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http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/89/index.html
政府は6月19日、経済財政改革の基本方針である「骨太の方針2007」を正式決定した。安倍政権として初めての骨太方針である。同方針には「『美しい国』へのシナリオ」という気恥ずかしい副題が付いているのだが、これには経済財政諮問会議の民間議員も違和感を覚えたようだ。公表された議事要旨によれば、大田弘子経済財政担当相がこの副題を提案すると、3人の民間議員のうち1人は「どうもぴんとこない」とコメントしたという。戸惑いの顔が目に浮かぶようで、このコメントは秀逸である。
わたしは何も、このコメントを通じて、副題自体のセンスをうんぬんしたいのではない。もっと本質的な問題として「骨太の方針2007」自体が、まさにぴんとこない出来栄えであり、それをこのコメントが的確に言い当てているような気がしたのである。
それでは、今回の骨太の方針のどこが、ぴんとこないのか。
今回の「骨太の方針2007」の問題点は、小泉内閣の下で作成された「骨太の方針2006」と比較するとよく分かる。「骨太の方針2006」では、2011年度におけるプライマリーバランス(借金関連を除いた収支のバランス)の黒字化をうたっているのをはじめ、具体的な数値や年限が記されていた。
ページ数は増えたが‥‥
例えば、公共事業費は毎年1〜3%カット、歳出削減は総額で11兆4000億〜14兆3000億といった具合に、項目ごとに数値目標が掲げられていた。
本当ならば、目標数値はそれぞれ一つに確定したかったのだろうが、官僚や族議員らの抵抗にあって幅を持たせたのだろう。一定の範囲を示した上で、後継の内閣に先送りしたわけだ。
小泉内閣を継いだ安倍内閣では、「骨太の方針2006」に示された範囲内で、実際にどの数値をとるかについて、各省庁と経済財政諮問会議の間で激しいバトルが繰り広げられるはずだった。そして、いよいよ「骨太の方針2007」では、数字を確定して示さなければならなかったわけだが、具体的な数字をほとんど出すことができなかったのである。これが、今回の方針を見て「ぴんとこない」大きな理由なのだ。
ではなぜ、今回の「骨太の方針2007」では、具体的な数字を出すことができなかったのか。それを解くカギは、方針をまとめたページ数にある。
2004年度と2005年度、竹中平蔵氏が経済財政担当相を務めていたときの骨太の方針は、全部で27ページであった。小泉内閣時代で最も厚かった2006年度でも、別紙を含めて48ページである。ところが、大田経財相の下でまとめられた今回のものは52ページと大幅増なのだ。
ページ数が竹中時代の倍になったからといって、内容が充実したわけではない。中身を読んでいくと分かるが、どれもこれも玉虫色の表現ばかり。あちこちの省庁や族議員に気を使って、あいまいな表現や両論併記を繰り返して延々と書いたものだから、そんなページ数になってしまったのである。
改革は悪人にしかできない
ページ数が倍増した理由は明らかだ。各役所からの要求をたたき切ることができなくて、ずるずるとすべて受け入れたからである。それが、これまでの骨太の方針と大きく違う、今回の特徴である。
これについて、大田経財相はマスコミのインタビューに答えて、「数値目標を明示できなかったのは敗北ではない。最大限の歳出削減をする」としている。しかし、その「最大限」の幅が、「骨太の方針2006」で示された公共事業費1〜3%カット、歳出削減11兆4000億〜14兆3000億に収まるかどうかは分からない。
要するに、今回の方針は、竹中平蔵の骨太ではなくて、大田弘子の骨太なのである。そして、それぞれの「骨太」には、二人の性格が色濃く反映されている。
このコラムの「第56回 『サブマリン』内閣が浮上したとき日本に何が起きる」でも書いたが、大田さんが財団法人生命保険文化センターの嘱託研究員だったころに、ご一緒に仕事をする機会があった。
個人的な付き合いがあるわけではないが、その性格はよく知っている。彼女の性格を一言でいえば、ものすごく「いい人」なのだ。当時から役所の人間がいろいろと要求をしてくると断りきれない。そうして、なんでもかんでも抱え込んでしまっていたのである。今回は、まさにそんな「いい人」である大田弘子の骨太の方針だったのだ。
では、竹中平蔵はなぜ役人の要求をたたき切ることができたのか。それは彼が、よくも悪くも「希代の悪人」だったからである。
これもまた、第56回のコラムに書いたとおりだが、週刊誌のインタビューでわたしが初めて竹中氏に会ったときのこと。あちこちのメディアで彼の経済政策を批判していたので、びくびくしながら大臣室に入っていったところ、満面の笑みをもって「やあ森永さん。僕たちは経済思想が共通していますね」などと平然と言い放ち、握手を求めてくるではないか。
これほど平然とウソがつける悪人だからこそ、役人がいくら要求してきても、次から次へとたたき切ることができたのだろう。
いい悪いは別として、今回つくづく感じたのは、「改革は悪人にしかできない」という事実である。そう思うと、人のいい大田さんは、経済財政政策担当大臣としてミスキャストのような気がするのだ。
官邸主導から再び官庁支配へ
いずれにしても、「骨太の方針2007」が具体化された過程を通じて、小泉内閣の下で進められてきた経済財政の官邸主導という形が突き崩されたのは確かである。
参議院選挙後に安倍政権が続いたとしても、もう官邸主導に戻ることはないだろう。以前のように、経済財政は官庁支配に再び戻っていくと思われる。
わたしはかつて経済企画庁、いまの内閣府の経済社会総合研究所に出向していたことがある。そこは、各役所からの出向者の集まりであり、国全体の経済計画を立てるのが仕事だった。そこで実際に何が行なわれていたかというと、各役所からの意見を全部取り入れた上で、数字を出すべきところは、足して2で割るという作業をしていたのだ。
例えば、当時の通産省が5%成長を主張し、大蔵省が3%成長と主張していたら、二つの間をとって4%成長を目指すとしていたのである。笑ってしまうかもしれないが、これが経済財政の官庁支配の実態である。
わたしは、今の経済財政諮問会議が、当時の経済企画庁と同じ状況になりつつある気がしてしかたがない。
小泉前総理は確かに経済財政問題を丸投げしていたが、そこに竹中平蔵という極悪番頭をつけたところが大ヒットだった。よくも悪くも改革をなし遂げる原動力になったのだ。竹中平蔵は悪いやつだが偉大なやつだったと、わたしは今になってつくづく思うのだ。
ところが、安倍総理は組閣で、論功行賞とお友だち人事をしてしまったために、そうしたパワーがなくなってしまった。その結果の集大成が「長いだけで何も言っていない骨太の方針」に集約されているのではないか。
もっとも安倍総理は、官庁支配で構わないと思っているに違いない。もともと、安倍総理が興味を持っているのは、憲法改正と自分自身のことだけである。憲法改正への準備は着々と進んでいるのだから、それで十分というわけだ。
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