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れんだいこのカンテラ時評311 【宮顕訃報に際してのれんだいこ論評】
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投稿者 こげぱん 日時 2007 年 7 月 21 日 14:09:50: okIfuH5uFf.Lk
 

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Re:れんだいこのカンテラ時評311 れんだいこ 2007/07/18 23:22

【宮顕訃報に際してのれんだいこ論評】

 2007.7.18日付け日共赤旗は、「訃報 日本共産党元中央委員会議長 宮本顕治さん死去」と題して次のような記事を掲載している。(ttp: //www.jcp.or.jp/include/20070718_fuhou.html)記事の責任主体は記されていない。本来なら幹部会声明とすべきだろうが、何やら事情があるのだろう。以下、れんだいこが概要整理し論評する。死者を鞭打つのは、れんだいこの好みではないが、こやつだけは断じて許し難いので当然そういう論調になる。

 日本共産党中央委員会名誉役員で元中央委員会議長の宮顕は、2007.7.18日午後2時33分、老衰のため東京都渋谷区の代々木病院で死去した(享年98歳)。喪主は長男の太郎。葬儀は宮本家の密葬とし、党としての葬儀は参院選後にとりおこなうとのことである。

 この後、履歴が記されているが、1933(昭和8)年、24歳の若さで党の中央委員になり、同年12月、「党に潜入していたスパイの手引きによって特高警察に検挙されます」とある。この記述は、その直前にスパイ摘発闘争で、僅か5名のうちの古参幹部小畑と小泉を査問し、小畑を査門致死させ、遺体を床下に埋葬させてた張本人である史実を意図的に記していない。

 れんだいこ史観によれば、小畑がスパイであったのではなく、スパイ容疑で査問致死させた宮顕−袴田ラインの方こそ正真正銘のスパイラインである。つまり、重要事件の場合には特に、プロパガンダされている史実は逆に報ぜられていることの方が多いということを物語っている。我々が下手に学ぶと余計に馬鹿になるのはその為である。

 赤旗は続いて、「特高警察は日本共産党の名誉を失墜させるため、さまざまな事件を仕立て上げ、デマ宣伝を繰り広げました。これにたいし、宮本氏は、獄中という困難な条件下で、日本共産党の名誉を将来にわたり守り抜くために全力をあげ、法廷では事実を解き明かして、デマ宣伝を打ち破りました。戦時下の暗黒裁判は、宮本氏にたいし、治安維持法違反を主とした無期懲役の判決を下しましたが、戦後、この判決は取り消されました」と報じている。

 れんだいこ史観によれば、この記述もデタラメである。宮顕は、孤軍奮闘の獄中闘争したのではなく、他の多くの党員が悲惨な拷問に遭っていたのに比して随分厚遇された豪奢な獄中生活していた形跡がある。獄中で公然と問う活動していた形跡もある。法廷闘争も、リンチ事件の重要な検証の陳述局面に至ると決まって不思議に数次の病に冒され、他の被告との共同裁判を避け、「宮顕こそスパイの可能性がある」と云い始めた秋笹の変死後に単独公判が設営され、とうとうと弁述し、その陳述書がが空襲で焼けたにもかかわらず不思議と副本が用意されており、今日プロパガンダされている。そしてそれを鵜呑みにする者が居る。

 「治安維持法違反を主とした無期懲役の判決」とあるが、この書き方も詐術である。正しくは、殺人罪、不法監禁罪、死体遺棄罪等々一般刑法罪と治安維持法違反との併合罪である。赤旗記事の「治安維持法違反を主とした」なる表記は明らかに意図的な歪曲であり知らぬものをたぶらかす書き方である。「戦後、この判決は取り消されました」も妙な書き方である。宮顕の戦後の釈放は、重態危篤との病気理由による特異な釈放であり、その後の「復権証明書」も、「将来に向てその刑の言い渡しを受けざりしものとみなす」というものであり、政治的な超法規的解決でしかない。決して、犯罪が無かった、あるいは無罪とされた訳ではない。

