image]http://www.nigaoehouse.com/bakatono.htmlより
この絵の主人公であるキリストの表情をよく観察してみてください。何か心当たりがないでしょうか?そうです、今の日本ではこのボッスのキリストと瓜二つの異様で両義的な表情を持つ人物(安部総理)が、参院選大敗の結果(国民一般の総意=安部総理はもう要らない!)を無視して宰相に居座っているため、日本の内政の混迷度が深刻化しつつあります。特に、その頼りなさそうに空を舞い、まるで泳ぎ回るかのように不安げな安部総理の目の動きがボッスの『荊を冠ったキリスト』【資料画像1】に酷似していることに驚かされるはずです(国民一般の総意が無視されていることの詳細(具体的内容)は、下記記事★を参照してください)。
★2007-08-08付toxandoriaの日記/真夏の夜の夢『怪談、寄生虫が取り憑いた美しい国の呪縛』からの展望、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070808
ボッスは、宗教的な隠喩を使いつつ、空想的な妖怪やカルト化した(この世のモノとは思われない何かにとり憑かれた)ような人物の表情や仕草について比類なく独自性をもった表現を完成させたたネーデルラント初期ルネサンスを代表する鬼才です。荊を冠ったキリストの絵は様々な画家が描いており、そのモチーフそのものはそれほど珍しいものでありませんが、このボッスの『荊(いばら)を冠ったキリスト』は極めて特異な性格を持つものだと看做されています。
マトウラーナ&バレーラの名著『知恵の樹』(ちくま学芸文庫、http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480083890/)は、ボッスのこの絵の意味を決定しているのは右下にいる人物の描写だと述べています。その男は衣をシッカリ掴んでイエスを地面へむかって強引に抑えつけています。つまり、その人物はイエスの自由を制限して、イエスの注意を自分の方へムリヤリ向けさせようとしています。それは、こんな風に言っているように見えます。「さあ、私の言うことを聞いて、私が語ることには絶対に間違いがないのだから!」
マトウラーナ&バレーラによると、これは「確信の誘惑」と呼ばれる“カルトへの誘いの入り口の描写”です。しかも、一般に我われ人間は“これが正しいという確信の世界にしか生きられない弱い存在”であり、“そのこと自体に善し悪しの区別はない”ということも事実なのです。別に言うならば、そのような意味での確信的な思い込み、つまりマトウラーナ&バレーラが言うところの“盲目の孤独”こそが“自分が真実だと考えていることに対して他のあり方はあり得ないのだと保証するもの”だという訳です。
ところが、アフォーダンス理論(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070510)を持ち出すまでもなく、周囲の生存環境から常に何らかの、これからも生きてゆくために必要な情報を絶えず手に入れなければ、その先々を生き抜くことができないという意味で、万能の神ならぬ人間(この絵では神の子であると同時に人間でもあるイエス)は“確信的な盲目の孤独”を乗り越えながら生きざるを得ない存在でもあるのです。
そこで、この冷厳なリアリズムの意味に気づくか気づかぬかが正統宗教とカルト宗教の違いであり、分水嶺だということになります。従って、仮に如何に優れた人間であるとしても、その人間がそれまでの経験から得た確信だけに基づいて行動しようとするとき、常に、彼の行為は他の人々の認識に対して“盲目の孤独”の中で営まれていることになるのです。
つまり、【資料画像1】に掲げたヒエロニムス・ボッスの『荊(いばら)を冠ったキリスト』は、一般には人々への愛の教えを貫くための、イエスのこの上ない忍耐と寛容の表現と見なされるべきものですが、同時に、イエスの注意を自分の方へムリヤリ向けさせようとする右下の異教徒の男の力づくの強引さによって、両義的な意味で“盲目の孤独ゆえに限りなくカルト化へ傾く恐れがあるキリスト像”ということにもなる訳です。これこそ、ボッスの『荊(いばら)を冠ったキリスト』が極めて特異な性格を持つものだとされる所以です。
そして、このような意味での人間の“宿命的な盲目の孤独”を乗り越えるために必要なのが、自分の周囲に居る他の人々とともに生起させる環境世界についての認識を絶えず共有できるように努力すること、つまり「環境リスク・コミュニケーション」(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070801)の意義が立ち上がってくるのです。このような努力があって始めて人間は暗黙知(相対知=より広いパースペクティヴ)としての科学的な知を理解し、それを十分に活用することが可能となるのです。
