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「(前略)日本の戦争遂行能力を完全に破壊するまで原爆を引き続き使う。日本の降伏のみが我々を思いとどまらせる」トルーマン。
http://www.asyura2.com/07/senkyo37/msg/541.html
投稿者 新世紀人 日時 2007 年 7 月 03 日 15:55:07: uj2zhYZWUUp16
 

(回答先: Re: 久間が辞任を表明…アベ坊ちゃまには大いに痛いでしょうな。一長さんは赦さないだろう。 投稿者 新世紀人 日時 2007 年 7 月 03 日 13:54:47)

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/290.htm
パールハーバーから原爆投下への途

 パールハーバーがなければ、日本への原爆投下は起こりえなかった。なぜなら、パールハーバーによって、日米開戦の火蓋が切って落とされたからだ。朝日新聞は99年8月2日から8月10日にかけての夕刊で、『原爆投下 55年目の真実』と題して連載を行ったことがあり、広島に原爆が投下された45年8月6日の二日後、つまり長崎に原爆が投下される8月9日の前日、《トルーマン米大統領は8日、ポツダム会談の報告をラジオ放送する中で、原爆投下に言及した》として、次の発言を掲載している。
《「日本は、予告なしにパールハーバー(ハワイ・真珠湾)で我々を攻撃した。米人捕虜を殴打し、餓死させ、処刑した。パールハーバーから原爆投下への途

 パールハーバーがなければ、日本への原爆投下は起こりえなかった。なぜなら、パールハーバーによって、日米開戦の火蓋が切って落とされたからだ。朝日新聞は99年8月2日から8月10日にかけての夕刊で、『原爆投下 55年目の真実』と題して連載を行ったことがあり、広島に原爆が投下された45年8月6日の二日後、つまり長崎に原爆が投下される8月9日の前日、《トルーマン米大統領は8日、ポツダム会談の報告をラジオ放送する中で、原爆投下に言及した》として、次の発言を掲載している。
《「日本は、予告なしにパールハーバー(ハワイ・真珠湾)で我々を攻撃した。米人捕虜を殴打し、餓死させ、処刑した。日本の戦争遂行能力を完全に破壊するまで原爆を引き続き使う。日本の降伏のみが我々を思いとどまらせる」
 長崎に原爆が落とされた後、米キリスト教会全国評議会事務局長が「原爆使用による惨殺を憂慮する」との電報を大統領に打った。
 大統領は11日付で返信を出した。「けだものを相手にするときには、けだものとして扱わなくてはならない。それは極めて遺憾であるが真実でもある」と。》(8・10付)
 実はアメリカでは、三発目の投下目標が検討されていた。首都への投下の意見が多かったが、「天皇まで殺したら、和平交渉の相手がいなくなるではないか」という沖縄駐留のB29航空軍のドゥリトル司令官の主張と、3月の大空襲で事実上がれきと化し、皇居のみが残っている状況だったので東京は外され、原爆による攻撃目標は札幌、函館、小樽、横須賀、大阪、名古屋にまで広げて検討された。8月10日深夜、新潟市の中心部で市民が避難を始めたのは、第三の原爆が新潟に落ちるという噂が流れたからである。実際、ハワイと沖縄の中間点にあり、日本本土への空襲には絶好の拠点だった太平洋のテニアン島(現北マリアナ連邦)の前線基地では、《終戦後も「第三の原爆」の準備をやめたわけではな》く、グアム島の《第20航空軍の8月19日付の通信記録によると、原爆の心臓部の組み立ては核物質が届き次第、いつでも始められる状態にあった。/武装解除が始まるのは、9月5日以降だ。テニアンでの後始末は9月13日までに終わった。》(8・10付)
 原爆投下について考えるとき、もちろん、最大の問題はなぜ、原爆は日本に投下されねばならなかったのか」
 長崎に原爆が落とされた後、米キリスト教会全国評議会事務局長が「原爆使用による惨殺を憂慮する」との電報を大統領に打った。
 大統領は11日付で返信を出した。「けだものを相手にするときには、けだものとして扱わなくてはならない。それは極めて遺憾であるが真実でもある」と。》(8・10付)
 実はアメリカでは、三発目の投下目標が検討されていた。首都への投下の意見が多かったが、「天皇まで殺したら、和平交渉の相手がいなくなるではないか」という沖縄駐留のB29航空軍のドゥリトル司令官の主張と、3月の大空襲で事実上がれきと化し、皇居のみが残っている状況だったので東京は外され、原爆による攻撃目標は札幌、函館、小樽、横須賀、大阪、名古屋にまで広げて検討された。8月10日深夜、新潟市の中心部で市民が避難を始めたのは、第三の原爆が新潟に落ちるという噂が流れたからである。実際、ハワイと沖縄の中間点にあり、日本本土への空襲には絶好の拠点だった太平洋のテニアン島(現北マリアナ連邦)の前線基地では、《終戦後も「第三の原爆」の準備をやめたわけではな》く、グアム島の《第20航空軍の8月19日付の通信記録によると、原爆の心臓部の組み立ては核物質が届き次第、いつでも始められる状態にあった。/武装解除が始まるのは、9月5日以降だ。テニアンでの後始末は9月13日までに終わった。》(8・10付)

(後略)


[新世紀人コメント]

三発目の原爆については、様々な説がありハッキリしていない。
私が昔に読んだ書物では、日本海軍潜水艦が三発目の原爆を運んでいる途中のインディアナポリス号(巡洋艦らしい)を撃沈してしまったので投下されなかったと書かれていたのだが、
それが今では、
既に原爆用ウラン金属をB−29空軍基地に運んでしまった帰りのインディアナポリス号を日本潜水艦が撃沈したとの扱いになっているようだ。

それが事実なのだろうか?

