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□ドキュメント「美しい国」内閣の瓦解 [文芸春秋]
▽ドキュメント「美しい国」内閣の瓦解(1)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070810-01-0701.html
2007年8月10日
ドキュメント「美しい国」内閣の瓦解(1)
自民大惨敗―。あまりに稚拙な選挙戦。政権はレイムダック化した
東京・永田町の総理大臣官邸上空を稲妻が切り裂き、雷鳴が轟いた七月二十九日、国民は安倍政権に苛酷な審判を下した。自民三十七議席、歴史的惨敗。公明党も九議席にとどまり、与党過半数には遠く及ばなかった。対する民主党は六十議席、参議院で第一党の座を獲得した。二十九の一人区は六勝二十三敗。参議院自民党幹事長・片山虎之助など、大物落選も相次いだ。幹事長・中川秀直はその夜のうちに安倍に辞表を提出した。
参院選の大勢が決した二十九日夜九時過ぎ、自民党開票センターに到着した首相・安倍晋三の周辺は、通夜のような重苦しさに包まれた。否応なく次々とテレビの生中継の前に引き出され、「お辞めになるつもりはないのか?」と各局キャスターに容赦なく責任論を追及されると、「国民の声を厳粛に受け止め、総理として新しい国づくりという使命を果たしていきたい」と事前に練り上げた続投表明の言葉を繰り返した。憔悴した表情で、喉が渇くのか何度も唾を飲み込んだが、カメラ目線はこの日も変わらなかった。
安倍のもとに「惨敗」の報告が上がってきたのは、この日の昼過ぎからだ。報道各社の出口調査の非公式な数字が漏れ伝わると、安倍はじっと目をつむって、「これからが長い厳しい戦いになる」と覚悟を決めた。そして自らを奮い立たせた。「私は憲法改正を実現するために総理大臣になったんだ。年金問題や政治とカネなんかで躓(つまず)いてたまるか」。
政権を担って十カ月。この参院選さえ乗り切れば、次の総選挙まで二年間は、「美しい国づくり」に向かって邁進できるはずだったが、計算は完全に狂った。政権を維持したとしても、レイムダック化は避けられない。安倍は水面下で、選挙の敗北を見越して、無所属議員などへの多数派工作を展開していた。その右腕となったのは、盟友・荒井広幸だ。新党日本を離れ、「安倍のため、俺はステルスになる」と宣言していた。連立会派予備軍とされたのは、荒井の他、松下新平らである。しかし、自民惨敗で、過半数に遠く及ばない情勢は動かない。
それでも首相周辺は、安倍の心情をこう代弁する。「まだ若いのだから一度身を引いて、再起を期せばいいじゃないかと言う人がいるが、安倍さんは絶対にそんな考え方はしない。一度手にした権力はどんなことがあっても手放さない」。
「安倍を前原にするな」
参院議員会長・青木幹雄は、早々に自らの辞任を示唆する一方で、あっさり安倍留任を認め、他の党幹部たちもそれに続いた。皮肉にも空前の逆風が、安倍続投を後押しした面もある。これまでの自民党なら、投票一週間前頃から、選挙後の政局のシナリオをどう描くかに各派幹部は精力を注ぎ、夜な夜な極秘の会合が繰り返されるのが常だった。今回なら「自民惨敗で安倍続投を許すのか。降板の場合、誰が次の総理か」が最大のテーマとなるところだ。ところが、そんな余裕さえ、残されていなかったのか、選挙戦終盤、各派閥の有力者は軒並み地元に張り付かされるか、重点区の応援に駆り出されることになった。ここで議席を一つでも二つでも拾っておかないと、「参議院で与党過半数を取り返すのに(次の参院選までの)三年では済まなくなる。六年間、少数与党でいいのか」というのがその理由だった。幹部たちにしても、自らの地元で落としたとなっては、その後の政局での発言力に影響が出てくる。
