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速報!
7月16日午前10時13分新潟県中越沖地震が発生
気象庁の観測によると、震源地は新潟県上中越沖で、震源の深さは約10キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.8と推測される。
倒壊した家屋
以下活動記録へ
今日の活動
2007年7月20日(金)更新
これ以前の活動記録はこちらへ→
7月16日(月・祝)
(7月17日新潟日報より)
7月16日、海の日の旗日です。
午前11時から新潟の社民党県連事務所2階で山本あき子さんの選対会議を、幹部を集めやっていると、突然、ものすごい揺れ。立っていられないほどの衝撃。「地震」です。
マグニチュード6ないし7くらいと直感しました。すぐテレビ、震源地は新潟県中越地域らしい。
また「中越か」と思い、少し待って、会議を続けようとすると、テレビ画面に柏崎原発から黒煙と火が上がっているのが映し出されました。
もう会議などやっている時ではありません。
私は自宅で着替え、まず、山田秘書と新潟県庁 ― 県庁西階層の大会議室が対策本部。副知事以下、大混乱しています ― へ行き、大雑把な地震の状況、道路事情を聞いて、その上で、「緊急車両」の許可を貰って、通行止めの高速道路を、一路現地柏崎に向かいました。
「緊急」と書かれたステッカーを張った車
自衛隊の車両や救急の車しか通らない北陸高速道です。長岡以西、道路にところどころヒビ割れ、段差。
長岡の大積から、西山インターを出て、刈羽で武本和幸氏を乗せ、大渋滞の中、柏崎へ。
ひどい状況です。
柏崎高校卒業の私にとっては、柏崎は第2のふるさと。同級生もたくさん。会田市長も助役も同級生です。
被害のひどさは柏崎に近づくにつれ、次第に明らかになってきます。
高速道路に入った亀裂。こんなに段差があります。
いたるところに亀裂が
倒壊した家屋
柏崎・刈羽原発
県の出先・柏崎振興局に顔を出し、その後市役所へ。災害対策本部のおかれている市役所は、関係者、市民で大混乱。
そこで16:30、安倍総理がヘリで佐藤池球場へ着き、柏崎原発へ向かうことがわかりました。とっさに、私達も原発へ行こうと決め、原発へ向かい、兎に角、中に入れてもらいました。
原発敷地内へ。
そこで見たもの、波打つ道路、めくれ上がる建物の土台。道路に書かれた白線は曲がりくねる。
すぐ脇が、こんな状態では原発が無傷であるわけはありません。中越地震の時は停止せず、運転を続けた7機。今度は全て停止です。当然です。
原発施設内 道路わきの柵が倒れている
原発施設内
施設建物の土台がめくれ上がっている
しかし、原発建物の中は撮影禁止
中央が火災を起こした変圧器
焼けただれて黒焦げです
火災現場を指差している
東京電力柏崎刈羽原発では、定期点検中の1、5、6号機と、稼働中だった2、3、4、7号機が自動的に緊急停止。
3号機のタービン建屋に隣接した変圧器から火が出ているのを、同社員が発見。約1時間後に消火活動が始まり、消火したという。
つまり、約2時間にわたり黒煙を上げ続けました。
― 石油工場など、通常化学工場などにある、自前常設消防隊は無いということです。ヒドイ。
市の消防隊への連携が遅れ、しかも、当然のことながら地震の交通渋滞で消防車の到着が遅れました。この点は官邸も怒っていたようです。
出火の原因は全て不明。
この消火作業の遅れが、まず批判のマトとなりました。
いずれにしても、地震直後、原発から「火が出、黒煙が上がる」は、我が国地震史上、初めてのことで大変、センセーショナルな絵になりました。
現地入りした安倍総理
大渋滞の中、武本氏の先導で小道をくぐり抜け、総理が着く、ほんの少し前に原発に入りました。その直後、自民党県議らが待ち受ける中、総理が変圧器の火災現場が見えるところにバスで到着。防災大臣や、関係省庁の関係者も一緒。市長、所長らが出迎え、火災現場を指しながら、説明。
