★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK37 > 940.html
 ★阿修羅♪
[占領軍に対して]自発的に慰安所を設置した日本政府(「THE FACTS」と称された「大嘘」[の一つ])(反米嫌日戦線)
http://www.asyura2.com/07/senkyo37/msg/940.html
投稿者 i^i 日時 2007 年 7 月 08 日 17:49:51: uYCM.EuCxbqec
 

反米嫌日戦線「狼」(醜敵殲滅)
http://anarchist.seesaa.net/

2007年07月08日
自発的に慰安所を設置した日本政府
http://anarchist.seesaa.net/article/47064909.html

「THE FACTS」と称された「大嘘」の日本政府による従軍慰安婦関与はなかったとする意見広告は墓穴を掘りそうだ。
http://www.chosunonline.com/article/20070618000009

広告の中で、

in fact, to prevent soldiers from committing rape against private citizens. (In 1945, for instance, Occupation authorities asked the Japanese government to set up hygienic and safe "comfort station" to prevent rape by American soldiers.)
実際、一般市民の強姦を防止するため多くの国が軍用の売春施設を設置していた。(例えば、1945年、占領軍当局は日本政府に対し米軍兵による強姦を防止する目的で衛生的で安全な「慰安所」を設置するよう要請していた。)


とうたっている。

ウソも休み休み言え!

終戦のわずか3日後、日本政府は米軍からの要求もないのに、自発的に売春施設の設置に踏込んだのが真相である。。

●戦陣訓と慰安所の設置

そもそも、あの悪名高い「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」の一文によって、数々の若者を自決・特攻させた戦陣訓。
すでに畏れ多くも明治大帝による「軍人勅諭」があるというのに、何で、このようなものをつくる必要があったのか?

陸軍の精神教育班で戦陣訓の作成に関わった白根孝之が戦後述懐している。

昭和12年に支那事変がはじまってから、日清日露の戦争ではみられなかった戦場での軍規、風紀のみだれがめだち、「非違犯行」がかつてないほど増大していった。「非違犯行」というのは、上官暴行、戦場離脱、強姦、放火、略奪など不道徳、不真面目なもので、軍上層部のほうでもなんとか手を打たなくてはならないと真剣になっていて、担当の教育総監部、陸軍省軍務課が部内における軍規、風紀粛清のしごとにとりかかたのである。(文芸春秋臨時増刊「太平洋戦争日本陸軍戦記」1971年4/10発行)

あまりにも酷かった、日本軍による強姦。それが世界の軍隊の常識であると考えた日本政府は、米軍が上陸すれば、強姦事件が多発すると憂慮したのだろう。

小沢 終戦直後の進駐軍の性の問題についてうかがいたいんですが、当時われわれの頭には鬼畜米英ということばがありまして、鬼だ、蛇だ、鬼と蛇は何をするかわからない…といっても、だいたいわかっていて(笑)、アレをするであろうということから、日本の女性、それから若い子女を持った親は戦々恐々としていたわけですね。

鏑木 そのけだものから日本の婦女子を守ろうというのが政府の一つのねらいでもあるし、政府自体も大陸で身におぼえがありましょう。

小沢 自分が鬼畜になっていたときの……(笑)。

鏑木 自分がやっていたことを、必ず向こうにもやられるだろうと想像した。(『陰学探検』より)


鏑木さんは、進駐軍特殊慰安施設協会(RAA)の創立メンバーだ。


●敗戦3日後に早くも慰安所設置を指示

敗戦から3日目の8月18日、内務省警保局長は全国の警察に無電で「外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局長通牒」秘密指令を発し、占領軍専用の「慰安施設」を特設するよう指示した。発案者は国務大臣近衛文麿。準備は最大限の慎重さで行い、施設に入れる女性の調達には地方の警察署長があたり、売春業者や関係者を動員すべしとされた。朝鮮半島での慰安婦強制連行には慰安婦の証言に警察官がよく出て来るが、やはり政府から見ても警察が慰安所の担当であったようだ。
日本が負けて、米軍が上陸してくる。その対処準備にいろいろ考えることがありそうなものだが、まず考えたことが慰安所の設置だったという発想がスバラシイ。

翌19日、内閣副総理(近衛文麿)はこの案件の指揮を警視総監にみずからとってほしいと要請したが、その数日後には方針が変更され、この種の施設の運営に日本政府が直接関与するのはまずいということになり、これ以後の政府の役割は、この事業を背後から支えることに変わった。慰安所の設置の仕方は、警察が指導して業者にやらせる方式で、各地に「特殊慰安施設協(RAA)」が設立された。東京で33ヶ所、ほかの約20の都市でも作られた。

小沢 それは米軍からの要請があったんですか?

