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(回答先: 核不使用の教訓伝える 原爆実録映画を米紙評価(東京新聞) 投稿者 gataro 日時 2007 年 8 月 08 日 11:52:29)
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/review/20070806et05.htm?from=os1
「夕凪の街 桜の国」 (日本)
63回目の「8月6日」という日の重さ
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(C)2007「夕凪の街 桜の国」製作委員会
この週刊誌が発売される今日は、奇しくも8月6日。62年前、広島に原爆が落とされた日である。この日が何の日であるかを知らない若者がたくさんいると、公開中のドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」の冒頭でスティーブン・オカザキ監督は当の日本人の若者自身に語らせている。何という無知、何という恥辱! 同時に「その日」の惨状を知りながら彼らの本当の苦しみを知らなすぎた自分を省みて、忸怩たる思いにとらわれる。
もうこれ以上原爆のことを語りたくないという被爆者がいる。それはそれでわからぬではない。いわれのない差別と偏見にさらされて生きていくのはつらいからだ。しかし、同じ日本人として、黙って見過ごすわけにはいかない。怒りや告発ではなく、そんな切羽詰まった思いからこの映画は生まれたように思う。
原爆投下から13年後の「夕凪の街」広島と、現代の「桜の国」の東京郊外を対比させて物語は進む。原爆で父と妹を亡くし、後遺症に苦しんで母(藤村志保)と生きてきた皆実(麻生久美子)。原爆投下時に水戸に疎開していた皆実の弟旭は姉の死後母と同居するが、やがて近所の被爆者と結婚し東京へ。そして成長した旭の娘(田中麗奈)が父の広島行きを契機に自分のルーツと向き合うことに。
後遺症に苦しむ被爆者の無残な死。それから半世紀後、今度は被爆二世の苦悩が始まる。原爆は一度に二十数万人の命を奪い、後遺症でさらに犠牲者を増やす。そして時を経て、被爆二世、三世への遺伝の恐怖だけでなく、差別と偏見という二重、三重の苦しみまで強いる。原爆を落とした者に対する怒りと死の恐怖をどこへぶつけたらいいのか。最後は沈黙するしかないという、この無念の思い!
皆実は死に際に言う。「原爆を落とした人は私を見て『やった! また一人殺せた!』ってちゃんと思うてくれとる?」と。そんな痛烈な皮肉を込めたせりふを吐く麻生が出色。運命に逆らうことなく生きるしかない被爆者の凛とした強さを見事に映像化した、佐々部清監督の周到かつ緻密な演出が光る。原作は、こうの史代の同名漫画。1時間58分。
――東京・新宿のシネマスクエアとうきゅうほかで公開中。
(映画評論家 土屋好生/読売ウイークリー2007年8月19・26日号より)
(2007年8月6日 読売新聞)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007080602038863.html
【社説】
希望の種子を風に乗せ 原爆忌に考える
2007年8月6日
六十二回目の八月六日。ヒロシマはまた、深い祈りに包まれます。でも、夕凪(ゆうなぎ)のあとの風に乗り、広島で生まれた希望の種子が、ほら、あなたの手元にも。
落日の気配がほのかに周囲を染めて、夕凪が始まりました。
昼間が夜に交代の準備を促すその間、太田川の川面を滑る風がやみ、せみ時雨もどこか遠くに聞こえます。
「午後の三時をかなりすぎていた。この時刻にやってくる、この街特有の夕凪がはやくもはじまっている。風はぴたりととまっていた。一滴の風もなかった。蒸れるような暑さのために、手の甲にまで、汗の玉がふき出た」
アカシアの木の下で
東京から疎開中に被爆した作家大田洋子が、「夕凪の街と人と」で描いた通りの暑さです。
広島は快晴でした。城南通りの空鞘橋から川上へ、葉桜の並木が縁取る堤防の緑地を歩いていくと、日傘のように形良く枝を広げたアカシアの木が立っています。
公開中の映画「夕凪の街 桜の国」(佐々部清監督)の重要な舞台になった場所でした。
文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞した、こうの史代さんの同名漫画を原作に、被爆者三代の日常や生と死を映画も淡々と描きます。
物語前半のヒロイン皆実は、父親と幼い妹を原爆に奪われました。
それから十三年、皆実自身も原爆症で若い命を失います。
同じ職場の恋人と、疎開して被爆を免れた弟に見守られ、「原爆スラム」と呼ばれたバラック集落の前に立つ、そのアカシアの木の下で−。
