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先日の参院選挙の選挙区への1票は民主党の候補者に入れた。だからといって私は民主党支持ではない。いつもなのだが、私の場合は消極的選択という投票行動なのである。政治家も、政党もいまいちという思い。「生活のためを考えるなら共産党だけど、共産党に投票していてはいつまでたっても自分の票は死票になる」と言う声が多い。当然であろう。共産党の主張は庶民受けするのだが、やり方は旧態依然として頑なだから。
共産党に対して、作家の立花隆氏は「民主集中性を捨てよ」と言い、名古屋大教授の後房雄氏は「単なる死票でなく、自民党を助けることになっている。野党共闘への方針を転換したほうがいいのではないか」と提言する。(朝日新聞)
共産党の候補者には個性がない。彼らの主張を聞いていても志位委員長のカーボンコピーのよう。共産党員である友人にそのことを言ったら「他の人にも言われるのよ。でも選挙対策本部からはこんな風に言うようにって指示が来る。選挙カーに乗ってマイクで呼びかけるのも自分の言いたいようには言えなかった」「個人の意思で言って間違いでもあったら、共産党の責任になるから」とも言った。
昔の話になるが、地元の高校の生徒が教師の体罰を受けて聴力を失うという事件があった。当時の学校も教師も反省はなく、管理する行政も責任を逃れようとし、生徒の親は裁判という手段に出た。親子を支援する人々の多くがたまたま共産党員という一般市民であったのだが、支援者の行動に教職員組合が反発し、同僚である体罰教師をかばったのである。同時に地域の共産党組織はその市民団体をきびしく批判した。体罰という人権侵害が放置されていることに異議を唱えない風潮をおかしいと言った市民は、良識のある個人の共産党員だったが、実際は共産党も教職員組合も組織を守ることを優先し、個の人権侵害には目をつぶろうとしたのである。
支援者グループの多くはその後、共産党から抜け、赤旗の購読も止めてしまった。そして聞かされた数々の党への恨みつらみ。
「共産党の中では粛清が行われいた。昔付き合っている恋人がどんな人間か調査もされ、個人への厳しい締め付けがあった」
支援者グループの代表をしていた人は「私は子どもや女性が人権侵害にあっているのを黙ってみていられない。だから声を上げるのだ」と言い「政治的な活動はその手段に過ぎず、イデオロギーは関係ない」と言った。
数年前、参加した地元の母親大会の教育関係の分科会では「1クラス30人学級」をしつこく取り上げていた。私が「管理することが教育だと勘違いする教師にとっては管理がしやすくなる。子どもへの締め付けがより強まることで、クラスの空気が窮屈になる。それこそ教師の王国ができやすい。教師の質と30人学級はセットで考えなければ危険な発想だと思う」と発言したのだが、出席した教師は「教師の負担軽減が子どものためでもある」と質より量にこだわった。
先の体罰教師を同僚たちが組織でかばいあうことをしていなければ、私も「30人学級」を歓迎していたであろう。
体制派も反体制派も同じようなことをやってる。私にはそう見えた。
組織への個人の批判が許されない環境なら、自民党であれ、民主党であれ、共産党であれ、組織の浄化は望めない。「数の力が世の中を変える」と言ったのは共産党であった。自民党は数の力で無理難題を強行した。あるべき日本の姿が数の力で再生されるのか。
「数の力が決める」としても、個人の良識が抹殺されてはいけない。個人の見識が生かされる度量が組織にあってほしいと思うのは私だけではなかろう。
共産党に必要なものは個人のしなやかな意見ではないかと勝手に思っているのだが、人材不足は与野党ともに同じ悩みにも見える。これこそがいまの一番の問題ではなかろうかと。
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