東京を留守にする幹部連中を尻目に、安倍側近らは情報収集に動く。全幅の信頼を置く総務相・菅義偉をはじめ、金融相・山本有二、幹事長補佐・西村康稔ら安倍政権誕生の原動力となった面々だ。
「安倍おろしがあるとすれば、誰が口火を切るのか」、「鈴付け役がいるとしたら、誰か」、「安倍続投のラインは何議席以上か」。彼らが導き出した答えは、「どんなに獲得議席が落ち込んでも、続投させるしかない。安倍を(メール問題で自滅した民主党の)前原にしてはならない」というものだった。それを伝え聞いた安倍は、さらに意を強くした。
安倍は選挙期間中、終始強気だった。「年金問題なんかが持ち上がって、ちょっと運に見放されただけのことだ。閣僚人事も正直言って、温情をかけすぎた。この点は小泉さんをみならわなくちゃいけない。ときに非情となることが、最高権力者には必要なのだ。しかし自分が目指すのは、二期六年の長期政権であり、こんなところで野垂れ死にするわけにはいかない」。「世界の指導者の潮流は、ドイツのメルケル首相五十三歳、フランスのサルコジ大統領五十二歳、みんな五十代前半なのだ。自分がその先鞭をつけたようなものだ」。「来年の洞爺湖サミットを決めたのは私だ。最大の焦点となる地球温暖化対策の問題で、独サミットにおける首脳合意の立て役者は自分なのだ。それが本番を待たずに消え去ることなどそれこそ無責任というものだ」。
遊説先で演説後に街宣車を降りると、周りに人垣ができ、握手を求める人で、もみくちゃにされる。安倍は自分の人気に衰えはないと信じ込もうとしていた。「地方に行っても都会でも反応はいい。そんなに大負けするはずがない。世論調査のような惨敗などするはずがない」。
だが、実際には、安倍の視界に入らない人々の投げかける視線は極めて冷ややかだったし、多くは背を向けているという事実には気づかなかったのだ。
結果は、宇野政権に次ぐ大惨敗。しかも続投容認にはやはり「裏」があった。安倍は大きな代償を払っていたのだ。
▽ドキュメント「美しい国」内閣の瓦解(2)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070810-02-0701.html
2007年8月10日
ドキュメント「美しい国」内閣の瓦解(2)
実は選挙応援の合間を縫って、一度だけ、人目を忍んでもたれた会合がある。七月十九日夜、赤坂プリンスホテルの一室には、元首相・森喜朗、派閥会長・町村信孝ら、安倍の出身派閥の幹部が顔を揃えた。そこで出された結論は、「情勢は厳しい。獲得議席が三十台に落ち込めば、緊迫する局面があるかもしれない。しかし、ここは安倍を支えることを基本方針としよう。いざとなれば、(幹事長の)中川が責任をかぶる。あとは人事で求心力を維持するしかない」というものだった。党内工作の重点ターゲットは国対委員長・二階俊博、元幹事長・古賀誠の二人である。実際、投票日までには、森がこの二人に話をつけていたようだ。二階も古賀もはやばやと、安倍続投を支持する発言をしている。
森は選挙の帰趨が判明してきた投票日夕方にも、赤坂プリンスホテルで中川、青木と密かに会談をしている。中川には「安倍への進退論を封じるために」早期の幹事長辞任表明を促す一方、青木からは「(進退については)安倍自身の判断を尊重する」との言質をとった。特にかねてより安倍と確執のあった青木は「選挙の敗北は総裁を含めた執行部の責任」と安倍を道連れにするリスクがあり、その芽を摘んでおく必要があったのだ。
派閥会長の町村は選挙翌日、各派閥の領袖に挨拶回りをしている。強気に転じた派閥のボスたちからは、一斉に人事への注文が噴出した。中でも共通していたのが、「(官房長官の)塩崎(恭久)だけは絶対に代えてくれ」だったという。
