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(回答先: 主張/盧溝橋事件70年/侵略の責任に向き合ってこそ(しんぶん赤旗) 投稿者 熊野孤道 日時 2007 年 7 月 07 日 20:04:41)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007070702030263.html
【社説】
「盧溝橋」70年 「歴史」のとげ克服を
2007年7月7日
七日は日中戦争が本格化した盧溝橋事件から七十年。両国は歴史が残したとげを克服していない。しかし、歴史認識問題を政治の場に持ち出し、いがみ合った過去を教訓に知恵を出し合うときだ。
歴史認識が日中外交の中心問題になったのは戦争の過酷さを考えると意外に遅く、実は一九九〇年代に入ってからだった。
盧溝橋事件は三七年七月七日夜、日本軍が北京郊外の同橋近くで演習中に銃撃されたとして中国軍を攻撃。戦火は北京や天津から上海に及び日中の全面戦争に拡大した。
中国側は国民党と共産党による第二次「国共合作」を成立させ戦況は行き詰まった。日本は局面打開を図ろうと戦線を東南アジアや太平洋に広げる。しかし、米、英などとの戦争を招き、四五年降伏した。
長年、戦場となった中国は日本の侵略により多大な被害と筆舌に尽くしがたい苦難を被り、反日感情が渦巻いた。共産党は抗日戦争の勝利を政権の正統性の証しとした。
しかし、共産党政権は戦後長く歴史認識を外交問題にしなかった。米国との対決を強めた時代、中国は「日本人民」の支持を必要とした。旧ソ連との関係が悪化すると、日米を引き付けるのに必死で、過去など問題にする余裕はなかったろう。
民主化運動を武力で鎮圧した天安門事件(八九年)で社会主義の輝きは色あせた。中国が愛国主義を鼓舞し求心力を取り戻そうとしたとき、反日感情は息を吹き返し「歴史」が外交問題になったのではないか。
急速な経済成長で国力を充実させ、中国の人々が自尊心を高めたことも背景にあったろう。
当時、日本でも戦後長い時間を経て過去の問題で、いつまでも後ろ指をさされたくないという欲求が強まっていた。中国の変化に人々は反発し嫌中感が強まったといえる。
「日本には永久に歴史問題を言い続けよ」と強調する江沢民政権に対し、小泉純一郎前首相は靖国参拝で対抗。靖国をめぐる、いがみ合いは国民感情の悪化につながり激しい反日デモを招いた。
歴史認識をめぐり政治の場で応酬する危険を両国とも痛感させられた。安倍晋三首相と胡錦濤主席が靖国問題を「棚上げ」し歴史論議を学者の共同研究に委ねる決断をしたのは、その反省が背景にあったろう。
両国の各界がこうした反省を共有する必要があるのではないか。日本側は歴史を直視し、中国は歴史を政治問題化しない思慮深い態度こそ、日中戦争以来の禍根を乗り越えることにつながるだろう。
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