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http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2007070402029403.html
【特報】
”個”認める教育に負の烙印 「考えさせる授業」にNO 裁量奪われ、教職去るベテラン
2007年7月4日
今国会で改正教育関連三法が成立した。十年ごとの教員免許更新制や、免許失効を可能にした指導力不足教員対策の厳格化が含まれている。その前夜、千葉県で指導力不足教員と認定された一人の若手教員が免職寸前、少数派組合の力で現場に復帰。だが、その対象ではない東京都のベテラン教員は管理強化と事なかれ主義に失望し、職場を去った。学校現場で教職への志が揺れている。 (田原牧)
(東京新聞電子版では掲載ここまで)
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(ここから薔薇、または陽だまりの猫 ― http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/68c1ca9b9abb13672576ba0e2edd757b ― から転載。)
現場は外し 大人のいじめ
「考えさせる授業」教頭クレーム
「指導力不足」と排除、先生は・・・
「自分がなるまで『指導力不足教員」なんて人ごと
だった」。千葉県八街市内の小学校に勤める小川和則
教諭(三七)はそう振り返る。
教員になって十一年目の二〇〇四年、同市内の小学
校(分校)に転勤。その一年後、指導力不足教員と認
定され、二年閻の研修を経て今年四月、ようやく職場
への復帰を果たした。
分校では、本校でなりたての女性教頭が校長役だっ
た。同僚八人も全員女性。
三年生のクラス(児童十三人)担任を受け持った。
理由は日の丸でも君が代でもない。小さなきっかけ
が重なった。小川さんは十年来、コの字形に机を並べ
授業をしてきた。これに教頭からクレームが付いた。
実践してきた「仮説実験授業」も問題とされた。
この方式は一九六〇年代から全国に広がった授業技
術。理科などで子どもたちに予想を立てさせ、討論、
実験を経て理解させる。しかし、教頭は「教科書に沿
わない」と批判した。
給食も無理に嫌いなものは食べさせなかった。これ
もやり玉に挙がった。それまで主役タイプだった女子
児童を「厚遇」せず、その保護者から教頭に不満が届
いた。当時、小川さんは別の父子家庭の保護者から伝
えられた「いじめ」対策に頭を痛めていた。
教頭の「忠告」を受け流し続けた結果、本校の校長
から市教委に「特別研修教員(指導力不足教員)」と
して申請された。申請内容をたずねる小川さんに対す
る市教委の回答は「そんなもの読みたくもない」。小
川さんが教室に何も掲示しないとの"告発"もあっ
た。小川さんは「習字や絵などを張っていた」と話し
ており言い分は食い違う。
だが、県教委の判定会はこの申請を認めた。
所属していた日本教職員組合(日教組)系の
組合幹部は「上司を怒らせたオマエが悪い」
と相談に冷淡だった。
同県の研修には職場で指導される「A」と職場から
離される「B」がある。最初の一年は研修Bだった。県総
合教育センター(千葉市)の研修室で社説を読み、リポ
ートを量産する日々。指導に少しでも意見を挟もうと
すると「現場復帰させないぞ」と言われたという。スト
レスからか、髪が抜けた。
一年目の秋、学校現場での実践研修があった。行き
先は船橋市の小学校の障害児学級。好評で、受け入れ
先の校長からも励ましの手紙をもらった。しかし、そ
の後の八街市二校での研修では、所定期間前に授業を
打ち切られた。○六年二月、もう一年、研修Aで過
ごすことが決まった。
ただ、研修所での指導役からの罵倒は止まった。と
いうのも、小川さんが同県の少数派教職員組合「千葉
学校労働者合同組合」(柏市)に加盟したことを公然
と表明したためだ。
この組合には「過激で名が通る」(管理職)という
風評があった。が、小川さんにとっては「初めて真剣
に話を聞いてもらえた」組合だった。「(組合員が)
教育委員会の幹部相手に正々堂々と渡り合う姿を見て
驚いた。正当な権利でも、主張してはいけないと諦め
いたから。これが研修のの成果だったかも」
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指導力不足教員