別に言うならば、このような認識プロセスを無視または軽視する人間は、他でもなく人間一般を“自分と同じ生命がある生きた実体として見ていない”ということになるのです。特に、そのような意味で独善的な政治権力者の周囲の存在は、すべてが文字通り「死の世界」に等しいことになります。つまり、そのような世界における他の人間たち(=一般国民・一般市民)は、専制的国家または一握りの支配層、あるいは一部の利害関係者のための道具に過ぎないということになるからです。
『知恵の樹』の終章でマトウラーナ&バレーラは、次のように語ります。
・・・人間であることの基本的な存在論的特性を強調するような社会的ダイナミクスについてぼくらは調べてきた。その特性とはすなわち、ぼくらはただ他の人々とともに生起させる世界だけを持つのであり、それを生起させるのを助けてくれるのは愛だけだ、ということだ。しかし、科学的な反省的思考をとる場合には、愛という観念には抵抗があるかもしれない。なぜなら、科学の合理的アプローチの客観性が損なわれることを恐れるからだ。しかし、愛とは、深い根をもった、生物としてのダイナミックスなのだ。愛とは、有機体においてダイナミックな構造的パターンを、つまり社会生活の作動的一貫性へといたるだろう相互作用への飛び石を画定する感情だ。・・・
ここで、もう一度、“盲目の孤独ゆえに限りなくカルト化へ傾く恐れがあるキリスト像”としてのヒエロニムス・ボッスの『荊(いばら)を冠ったキリスト』(【資料画像1】)のイエスを見ることにしましょう。やはり、そこで最も気になるのは異様で両義的な表情を持つ『ヒエロニムス・ボッスのイエス』であり、その自由を制限してイエスの注意を自分の方へだけムリヤリ向けさせようとしている右下の強引な男(安部総理で言えば、剥き出しのファスケスの刃を忍ばせた極右勢力が送り続ける秋波の呪縛/参照、下記記事▲)の存在です。それにしても、このイエスの表情はソックリそのまま“頼りなさそうに空を舞い、まるで泳ぎ回るかのように不安げな安部総理の目の動き”に重なります。
▲2007-05-26付toxandoriaの日記/「むき出しの斧」を欲する“美しい国”の妖しい情熱(4/最終回)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070526
つまり、<その衣をシッカリ掴んでイエスを地面へむかって強引に抑えつけている男>とは、“剥き出しのファスケスの刃”を懐に忍ばせた「昭和の妖怪」(岸伸介に始まるタカ派の流れ/参照、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B)が直系の安部総理へ送り続けてきた「美しい国」という“カルトがかった危険な隠喩の呪縛に他なりません。
しかしながら、この「昭和の妖怪」が照射し続けてきた危険な隠喩の呪縛ゆえに、安部総理は参院選の結果としての「民意」の内容を明らかに読み誤っています。しかも、この読み誤り振り(=バカ殿様化の度合)は周囲の想像以上であり、戦略が不在で、ひたすら意固地なだけにしか見えない安部総理の存在は、もはやその肝心のタカ派にとってすら役立たたずの<干からびた厄病神>と看做されつつあるようです(イメージは【資料画像2】を参照)。
ただ、“剥き出しのファスケスの刃”を懐に忍ばせた「昭和の妖怪」一派(=日本の極右勢力)は侮れません。それは、役立たたずの<干からびた厄病神>にまで落ちぶれた安部総理の存在までも、根こそぎにしゃぶって利用し尽くそうとする狡猾な作為(=安部総理を操りつつ、二枚舌のリップサービスと猫なで声だけで善良な一般国民を誑かそうとする意志)が垣間見えるからです。
例えば、その動きは、役立たたずの<干からびた厄病神=安部総理>が、8月6日の広島平和記念日に国側の敗訴が続いている原爆症の認定問題で“認定基準を専門家の判断の下で見直すことを検討させたい”と被爆者団体の代表らに表明したばかりであるにもかかわらず、その安部総理の舌の根が乾かぬうちに、非情にも『原爆症・熊本訴訟』について厚労省が控訴方針を決定したという直近のニュース(下記●)で報じられたことに明らかに表れています。
●『原爆症』熊本訴訟、厚労省が控訴方針/安部総理・発言の「基準見直しとは別」、http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007081002039984.html
・・・・・以下は、当記事の内容と問題意識を共有するTB・コメント&レスの転載です・・・・・
(TB kaisetsuさま to toxandoria、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070806)
最早、自由民主党はパラノイア症候群!!!