所長は「火災が原子炉建屋内ではないこと」「放射能モレは無いこと」「安全機器に異常は無い」ことを、強調。総理は、ほとんど発言せず、説明を聞きながら、「それは安心しました」などと答え、この間、わずか4〜5分。
その後、総理一行は柏崎市内へ。
マスコミの前で、まず、これをやるために、東京からヘリで来たのです。そして、いの一番に原発に来たのです。それはあのテレビの「黒煙と火」のショッキングシーン。兎に角、総理は危機対応を、しっかりとアピールしたかに見えた。
しかし、それはまもなくひっくり返る。
原発敷地内にもこのような亀裂が。
今回の地震の加速度は設計時の想定を大幅に超えているらしい。
柏崎市内の様子
柏崎高校から、東本町そして四谷方面。
一昔前、私が高校生の頃、柏崎市内随一の中心街。ここが、のき並みやられている。
高校時代、華やかな思い出が残っている商店街。最近は郊外のバイパス沿いに大型店が張り付き、すっかり昔の面影をなくし、一部シャッター街となりつつある、旧中心部。ここがのき並みやられた。
地震は残酷なほど、正直です。古い家、弱い構造の家が確実にやられ、新しい建物、コンクリートの建物などは残りました。
このあたりは、昔の街道沿い。昔のだんな様、古い、土蔵の家がたくさんあるが、土蔵はのき並みやられています。
皆さん、呆然と家の前に出ています。高校の同級生に何人か会いました。傾いた家、メチャクチャな家の中。慰めの言葉も見つかりません。
柏崎小学校と電気館ホールで被災者の皆さんを見舞いました。
東本町で公明党の太田代表とすれ違い、NHKの憲法討論で会っているので、挨拶しました。
大混乱、一体、誰が、どうやって片付けるのか。気の遠くなる、本当にお気の毒の事態です。多くのところが電気が消え、ガス、水道は不通。刈羽もひどい状態です。
家屋の倒壊は、全壊が342軒、半壊・一部損壊が328軒件で計670軒。
全壊のうち307軒は柏崎市内だった。
商店街の様子
夜、柏崎から新潟へ向かう帰路、出雲崎の役場へ。
町長以下、職員総出で対策の途中でした。出雲崎でも、旧西越の柏崎寄りを中心に120名の被災者が避難所へ。
町長を励まし、海岸の実家を見舞い、午後11時過ぎ、新潟へ戻りました。
8人死亡、870人ケガ、340棟全壊、1万1000人避難(7月17日朝時点)
7月17日(火)
(7月18日新潟日報より)
原発施設内
道路は波打っている
右上の建物は火災でのこげあと
福島さんも東京から駆けつけました。福島さん、山本あき子さん、桝口さん、県議の皆さんと一緒に、この日も武本氏が同行。西山インターから原発へ。
所長らが、昨日に続いて説明。火災現場のほか、5、6、7号機が一望できる所と、6号機の放射能モレ現場を見ました。
昨日、東電は総理の前で、「放射能モレはなく、安全機器は正常に機能している」と大ミエをきったのに、その日の夜、6号機で放射能を含んだ水を約1、2トン、海水に流したことを記者会見。
総理にさえ、イイカゲンなことを言う東京電力です。
強く求めて、6号機、放射能モレの現場を見せてもらいました。私達が初めてです。
使用済み燃料プールの水が地震の揺れで漏れたようですが、原因は不明。ここでも放射能モレの事実を国に報告したのが、発見から6〜7時間経過した後であることが判明。
本当にデタラメです。
兎に角、敷地内の道路の亀裂、波うち状態はひどい。
点検中の原発、制御棒が抜ける事態はなかったのか問うてみると、「大丈夫」。何を聞いても「異常なし」、「大丈夫」という答えしか、返ってきません。
しかし、この日、私達が帰った後の夜、7号機の排気筒から、自然界には無い、ヨウ素、コバルトの大気中への放出の事実が発表されました。さらに、廃棄物庫も放射性廃棄物を入れたドラム缶100本等が転倒し、付近を汚染するなど、合計50件ものトラブルの事実が記者会見で、明らかとなりました。
私達の前では、「なんとも無い」と言う、私達が帰ると、「実は」と次々に放射能モレの事実を明らかにする。この体質は一体なんだ!