三発目の船もろともの沈没を抹殺してしまった可能性もあるのだ。
撃沈された後のインディアナポリス号と乗組員達の運命がミステリアスなのである。

以下は参考。

http://www.geo-yokoi.co.jp/index.htm
民主党対自民党

 このコーナーの内容は1ヶ月おきに、政治・経済・思想評論(国内)「民主党対自民党」に移動しています。

 またまた、久間がトンデモ発言。戦争の早期終結、ソ連の日本本土占領阻止のために必要だったと、原爆投下容認。但し、これは戦後アメリカが流したプロパガンダの受け売りで、珍しくも面白くも何ともない。如何に本人が何も勉強してこなかったか、の証拠である。これ自身が戦後レジームなのである。この手の原爆投下容認説は50年代から60年代にかけて見られたが、その後の研究で殆ど死に絶えた。(1)日本がポツダム宣言を受諾した直接原因は、8.09のソ連参戦・・・これによってソ連の仲介による停戦の見込みは無くなった・・・であって、原爆ではない。(2)当時の日本政府が、原爆というものをどの程度理解していたか、疑問である。(3)その後の大本営の議論や、御前会議でも原爆が話題になった形跡はない。第一、ソ連が参戦したのは原爆投下後の8.09。原爆はソ連参戦の抑止力になっていない。それどころか2.04ヤルタ会談で、アメリカはソ連の対日参戦を容認している。また、アメリカの原爆保有は7.16ロスアラモス実験で明らかになっているし、アメリカはこれを踏まえて7.17ポツダム会談に臨んでいる。その前のドイツ占領時に、ソ連は大量のドイツ人科学者をソ連国内に連行している。つまり、ソ連はアメリカの核の脅しを屁とも思っていなかったのである。
実はその当時、アメリカは使える原爆を持っていなかった。三発目の、そして最後の原爆を積んでいた米重巡インデイアナポリスが、日本の潜水艦イ58によって撃沈されたからである。なお、イ58の橋爪艦長は米艦を回天特攻ではなく、通常魚雷戦でしとめている。何かと言えば、特攻贔屓のアナクロアホ都知事に聞かせてやりたい
 ソ連が北海道占領を思いとどまったのは、原爆の所為ではない。その前にアメリカは、戦後のドイツ・東欧処理をソ連との分割占領で合意した(ヤルタ協定)。ところがそこに出てきたのは民主主義国家ではなく、ソ連共産党に指導された共産主義国家の群だった。これに驚いたアメリカ(当時容共親ソ派のローズヴェルトは死んでいた)が、やっとソ連=スターリンの野望に気付き、対ソ同盟(米英仏中)を結成して、対ソ対決姿勢を見せたからである。
 日本に原爆を投下するか否かという決断に当たって、大統領トルーマンは8人の軍幹部を召集し、各自の意見を求めた。結果は次のとおりである。
              賛成             反対
    陸軍      アーノルド         アイゼンハウワー
                            ブラッドレー
                            マッカーサー
    海軍      キング           スプルアンス
             ニミッツ
             リーヒ
    計        4                  4
 賛否同数である。この結果、トルーマンが最終決断を下さなくてはならなくなった。こういう場合、アメリカの大統領は積極的方向を採用することが多い。それは個人の性格と言うより、アメリカ型民主主義の当然の帰結である。おまけにトルーマンは、ローズヴェルトの死を受けた副大統領からの成り上がりである。3年後には選挙の洗礼を受けなくてはならない。この時、弱気な決断しか出来なかったと言うのは、決定的な弱みになる。対日原爆投下は、こういう政治事情を踏まえた、国内向けパフォーマンスだったと言うのが、現在の見方の主流である。
 上記の原爆投下決定の内幕は、映画「マンハッタン計画」がほぼ忠実である。この映画は、おそらく日本では劇場公開されなかったのではないか、と思われるが、時たまTVで放映されることがある。
 久間の見解は、戦後の研究結果を無視し、原因と結果を取り違えた妄説にすぎない。一方、参院選前にこんなことを言い出すのは、選挙対策としてマイナスにしかならない。それにも拘わらず、原爆容認発言をするのは、将来の日本核武装のための地均しの可能性がある。後ろで糸を引いているのが、アベとか中川昭一辺りか。
(07/07/01)


http://homepage3.nifty.com/yoshihito/same.htm
広島原爆とサメ
[1:インデアナポリス]


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