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週刊ポスト 2007年8月3日号
悪あがき参議院選! 内幕スクープ
安倍官邸は「中越沖地震発生」を踏み台にした
「天災」という言葉を、あろうことか、この人たちは「天恵」と読み換えたようだ。「消えた年金」問題、久間章生・前防衛相の「原爆発言」、赤城徳彦・農水相の事務所費問題に見舞われている安倍官邸内部では、中越沖地震を「政権浮揚の絶好のチャンス」と見ているとの証言があ
る。被災者に目もくれずに政治の「踏み台」に使っていたのである。
大臣たちの『睨地入り競争』
支持率のV字回復へと藁をもつかむ思いの安倍晋三・首相に、新潟県中越沖地震の第一報が入ったのは発生から4分後だった。
「人命救出に全力をあげろ。私も現地に飛ぶ」
遊説先の長崎市公会堂の来賓控え室で報告を受けた安倍首相は、生き返ったように元気に見えたという。同行筋がその時の様子をこう語る。
「久間章生・前防衡相の"原爆しさっがない"発言で市民感情は最悪だけに、元々、長居はしたくなかったのだろう。総理は震災対策を優先してすぐ戻る決断をした。表情は厳しかったが、足取りは軽かった」
総理の謝罪の言葉を待っていた長崎市民は肩すかしを食わされた。
「新潟で震度6強の大きな地震がありました。私は対策のためにすぐに東京に戻らなければならない」
安倍首相は公会堂前の街頭演説をわずか90秒で切り上げると、長崎空港へ向かった。車内から、官邸の塩崎恭久・官房長官と連絡を取り、対策室の設置、緊急関係閣僚会議の招集、そして自衛隊の災害派遣まで、官邸に次々と指示を出した。
「新潟は参院選で民主党に2議席独占されかねない情勢だ。ここで総理が一番乗りすればー議席確保どころか、“危機管理の安倍”をアピールして劣勢ムードを逆転する絶好のチャンス。誰も総理の現地入りに反対する声はなかった」
官邸スタッフはそう振り返る。政権全体が、あろうことか天災に気持ちを高揚させていた様子がわかる。
だが、震災を選挙の道具、政権浮揚の踏み台として使おうという発想は"救援活動。を別の方向に暴走させていく。
キャンセル待ちして搭乗した民間機で帰京し、午後2時24分に官邸に戻った安倍首相と大臣たちの現地入り競争という珍現象が起きたのだ。
首相の指示を受けて一足先に東京に戻った溝手顕正・防災担当相は市ヶ谷の防衛省から陸自のヘリで現地に向かい、安倍首相と甘利明・経済産業相は官邸に待機させていた陸自ヘリで後を追う。
実は、もう一人いた。総理一行に遅れることー時間後、公明党の冬柴鉄三・国土交通相が同省のヘリで現地に向かったのである。
ところが、2時間後に冬柴機だけが東京に戻った。
「視界不良で飛行困難になったため」(同省大臣室)
と説明するが、官邸筋は、「閣議をやるわけじゃないから、大臣が多すぎると現地の受け入れができない。官邸から戻るように指示が出て渋々引き返した」と明かす。
安倍首相は被災地の刈羽原発に直行した。到着は午後5時過ぎ。東京電力側の「放射能漏れはない」という説明に、首相は「万全を期してさらに安全を点検してほしい」と応じた。
その後、安倍首相は柏崎市役所で溝手防災相に追いつき、参院選新潟選挙区の自民党候補、塚田一郎氏や甘利、溝手の両大臣、新潟県知事らと避難場所の柏崎小学校を慰問した。しかし被災者たちは必ずしも歓迎ムードではなかった。
50代の女性被災者が目撃した光景だ。
「安倍さんは大名行列みたいにナントカ大臣をいっぱい連れてきました。すると、高齢のおじいさんが、『被災者の気持ちを考えろ』って怒鳴ったからシーンとなった」
安倍首相はそんな空気が読めなかったらしい。
『原発は無事』発言で赤っ恥
駆け足の視察を終え、とんぼ返りで官邸に戻ると、関係閣僚会議で高揚感そのままの面持ちでこう大見得を切った。
「原発は無事だった。放射能漏れもない。直接、この目で見てきたから間違いない。阪神大震災の村山政権のように、初動を遅らせてはならない」
ところがこの時、安倍首相はとんでもない失態を演じていた。
東京電力が刈羽原発の放射能漏れを把握したのは安倍首相視察の約1時間後、午後6時20分だった(翌日の塩崎官房長官の会見による)。
ちょうど、柏崎小学校を慰問中の頃だが、安倍首相や2人の大臣への報告は大幅に遅れた。
「放射能漏れの情報はその後、東電から経済産業省には報告されたが、総理と甘利、溝手両大臣はヘリ機中だったために伝えることができなかった。官邸に到着した後も、総理たちは屋上のヘリポートから直接、閣議室に向かったのでレクチャーする間もなかったようだ」(官邸筋)
安倍首相が関係閣僚会議で意気揚々と《安全宣言》した時には、政府内部にも情報は伝わっており、知らぬは現地にいた総理と担当の甘利大臣だけだったのである。