インペイ、ウソの体質はなんら変わっていません。怒り、怒りです。
東電のやり方に、総理もそして新潟県知事も批判を始めました。
それはそうだ。誰が見ても、敷地内に地震の跡が、いたるところに、これだけ表現されているのに。原発が大丈夫なわけが無い。
パイプ、機器、それらにズレ、ユガミが出ないわけが無い。
原発施設内はカメラ撮影はダメ。残念。
そして耐震設計です。女川、志賀についで、柏崎でも耐震設計の誤りが明白になりました。私達が、この間、指摘し続けてきたことを、自然が続々と証明してくれています。
柏崎原発耐震設計、300ガル(限界450ガル)で安全審査を通り、どんな地震でも大丈夫といくことだったのに、それが今回680ガル。設計値の2倍以上ではないか。
安全審査が見過ごした、海底の活断層の存在をマスコミが指摘し始めています。
地盤の問題、原発と地震の問題は、私が第一審の事務局長を務めた柏崎原発裁判の最大の争点でした。たとえ、裁判は負けても、真実は1つです。
私達は柏崎原発のアキレス腱を指摘し続けてきました。ついに、「設計値を越える地震」が起ったのです。私達の指摘は正しかったのです。設計許可は間違っていました。耐震設計の見直しが必要です。
「原発直下まで断層か」「建設の前提に問題」の見出しがマスコミに登場してきています。
簡単に発電再開など絶対に許せません。
もう25年位前になるのでしょうか。原発裁判で裁判所の検証が行われることになり、その前日、柏崎の旅館に弁護団が泊まり、皆が寝た後も、翌日の検証のことが心配で寝られず、夜中、一人起きて、旅館の別室で、ほとんど眠らず準備し、翌日検証へ。
原発敷地全体を見回す高台で、裁判官に一番最初に「敷地の地盤の劣悪さ、活断層の存在」を説明したときの、あの若い頃を思い出します。
あの、私の、私達の指摘の正しさが、今、事実として目の前にあります。世論がやっと気付いてくれそうなんです。
国の原発オフサイド施設「検査所」で説明を聞く
私の右は福島さん、手前は山本あき子さん
火災が起きたとき、原発敷地内で職員7人が怪我をしたそうです。
その混乱も消火活動の遅れの原因ではないでしょうか。
(7月18日新潟日報より)
東京電力のダメな点
●あいかわらずの情報公開の遅さ、連絡の遅れ
●消防体制の欠如
●耐震設計の致命的な誤り
●海、待機への放射能モレ
私達がしっかり監視し、追及しなければこの人たちは直りません。
再び東本町、えんま堂の周辺、町内の皆さん、テントの中で肩を寄せ合っています。同級生の妹さんと会い、励ましました。
えんま堂は柏崎のシンボル。6月・7月のえんま市、祇園祭は高校の頃の柏崎一番の楽しみの行事でした。学校をサボって入ったラーメン店、映画館などがなくなり、その後の建物に被害が出ています。昔ここに「○○があった」その後の建物だ、それがこうだと、ひとつひとつはるかな記憶をたぐり寄せながらのつらい作業です。再建できるのだろうか。
皆さん口々に、「地震は他人事だった」「まさに俺のところにくるとは」・・・。
崩れた商店街のアーケードを見る
崩れたアーケードの脇で
崩れたアーケード
倒壊した家
ぺしゃんこになった家屋
瓦屋根がそのまま落ちています
つぶれた家屋 瓦屋根
つぶれた家屋 瓦屋根
つぶれた家屋 瓦屋根
つぶれた家屋 トタンの壁
それにしても柏崎の街の中はメチャクチャ、避難所はどこも人いきれで大変です。
昨日に引き続いて、柏崎小学校の体育館へ行きました。
昼間、若い人は外に出ていて、高齢者が中心。昨日に比べ、皆さん、疲労の色が強くにじみ出ています。
高齢者の皆さんに福島さん、ねぎらいの言葉をかけ、要望を聞いて回りました。
それでも、中越地震の経験から、各地の応援体制、ネットワーク、県、自衛隊の体制は格段によくなったと行政の皆さんは言います。
しかし、飲料水、トイレなどの不便は否定できません。難儀な、難儀な毎日。
時々余震が続きます。
避難所 体育館の中
避難所体育館の中
武本氏の案内で、刈羽村の知り合いのところに何件か寄りました。
ただただねぎらうだけ。家の中は足の踏み場もありません。
帰路、再度、出雲崎に寄る。
海岸の魚市場、荷さばき場が液状化で真中が異様に盛り上がる被害を受け、漁協の参事から説明を受けました。故郷の漁業に大打撃。復旧支援に全力を尽くすことを約束して、町役場へ。丁度、対策会議の真っ最中。実態がよくわかりました。
「ガンバレ出雲崎」
新潟への帰路、雨が降り出しました。柏崎が心配です。
住宅倒壊1300棟、死者9人、負傷は1090人、避難者8995人。
県は仮設住宅250戸を23日に着工。停電2万3000。
早期・広汎な激甚指定、そして住宅再建支援法「改正」をしっかり、早期にやらなければ!