 「宮本氏は戦後すぐ党再建活動に参加」もウソである。「すぐ」ではなく、徳球、志賀らに比べてかなり後れての参加である。宮顕がこの間何をしていたのか、その消息さえ定かではない。続いて「五〇年問題」に触れているが、戦後直後の共産党を指導した徳球党中央時代の宮顕の動静については何も語っていない。「五〇年問題」について、スターリン論評が為されるや、いち早くスターリンの指導に無条件に従えと述べて、徳球党中央に叛旗を翻した国際派史実も隠蔽している。

 ところが、スターリンは、「日共の五〇年分裂問題」に対して徳球系党中央を正統として裁定した。徳球系党中央はその恩義もあってスターリン指導に従い急転直下武装闘争に突入し破産する。赤旗はこれに対して、「徳田・野坂の分裂的行動に反対すると同時に、彼らが持ち込んだ武装闘争方針に真っ向から反対するたたかいの先頭に立ったのが宮本氏でした」と記している。これもご都合主義的書き方である。この文章は明らかに不破が書いていることを示している。

 赤旗は続いて、1955年の六全協に触れぬまま突如、「党はこのたたかいを通して統一を回復、党綱領と自主独立の確固とした路線を確立しました。宮本氏は五八年の第七回党大会で書記長に選ばれます」と記す。
よほど六全協で党中央に復権したことを記すことが嫌なようである。1958年の第7回党大会までの「排除の論理」を満展開させた当時の歩みに触れたくないらしい。

 その後の綱領論争について、次のように纏めている。「六一年の第八回党大会まで継続審議となった綱領問題の討議を発展させるための小委員会責任者として、粘り強い論議を組織しました。第八回党大会で採択された綱領は、当面の革命について、世界の発達した資本主義国の共産党の間でいわば常識とされていた社会主義革命論をとらず、民主主義革命の立場を打ち出しました。綱領はまた、武装闘争方針や強力革命の路線をしりぞけ、日本の社会と政治のどんな変革も、『国会で安定した過半数』を得て実現することをめざす、という立場を明らかにしました」。

 明らかに不破式の観点であり、ウソを公然と書き記して恥じない変調文である。と同時に、当時の綱領論争の真の狙いがかくも大胆に記されていることに驚かされよう。何と、論争を通じて「社会主義革命論を排斥し、民主主義革命論に依拠させた。暴力革命を退け議会闘争に転換させたというのだ。不破よ、確かにそうではあるが、そのように弁じたか君は。この弁は、長大饒舌玉虫色煙巻きを得意とする君の文章が意図的に作成されており、かような狙いを秘めていたことを物語っている。これはこれで吐いた唾が降りかかってこよう。

 この後、宮顕のその後の履歴が記されているが、同様の詐術と提灯で埋もれているので一々採りあげない。採りあげれば長くなるばかりなので、別の機会に論ずることにする。問題は、こういう宮顕を頭に頂いて50年余も続いているのが現下の日共党中央であり、我々はこれをいつまで許すのかということが問われているということである。この観点抜きに赤旗訃報記事を読んでソウカソウカ宮顕はかくも偉大だったのかとうなづく者にはつける薬が無いということである。

 してみれば日共は大いに歪んでいる。思えば、日本政治の歪みと通底している。そういう意味では、日共の在り方は現代政治の写し鏡でもあり、外の政治の改革と日共の改革は同時的なワンセットになっていると踏まえるべきだろう。れんだいこが日共問題に拘る理由がこの辺にあるということになる。

 最後に。つい最近不破は急遽入院した。退院後に宮顕の訃報である。恐らく、不破の入院は宮顕の非常事態に合わせた所要の準備の為のものであったということになろう。この赤旗記事を書き上げたのも不破である。本来なら、執筆者として記すべきだが、それをしない。不破らしい姑息なやり方である。そしてもっともらしく、不破と志位の追悼記事を挟んでいる。つまり一種のヤラセ記事であり、何から何まで姑息であり腐っている。