閣僚会議後に知らされた2人は激怒したといい、甘利大臣はその日の夜中に東電の社長を坪びつけて厳重注意した。
しかし、情報の伝達以上に問題なのは、安全確認が十分にできていない段階で不用意に被災地に乗り込んだ安倍首相の判断だ。
大泉光一・青森中央学院大学教授(危機管理論)の指摘。
「総理大臣は東京で震災が起きたら、危険の少ない地域にすぐに避難して全体の指揮を執らなければならない立場です。被害の程度もわからない段階でわざわざ現地入りするのは、危機管理上の大失態といっていい。被曝したり余震に巻き込まれたりして何かあれば権力の空白が生まれ、国家が政情不安に陥りかねない。総理以下3人の大臣が同じヘリで戻ったのも、リスク分散の点で非常識すぎます」
事実、ヒヤリとしたのは刈羽原発視察の時だけではなかった。安倍首相が小学校慰間中に、かなり大きな余震に直面した。
「総理が体育館にいる時に大きな余震が来て、総理のすごく怖がっていた。それなのに、安倍さんは新潟県知事と語しこんでいて、震えているおばあさんに全然気づかない。何しに来たん
でしょう」(被災者の一人)
余震も気にならないほど"決死のパフォーマンス。に舞い上がっていたのだろうか。
『激甚災害指定』を次々指示
安倍首相の新潟入りには自民党内からも批判の声が上がっている。
反主流派の閣僚経験者は、
「現場の指揮官は溝手防災相1人でいい。総理は官邸対策室で指揮を執るべきだった。あれは選挙運動のために行ったのだから自衛隊や国土交通省のヘリを使うのもおかしい」
そうあからさまに批判した。大臣の場合、「公務」と、「政務」といわれる議員活動は区別しなければならない。かつて、石破茂・代議士が防衛庁長官時代に地元.鳥取県での後援会新年会に出席した後、陸上自衛隊イラク派遣本隊の隊旗授与式に出席するため自衛隊機で千歳基地まで飛んだことが国会で「公私混同」どして厳しい批判を浴びたこともある。
ところが、参院選の指揮を執る中川秀直・自民党幹事長は、翌17日の街頭演説で、安倍首相の選挙貢献を絶賛してみせた。
「現職の首相が地震発生当日に被災地を訪ねるのは極めて異例だ。余震が続く中、自らの危険も顧みず被災現場に行き、救命・救援、復旧・複興に一瞬の猶予もなく乗り出す。安倍首相の国
民を思う心は半端ではない」
ただし、安倍氏の「国民を思う心」は選挙期間中限定らしい。今年3月25日に発生した能登半島地震では、現地入りは発生から19日後だった。
そもそも一国の総理大臣が危険に飛び込むのは、決して国益ではない。それを承知で、《国民のために危険を冒せる総理》をアピールしたのだから、選挙の人気取り戦略以外のなにものでもなかったことを中川氏は自ら公言したことになる。
しかも、この政権はなおも天災を選挙にフルに利用しようとしている。
安倍首相は7月17日の閣僚懇談会で中越沖地震を『激甚災害」に指定すると表明し、翌18日には、台風4号の被害を受けた大分での街頭演説で、「激甚災害の指定もスピード感を持って検討していくことを約束する」とぶち上げた。
激甚災害に指定されると、国が中小企業への融資や被災者への財政援助を行なう。かつては阪神・淡路大震災などの大規模な災害だけが指定されていたが、国会の議決は必要なく、時の政権が政令で指定できることから、小泉政権以降、台風被害にも繰り返し適用されてきた。安倍首相は、選挙向けに総理の権限で「復旧事業」のバラ撒きを強調しているわけだ。
便乗選挙戦略は災害だけではない。「消えた年金」間題でも、安倍首相は総務省に『年金記録確認中央第三者委員会』を設置し、民主党の参考人として国会で社会保険庁の対応を厳しく批判した年金被害者の中村夫妻ら15人を簡単な審査で「救済」してみせた。
だが、そもそも、この第三者委員会も安倍内閣が政令で急ごしらえした、権限が暖昧な機関だ。5000万件を超える「消えた年金」が誰のものかほとんど判明していない段階で、選挙中にごく一部の被害者だけを救うのは、批判封じのための権限乱用という誹りは免れない。
北海道大学大学院法学研究科教授・山口二郎氏(行政学)の指摘は厳しい。
「復旧費がいくらかかるか確定していない段階で激甚災害指定を指示するのはおかしいし、年金の第三者委員会も問題の根本は同じ。選挙で劣勢と見るや、本来の手続きを無視して、政府の権限で何でも片付けようとしている」
中越沖地震にしても年金問題救済にしても、安倍官邸の関心は被災者や「消えた年金」の被害者ではなく、窮地に陥った政権の延命にしか向いていない。まさに悪あがきとはいえまいか。
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