緑陰に腰を下ろして、ヒロインの最後のセリフをかみしめました。
「なあ、二人とも、長生きしいね。ほうして忘れんといてえなあ…、うちらのこと…」
街角で偶然耳にした、観光ボランティアの女性の言葉がそこに重なりました。
「父と兄が原爆の犠牲になりました。母は当時二歳の私を防火水槽に突っ込んで助けてくれました。母は七十歳を過ぎるまで、その時の模様をいっさい語りませんでした。私にも直接の記憶はほとんどありません。でも永らえた命に感謝を込めて、母の言葉を語り伝えねばなりません−」
すべてはこの街で現実に起きたことだと、念押しをするように。
気が付くと、幹の途中から萌(も)え出たばかりの若い枝葉が小さく風に揺れています。
映画の中のアカシアは、繰り返す死と再生の象徴なのかもしれません。
夕凪が終わり、たそがれに街が沈んでいきました。
被爆の木が伝えるもの
広島は「被爆樹木」を大切にしています。
旧中国郵政局から平和記念公園に移植された被爆アオギリは、爆風に深く幹をえぐられながら、手のひらのような青葉を毎年元気に翻し、童話や歌にもなっています。
爆心地の近くで生きながらえた広島城二の丸跡のユーカリは、被爆後二十六年目に襲来した台風に倒されました。それでも根元から新たな若芽を吹いて、今ではすっかり元通りの姿になりました。
原爆ドームに代表される「原爆を見た建物」が核兵器の悲惨を歴史に刻み、浄国寺の被爆地蔵や元安川の灯籠(とうろう)流しが鎮魂の思いを世界に示す一方で、被爆樹木は限りない命の強さ、希望の深さを象徴します。
昨年の平和記念式典で、日米の小学六年生が「平和への誓い」を読み上げました。
「一つの命について考えることは、多くの命について考えることにつながります。命は自分のものだけでなく、家族のものでもあり、その人を必要としている人のものでもあるのです」
夕凪のように風のない、停滞した時間に紛れ、私たちは、今生きて、暮らしていることの尊さを、つい忘れがちになるようです。
いたずらに日々を憂い、刺激を求め、美しい姿形や勇ましい言動に、魅せられてしまいます。
「平和への誓い」は続きます。
「『平和』とは一体何でしょうか。争いや戦争がないこと。いじめや暴力、犯罪、貧困、飢餓がないこと。安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べること。今、私たちが当たり前のように過ごしているこうした日常も『平和』なのです」
ヒロシマが、ナガサキが、本当に語り伝えたいものは、「日常」の中にたたずむ「希望」なのかもしれません。
生きていてありがとう
映画の前半で、ヒロイン皆実の恋人が愛する人を抱きしめながら、しみじみとつぶやきます。
「生きとってくれて、ありがとうな」
ヒロシマが日本や世界に届けたい、「心」のようにも聞こえます。
八月六日。それぞれの場所からヒロシマへ、鎮魂の思いに乗せて答えを返してみませんか。
http://qnet.nishinippon.co.jp/entertainment/cinema/pickup/20070803/20070803_002.shtml
「夕凪の街 桜の国」(西日本新聞)
写真
(C)2007「夕凪の街 桜の国」製作委員会
原爆投下から13年が経過した広島の街。そこに暮らす平野皆実は、会社の同僚・打越から愛を告白される。しかし、彼女には家族の命を奪い、自分が生き残った被爆体験が深い心の傷になっていた。その彼女の思いを打越は優しく包み込むが、やがて皆美には原爆症の症状が現れ始める。
それから半世紀後。東京に暮らす皆美の弟・旭は、家族に黙って広島への旅に出る。その父を心配する娘の七波は、旭の後を追ううちに家族が背負ってきたものや自分自身のルーツに思いをはせてゆく。
平成16年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞・第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞した、こうの史代原作の同名漫画を完全映画化。過去と現在の2つの時代を背景に、2人の女性にスポットを当てたふたつの物語が描かれる。
写真
(C)2007「夕凪の街 桜の国」製作委員会
監督は『半落ち』(2004)、『四日間の奇蹟』(05)、『出口のない海』(06)など、多くの秀作を生み出してきた佐々部清。切なくも温かい、命の尊さを語りかける名編だ。
監督:佐々部清
脚本:国井桂
出演:田中麗奈、麻生久美子、吉沢悠、堺正章ほか
配給:アートポート
ユナイテッド・シネマ福岡、シネプレックス小倉などで8月11日公開
▽公式サイト
http://www.yunagi-sakura.jp
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