 2007.7.18日 れんだいこ拝

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Re:れんだいこのカンテラ時評312 れんだいこ 2007/07/20 20:45

【宮顕訃報に際してのれんだいこ論評その2】

 宮顕逝去から一夜明けて、新聞各社は一面に追悼記事を掲載した。そのこと自体は何ら問題ないのだが、記事内容に見逃せない点が数々有り、論評しておく。それにしても、れんだいこの知る限り宮顕逝去に関して左派圏からの論評が無い。失語症に陥っているという訳か。情けない極みである。

 まず、宮顕を「日本の共産主義運動の名指導者」、「反体制の不屈の闘士」だのと歯の浮くような論評をしている点にコメントしておく。表向きそう書かざるを得なかったというのであれば見逃すことが出来るが、メディアに巣食う自称インテリ評論士達は本気でそう考えている気配がある。それほど見識が低いということになる。

 れんだいこに云わせれば、宮顕は確かに逸材ではあった。しかし、その史的意義は、「日本の共産主義運動の名指導者」とか「反体制の不屈の闘士」とかにあったのではない。むしろ逆であり、「日本左派運動の名撲滅人」として獅子奮迅奮迅の活躍をしたことにある。日共に入り込み、党中央を乗っ取り、牛耳り、日共を人畜無害の組織に切り替え、これを成功させたことこそ宮顕の功績である。メディアがその性質上、宮顕を「日本左派運動の名撲滅人」として書くことができないことについては理解するが、宮顕を日本左派運動の名指導者として本気で記述するのは馬鹿げていよう。

 新聞各社は、宮顕の登竜門となった芥川龍之介論「『敗北』の文学」の雑誌改造懸賞文芸評論第一席入賞を誉めそやしている。それはそれで良いのだが、論文の中身がどのようなものであるのかについての解説は無い。記事スペースがなかったのならそれで良い。問題は、中身を懸賞文芸評論第一席を取るほど秀逸としていたなら、これまた馬鹿げていよう。れんだいこの評論するところによれば、中身は、後の宮顕の強権政治を髣髴とさせる無慈悲なまでの芥川断罪論を基調にした悪評論でしかない。本来は、同時代の他の凡庸な作家と違って、芥川が如何に良心的に社会主義イデーに接近し苦悶したかの軌跡を論ずるべきであろうに。つまり、評論の視座が転倒倒錯している異常性評論になっている。この時点で早くも、後のひながたとなる「排除の論理」を丸出ししていることが興味深い。

 これが、宮顕の芥川論の要諦である。作品評論について優れたところありとすれば、その部分は最近の研究によれば、松山高校時代の文芸同人の書評からの剽窃であるということが判明している。これについて次のように言及されている。

 「雑誌『改造』の懸賞論文に1位入選を果たした宮本顕治の論文『敗北の文学』。これと、そっくり同じ『敗北の文学』が、別人の作品としてそれ以前に旧制松山高等学校の文集『白亜』に載っていたというのだ。ところが、それが掲載されていた号だけ、国会図書館にもどこにも、紛失してないという。日本中から旧制松山高等学校の文集『白亜』特定の号を抹殺した日本共産党。それは、いつ、誰が、誰の命令によってなされたのか?」。

 これは事実かどうか確かめてみればよい。事実としたら由々しきことである。宮顕にはそういういかがわしさがいたるところについて回っている。党史歪曲、原文用語書き換え、違法の秘密会議、会議内容の非公開等々はその延長線上のものである。

 次に、中条百合子との獄中結婚を取り上げ、「12年の手紙」がやり取りされたことにつき好意的に評している。しかし、これも、「12年の手紙」の内容を見れば、同時代の左派人の共産主義的意識、精神とは無縁のむしろ逆に封建的家父長制的権威意識、精神を丸出ししている。更に、百合子の財力に甘え、あれ持ってこい、これ持ってこいの豪奢生活を吐露するものでしかない。他の獄中仲間がペン一つ融通されなかった折に、宮顕には獄中下で市民生活が許容されていた不思議さが見えてくる話でしかない。戦前の百合子は宮顕に私淑したが、戦後の目線は冷たい。風致草で語られる重吉の像は見事に宮顕の本質をさりげなく伝えている。

