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□江戸時代からの「お上意識」を打破した社会保険庁 [AERA]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070702-01-0101.html
2007年7月3日
江戸時代からの「お上意識」を打破した社会保険庁
「以前、社会保険事務所で、あなたはこの期間国民年金の掛け金を払っていない、と言われた。役所の記録が間違っているはずはないから、自分の記憶違いかな、と考えました」
テレビのインタビューで老紳士が語るのを聞いて、日本人の「お上意識」の強さを改めて思った。この役所への信頼感は江戸時代に培われたものだが、権力や威圧で民衆の敬意と信頼は得られない。江戸時代の役人は不正や大失態があれば切腹、誠実に勤めれば子孫まで地位が保障されたから概して謹厳で、そのため庶民に「お上意識」が根付いたのだろうし、特に文書管理には厳格だった。
例えば南北の江戸町奉行所は明治元年5月に新政府に引き渡されたが、訴訟、民政、捜査関係の一切の記録、会計帳簿、証書、残金、備品などが完璧に整理されていて、その目録が提出された。乗り込んだ土佐藩士、土方久元(後に伯爵、宮内大臣)らはその緻密さに感嘆し、与力、同心らを再任用し、名を「市政裁判所」と変えただけで、当分従来どおりの職務に当たらせた。
江戸時代には裁判はもとより、行政や交際でも先例が大事で、幕府の奥右筆(書記官)は何かあるたび大ツヅラいっぱいもの文書を調べたという。文書を懐に入れると紛失したり、つい家に持ち帰ることもあるから殿中では文書は両手で捧げ持つ規則だった。ロシア海軍のV・M・ゴロブニン少佐(のち中将)は1811年に国後島で捕らえられ、2年間余松前、箱館で拘束されたが、帰国後『日本幽囚記』で日本の役人の思慮の深さや、一字もおろそかにしない執務態度を絶賛している。
これが江戸時代の役人の威信を支えたのだろう。明治維新後も官への信頼感は徳川幕府の遺産として残り、第2次大戦の惨敗後役人は「公僕」となってもなお、民間を指導する「監督官庁」の地位を保ちえた。官庁から民間への再就職は「天下り」、官製談合を「天の声」と企業人が言う程の畏敬の念だった。
今回、社会保険庁で露見した、文明国で起きたとは思えない程杜撰な文書管理や、上層部の無責任な姿勢は、度重なる不正事件ですでに揺らいでいた「官」全体の威信を崩壊させた。江戸時代以来の「お上体制」の終末だ。
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