『toxandoria の日記、アートと社会』
2007-08-06 2007年春、ドイツ旅行の印象/ライン・クルーズ編 の残照
[ 副題/暴政 ] “バカ殿様・フリー”の空気に気づかぬバカ殿様が居座る日本の悲劇
【自民党】 安倍首相呆然、閣僚経験者3人が面前で「やめろ」発言 逢沢委員長「新機軸のメッセージないと、求心力保てない」★2
1 :うし☆すた・★:2007/08/08(水) 20:52:21 ID:???0
★安倍首相ぼう然、面前で「やめろ」発言
7日召集された第167臨時国会は、初日から波乱の幕開けとなった。自民党代議士会で、
中谷元・元防衛庁長官(49)ら3人の閣僚経験者が、安倍晋三首相(52)の目の前で突然、
辞任要求を切り出した。「総理が身を引かなければ荒波は乗り切れない」
「観客は、ホームランを打たれた投手の交代を求めている」。身内の辞めろコールを、
ぼうぜんとした様子で聞いた安倍首相の視線は宙を泳ぎ、さすがにショックを隠せなかった。
参院選で初当選した新人議員を紹介する両院議員総会の後、始まった代議士会の空気を一変させたのは、中谷氏の発言だった。「総理は責任を痛感していると言うが、自民党の政策を有権者に理解してもらえる態勢をつくるため、この際、いったん身を引くことで抜本的にやり直すべきだ」と退陣を求めた。
わずか50センチ横に、安倍首相が座っていた。首相は顔を上げなかった。中谷氏も首相の顔を見ず「抜本的な議論がないと、荒波は乗り切れない」と続けた。抜本的議論とは、退陣。代議士会で、本人を前にした退陣要求は前代未聞だ。
小坂憲次前文科相(61)と石破茂元防衛庁長官(50)も続いた。小坂氏は「この選挙は、安倍と小沢のピッチャー同士の投手戦。観客(有権者)は、ホームランを打たれた投手の交代を求めている。自ら続投を求めるのではなく、監督に意見を聞くべきだ」と強調。
メディアで退陣要求を繰り返す石破氏も「何を反省しどう改めるか、はっきりさせるべき」とただした。(中略)
同党はこの日、衆院比例代表ブロックごとに参院選敗因分析の意見聴取を始めたが、厳しい意見が続出。逢沢一郎衆院議運委員長(53)は「首相が続けたいという以上、結果責任の総括と新機軸をどう出すかのメッセージがないと、求心力が保てない」と話した。
(レス toxandoria to kaisetsuさま)
『kaisetsuさま、記事紹介&TBありがとうございます。
中谷・小坂両氏の「抜本的な議論がないと、荒波は乗り切れない」という思いは自民党・タカ派の人々のホンネであり、更に言うならば「安部がコレホドの“馬鹿”とは思わなかった!」というところでしょうか?
