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□分裂騒動“真の理由”を語る 新党日本・田中康夫代表 [スポーツ報知]
http://news.livedoor.com/article/detail/3234013/
分裂騒動“真の理由”を語る…党首直撃《4》新党日本・田中康夫代表
2007年07月16日08時15分
参院選公示1週間前に、党に2人しかいなかった国会議員が「解党宣言」した新党日本。一時は田中康夫代表(51)、ジャーナリストからの転身を目指す有田芳生副代表(55)の立候補も危ぶまれたが、解党は認められない形で選挙戦はスタートした。結党当初、一時は5人の議員数を誇った党は今回、どんなモチベーションを持って選挙に臨むのか。今回、党首としてただ一人自らの選挙となる康夫氏は「我々は永田町の陣取り合戦をするのではない」と強調する。
−公示直前に分裂騒動が発生。とんでもないことになった。
「突然だったし、解党ありきの問答無用だったから困っちゃったなあという感じだった。国会閉会の日に荒井さん、滝さんがいきなり席立って行っちゃった。驚いたし残念」
−彼らは何と?
「僕が目立ちすぎていたのがいけなかったのかな。荒井さんには最後に『あっそうだよね。新党日本は田中さんのものだったんだっけ?』だって」
−分裂の“真の理由”は何だと思うか。
「分からないけど彼らは『田中と有田が立候補するような党じゃ安倍さんの役に立たない』って思ったのかなあ…」
−国会議員が実質ゼロになり今回、全員当選してもMAX3議席だ。
「我々は永田町で陣取り合戦をするんじゃない。有田も私もジャーナリズムの世界で生きてきた。みんなが『何か言葉にならないけど変だな』と感じることをいち早くスクープし、キャンペーンをはる『触媒』になる」
−具体的には?
「社保庁を改革し日本年金機構になっても、職員の給料は税金から出る。僕は知事時代に調べたけど、独立行政法人の給料は公務員に比べて金額も10%近く上がるんだよ。こういうおかしいことを『おかしい』と言うのが新党日本。これまで夕張の財政破たん、築地市場の移転にも早くから注目してきたし。今選挙では『年金通帳』をアピールしているけど、光栄なことに小沢一郎さんも認めてくれた」
−その小沢氏と選挙後に連携する考えは?
「連携って? それじゃ子会社、孫請けになるってことでしょ。自民党にも加藤紘一さんから麻生太郎さん、民主党にも菅直人さんから前原誠司さんまでいるんだからさ。でも政策面で協力することはある。どの党でもいい法案あれば賛成するよ」
−政局になったらどう動く?
「それみんな言うけど、政党として選挙しているんだから、結果の後の順列組み合わせの話をしていること自体が、投票してくれた有権者に失礼なんじゃないの?」
−選挙では代表自身が比例代表候補。荒井、滝両氏は地元で離党のあいさつ回りをしているようだが、候補者としては痛いのでは?
「全然。もちろん福島、奈良にも入るし何の特別な感情もないよ」
−それでも政党助成金を申請せず、約4000万円の収入を棒に振った。
「選挙資金として予定していたところもあるけどね…。でも借金しないように頑張ります」
−今後の離党問題はどうなるのか。
「離党は認めますよ。でも届けをだすと一定の期限以内に(新党日本の福島、奈良)支部の廃止届を出さないといけない。彼らは新党日本から政党助成金をもらっているから、精算しないと党の責任になる。だから会おうというのは『頭下げに来い』じゃなくて事務、会計的な手続きもあるんだよ。向こうは『康夫の顔は見たくない』と言っているらしいけど」
−彼らに怒りは?
「僕は安倍さんほどすぐには怒らないから」
−長野県知事時代からも数々の側近と決別。新党日本でも当初のメンバーはほとんど消えた。
「別に何も思わないけど。結党の時、荒井さんらが話を持ってきて『党首をやってくれないか』と言ってきたのになあ」
−あの騒動以来「チーム! ニッポン!」の決めポーズはほとんどやってない。
「しばらく封印だな、ありゃ。この問題が解決したら考えるよ」
◆田中 康夫(たなか・やすお)1956年4月12日、東京都武蔵野市生まれ。51歳。一橋大在学中の80年、「なんとなく、クリスタル」で文芸賞受賞。同書はミリオンセラーとなり社会現象となった。主な著書に自身の日常生活を赤裸々に描いた「東京ペログリ日記」や、阪神大震災のルポ「神戸震災日記」などがある。2000年、長野県知事に当選。02年、県議会で不信任案が可決され失職も出直し知事選で再選。05年、衆院選で郵政法案反対の元自民党議員らで立ち上げた「新党日本」の代表に就任。06年、3選を目指したが落選。
◆新党日本 2005年8月、郵政民営化に反対する元自民党の小林興起前衆院議員、青山丘前衆院議員、滝実衆院議員、荒井広幸参院議員が、当時長野県知事だった田中康夫氏とともに結成。同年の衆院選では国会議員が5人という政党要件を満たすため、国民新党から長谷川憲正参院議員も一時“レンタル移籍”した。だが選挙で小林、青山両氏が落選し、後に離党。残った荒井、滝氏も07年7月5日、国会閉会のタイミングで解党宣言したが康夫氏が認めず事実上、離党となっている。
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