そして、夜から翌日朝にかけて、次々に衝撃的な知らせです。
本当に東電は、情報を小出しにし、住民の不安を逆にあおります。その中でも、ついに原発直下まで断層が伸びていることがはっきりしてきました。海底の震源となった断層が原発ほぼ直下の陸地にまで及んでいると見られることが気象庁などによる、余震分布の解析でわかったと、マスコミ各誌が報じだしました。
原発立地の大前提が揺らぎだしました。「原発の直下、近くに活断層はない」「住民主張の断層は地震の原因にはならない」との国、裁判所、東電の主張が今、大きく音を立てて崩れようとしています。
本当に不幸なことですが、「言い続けて」いたことが裏付けられたのです。
柏崎市民の犠牲の上に!
東電はさかんに、「今回の地震は想定外の規模」と言います。
とんでもない。自分たちにとって不都合のものは全て、「想定不適当、起こりえない。したがって対策は不必要。」これが彼らの論理。そして常に寸足らずの事態。地震などしか考えず、「それ以外、以上」を想定しない、住民を見下し、生命を軽視したやり方が、今、文字通り土台からひっくり返ったのです。
ここは一歩もひくわけにはいきません。
震源地は原発からわずか9キロ。7機全てで、設計値を越える揺れが測定され、最高は、耐震設計値の2,5倍を超える地震を「想定外」とは何たる言い草か。
設計値を越える地震は、女川、志賀について3度目。設計値と現実のズレはますます大きくなってきます。
自然界の警鐘以外の何者でもありません。
こんな原発を動かすわけには行きません。
7月18日(水)
柏崎原発に隣接する、東電の原発PR館の内部
魚が泳いでいた水槽が割れ、水浸しです
地震から3日経ったというのにこの状態
午後4時、柏崎・刈羽原子力発電所に対して 、その建設計画当時から反対運動をし、設置許可取り消しの裁判も起こしてきた反原発3団体のメンバーが、東京電力に対して抗議の申し入れをしました。 30〜40年信念を貫いてきた人たちです。
申し入れの内容は
1. 今回の地震が、東電側が主張していた想定規模を上回るものであったこと
2. そして反原発3団体は東電が主張する規模を上回る規模の地震発生の可能性があることを 指摘し続けてきたこと
3. 結果として東電側が間違っていたことの確認
4. 間違っていた事への謝罪
5. 安全の基礎が崩れたわけだから設置許可の返上(廃炉)を求める
6. 地震当日からの東電側の発言訂正・報告の遅れ
7. 住民側の地震被害に加えた原発・放射能事故への不安などの精神的被害
8. 今後間違った情報を流すな
9. 近い将来での東電社長や柏崎・刈羽原子力発電所所長との会談
等です。
しかし、東電側の説明は地震発生以後の発表の経過をなぞったものでしかなく 、その内容がクルクル変わった経過を考えると、およそ十分な透明性や説明責任を果たしているとは言えないものでした。
百歩譲って原発の存在をみとめるにしても 、東電に原発の管理能力 − しかも地震などの非常事態における − があるのかという大きな疑問を感じざるを得ません。
市民から3団体のメンバーに「ヨーソ剤を飲んだほうがいいのでは」などと不安を訴える声も届いているそうです。
駆けつけたメンバーのほとんどが、自宅に相当被害が出ているのですが、「これ以上、原発で不安にさらされたくない」の必死の訴えです。
設置許可を求める裁判は現在、最高裁継続中です。当然、近く最高裁に対し、弁護団より、今回の事態をふまえ、原発の設置許可の違法を強く指摘する主張が提出されるはずです。
私も、国会が始まれば、質問趣意書や、委員会質問で追求します。
右が東電側
手前が市民団体の皆さん
市民団体の代表の皆さん
若井洋一市議 武本和幸氏 高橋新一市議
矢部忠夫市議 笠原浩栄市議
皆さん市議になる、はるか前から反原発運動をやっている人たちです
武本氏宅の納屋もこんな状態に
この日、柏崎市の会田洋市長は、原発の変圧器火災をうけて、」全ての原発施設の油タンクなど危険物施設について、安全性の確認が出来ないとして、消防法に基づき、油タンクなどの緊急使用停止命令をだしました。