一方、ポスト安倍の最有力候補である外相・麻生太郎もこの日、独自の動きを見せた。人目を忍んで首相公邸に車を滑り込ませると、安倍に直接こう伝えた。「俺は選挙結果にかかわらず、引き続き安倍政権を支えるから」。麻生の当面の狙いは幹事長ポストにある。その点、安倍とは相思相愛の関係だ。アルツハイマー失言は余計だったが、選挙期間中も、「俺の祖父さん(元首相・吉田茂)も参院で過半数割れして統一会派を組んだ」と安倍に多数派工作を吹き込んでいた。
こうなると次の焦点は八月末ともいわれている内閣改造・党役員人事に移る。森は続投の見返りに、挙党体制を錦の御旗にして、安倍に「二階幹事長」、あるいは「二階官房長官」を求める可能性がある。「麻生幹事長」を中心に人心一新をはかりたい安倍が、それに屈すれば、時計の針はかつての派閥政治に逆戻り。そしてその時こそ、世論は安倍の“再チャレンジ”を決して許さないだろう。
官邸では早くも入閣する可能性のある議員たちのスクリーニング(身体検査)が始まった。同時に自民党では幹事長代理・石原伸晃を中心に、全所属議員の向こう三年間の事務所費に関する調査に着手している。こうした人事に向けた準備作業には一カ月近くかかると見られる。
的中した悪い予感
それにしても、国民から大きな期待を集めて誕生したはずの安倍政権は、なぜ瓦解の危機に瀕してしまったのか。
去る五月十五日、東京・内幸町のプレスセンターで開かれた「安倍晋太郎を偲ぶ会」に出席した安倍は上機嫌だった。厚労相・柳沢伯夫の「女は産む機械」発言の沈静化を図り、郵政造反組で盟友の衛藤晟一の復党を果たした頃から、内閣支持率も落ち着きを見せはじめていた。「昨年の九月の二十六日に総理に就任をいたしまして、早いものですでに七カ月が経過をしたところでございます。この七カ月、山あり谷ありでしたが、やはり半年たったところから、だんだん仕事に慣れてくるということもありました」。
安倍は慌てて「慣れたなと思うときが一番危ないので、さらに身を引き締めていきたいと思います」と付け足したが、「仕事に慣れた」という言葉は、最高権力者が決して口にしてはいけない言葉だと、違和感をおぼえる出席者が少なくなかった。指導者の双肩には国家の命運がかかっている。一瞬たりともそうした緊張の糸を解いてはならないはずだ。時をおかずして安倍の悪い予感は的中した。五月二十八日、農水相・松岡利勝の自殺、そして宙に浮いた年金記録五千万件の問題が重くのしかかってくる。
この年金問題に象徴されるように、マスコミ対応の稚拙さが安倍政権に致命的ダメージを与えた大きな要因の一つだ。
六月十日、日曜日にもかかわらず、ドイツでのサミットから帰国したばかりの安倍を訪ねた幹事長・中川は、「年金問題で総理が記者会見し、国民の不安を払拭した方がいい。参院選の大きなマイナス要因となりかねません」と進言した。官房長官・塩崎恭久もそれに同調した。しかしサミットでの自らの活躍に自信を深めていた安倍には、国内情勢の深刻さが伝わらなかった。「まだ情勢が動くかもしれないから、やめておこう」。公明党代表・太田昭宏も、「年金問題は直下型地震だ。危機管理の問題と思って対処してほしい」と問題発覚後、直ちに安倍に電話で伝えたが、やはり安倍の動きは鈍かった。一方、広報担当補佐官・世耕弘成、首相秘書官・井上義行は安倍の方針に従った。井上は「いま総理を出してもマスコミは意地悪な質問しかしない」と安倍への忠誠心を示したつもりだったが、結果的に、年金問題への国民の怒りの炎を鎮火するタイミングを逸した。
安倍は年金問題については、通常国会を終えたあとの七月五日の会見で国民に説明しようと考えていた。安倍には、小泉が郵政民営化問題で衆院解散を宣言した時の名演説の印象が強く残っていた。
官邸記者会見室で、原稿に目を落とすことなく熱弁を振るう。胸元には青のストライプの勝負ネクタイだ。「選挙で圧勝するための気迫を示さねばならない」。前夜は、この日打ち出す新たな年金対策の内容説明、記者との質疑応答まで、首相公邸で入念にシミュレーションを重ねた。しかし、所詮は後の祭りだ。
