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http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_27a1.html から転載。
私のちっぽけな苦しみ
自分の近くで起こっていること(http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007071700186)への自分の対応のふがいなさに、心を暗くさせている。そんな時、最近亡くなった文芸評論家の文章が私の持っている文学全集に入っているのを思い出し、ぱらぱら見ていたら、私の心の中を見透かされているように思えたので、書き留めておく。まずは有島武郎に関する記述:
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有島氏の持った苦悶は、未だ苦悶の中にも殉教者的な稚気を帯びている。故片上伸氏が批判しているように、啓蒙主義者――自得的なエゴイスト――にある「理づめで自分の気持を片づけている点が氏の言うところを浅くし、平たくし、乾いたものにし、尤(もっと)ものようでいて、真に心から受け入れさせる力のないものとしている」のである。のみならず、知識階級の役割に関するその理論付けすら、認識の小ブルジョア性に起因する誤謬に立っていることも、今日においては明らかにされていることだ。痛み多い苦悶をみせた末年のニヒリズムの萌芽にもかかわらず、とまれ、有島氏の歩みには最後まで「愛」と「人道」についての確信らしいものが匂っていた。遺書にある「私達は自由に歓喜して死を迎える」という言葉は偶然に書かれたものではない。
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芥川龍之介に関しては、こう書かれている:
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芥川龍之介氏の文学の「最後の言葉」は、社会生活における人間の幸福への絶望感であった。あらゆる厭世主義者のように、氏は「人間に負わされた永遠の世界苦」に結論を発見せずにはいられなかった。それは決して新しい思想ではない。新しい感情ではない。それは「自己」への絶望をもって、社会全般への絶望におきかえる小ブルジョアジーの致命的論理に発している。かくて芥川氏は氏の生理的、階級的規定から生まれる苦悩を人類永遠の苦悩に置き換える。
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この文章は芥川が死んで間もない1920年代の終わりに書かれたものだが、著者が自信を持ってその到来を説いていた「必然的な歴史」は、一世紀近い時を経た今も未だに訪れてはいない。私はこの著者の(特に文学以外の分野での)考え方に沿って生きてきたわけではない。しかし、彼がその稿の結びに置いた文は、時制や叙法を変えることなく、今日も通用するように思う。
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「敗北」の文学を――そしてその階級的土壌を我々は踏み越えて往(ゆ)かねばならない。
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