鏑木 米軍じゃないんです。日本政府の要請。進駐軍からは無駄なことをしてくれたという問題があとから出ました。とりあえず、こっちのほうの考えとしては、いやでも婦女子を守るために、こうしなければいけないという政府の腹だったんですね。その晩(17日)にすったもんだと警視庁総監とやりまして、結局、引き受けざるを得ない。

小沢 何事も国家のためと……。

鏑木 21人の代表が宮城前広場で誓いをたてました。

小沢 いかにもあのときらしいですね。

鏑木 盃をひとつもらって行きましてね。宮城の前に行ったら、これ(ハラキリ)やって死んでいるんですよ。あのへんたいへんなんです。ちょっとかぞえただけでも50人くらい死んでいました。そんななかだからやれたわけですね。指を切って、盃に血を集めて飲み交わしたわけです。


警察から事業を請負った業者は、公認官庁として内務省、外務省などの名を連ねたチラシで「18〜25歳迄宿舎・被服・食糧支給」と広告、「昭和の唐人お吉、日本民族の血統を守る人柱」と訓辞した。応募の女性に「水商売」経験者は殆どなく、大半が貧しい身なりで、裸足の女性もいたという。面接で仕事の内容を知って大半の女性は去っていったが、 それでも発足前に東京で1360人の女性が登録した。

鏑木 さっそく翌日、銀座の、いま日本ビールの支店のところの幸楽という支那料理店、電車通りで上下4、50坪くらいありましたかな。そこを接収しまして、それから銀座7丁目の、いまのアスターハウスの前に福助という小さな食堂をやっていますが、これを買収して、「ダンサー五千人募集、芸者五千人募集」というので電車通りに書いた。だいたい準備ができたのは20日か25日ごろでしたね。

小沢 「ダンサー、芸者募集」焼け跡にそんなポスターが貼ってあったわけだ。

鏑木 そしたら、ゾロゾロ来るんです。ゾロゾロ……当時、警察署長の月給が150円くらい。ところが女の子に350円、だから集まりましたよ。ところが、みんなよれよれのモンペ、臭くてならない。そこで、まず切符(食料の配給切符)をやってメシ食ってこいといって、それから話を聞く。


cf6600c3a1bbff1d10ad801c77bb849f.jpg
マッカーサーが厚木に降りたのが8月30日。開店は翌月の10日! わずか一月で慰安所は用意された。

営業時間は夜の6時から。料金はショートで20円、泊まりで200円であった。

慰安所には米兵がどっと押し寄せ大盛況。多い女性は1日に20人もの客をとった。それでも女が足りないから、あぶれた兵隊が暴れまわっていたようだ。

しかし、その女性不足もすぐに解決した。慰安婦募集と設備費などに、政府運営の勧業銀行は業者達に3000万円(現在の価値およそ70億円!)の前払い金を用意していたからだ。

広島などの例をみると、当時の金で県費36万円を追加計上し、「資金は立て替える、女は警察が募集する」と業者に持ちかけている。県警保安課は設営第一、設営第二、接遇第一、接遇第二と係をわけてまで慰安所開設に専念したほどだ。

このようにして、かなり大々的な慰安所設置が行われ、この結果、戦後の混乱の中で食料の確保にも事欠く家庭の女性たちを売春へと走らせることともなった。日本政府のサービスに応じて、アメリカ兵にも慰安所は大人気ではあったが、しかし、性病の蔓延によりGHQにより1946年1月21日に公娼廃止に関する覚書が出され、3月にはRAA所属の慰安所へ将兵が立入ることを禁止する命令が出され、RAAは閉鎖された。施設の廃止とともに追い出された女性たちには退職金もなかったという。3カ月で慰安所は閉鎖されたわけだが、この間に「政府の努力」で増加し、1万人に達した慰安婦たちは、路頭に迷い、非公認の街娼となって行った。いわゆるパンパン、パンスケである。

性病の蔓延のために廃止されたRAAであるが、その後も性病蔓延は続き、軍事力・権力によってこれらの売春婦たちに強制的な検診が続けられた。これもまた、占領軍の買春する将兵を性病から守るという考えに基づくものであった。公権力による強制的な性病検診が行われた中、戦前から廃娼運動を展開してきた女性団体は、事態を日本人女性による占領軍の誘惑ととらえ、それを憂い、逆に取締りの強化を求めた。当然、占領軍や警察に対する批判などなかった。彼女たちには、娼婦化を強いられる女性たちの社会的立場に対する視点はなく、米兵に身を売る愚かな女たちを日本人の責任として、「売春禁止法」の制定に向けて尽力していくのであった。

市川房枝ら女性団体が法制定で期待したのは、そのような「愚かな女たち」と自分達がレッテルを張った、虐げられた女性の教化であった。
 
なお、この年4月にアメリカの抗生物質ペニシリンの製法特許が最初に日本の企業に売られたが、 その最大の目的はこの性病の対策にあった。

自発的に売春施設の設置に踏込んだ日本。他の敗戦国、ドイツやイタリアは、こんな馬鹿げたことはしなかった。

 次へ  前へ


  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ      HOME > 政治・選挙・NHK37掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。