▽ドキュメント「美しい国」内閣の瓦解(3)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070810-03-0701.html
2007年8月10日
ドキュメント「美しい国」内閣の瓦解(3)
世耕は好んで「コミ戦」という言葉を口にする。前回総選挙では、「コミ戦」=コミュニケーション戦略チームがメディア対策を担った。そして今回の参院選も、幹事長・中川、幹事長代理・石原伸晃や世耕らで構成する「広報戦略会議」に、前回同様、PRコンサルタント会社「プラップジャパン」が参画して、メディア対策の先頭に立った。このプラップジャパンは、総選挙当時、幹事長代理だった安倍らが選んだPR会社なのだ。まさに二匹目のドジョウを狙ったわけだ。
あまり知られていないが、年金問題の世論対策も、このプラップ社に依存している。発端は広報局長・片山さつきだ。片山は、宙に浮いた年金記録の問題は、九八年に基礎年金番号の制度を設計した厚生相・菅直人(現民主党代表代行)の責任だ、と党のビラ十万枚に刷り込んで配ったのである。これが自民党内はもとより、世論からも「責任を野党に転嫁するのか」と総スカンをくらった。この一件で、片山は広報戦略の前線から実質的に外される。自民党は次に内閣府副大臣・大村秀章らにテレビ出演させ、説明にあたらせたが、民主党の“ミスター年金”長妻昭に返り討ちにあった。
代わって年金問題対策の中心となったのがプラップ社だ。プラップ社が作成した「テレビにおける年金問題の論点と対策」と題されたリポートが想定問答集のベースとなって、自民党の主張として展開されていく。いわく「責任論でなく、超党派で国民を救うのが政権の使命だ」、「民主党の年金策は財源の裏付けがなく具体性がない」――。
「世論の一番の関心事であるテーマについて、厚生労働官僚でもなく、まして安倍官邸のスタッフでもないところに頼ることに、危うさを感じた人間はいないのか」。後で事情を聞かされた安倍側近議員は愕然とした表情を浮かべた。官邸・自民党のメディア戦略は、この時点で破綻をきたしていたといってよい。幹事長・中川も戦略会議で「チラシの活字はもう少し大きい方がいいな」などと繰り返すだけだった。
それでも安倍は最後までプラップ社を信じ込んでいたフシがある。七月一日、21世紀臨調主催の民主党代表・小沢一郎との党首討論を受けて、プラップ社から「安倍が小沢に圧勝」との報告がされたことから、「テレビで自らの主張を積極的に訴えたい」と言い出したのだ。井上は自民党側に安倍の意向を伝え、広報本部報道局長・山際大志郎がテレビ各社に「報道番組に限らず、幅広くテレビ出演を検討したい」と申し入れた。しかし、肝心のテレビ局側の反応が芳しくなかったのが、官邸の大きな誤算だった。理由は明快だ。安倍が単独出演すれば、視聴率が通常に比べて下がるというのだ。加えて、テレビ側にとっては、一昨年の郵政解散の時に「小泉劇場をテレビメディアが作り上げ、結果的に自民党に利用された」との批判が強くあったことも、出演を断る理由に使われた。
何度か実現したテレビ出演でも、キャスターは一様に厳しい質問を浴びせた。安倍はしばしば広報戦略上、想定外の言葉を口走った。中でも最もブレたのが、消費税をめぐるスタンスだ。最初の出演となった五日夜のニュース番組ではムキになって、「消費税を上げないといったことは一度もない」とポロリ。翌日朝一番で安倍のもとに届いたプラップ社からのリポートには、「消費税で発言が踏み込み過ぎた」、「ユーモアがなく、全体として焦りがにじみ出ていた」と書かれていた。新聞にもこの発言が報じられると、安倍はすぐに火消しに走った。別のニュース番組に出演し、「消費税を引き上げない可能性だって十分にある」。
九八年、恒久減税をめぐる発言のブレから、参院選で大敗し、引責辞任した元首相・橋本龍太郎を彷彿とさせるシーンである。取り巻きは一転して、「テレビ出演もほどほどにするのが、得策ではないでしょうか」と進言した。