47都道府県と15指定都市の教育委員会
内の判定会で認定、一定期問の研修後、
復帰や分限免職などを決める。
2001年の地方教育行政法改正で施行された。
05年度は全国で506人が認定され、
109人が退職,無断欠勤など論外な
ケースはともあれ、管理職による異論者
排除などが懸念されてきた。今回
の教育公務員特例法改正で、自治体ごとの
認定基準が統一されるほか、免職のみらず
事実上、教員免許のはく奪が可能となった。
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とはいえ、研修二年目も厳しさは続いた。戻った学
校で校長は保護者を集め、ルール違反にもかかわらず
「小川は指導力不足教員」と言いふらしたという。
年末、校長や市教委が作成した報告書には、子ども
の個性を認めすぎで指導性に乏しいといった指摘に加
え、「(先輩教員の)指導を心から受け入れる姿勢で
はない」と記された。結論は免職要求だった。
小川さんの反論書提出や少数派組合、無所属県議の
申し入れなどが続いた。県教委の判定会が最終的に下
した判断は、翌年からの原職復帰。クビを免れた。
免職要求をけられた形の八街市教委の広瀬忠臣学校
教育課長は取材に「おたくらに話すことはない」。最
後まで「市教委の判断は正しかった」と強調した。
小川さんは「子どもたちに再び会えた」と喜ぶ。
「虫けらのように扱われたのが悔しかった。結局は
大人社会の『いじめ』。子どもたちはそれをじっと見
ている。私が学校で生き残っている事実が、似た境遇
の教員や子どもたちの励みになれば、何よりうれしい」
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デスクメモ
小学校の恩師が生きていたら
「指導力不足教員」にされたろう。
教科書よりも公害間題の書籍
を読ませ意見発表を特
訓。宿題は子ども自身に
つくらせた。同級生は議
論好きに。これとは正反
対の政府方針。「学力が
高く、意見は持たない
子」を大量生産し「為政
者に逆らわぬ大人」に育
てるのが狙いかも。(隆)
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個認める教育 負の烙印
裁量権奪われ 去るベテラン
「教科書一辺倒に」おしつける自分怖い
「仕事は最後までどんどん面白くなっていた」。東
京西部の小学校勤務を最後に昨春、二十六年間の教職
生活に終止符を打ったA子さん(五二)。現在は一転、そ
ば職人を目指している。
辞めた理由は端的に言うと、管理強化に希望を失っ
たからだ。その流れに身を委ねっぱなしの同僚たちに
もしらけた。管理の実態は列えば、こんな貝合だ。
「教室ではいま、(児童の)道具箱のハサミを先生
が預かり、必要なときだけ渡す。友だちに向けると危
ないからって。私は従わなかった。保護者たちも『あ
んまりバカなことをすると子どもにバカにされる』と
あきれていた。だけど、周りを見回すと、拒んだ担
任は全校で私だけだった」
辞職の直接の契機は「週案」を出さず、校長とぶつ
かり、強制異動の対象になったためだ。週案は翌週の
学習指導案。各コマごとに記し、校長が添削する。
昔からあったが、出す教員は少なかった。ところが
ここ数年、教育委員会の締め付けで、ほぼ強制になっ
た。「授業は教員の勝負どころ。アドバイスはいいに
せよ、教員一人一人の裁量に任されるべきだ」。これ
がA子さんの考えだ。
卒業した大学は文系。そのため、理科教育の研究会
に通い先輩教員に学んだ。
東京理科大の夜間部にも自費で通い、卒業した。
頑張って考えた授業は子どもが評価してくれる。そ
れが活力になった。いじめに気づき、緊急に保護者を
集め、外部識者も呼んで対応したこともあった。
週案を書くのは簡単なことだ。だが、そうした妥協
の積み重ねの先に大切なものを失うのではないか。お
上の唱える道徳教育を子どもに押しつけてしまう自分
の姿が浮かび怖かった。
「辞める」という話が保護者に伝わったときは「残
念です」という手紙をもらった。でも、やり直しの力
がまだ残っているうちに職場を離れたくなった。
「教師を計る客観的な尺度なんてない。結局は管理
職の言うことを聞く人が評価される」とA子さんは話
す。教員も免許更新の時代に入る。「安定志向が強い
世界。教科書一辺倒の授業ばかりになるでしょうね」
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