おそらく、自民党タカ派にとって今の意固地になって立ち往生する安部は単なる“バカ殿様状態”を遥かに飛び越えたパラノイアを病む“疫病神”になっているのかも知れません。』 (2007/08/09 07:47)
(TB kaisetsuさま to toxandoria)
「アイロニカルな没入」という概念は、雑誌「世界」2月号で「大澤真幸氏が『政治的思想空間の現在』というテーマを説明する時に使用したテクニカルタームだ。
雑誌「世界」2月号「大澤真幸氏の『政治的思想空間の現在』に注目する。」
2006.01.11 Wednesday
海舌は即座に、この「アイロニカルな没入」という概念に注目した。アイロニカル(ironical)、といのは、自虐的な様であって、原理主義の行動やロスト・ジェネレーションの心象風景に表れやすい衝動的行動の背景を、自虐的だと見ているのである。
例えば、
香山:若い人が墓掘り人に貢物をしている、でも指摘されているように、小泉新自由主義の餌食である、ロスト・ジェネレーションが、挙って熱狂的な小泉ファナチックになる現象などが、アイロニカルな衝動である。
このような自己否定的行動は、通常の理性的生物では、普遍性を持ち得ないはずなのに、実際に日本でも起こっている。
当時、海舌も含めて多くの者が、この自虐的行為を批判し、警鐘を鳴らしたが、逆に、ロスト・ジェネレーションは、この善良な警告に牙を向き、石を投げ、墓穴を掘ることを勧める小泉新自由主義に熱狂したのが、「郵政選挙」であった。
これは、安倍公房の箱男的な様相で、自分の頭を丸ごと、泥の中に埋め込んだ状況であり、まさに、若い人が墓掘り人に貢物をしている、状況である。
教育改革と公務員改革法案成立後の、安倍首相の行動は、まさに、「2ちゃんねらー」特有の「アイロニカルな没入」行動を取りつつあり、複合的、連続的に、民主党の小沢一郎氏に有利なる状況を安倍首相が墓穴を掘ることで作り出しているのである。
また、現在の「2ちゃんねらー」は、「ばぐ太」氏や「明鏡止水」氏などによって健全化され、山本一太的「アイロニカルな没入」誘導書き込みは討伐されつつある。
「2ちゃんねらー」も、学習能力を持ち、健全な精神を取り戻しつつあるのである。だから、いまさら、安倍政権が「アイロニカルな没入」に向かったとしても、「2ちゃんねらー」や大衆は、最早、見えすぎた自己否定主義を批判するし、日本全体を「アイロニカルな没入」に向かわせることを完全に拒否するだろう。
安倍政権は即座に退陣するべきである。
『toxandoria の日記、アートと社会』
2007-08-08 真夏の夜の夢『怪談、寄生虫が取り憑いた美しい国の呪縛』から
(コメント o_sole_mioさま to toxandoria、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070808)
o_sole_mio 『TBありがとうございました。
遅まきながら自民党内でも反安倍の動きが出てきました。小泉さんの「自民党をぶっ壊す」は実際のところ清和会と経世会の権力闘争に過ぎなかったのかもしれません。
安倍内閣の誕生によって首相・総裁が3代続いた清和会のわが世の春にもかげりが出てきたように思えます。安倍下ろしが成功したとしても、権力を維持したい清和会は「小泉再登板」という禁じ手を企てるかもしれません。』(2007/08/08 23:49)
(レス toxandoria to o_sole_mioさま)
toxandoria 『o_sole_mioさま、コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、小泉がブッ壊す対象は自民党そのものよりも経世会(及びその流れの小沢民主党)であったようです。
タカ(軍事国体と戦時体制志向)の方向へ先走りしすぎた安部が立ち往生するなかで、“負の統合作戦”の成功体験がある小泉の再登板もあり得ると思います。
しかも“打算的“なメディアの一部は、これを期待しているようです。また、そうなれば安部フリー票の一部は、おそらく小泉支持へ回ると思います。
が、このプロセスを経ることで、漸く「小泉劇場の呪縛」(負の統合≒B層戦略の成功体験)がブッ壊れるのかも知れませんね。』(2007/08/09 07:18)
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