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http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070802k0000m010166000c.html
「便せんはありませんか」。官邸で安倍晋三首相と向き合っていた農相・赤城徳彦は、かたわらの首相秘書官・井上義行に尋ねた。渡された便せんに、赤城はその場で辞表を書いた。1日午前11時をすぎていた。
その少し前、農水省大臣執務室にいた赤城に井上から電話が入る。「すぐに(赤城を)呼んで」という安倍の指示を受けたものだった。「官邸に来てください」
官邸に駆けつけた赤城に、安倍は「あなたはまだ若い。事務所の問題を立て直し、一から出直してほしい」と言った。52歳の安倍から48歳の赤城への引導だった。
赤城はこの日午前10時20分ごろ、赤坂宿舎を出て農水省に向かった。朝刊各紙は「赤城は留任させない」という安倍の意向を報じていた。
赤城への風当たりは、参院選の惨敗で一層強まった。地元・茨城の県議会幹部は30日、赤城に電話で「辞表を出したらどうか、って声も県にはあるよ」と伝えた。
31日の自民党総務会では、深谷隆司元通産相が「中川さん(秀直自民党幹事長)、青木さん(幹雄同党参院議員会長)の前に辞めるべき人がいるんじゃないか。赤城さんだ」と発言した。
選挙の4日前には、ひそかに「赤城降ろし」工作があった。自民党執行部の一人は語る。
「幹事長サイドが、いよいよ情勢がまずいので辞めさせろと迫った。だが、投票日までもうギリギリだから、と官邸が残留させたらしい」
その安倍も、惨敗後も自身の責任に「ノーコメント」を通す赤城に、怒りを見せ始めた。
1日午前、赤城の事務所費問題にからむ新たな疑惑を、共同通信が報じた。「また新しいのが出た。細かい話だが続きすぎる」(首相周辺)。安倍は腹を固めた。
辞表を書いたあとの記者会見で、赤城はこう説明した。「ゆうべ一人で静かに考え、辞職でけじめをつけるべきだと思い至った」。辞令交付など1日に役所で予定していた公務を終えたら、安倍に会って辞意を伝えるつもりだった、とも。
だが、官邸から呼び出しを受けた赤城のふところに、辞表は入っていなかった。「それまで(自分から)辞める気配はなかった。事実上の更迭、というのが正しい」。首相周辺は言った。
◇「民主党だって大変だわね」
「赤城の山も今宵限りだ、とようやくなったなあ」(与党幹部)
農相・赤城徳彦の辞任に、与党は冷ややかな視線を向けている。公明党副代表の東順治は「ニワトリは夜中に鳴いたって、役目は果たせない。朝に鳴いて初めて役に立つ」と、遅すぎた辞意の表明を皮肉った。
自民党も同じだ。幹事長の中川秀直は「正直言って、もう少し早いタイミングで決断すべきだった、との意見は相当多くある」と語った。
赤城を更迭した直後の1日昼。首相の安倍晋三は官邸で、都道府県議会議長との懇談会に出席した。会場からは「首相は立派だ。あれだけ国家像を掲げて首相になった人はいない」など、安倍を励ます発言も。
だが、安倍はしばしばほおづえをついたり、下を向いたり。沈んだ様子の安倍を見て、ある出席者は「本当は首相に『政策を変えないとだめだ』と言いたかったけど、かわいそうだから言わなかった」と話した。
「赤」がいなくなった同じ日、「青」も表舞台から姿を消した。
1日正午、国会内参院自民党会議室。73歳、豊かな白髪がトレードマークの参院自民党議員会長・青木幹雄は、いつも通り紺のスーツ、白いワイシャツ、グレーのネクタイ姿で、同僚議員とNHKニュースを見ながら箱弁当をつついた。
その後、参院執行部会で「かつてない大敗の一番の責任は、議員会長である私にある」と正式に辞意を表明した。
青木は「これからは気楽になる。おでん屋でも誘ってください」と記者団の笑いを誘ったが、後任会長が決まるまでの間は、暫定的に会長職にとどまる。参院民主党の実力者、輿石東議員会長とは党派を超えた盟友。野党主導の国会運営でも、一定の発言力は保持するとみられている。
青木は最後に言った。「民主党だって大変だわね。何でもかんでも反対では、国民世論が『反対ばかりしていいのか』となる。まあ、やってみなきゃわからんよ」(敬称略)
毎日新聞 2007年8月2日 3時00分
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