 次に、不屈の獄中闘争を各社各様に誉めそやしている。徳球についてどのように誉めそやしたのか比較したいが、資料が無いので分からない。恐らく、真正の獄中闘争を経由した徳球に対しては、こうは持ち上げなかったし、こうも記事に載せなかったのではなかろうか。宮顕の場合、果たして当時、宮顕の如く予審調書一つ採らせずのまま経緯することが許されたであろうか。当人は、「こいつには何を言ってもムダだ」と特高をして拷問をあきらめさせたと豪語しているが、本当に有り得た話だろうか。

 その後の裁判に於ける様子もいかがわしい。査問致死事件の裁判だというのに、党の正義を縷々語り続け、肝心の事件陳述の番になると病魔に冒され欠席する。そうこうするうち、事件のキーパーソン秋笹が変死する。それを経て、宮顕の単独公判の場が設営され、とうとうと弁論している。普通に考えれば分かるが、こういうことは当局の演出的作為なしに可能だっただろうか。その正義の単独陳述についても妙なことがある。今日宮顕自身が公開しているが、その内容を見るに、記憶だけでは陳述できない精緻な資料を駆使している。宮顕は、獄中下でそのような資料をどうやって入手し得たのだろうか。これは、読んでない者には分かるまいが。それと、獄中仲間の他の被告の陳述調書に目を通している形跡がある。おかしなことであろう。

 次に、「網走刑務所獄中12年説」を相変わらず説いている不勉強記事が多いので訂正を催促しておく。どの社の記事がそうであるかを記しても良いが、恥をかかせるので控えておくことにする。れんだいこ検証によれば、「獄中12年」はまま確かであるが、網走に居たのは最後のご苦労となる敗戦の年の春から夏までである。僅か半年しか居なかった網走刑務所生活でしかないのに「網走刑務所獄中12年」と表記するのはフェアではなかろう。「網走刑務所など」と書いても同様である。書くなら一番長期にわたって拘留されていた「巣鴨の東京拘置所など」とすべきであろう。市ヶ谷刑務所ならそう書くべきであろう。

 これらから浮かび上がることは、宮顕に限って、権力側からも頻りに宮顕の革命的英雄譚が創造されているということである。当局肝いりの虚飾の宮顕英雄譚がこしらえられている気がしてならない。そして、この虚像に対して、党内も党外も未だに目をくらませられている。れんだいこに云わせれば、感性と知能と理論の貧困以外の何ものでもあるまい。れんだいこのこの言の確かさを廻って、今後ますますの議論を要請したいが、語るに足りる者が居ない。

 従って、もっとも都合の悪い「50年分裂」時の、「スターリン指令に従え」として時の徳球系党中央に楯突いた史実を隠蔽している。メディアは後に宮顕が自主独立路線を打ち出したことに対して手放しで礼賛しているが、真っ当な論評をするなら、「50年分裂」発生時にスターリン指示に従うのが国際共産主義運動の責務として反徳球活動を繰り広げた宮顕の負の歴史に対して言及すべきであろう。宮顕の虚飾の権威を落とすことになることを配慮してか、各社一様に黙して語らない。

 メディアが自主独立路線を礼賛したいなら、それを最初に示した「50年分裂」時の徳球−伊藤律系党中央の対応に向けられるべきだろう。この当時、一部のメディアは、徳球をして「日本のチトー」と評している。こういう史実がある以上、宮顕の後日の自主独立路線に対して、ならばかの時の対応はどうだったのかと問う論評が為されてしかるべきだろう。この辺りを書かない宮顕ヨイショ記事が多過ぎてつまらない。

