★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK38 > 384.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: [AML 14838] 埼玉県知事選での新しい共同運動がつぶされようとしています 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 7 月 13 日 15:34:36)
[AML 14850] Re: 埼玉県知事選での新しい共同運動がつぶされようとしています
cxm00507 at nifty.com cxm00507 at nifty.com
2007年 7月 13日 (金) 00:03:43 JST
--------------------------------------------------------------------------------
新知事をつくる県民ネット準備会
略称・新知事ネット
石垣 敏夫 さま
くすのき宿六です。
この4月、都知事選では浅野さん擁立に関係した「東京。をプロデュース」
の外野席にいました。
浅野さん擁立までの市民側の動きに関しては「世界6月号」の鼎談を
ご参照ください。また近々に雑誌「あごら」が出ます。ここでは
「東京。プロデュース」側の経過が書かれています。
「埼玉県知事選での新しい共同運動がつぶされようとしています」を拝読
しました。
都知事選パターンとあまりにも酷似していることに驚いています。
わたしたち全国の市民は、各地域での経験を互いに学びあうことが
必要なのだと改めて感じています。
ざっと都知事選の経験をお話します。私たちは選挙は何も知らない
フツウのPTAおじさんおばさんたちの集まりです。
石原に勝つ為には、対抗候補を統一しなくては、と活動を始めました。
2年前のことです。各党派、いろんな組合をまわって統一の必要性を
訴えてきました。
しかし共産が昨年10月に吉田万三さんに出馬宣言させます。形は
革新都政の会からの出馬なのですが、事実上の共産公認候補です。
いきなり、です「東京。をプロデュース」は焦りました。
昨年11月末、「東京。をプロデュース」はシンポをします。
野党各党派の選対責任者にきていただき、都知事選への意見交換
ができました。
このシンポの収穫は
都連民主から、これ以上石原には擦り寄らない、という発言です。
なんせ、都議会は自公民主のやりたい放題議会。民主は石原与党
なのです。
また吉田万三さんからは、都知事選の風を起こすために出馬宣言
した。政策を引き継ぐ候補が他にでればバトンタッチをしてもいい、
というものでした。
「東京。をプロデュース」はやや安堵しました。同時に
1 民主から候補者を出させない、
2 吉田さんの政策を引き継ぐ候補者を探す。吉田さんの政策とは
憲法を守るなど4政策。
この2点が成功すれば、反石原の対抗軸が出来るかも知れないのです。
しかし4年前の石原308万票を前に、「よっしゃ出てもいい」という
方は、なかなかいらしゃいません。
やがて、1月末の民主党大会では、民主候補者は断念宣言(?)に成功。
そして、ついに、とうとう、やっと浅野さんに2月12日にお会いする
ことができました。政党からではなく、市民が推す候補としてなら考えて
もいい、ということでお会いできたものです。
吉田さんの4条件も、宮城でやってきたこと、と問題にもなりませんで
した。問題は「どうして浅野が都知事をしなくてはならないのか?」と
いうものでした。
2月13日、「東京。をプロデュース」は革新都政の会に出向き、浅野
さんを擁立することになるかも知れない、と伝えに行きます。
しかし、革新都政の会からは、まだ出馬を決めていない人物に会っても
仕方がない、こんな意味の返事だったようです。
そこで「東京。をプロデュース」は、浅野さんコールを始めます。
法政大五十嵐教授たちの「出馬させる会」に合流、これが「ハートに
火をつける」運動になります。
浅野さんも「東京。をプロデュース」も、共に政党を廃し、市民派候
補であることを願ったのですが、しかし、マスコミの書き方は違いま
した。このころ、毎日新聞から「民主に近い五十嵐教授が」という表
現の記事が出、浅野さんは一気に民主色になって報道されます。
(これがきっと共産の逆鱗に触れたのかも知れません 宿六推測)
やがて浅野さんは逡巡から覚悟を決めたという心境発言に変わります。
やがて出馬宣言と期待していた矢先の3月2日、赤旗で志位談話が出
ます。この談話は「東京。をプロデュース」を落胆させました。
憲法は守るなどの基本政策は合意できる浅野さんだと確信し、さて
革新都政の会との橋渡しを、と思っていた矢先の志位談話でした。
政策協定を拒否した共産にどれほどの都知事選の勝算があると踏んだ
のかは判りません。結果は乱立候補による都知事選とは相成りました。
以上がおおまかな経過なのですが、
共産には始めから、石原に勝とうとは考えてはいなかった、という
のが宿六の悲しい総括です。共産の浅野さん攻撃はすさまじいもの
でした。石原以上の時間とスペースを割いての攻撃です。石原が喜
ぶだけの法廷ビラであり、街頭演説でした。
浅野さんは共産の攻撃は宮城で経験済みのようで、相手にもしません
でしたが、浅野さん敗因の大きなものの一つに、メディアの民主色
報道が挙げられると思います。本人や「東京。をプロデュース」の
思惑とはまったく違った形で報道され、宮城型浅野選挙を展開でき
なかったことと宿六は考えています。
また、都知事選ではおおきな「おまけ」を失ったことも忘れないで
ください。昨年9月に東京地裁から、国旗国歌の強制は違法との
判決がありました。都はただちに控訴しましたが、浅野さんが勝て
ば、この控訴を取り下げ、いわゆる難波判決が確定できたのです。
「東京。をプロデュース」ではこの点も強調したのですが、残念
なことに、自党優先のあまり、浅野さん、吉田さんの統一ができ
ませんでした。浅野さん169万、吉田さん65万(?)で、
この数字を加算しても石原の270万には及びませんが、しかし
共産の浅野攻撃がなければ、1プラス1は2ではなく、3にも
4にもなったのではないかと、悔しい思いでいます。
Yさんは議員として、従軍慰安婦問題などに深くかかわってきた
方です。共産から出なければ(不可能ですが)よかったのに、、
と宿六は思います。
以上、概略の経験をお伝えしました。つたない話ではありますが、
必要であれば、会議を覗きにゆきます。お声をおかけください。
(うなぎをご馳走してくださいね、石垣さん! いや原稿料と
相殺かな!!)
http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-July/014388.html
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK38掲示板
フォローアップ: