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(回答先: 日本共産党元議長・宮本顕治さんが死去(京都民報) 投稿者 熊野孤道 日時 2007 年 7 月 20 日 08:52:21)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_07071904.htm
共産党元議長の宮本顕治氏が死去…山口・光出身
共産党の委員長、議長などを務めた宮本顕治(みやもと・けんじ)氏が18日午後2時33分、東京都内の病院で老衰のため死去した。98歳だった。
宮本氏は山口県光市出身。戦前から共産党員として活動した。1933年、治安維持法違反などで検挙されたが、終戦まで12年間、転向を拒否し続けた。
宮本さん死去の報に、同市などの関係者は「評価は分かれるが、共産党の歴史そのものの人だった」などとしのんだ。
関係者によると、宮本さんは20年ほど前までは、墓参りなどで光市に里帰りしていたが、最近は戻っていなかったという。生家やその後、転居した家は取り壊されて今はない。
光市浅江、村崎寧(やすし)さん(67)は25年ほど前、全国部落解放運動連合会山口県連副委員長として、宮本さんに接した。一番の思い出は、光市民ホールで開いた「宮本顕治と語る会」。「『宮本顕治帰る』と銘打って取り仕切ったが、党員だけでなく一般市民も訪れ、立すいの余地もないほどの超満員だった」と振り返る。
村崎さんは「批判的な評価もあるが、共産党一筋でやってきた最後の人ではないか。一般的にはこわもてのイメージだが、親しみのある優しい人だった」と記憶をたどった。
共産党衆議院比例中国ブロック事務所長で、党山口県委員会前委員長の加藤碩(ひろし)さん(67)は「議長時代に山口県内での演説会や懇談で親しく接した。我々の世代の党員は、宮本さんの綱領を通じて生きざまを見つけた人が多かった。一つの時代が終わったという感慨がある」と語った。
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