安倍は選挙期間中、すべての新聞記者も敵に回していた。それは選挙公示前日の十一日、日本記者クラブの七党党首討論会での発言が原因である。朝日新聞のベテラン記者からの質問をさえぎり、「ニュース性のある話ですから、おそらく国民はあなたより私の話を聞きたいと思う」とやったのだ。いくら朝日嫌いとはいえ、相手は論説副主幹で日本記者クラブの企画委員である。一瞬にして、会見場の空気は凍りついた。
小池防衛相は小泉の“指示”
閣僚の失言、スキャンダルがこれだけ続出した政権も珍しい。
選挙を一カ月後に控えた六月三十日、防衛相・久間章生の「原爆投下はしょうがなかった」という発言は、文字通り原爆級の衝撃を政権に与えた。秘書官・井上から第一報を聞いた安倍は、「さほど問題にはならないのではないか」と甘く考えていた。塩崎を通じて久間に、「地元に入るのでしたら、きちんと説明してください」とだけ伝えた。
しかし翌々日、久間を守ろうとしていた安倍が激怒する場面があった。午前中に久間を官邸に呼び、注意した後の態度が悪かった。野党の辞任要求を記者団に問われた久間は、薄ら笑いを浮かべながら、「それは関係ない。よくあることだから」と捨て台詞を吐いたのだ。
原爆発言に加えて、こうした態度をより深刻に受けとめていたのが、公明党だった。「真意を説明したい」と申し入れた久間に対して、公明党は門前払いをくわせた。代表代行・浜四津敏子が「ご自分で進退を考えるべき」と発言する一方で、党代表・太田は安倍に直接電話でこう迫った。「ああいう大臣を放っておかれるのでしたら、参院選は戦わずして負けることになる」。太田のいつになく厳しい言葉が安倍の耳に残った。
▽ドキュメント「美しい国」内閣の瓦解(4)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070810-04-0701.html
2007年8月10日
ドキュメント「美しい国」内閣の瓦解(4)
公明党の厳しい態度は、公明党参院会長・草川昭三から、前首相秘書官・飯島勲を通じて、小泉に伝わった。ここで小泉は、「久間はもたない」とみて、電光石火の動きを見せる。政治的反射神経においては、安倍とは比べるべくもない。小泉は飯島=井上ラインを通じて、安倍への助言を伝えた。「久間更迭。間髪入れずに小池百合子起用」。小泉らしいワンフレーズの“指示”だった。時をおいて飯島は井上に助言した。「後任人事を固めるまで、久間を官邸に入れてはダメだ。後任を発表する時間から逆算して、久間を呼ぶのがよい。そうすれば安倍のリーダーシップをアピールできる」。
それでも、まだ安倍は逡巡していた。「三人目の閣僚交代」は、異例の事態であり、内閣の崩壊につながるのではないか。野党は首相の任命責任を追及し、さらに支持率低下を招くのではないか。当の久間もこの日の昼まで、辞めるつもりなどなかった。結局、最後に久間の背中を押したのは、参院会長・青木だった。同じ派閥の議員を通じて、容赦ない言葉が浴びせかけられた。「あんた何考えているのかね。出処進退くらい自分で判断できんかね、と青木さんも怒っている」。時を同じくして、地元の長崎市長・田上富久も緊急上京して久間と向き合うと、こうねじ込んだ。「大変厳しい空気です。(参院自民候補の)小嶺陣営はいま久間さんと握手しているポスターを大急ぎで剥がしてまわっているところです」。
観念した久間は官邸に安倍を訪ねた。「お騒がせして申し訳ない。選挙に悪影響を与えるので辞めさせて頂きます」。安倍は直ちに小泉の“指示”通り、首相補佐官・小池を執務室に呼んだ。「これまでの安全保障分野の経験を生かして、“即戦力”として、活躍してほしい」。小池はテレビカメラの前で、満面の笑みを見せた。その小池が最初に視察にいったのは小泉の地元の横須賀基地である。
