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子貢が政治の要諦をたずねると、孔子は、まず第一に、「食を足し」食生
活の充実をはかってやること、次に、「兵を足し」軍備をととのえること、
そして、「民これを信ず」民の信頼を得ること、と答えた。
子貢は、ではその三つのうち、止むを得ずして一つを除くとしたら、どれ
を除きますかと再問した。孔子は言下に、「兵を去れ」軍備を捨てよ、と答
えた。
子貢は第三問を発して、その二つとも保持し得ない事態が到来した場合、
どちらを捨てますか、と迫った。孔子曰く、「食を去らん。古よリみな死あ
り、民信なくんば立たず」
この問答の前段にはふれないとして、日本は五十年前の敗戦の際、食・兵・信の三者を保持することができず、まず軍備を放棄した。これは孔子の教えのとおりで正解だったが、次の食と信の二者択一で違ってくる。無条件降伏なので止むを得ないことではあったが、従来の国民的信念が捨てさせられた。加えて国内政治もまた国民の信頼をつなぐに足るものではなかった。ここから、食うことは人間第一の要求であり、課題である。食うためには何をやっても許される、という風潮が一世を風靡した。
しかし、「民、信なくんば立たず」。信を失い、人の道をおそれず、「食うため」の一語によって社会思想が統一され、百鬼夜行の世相を現出したことは、当時を回想すれば誰の眼にも明らかなことである。
時の流れとともに社会は安定を取り戻したが、その後の所得倍増政策は依然、食を第一とするものであったのではなかろうか。
こうして孔子の政治観とは違った道を歩み続けてきたその結果は、物質的繁栄を人間最高の幸福と勘違いして、家庭生活や子供の教育まで犠牲にして、「食」の充足に狂奔した。そして得たものは何であったか。内面的には救い難い心の空虚であり荒廃であり、外面的にはいじめから汚職背任、殺人にいたるまでの地獄絵さながらの対人関係の悪化であった。
「これでいいのだろうか?」
「いや、これでいいはずはない!」
当然のことながらこの身心を托するに足る「信」の生活の模索がはじまった。
ところが、純粋にして多感な青年期において、真に心の糧となるべき古典、別して哲学・宗教が与えられてなかったため、信の領域は五里霧中の彼方にしか見当らなかった。ここに空前のカルト・ブームが醸成される土壌があった。
そして戦後、いかがわしいカルトがいかに多く発生し、消えていったか。
なかんずく、世界の終末を強調する黒い予言は宗教史の中に生き続け、世紀末にその勢いを得ている。そうした中で暴走を続けた閉鎖的な犯罪集団、荒唐無稽な予言に洗脳され、信じきっているエリートの若者のすがたをみるとき、「信なくんば立たず」。信ずるに足る指導者と、そのもとで正しい信心を培養する精進がいかに大切なものであるかが痛感される。
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