 次に、各社とも、宮顕の功績として「現実主義、柔軟路線への転換指導」を挙げている。いわゆる議会路線への傾斜であるが、それは確かに宮顕の功績である。れんだいこはそれは認めよう。だがしかし、その意図と内実がどのようなものであったのかについての考察をせねばなるまい。宮顕指導による現実主義、柔軟路線への転換は、日本左派運動に本当に資したのか、ここを問わねばなるまい。

 宮顕路線の成果は、現実主義、柔軟路線の導入、それに続く社共共闘路線、その延長戦上の民主連合政府構想の打ち出しまでがピークであった。しかし、実際に起こったことは、革命的あるいは人民的と冠しただけの議会専一路線であり、それは他の諸闘争、例えばデモや大衆団体運動、労働組合運動を議会運動に召還させる為の議会闘争であり、議会闘争以外の闘争能力をやせ細らせるものでしかなかった。

 社共共闘、民主連合政府構想も、運動としては是認されるべきものであるが、それ自身に本気意義を見出していたたものではない。当時燃え盛る新左翼系運動の牽制路線として、彼らの理論に対置するものとして提起されたものでしかない。それが証拠に、社共共闘、民主連合政府構想はそれが現実化を帯びるや自らの手で潰しに掛かったという史実がある。

 残ったものは議会主義路線だけとなった。それも党勢拡大し続けていたら問題は露見しないが、今日に於いては1970−80年代の地平から久しく後退し続けており、その都度言い訳で糊塗しているところまで腐敗している。それでもこの路線が認められているのは、今日機能している如く野党戦線を分裂させ、そういう意味で与党権力を裏から補完する役割を果たしているからに過ぎない。その仕掛けを見破られまいとして、重箱の隅を突つつくようにして正義を振りかざし、政権党や政敵のゴシップ、スキャンダルの類いを暴露して存在感をアピールしているに過ぎない。つまり、極めて変態化しており、その変態度を深めつつある。

 これらは、宮顕の総路線からもたらされたものである。現在、宮顕−不破−志位の直系ラインがこの党を牛耳り何と1955年の六全協から数えて50年有余を経ている。戦後政党の中で唯一不倒の長期政権となっている。そういう日共が、自民の長期政権の腐敗について饒舌するのは、全て我が身に降りかかってくると思わねばならない。そういうこともあって舌鋒が弱い。実は、自民党内タカ派系とは案外仲良しではなかろうか。こたび、中曽根が宮顕逝去に当たって提灯追悼していたが、これは偶然ではない。読売のナベツネとも通じている。こういうことは歴史を調べれば分かる。この連中は裏で繋がっていると読まねばなるまい。

 その他いろいろ検討したいことがあるが、れんだいこの宮顕論でしていることなので繰り返さない。関心のある者はそちらを見ればよい。結論として、宮顕履歴の諸々が、左派運動撲滅人、沈静料理人として凄腕であったことを示している。このことを確認すればよい。確かに、この方面での活躍に於いて、宮顕の右に出る者は居ない。

 それを思えば、メディアが「戦後日本政治史に不滅の足跡を残したことを否定する人はいないだろう」と云う時、我々はどういう視座でそう受け取るかが問われている。れんだいこが繰り返せば、革命家としてのそれでは断じてない。革命事業撲滅請負人としての偉業であることを踏まえるべきであろう。この差を分からず提灯する者が多過ぎる。現代メディアが、「日本の共産主義運動の名指導者」という見立てから「戦後日本政治史に不滅の足跡を残した」と評するなら、その評論氏の能力の痴愚ぶりを示して余りあると云うべきだろう。

 れんだいこが最後に論ずるとするならこういうことになる。宮顕は、数多くの左派活動家、指導者を放逐し掣肘した。その功績は、宮顕に放逐されたり掣肘されたりするに過ぎない能力の左派者に革命させてはならない、間違っても権力を握らせてはならないところにある。ここに宮顕の最大の功績があり、これを措いて以外には無い。そういうことになる。

 2007.7.20日 れんだいこ拝

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れんだいこ 人生学院
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/

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