波打つ道路、陥没、キレツなどから立ち入り調査の結果、「危険物、施設の基礎に損傷の恐れあり」と判断したからです。
消防法に基づく停止命令は「もんじゅ」についで2度目です。商業用原発では、初めて。
石油タンクなどの危険物は耐震構造になっていません。しかし、これが無ければ原発は動きません。よいところに目をつけました。事実上、原発の使用を停止させる内容です。市でも原発を止められるんです。
会田市長の「英断」に心から賛辞の拍手を送ります。
夕方から、佐渡の金井で山本あき子候補の個人演説会。その前段、佐渡の漁民の人たちの陳情を受けました。
7月19日(木)
市役所で会田市長と会いました。若山副市長も同席しました。3人は柏崎高校の同級生です。
市長は、ヘリで柏崎市内を飛んだ直後でした。「空から柏崎の町を見て、涙が出た」と市長。
私は、「オメサン、この日のために市長になったんだすけ、今がガンバリ時だ。市民のために身体を張れ」、「ふるさとの皆さんのためにガンバレや」と言いました。それに対し、キッパリと「時間はかかるが、ガンバル」と応える会田市長が、本当に今まで最高に頼もしく見えました。
ガンバレ!
右は柏崎の会田市長、若山副市長
会田市長と握手
出雲崎の実家がお世話になり、そして私の選挙でも大変応援してくれた柏崎の魚市場を激励。
魚屋の大部分は今でもスーパー等に押され、廃業の瀬戸際。地震がこれに追い討ちをかけると、悲痛の叫びでした。
柏崎魚市場事務所で話を聞く
社会福祉協議会では、全国から救援物資やボランティアがたくさん来ているが、柏崎ではまだ、受け入れる場所が少ないという話を聞きました。
市内をまわった後、三度、単身、原発のサービスホールへ。
昨日東電は地震による50のトラブルを公表しました。7機全ての原発に、設計値をはるかに越える、強力な力が加わった為、大変な問題が発生し、原発は文字通り、ズタズタです。
あきれを越して、怒りでいっぱいです。それをぐっとこらえ、50のトラブルの内訳について、副所長から詳しく説明を受けました。
説明で、地震で使用済み燃料プールの放射能の水が管理区域から、非管理区域に出、そのまま海へ放出されたこと、主排気筒から放射能が大気中に出たこと、原子炉建屋の最後の壁(ブローアウトパネル)が外れたこと、設備のズレ、キレツがあちこちにおこっていること − 復水器配管などは、なんと、3.5メートルのキレツです − 固体廃棄物貯蔵庫でドラム缶数百本が転倒し、内数10本の缶のフタが開いて放射能の汚水が漏れたこと、などなどがはっきりわかりました。
肝心の活断層の件は、まるで説明が出来ず、再度、敷地内の道路などの波打つ状態を、「現場に立って」確認したいという申し入れは、インギンに、且つ、断固として拒否されてしまいました。
しかし、まだまだこんなものではないはず。真実はたくさん隠されているはず。原子炉建屋内部が、とりわけ原子炉の圧力容器などの重要機器が、どんなになっているのか、本当に不安です。
本来は国政調査権に基づき、また、県などが安全協定に基づき、東電と国任せでなく、独自に建屋の内部へ専門家とともに、早急に立ち入るべきです。それをしたいんですが・・・。(残念です)
その後、50件のトラブルはさらに拡大を続けています。放出放射能の量も拡大修正されています。
原発は活断層の上に建ててはなりません。
私たちは裁判で、世間でこの様に訴えてきました。
国も、東電もこのことを認めたうえで、東電などはホームページ等で「活断層に上には建てていません」「それは活断層ではありません」と言ってきたのです。
今、それが、崩れだしたのです。
これは大変なことです。
そして夜は長岡で山本あき子候補の個人演説会です。
東京電力より説明を聞く
倒壊した家
参議院議員こんどう正道
http://www.m-kondo.jp/top.html
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