久間辞任で一息つく間もなく、安倍を襲ったのが、農水相・赤城徳彦の事務所費問題である。よりにもよって自ら命を絶った前農水相・松岡の後任に「政治とカネ」のスキャンダルが発覚したのだ。自民党内からも「どうしてこういう人間を選ぶのか」との声が公然とあがる。しかし、このケースでも、安倍の決断は、「赤城を守る」だった。四人目の閣僚交代は「政権の存続を危うくする」というのが理由だったが、顔面に大きな絆創膏を二つも貼って閣議に現れた時は、安倍も目を白黒させていた。官邸サイドが事情を質しても、「大したことはありません」、「心配要りません」の一点張り。真相は「ストレス性の帯状疱疹」だったが、「ストレス性」の部分を気にして、病名は「毛包炎」と発表した。最も大切な選挙終盤での不祥事発覚に、現職の候補者からは怒りの声が公然とあがった。大阪の谷川秀善は、応援に訪れた安倍に「このままでは戦えませんわ」と「即時更迭」を進言したが、聞き入れられなかった。赤城は投票二日前には、郵送費の二重計上まで明るみに出て、最後まで、自民党にとどめを刺す役割を演じた。
「小沢に総理は無理」
民主党の歴史的勝利の原動力となったのは、小沢自身の力だろう。一年近くに及んだ徹底した一人区行脚が奏功した。師・田中角栄の教え通り、「選挙は川上から」を実践し、あえて聴衆の集まりそうもない場所を選挙運動のスタート地点としてきた。「負けたら政界引退」というプロパガンダも、強面の小沢をさらに押し上げた。そして党内には最後まで、「投票日まで絶対に緩むな。三十八年間、多くの選挙で、何度も修羅場をくぐり抜けてきた私の直感がそう警告している」と檄を飛ばし続けた。
参議院で民主党が第一党となった意味合いは大きい。参議院議長、議院運営委員長を手中に収めることになる。秋の臨時国会での重要法案審議は大荒れだ。野党は参院で安倍首相らの問責決議案を乱発する事態も想定される。対決法案は、いわゆる「吊し」という実質審議に入れない状態が続くだろう。ようやく審議に入っても、採決まで持ち込むのは容易ではない。青木が「参議院で与党が過半数をとれなければ、安倍政権は死に体だ」と繰り返してきた真意はここにある。秋の臨時国会では、テロ対策特措法でさっそく与野党が激突する。
衆院は与党で三分の二を占めており、参院で法案が否決されても衆院で再可決すれば成立させることが可能だが、そうした行動は「与党の横暴」と映り、何度も繰り返すことはできないだろう。そうなると、改めて、民意を問うべく、衆議院の解散・総選挙しか選択肢はなくなってくる。自民党内では、次回の総選挙の時期について、三つの説が浮上している。「今年の年末」、「来年四月の予算成立後」、「来年七月の洞爺湖サミット明け」だ。党内では今後常に「総選挙の顔」が安倍のままでいいのか、との議論がつきまとうだろう。
対する民主党も、浮かれてばかりはいられない。もし総選挙に勝てば政権交代は現実のものとなるが、その際、本当に政権担当能力があるのか。今回のマニフェストに対しても「相変わらず机上の空論に過ぎない」との批判が少なくない。さらに深刻なのが、小沢の健康問題だ。側近の一人も、「選挙期間中も、気の毒なくらい疲れ切った表情を見せていた。実は予定をキャンセルして一日フルに休んでもらったこともある。とてもじゃないが、総理大臣は無理だろうし、本人も望んでいない」と打ち明ける。二十九日の勝利宣言もバラの花つけも、体調不良のため、自ら行うことはできなかった。
そこで囁かれるのが、代表・小沢と新首相との「総総分離」である。では、その場合、誰を民主党の「総理大臣候補」として押したてるのか。元代表・岡田克也の下馬評が高いが、代表代行・菅もまだまだ往生してはいないだろう。
いよいよ最大の政治決戦へのカウントダウンが始まった。(文中敬称略)
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